人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

久米三十六姓【4】

2021年02月25日 00時01分34秒 | 日記

  中国明王朝の海禁政策の廃止

西洋諸国のアジア進出などで

衰退した琉球久米村は

 

1609年に薩摩軍が侵攻して

流球国は政治的独立失うが

 

薩摩の支配の中で琉球は

中国明朝との君臣関係を保ったまま

 

薩摩の政策監督によって

冊封朝貢交易を維持し推進して行く

 

王府は荒廃した久米村を

朝貢関係を維持する復興強化を図る

 

身分の保証、中国への官費留学

経済的優遇策などの特権も与えられた

荒廃していた久米村は往時の繁栄を取り戻した

 

諸外国との貿易を背景とした

久米三十六姓は政治的、経済的に

その地位は極めて高く大きな影響を与えていく

 

流球国の正史である、中山世監(1701年)を

編纂した蔡鐸や多くの政治家、三司官の鄭迵、祭温

 

王府の要職、学者、教育家など久米村から排出して

流球の発展に寄与していった

 

そうして久米村を朱明府と呼ばれるようになる

朱明府と呼ばれた、三十六姓によって

 

流球が廃藩置県になるまで

約500年の間、外交、貿易に従事した

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久米三十六姓【3】

2021年02月20日 00時00分15秒 | 日記

  久米村を「くんだ」久米村人「くんだんちゅ」と呼び

流球は「くんだんちゅ」によって

 

朝鮮、東アジア、東南アジアとの中継貿易よって

一時代を築き繁栄を極めた

 

それには中国明朝の朝貢冊封体制よる

海禁政策によって民間人の海上貿易を禁止し

 

正式な朝貢使節とのみ交易を行う

政策によって琉球は中継貿易として存在し

存在を増していく

 

中国明朝は、琉球を通して必要としていた

東南アジア、日本産品を入手していた

 

そのため琉球を重要視し海船も下賜し(30隻以上)

修理もしたと「歴代法案」に記述されている

 

流球は、1550年代には最盛期を迎える

 

1567年に中国の海禁政策が廃止され

中国の海商人が続々と、東南アジアへ進出し

 

西洋諸国もポルトガル、スペイン、オランダ

などもアジアへ貿易のため進出してきた

 

流球の中継貿易として失われ流球国は衰退していく

それに合わせて久米村も衰退し荒廃していき人口は激減した

 

1606年尚寧王の冊封のため来流していた

夏子陽は六家のみと記録している

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久米三十六姓【2】

2021年02月15日 00時00分15秒 | 日記

  流球の中継交易の成功は

中国の明朝を中心とした

 

冊封朝貢体制という前提がなければ成立し得なかった

他の朝貢国と比べて優遇されていた

 

流球は、1474年では朝貢は制限なく年に

数回朝貢することが出来た

 

流球は、朝鮮、日本、東南アジアにいたる海域において

海上中継貿易で一時期を築き繁栄を極める

 

流球史ではこの時代を大交易時代と呼ぶ

これらの繁栄の原動力と成ったのは

久米三十六姓である

 

彼らは流球から与えられた地に定住し

自分たちの住む集落を唐栄、唐営

 

または唐中と呼び、後に久米村と称される

久米村は、城壁に囲まれ琉球国の

対外交易、外交の拠点となる

 

また、三十六姓は

流球に儒学、言語、社会組織、建築、宗教

中国文化など、各分野に多大な影響を及ぼし

 

沖縄文化の中に残し

現在も色濃く残している

 

13日に大きな地震がありましたが

皆さん大丈夫でしょうか

被害に遭われた地域の皆さん

心よりお見舞い申し上げます。

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久米三十六姓【1】

2021年02月10日 00時00分18秒 | 日記

  久米三十六姓とは

今から約620年前察度王(1350~1396)の時代

中国の明朝洪武帝の時代に、閩から渡来し

 

