人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

沖縄の仏教 【8】

2017年08月25日 00時02分05秒 | 日記

  琉球八社 <2>

琉球八社の祭神は、日本本土から勧請(分霊)したものである

安里八幡宮を除いた、全て七社、熊野三所権現が祭神として祀られている

 

熊野三所権現とは

熊野那智大社の祭神

熊野牟須美神・伊邪那美尊・事解之男神

 

熊野連玉大社の祭神

連玉之男神・伊邪那岐神

 

熊野本宮大社の祭神

家都御子神・国常立命である

 

熊野三所権現の神々は、神仏融合による、化身仏で

伊邪那美尊・事解之男神の本地仏は「聖観音」

連玉之男神・伊邪那岐神の本地仏は「薬師如来」

家都御子神・国常立命の本地仏は「阿弥陀如来」である

 

それから天照大神の本地仏は、十一面観音となっている

 

琉球八社に祀られている神々は異なっているが

安里八幡宮以外の全て七社は

伊邪那美尊と連玉之男神・事解之男神が祭神として祀られている

 

波上宮の境内にある、護国寺に祀られている、本地仏は

阿弥陀如来・薬師如来・聖観音である

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沖縄の仏教 【7】

2017年08月20日 00時02分08秒 | 日記

 琉球八社 <1>

琉球八社とは、琉球国時代王府が特別に庇護し

寺禄が与えられた官寺である真言宗の八つの寺院に

神社が併置されている、これが俗に言う

琉球八社である

 

波上宮(護国寺)・沖宮(臨海寺)・識名宮(神応寺)

末吉宮(偏照寺)・天久宮(聖現寺)・安里八幡宮(神徳寺)

普天間宮(神宮寺)・金武宮(金武観音寺)の八社である

 

護国寺の境内にある、波上宮が本社になっている

それは、護国寺が真言宗の本寺であったからと言われている

 

現在では波上宮は、一の宮に認定されている

 

波上宮の太夫は、八社神職の代表であり

各社の神職を任命並びに官位の昇降を王府に申し上げ

勤功によって昇進することになっていた

 

鳥越憲三郎著書(1965年)琉球宗教史の研究によれば

神社・寺院は一般大衆によるものではなく

民衆の済度のためでもなく

 

国王その一族、国家の案泰を祈願するもので

寺院・神社は王族階級の信仰であって

一般大衆には、ほとんど信仰されなかった

 

そのため寺院・神社には、檀家・氏子がなく

民衆は各地域にある、御嶽・御願所などを

信仰していたと述べている

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沖縄の仏教 【6】

2017年08月15日 00時01分16秒 | 日記

  日秀上人が沖縄に来島したのは

1527年から1534年の頃の間と推定されている

 

金武の鍾乳洞に居し布教活動の拠点としていた

後の日秀洞と言われるようになる

 

洞窟で熊野権現の化身本地仏像

阿弥陀如来・薬師寺如来・正観菩薩を自ら彫って波上宮に安置した

後に波上三護国寺に奉納したとされている

 

この像は、昭和初期の調査で1544年12月に完成したと

仏像に記録されて史実として証明されている

 

日秀上人は、1527年~1545年18年沖縄に滞在したと

推定され、宗教活動は多面的に及んでいる

 

沖縄に真言宗と熊野信仰を広め

数十か所の寺院の建立

頼重法印が建てた護国寺の再興や、多数の仏像の制作

大蛇退治や法力で妖怪退治したと云うストーリや

 

また、日秀に関する数多くの伝承があり

これらに関わる由来や石碑など多く残されている

 

沖縄の歴史書・地誌などに

日秀上人の事績が記録されている

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沖縄の仏教 【5】

2017年08月10日 00時01分42秒 | 日記

 日秀上人 <2>

伝承によると日秀は、1528年(享禄元年)頃

南海にあるとされる極楽浄土を目指して

補陀落渡海(ふだらくとかい)と言う捨身修行を行い

沖縄金武(きん)の富花津(ふなや)に漂着し地元の住人に救助され

沖縄へ来島したと云う経緯が伝承として伝えられている

 

日秀上人は真言密教・法華信仰・観音信仰・熊野信仰し法を極め信仰していた

 

日秀は金武の鍾乳洞(日秀洞)を神聖な場所として

そこを拠点として布教活動を行い

その洞窟のうえに金武観音寺を建立した

金武観音寺の山号は金峰山で金峰山三所大権現である

 

熊野権現の化身本地仏

阿弥陀如来・薬師如来・正観音菩薩像を彫って奉納したと伝えられている

 

琉球王府は、日秀上人の布教・宗教活動を庇護し援助した

沖縄において、真言宗は仏教二大宗派の一つになった

 

その頃の仏教は、沖縄歴史上、全盛期を迎えたと言われている

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沖縄の仏教 【4】

2017年08月05日 00時02分05秒 | 日記

 日秀上人 <1>

日秀上人は、沖縄の歴史書、中山世譜・球陽

琉球国由来記・琉球国旧記・地誌などに

 

沖縄における仏教の布教、寺院の創建や仏像彫刻

仏師としての多面的に事績が記述されている

 

日秀上人は、1503年加賀国(石川県)(上野国の説もある)に

生まれ、十代の後半頃、修業のため高野山に入寺する

 

二十五歳頃、密教僧が行う、捨て身修行と言う

補陀落渡海(ふだらくとかい)を行ったと言われている

 

小舟に、一ヶ月分の食料と飲み物と共に乗り込み

外から釘で出入り口を塞ぎ

 

南海にあるとされる極楽浄土を目指と云う

宗教的自殺行為である

 

この捨身修行は大多数の修行僧は帰ることはなかったと言われ

日本の歴史上二十数人以上の修行僧が実行したと言われている

その中で日秀上人は奇跡的に

沖縄金武の富花津(ふなや)に漂着した

 

富花津は薪を搬出する津(港)で、地元の若者に救助されたと言う

 

この若者に、日秀上人は救助のお礼に「比嘉(ひが)」姓を

与えたと言う伝承が語り継がれている

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沖縄の仏教 【3】

2017年08月01日 00時02分17秒 | 日記

 沖縄に始めて仏教が伝来したのは

禅鑑と言う僧が補陀落海(ふだらくとかい)修業中嵐に遭い

沖縄の那覇港に漂着した(国籍不明)と言う伝承が伝えられている

 

時の英祖王(1269~1300年)は

禅鑑の教えに尊信し帰依して禅鑑を開基として

浦添城の西に極楽寺を建立して住持させたと

 

中山世譜(1725年)琉球国由来記巻の琉球諸寺旧記序に

仏教が伝来したのが始めてであるとしている

 

その後、察度王(1350~1395年)の治世に

薩摩国坊津の龍源寺一乗院・頼重法印が来流して

波上山に王の祈願寺として護国寺を建立して

真言宗を始めて教え伝えた

 

第一尚氏王統六代尚泰久王(1454~1460年)の治世に

京都・南禅寺の高僧芥隠承琥が

沖縄に始めて臨済宗を伝えたとされている

芥隠は尚泰久王・尚徳王・尚円王・尚真王四人の王に仕えた

 

沖縄での仏教は王府の庇護を受け

国の鎮護を祈願する国家仏教として

首里や那覇を中心に多くの寺院が建てられた

 

民衆には布教活動はなく、そのため民衆には広まらず

国家の鎮護・案泰の祈祷が中心で

信仰には関心がなかったと言われている

 

寺院は官寺で僧侶は官僧で仏教信者も定まった寺院の壇徒ではなく

沖縄では檀家制度はなかった

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