人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

イザイホー【3】

2019年06月25日 00時00分32秒 | 日記

  イザイホー祭祀は五百年以上継承され続けられて来た

イザイホー祭祀は、1978年最後に

 

1990年・2002年・2014年と

三回とも開催されていない

 

沖縄社会全体の都市化によってもたらされた

人的交流、情報、物流による

人々の日々の営みの価値観が多様化して来た

 

久高島も例外なく価値観の変化に伴い

ほとんどの男は海人(漁師)であったが

 

沖縄本島に渡り生業を求め島外で家庭を築く

そのため女性も島を離れていく

 

若者は進学、就職のため島外へ流出し島には

高齢者が多く島は過疎化している

 

1966年のイザイホーの儀式によって

ナンチュ成った女性は二十五人、1978年八人で

1990年、2002年、2014年は一人も出ず

イザイホーの祭祀は行われていない

 

イザイホーは本来の祭祀、儀式で行われる事は

今後はないと思う,,,,?

 

久高島は現在なおも年間二十余りの祭祀祭礼があり

久高島の人々によって継承され大切に守られている

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イザイホー【2】

2019年06月20日 00時00分10秒 | 日記

  久高島で生まれた男は全て海人(うみんちゅ)に

女は全て神人になると言われた

 

これは久高島で生まれ育ち成人になった男性は漁師になり

女性は神に仕える神人になると言うことである

 

イザイホーは十二年に一度午年の旧暦十一月十五日から四日間

ニライ カナイの来訪神を迎え、新しい神人を

ニライ カナイの神に認めて資格を得るための儀式である

 

久高島で生まれ育った

三十一歳から四十一歳までの既婚女性全てが

 

イザイホーの儀式に参加し、ナンチュ(神人)に成り

新しいセジ(霊力)に授かり、久高島と家族の繁栄を願い

 

特に男兄弟を守護する

沖縄の宗教であるオナリ神に成るのである

 

久高島には外間家と久高家の二つの宗元があり

それぞれに最高職のノロとノロを補佐するウッテ神、根人

 

さらに、六十一歳から七十歳のタムト

五十四歳から六十歳までのウンサク

 

そうして十二年前にイザイホーの儀式を得て神人に成った

四十二歳から五十三歳のヤジクと三階級の神職者がいる

イザイホーはこれらの神人によって行われる

 

新しく神人になる、三十一歳から四十一歳かの女性は

ナンチュと呼ばれ

四日間のイザイホーの儀式を得て正式に神人に成る

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イザイホー【1】

2019年06月15日 00時01分48秒 | 日記

  イザイホーとは、十二年に一度

午年旧暦の十一月十五日から四日間行われる祭祀

 

久高島で生まれ育った、三十一歳から四十一歳

ナンチュと呼ばれると呼ばれる女性が

イザイホーの儀式を得て神人に成る儀式

 

儀式の概念は、ニライ カナイから神を迎え

神人に成るための資格を得る通過儀礼である

 

沖縄には、古代から女性は霊力が強いと考えられた

神に仕えるノロ(神女)やユタ(シャーマン)も全て女性であった

 

そのため沖縄の女性は神人なる資性を

持つものと考えられ信じられていた

 

その例がウナイ神信仰である

ウナイ信仰とは、ウナイ(姉妹)が、イキガ(兄弟)を

霊的に守護する者と考え

 

ウナイに霊力あると信仰する沖縄の特有の信仰で

イキガの守護者としての

ウナイを神格化しての呼称するものである

 

このウナイ信仰は沖縄信仰の基本概念である

 

第二王統3代目尚真王は(1477~1526年)治世に

以前から各地にあった祭祀、拝所を整備し

 

沖縄の信仰と政治を一体化し祭政一致体制を制定し

神職者を階級化して、各間切りにノロ

尚真王の妹を神職者の頂点聞得大君を置いて制度化した

 

その時に久高島のイザイホーが始まったとされ

五百年以上続いて来た、祭祀イザイホー

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久高島の祭&祀【2】

2019年06月10日 00時00分56秒 | 日記

  神の島と呼ばれる久高島には

沖縄の島々を創造した開闢説話

五穀発祥の地としての御嶽・御願所

 

