四国への伝播
甘藷(唐芋)は琉球から薩摩藩に伝わり
九州全域に普及して行った唐芋
伊予の国大三島
現在の愛媛県今治市属する
島に住む下見吉十郎は
子供三人を 亡くしていた
吉十郎38歳の時 六部僧となり
諸国 行脚に旅発ち
大阪、京都、広島、
九州を巡って薩摩藩に
1711年11月頃 伊集院村で
始めて食した唐芋は美味しく
我が村に持ち帰りたいと懇願し
栽培方法と種芋を譲り受け
大三島へ持ち帰った
下見吉十郎は故郷大三島で種芋を育て
その苗を農民に配って伝授した
後に唐芋は瀬戸内海の島々に
普及して行った
1731年から1732年天候不順で凶作となり
享保大飢饉が起こった
19世紀に編纂された江戸幕府の公式史書
御実記によると97万人の餓死者と
飢餓に苦しんだ人は2百50万人以上
のぼったと記録されている
大三島周辺では餓死者は一人も出ず
唐芋を食べ命が救われたと言われている
唐芋は救荒食物として
四国全域へ普及して行く
前回の投稿にコメント頂き有難う御座います