西塘 <2>
八重山は小国家ながら、政治、社会を形成し
独立国家として維持していた
1500年に琉球国の侵攻を受けた
八重山のオヤケアカハチ軍に、西塘も独立を守るため
この戦に参加したと思われる
しかし琉球軍・宮古連合軍の圧倒的な軍勢に敗れ
西塘は捕虜と成り、王都首里に連れて行かれた
西棟は法司(三司官)家に奉公人として仕えた
そこで沖縄の習慣や言葉や文字などさまざま学問を学び
そして石工技術も学だ
勤勉・努力によって才能を発揮し
主人の三司官に認められるようになった
首里に来てから、19年目の1519年に王府より
園比屋武御嶽(そのひやうたき)の石門の建造を命じられた
その時西塘は園比屋武御嶽の神に願を掛けた
無事石門を建造して帰郷することが出来たら
郷里の竹富島に勧請(分霊)して祀ることを誓った
間もなく立派な石門が完成し、その功績が認められた
かねてから帰郷の願いをしていた西塘に
八重山を統治しる、竹富大首里大屋子に任命された
史書球陽によると、1524年西塘は統治者として、竹富島に帰ってきた