八重山諸島は、日本最南端の波照間島・最西端の与那国島はいずれも有人島で
11の有人島と無人島22から成る島嶼群である
八重山では「やいや」沖縄本島「えーま」と呼んでいるが
八重山の名称の由来には諸説ある「中山伝信録」(1719年)には
「八重山一名北木山土名彜師加記、又名爺馬」と記述がある
彜師加記は「いしがき」「爺馬」」は「やま」と読むとされる
「八重山」は「爺馬」=「やま」への当て字であるとされている
沖縄の歴史に登場してくるのは、14世紀末頃
琉球王府が編纂した史書である「球陽」には
1390年に宮古と八重山が中山王察度に入貢したと記述がある
沖縄の歴史は、舜天王統・英祖王統に続く3番目の王統は
この察度王から始まる
1372年琉球から初めて中国明王朝に朝貢したのは
この察度王である
そうして、尚氏第一王統が7代続いて63年
その後、尚氏第二王統が19代続いて410年
この第二尚氏王統の3代目の尚真王の時
八重山諸島は深い関わりを持つようになる