人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

竹富島 【6】

2017年06月25日 00時03分01秒 | 日記

  西塘 <2>

八重山は小国家ながら、政治、社会を形成し

独立国家として維持していた

 

1500年に琉球国の侵攻を受けた

八重山のオヤケアカハチ軍に、西塘も独立を守るため

この戦に参加したと思われる

 

しかし琉球軍・宮古連合軍の圧倒的な軍勢に敗れ

西塘は捕虜と成り、王都首里に連れて行かれた

 

西棟は法司(三司官)家に奉公人として仕えた

そこで沖縄の習慣や言葉や文字などさまざま学問を学び

そして石工技術も学だ

 

勤勉・努力によって才能を発揮し

主人の三司官に認められるようになった

首里に来てから、19年目の1519年に王府より

園比屋武御嶽(そのひやうたき)の石門の建造を命じられた

 

その時西塘は園比屋武御嶽の神に願を掛けた

無事石門を建造して帰郷することが出来たら

郷里の竹富島に勧請(分霊)して祀ることを誓った

 

間もなく立派な石門が完成し、その功績が認められた

かねてから帰郷の願いをしていた西塘に

八重山を統治しる、竹富大首里大屋子に任命された

 

史書球陽によると、1524年西塘は統治者として、竹富島に帰ってきた

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竹富島 【5】

2017年06月20日 00時02分33秒 | 日記

  西塘 <1>

西塘(にしとう)とは、竹富島の守護神、豊穣の神として

竹富島に西塘御嶽として祀られている

 

正月には竹富島のほとんどの人が初詣でに参拝している

偉大な政治家・郷土愛家として尊敬され

現在も竹富島の人々に強く信仰されている

 

沖縄の史書(球陽・琉球国旧記)によると

1500年のオヤケアカハチの乱の時

琉球国軍総大将大里親に、西塘の才能を見出し

王都首里に連れて行ったとあるが

 

八重山由来記・琉球国由来記によると

「ニシトウト云者召取ラレ悪鬼納(沖縄)ガナシヘ罷登リケリ」と

記述されている

 

西塘が自ら進んで首里に行ったのではなく捕虜として

連れてこられたとも読み取られる

 

西塘が十代の中頃か二十代前半ごろ首里に連れてこられ

法司家(三司官)で、奉公人として仕え

沖縄の言葉・文字、さまざまな学問

首里の先進文化を学びそれらを修め

また、石工技術も学びその才能を発揮した

 

西棟が連行されてから、19年目の

1519年園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の

石門の建造を王府より命じられる

 

当時の最新技術を取り入れた中国風のアーチ型の石門を

1524年頃完成させる

 

西棟は石工技術者として才能を発揮しその名を知られるようになる

現在世界遺産に登録されている

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竹富島 【4】

2017年06月15日 00時03分02秒 | 日記

 竹富島には多くの神事が継承され、大切に守られている

島内には、御嶽(おん)と言う御願所が

28か所が存在し信仰の中心と成っている

それ以外の拝所を含めると80か所以上あると言われている

 

島の始祖と伝えられる6人の親神を祀った御嶽を

六山(むーやま)と呼ばれ

祭祀を行う最も重要な拝所とされている

 

島民は必ず六山に属し、ナーキョイやプイなどの祭祀には

それぞれの御嶽で家族、一族の安寧と健康を願う

 

六山に鎮座する神を蔡礼する、神人(主に女性)がいる

神人は世襲制で御嶽の香炉を管理している

 

また殿居元(トゥヌイムトゥ)やカンマンガーなどの役職もあり

世襲制で継承されている

 

竹富には西塘が首里王府の園比屋武御嶽の

神を勧請(分霊)して、国仲御嶽を建立する

八重山諸島で唯一琉球王府とつながる御嶽である

 

西塘は竹富の偉人として尊敬され讃えられて

西塘御嶽が造られている

 

また、島創りの2神が祀られ清明御嶽を加えると

九山(くぬやま)に成って、島民の強い信仰を集めている

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竹富島 【3】

2017年06月10日 00時02分26秒 | 日記

 竹富島は、神事、行事、織物、芸能、風習

伝統文化など数多く継承されている

 

1986年に制定された「竹富島憲章」は

伝統的な建造物を「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」の

4原則に伝統文化と自然文化的景観を資源として「生かす」という

保全優先を基本理念として基本5原則を根幹として竹富住民の

自治組織、団体法人竹富公民館(2003年法人各認可)を設置した


売らない=島の土地や家などを島外者に売ったり、無秩序に貸したりしない

汚さない=海や浜辺集落など島全体を汚さない、汚させない

乱さない=集落内道路、海岸などの美観を広告、看板、その他のもので

     乱さない、乱させない

壊さない=由緒ある、家屋や集落景観、自然を壊さない、壊させない

生かす =伝統的祭事行事を島民の精神的支柱として民俗芸能

     地盤産業をいかし、島の復興を図る

     美しい島を守る・島を生かす・島を外者から守る

     秩序ある島を守るために、島民は憲章を守り努力している

 

  1987年4月28日に重要伝統的建造物保存地域区として

  国の指定を受けている

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竹富島 【2】

2017年06月05日 00時02分51秒 | 日記

 竹富島は明治の始め頃までは武富と

表記され竹富は当て字とされている

 

以前はテードゥン(竹富)ムニ(言葉)

竹富の方言で「テードゥン」と呼ばれていた

 

テードゥンムニは、八重山方言に属し

日本の古語を残していると言われている

 

現在では、テードゥンムニを含め

沖縄方言を日常的に使う人は少ない

 

ユネスコの調査によると現在世界には

6000から7000の言語があるが

2500言語が消滅の危機にあると言われている

 

これら消滅の可能性のある言語を消滅危機言語としている

テードゥンムニを含め沖縄方言も消滅危機言語に認定している

 

竹富島ではテードゥンムニを守るため、竹富小中学校

PTA主催の島の子供達による、テードゥンムニ大会(発表会)を

 

1977年から毎年開催されている

同種の催しは沖縄県内各地域でも行われている

 

特に竹富では活動が盛んで今年(2017年)も計画して

40回目となっている!!!

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竹富島 【1】

2017年06月01日 00時00分05秒 | 日記

  竹富島は、八重山諸島にある島

 

小浜島・黒島・西表島・波照間島・鳩間島・新城島・由布島

竹富島を含め、8島から成る竹富島町を構成している。

人口 4292人・世帯数 2446所

 

八重山諸島の政治・交通・経済の中心石垣島から高速船で

約10分 6㎞程にある、竹富島人口326人・世帯数174所

面積は5,42キロ㎡、周囲9,2㎞、最高標高は33,1メートル

島は隆起サンゴ礁で出来ているため平坦な地形である

 

東集落「あいのた」・西集落「いんのた」・南集落「中筋(なーじ)」と

三つの集落があり、集落は島の中央部にあり

島の中央から放射状に道が海岸へと通っている

 

赤瓦の民家、サンゴの石垣、白砂の路地、南国の花が一年中咲く

沖縄の原風景がそのまま残っていて観ることが出来る

そのため、八重山諸島の中で最も観光客が訪れている

 

竹富島は信仰の熱い島で

1年を通して数多くの神事、祭祀が行われ

歌謡(民謡・古謡・わらべうた)、芸能風習など

伝統文化を継承し守られていて、織物も盛んである

 

自然や伝統文化を守るため、竹富島は高度な自治能力を有し

団体法人竹富公民館(2003年法人各認可)

独自の憲章がある

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