また祭祀を行う時に、ニライ カナイから

来訪する神を迎えて行う祭場

 

アマミク(天摩美久)が創造した

沖縄開闢七御嶽の一つがフボー御嶽

 

久高島には数多くの拝所が存在している

フボー御嶽は久高島の最高の聖域とされ男子禁制である

 

年中祭祀は、ヒータチ―、ウプヌガナシ、テーラガーミ、

ハンジャナシー、十二年に一度行われるイザイホーなど

 

年間四十ほどの祭祀が、1960年時代まであったが

現在儀式は簡略化され、今では二十余りの祭祀が残り

現在も行われている

 

久高島には元家と呼ばれる、外間家と久高家がある

両家は祭祀の最高職である、ノロ(神女)と

 

ノロを補佐する、ウッテガミ(掟神)と根神

さらにタムト、ウンサク、ヤジクの神人がいる

 

タムトは61歳から70歳

ウンサクは54歳から60歳

ヤジクは42歳から52歳の三階級の女性の神人

 

31歳から41歳のナンチュと呼ばれる女性が

イザイホーの儀式を得て新しく神人に成る

 

久高島の祭祀はこれらの神人組織によって

祭祀に関係する御嶽、御願所で

 

年中祭祀、イザイホーなどの祭祀が執り行われる

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久高島の祭&祀【1】

2019年06月05日 00時00分31秒 | 日記

  久高島は沖縄本島南部東側に約5.3㎞に位置する

周囲8㎞で東から南西方向に細長い平坦な島である

 

人口180人余り、阿座間港からフェで約20分

沖縄県南城市知念久高島となっている

 

久高島と言えば昔から神の島と呼ばれて

海の彼方異界ニライ カナイに繋がる聖地としている

 

沖縄には幾つかの開闢説話があるが

その一つが久高島の地に天帝(最高神)が

アマミク(天摩美久)を遣わし国創り始め

 

天帝の子である男女神を降臨させ

人類の始祖とした開闢説話がある

 

また久高島に、ニライ カナイから

五穀(米・麦・粟・豆・稗)の種子をもたらし

農業の始まり、五穀の発祥の地と

琉球由来記(1713年)に記されている

 

王朝時代、国王は、オナリ神である聞得大君(最高神女)を伴い

国の安寧と繁栄、国民の幸福と五穀豊穣を

この聖地で祈願していたのである

 

久高島はセジ(霊力)が最も集まる場所と考えられていた

 

島は多数の御嶽、祭場があり

人々の暮らしの中に祭祀が年中行事として

大切に守られ行われている

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久米島の祭&祀【6】

2019年06月01日 00時00分30秒 | 日記

  久米島にマキヨと言われる血縁集団が集落を形成し

古から根神(神女)、神人いた

 

各集落事に宗家から選人された女性が

神職者として祭祀行事が行われた

 

第二尚氏三代目尚真王(1477~1526年)が

統治していた時に、宗教改革を行い神職者を組織化した

 

久米島でも行われ、十人のノロとその上にチンペー(君南風)が置かれ

神職者は王府の管吏(公務委員)になる

 

十代目尚質王(1648~11668年)の治世の時

羽地朝秀が1666年に摂政の地位についた

 

薩摩藩の侵攻以降、琉球は国全体が疲弊していたため

国を立て直すためだった

 

羽地朝秀は、統治機構改革と宗教改革を行った

政治と結びつき莫大な額の出費と成っていた

 

諸祭事の短縮と合理化を断行したその結果

羽地は財政再建に成功した

 

また、王府、士族の中に仏教を取り入れた

そのため琉球独自の宗教は薄れていった

 

1879年に廃藩置県によって

ノロは管吏の職を失ったが祭祀は続けて行われていたが

沖縄全域で、ノロの高齢化と継承者が少なく

 

このままだとノロ(神職者)と伝統行事は

遠からず途絶えてしまうであろう

久米島も例外ではないと思う

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