琉球国時代にグシクを城と言う当て字にして以降
歴史書やグシクを紹介する文献など
全て城としてグシクを紹介している
この事が現在混乱を招いている原因と言われている
奄美ではグシクを、ゴスコ・ウシュク
沖縄本島では、グスク・グシク
宮古・八重山では、スク・シュクなどと呼ばれている
城(グシク)としての成り立ち
12世紀ごろ
地域に按司(領主)が登場し
初期のころは野面積みの石垣によるグシクで
按司の居城
13世紀ごろには
石切積みの城壁、城郭を持つ
中規模なグシクで、グシク時代と言われ
ほとんどのグシク内には御嶽と言われる拝所があった
14世紀頃になると
大規模なグシクが築城されるように成る
その頃を三山時代と呼ばれ
中山王察度・南山王承察度・北山王怕尼芝とも
明国と交易を行っていた
かなりの権勢を誇こり、力を持っていた
その頃の名残が現在も地名として
北部(国頭郡)、中部(中頭郡)、南部(島尻群)と
今も使っている(三山時代は百年続く)
15世紀中期に
琉球は統一王朝誕生により城の築城は終了する
2000年に五か所のグシク
今帰仁城跡・座間味城跡・勝連城跡・中城城跡
首里城跡がユネスコ世界遺産に登録されている