浮島と言われる一角に居住し久米村を作った

浮島は、国場川、久茂川、安里川と海に面した島である

 

閩とは現在の福建省の古名で

三十六姓とは漠然とした数字で

 

大勢の人が閩から渡って来たため

久米三十六姓と呼ばれた

 

流球の正史と言われる、中山世譜(1701)

1392年中国明朝洪武帝より他の下賜品に加えて

閩人三十六姓を賜ったとの記述があるが

 

しかし、中国明側の同時代の史料である「明実録」

等にはこうした記録が無いと言う

 

近年では研究者の間では、三十六姓の

下賜説については疑問視している

 

一般的には察度王の時代に中国明朝との

冊封体制関係に入り、交易、商売目的に

 

中国、琉球間を往復しているうちに

居住し定住したとされている

その後も随時琉球に渡来してきている、と

 

流球は交易立国として

対外貿易、外交文書の作成

 

通訳、造船、航海術などを担う専門職能集団として

中国、東南アジアとの外交貿易などの交渉を遂行し従事した

 

流球は中継貿易によって大いに繁栄する

この繁栄は、久米三十六姓によって成し得た物である

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おもろさうし

2021年02月05日 00時00分16秒 | 日記

  おもろさうし とは 

おもろ(神謡)を集めたもの

 

おもろを読み解くことで古琉球の背景、思想や

古来の信仰や祭祀を知ることが出来る

 

12世紀頃から奄美群島沖縄本島

宮古・八重山諸島の島々村々で謡われ

 

伝承されてきた、歌謡を

 第二王統4代目尚清王(1527~1640年)の

 

1531年から、8代目尚豊王(1621~1640年)の

1623年にかけて琉球王府が収集し編纂した

 

沖縄最古の歌謡集(おもろさうし)で

全22巻収録されている

 

おもろとは「思い(うむい)」の転訛りであり

おもろは神前で謡われた祭祀歌謡だと考えられている

 

「おもろは」は主に平仮名で書かれ

まれに漢字も混ざっている

現在では使われていない

 

沖縄の古語が多く含まれ

難解で最初は何を書かれ

 

何を歌われているのか

専門家も理解できなかった

 

近年になって

解読が進み大部分が理解されるようになっている

 

宗教的神謡が多く祭祀、儀礼の場で謡われたのが中心で

14巻偶数を占めている

 

琉球開闢や天体・王・英雄・神職者・航海者

戦争・風景・築城・天象など謡われている

 

恋歌が少ない事などが特異である

 

短いものは二~四行のものもあり

長いものは四十行のものなどもある

韻文や対句を用いている

 

「おもろ」の謡数は1554首あるが

重複があり実数は1248首ある

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セジ 

2021年02月01日 00時00分30秒 | 日記

  「セジ」とは霊力と意味する

「セジ」がものに憑依すると、憑いたものに霊力が生じると考えられ

 

琉球では「セジ」と呼んだ

 

古琉球において、神々が鎮座するオボツカグラ(天上界)と

ニライ カナイ(海の遥か彼方または海の底)に「セジ」が満ちていると

 

セジが満ちた異界、他界から、現生に招くのが

ノロ(神女)、神人である

 

このセジ(霊力)は多かれ少なかれ

人間は誰でも持つものとされているが

 

特に沖縄の女性は一般的に霊力が強いと考えられている

ノロやシャーマンであるユタも女性である

 

女性の霊力が、イキガ(男)を守護すると考えるのが

「おなり神」信仰である

 

「おもろさうしに」にセジについて多く謡われている

おもろ とは沖縄最古の歌謡集で

 

奄美群島や沖縄本島、宮古・八重山諸島の島々村々で

継承され謡われている歌謡を採録したもので

 

宗教的神謡が多く、セジは森羅万象に憑依すると謡われ

憑依した万物は霊能を生じさせると

 

セジが憑依した人が超人と成り権力者として

国を支配し統治すると考えられ

 

セジ失うと、力が失せ、権力は終焉すると

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