蔡温は、クニンダ(久米村)の名門祭氏志多伯家十世父蔡鐸は
クニンダの最高職である総理唐栄司で
琉球の正史中山世譜(蔡鐸本)や
外交文書歴代宝案を編纂、漢詩集などを著している
父蔡鐸の次男として誕生した
クニンダとは今から620年前中山王察度(1350~1396年)は
明国朝洪武帝とは朝貢関係にあり交易、商売目的に
明国・琉球国との間を往復しているうちに
閩人が移住したとされている
その後も隋時琉球に渡来して久米村を作った
閩人とは現在の福建省出身の客家であった
客家とは、漢民族で古代中国中原(都)の王族の末裔で
政変によって王朝が交代した時、権力の座から追放
戦乱から逃れるため中原から地方に落延びて
移住先ではよそ者であるため客家と呼ばれた
客家は移民のため土地を所有が困難のため
商業や流通に従事する事が多く
そのため子弟には教育に熱心であった
その客家が東南アジア、東アジアに渡り
そして琉球にも渡来して来た
この客家が華僑のルーツとされている
琉球国は東シナ海の中心にあり
中継交易によって、明国や日本、高麗
華僑の人が居た東南アジア諸国との
中継交易によって繁栄していた
この繁栄は、外交文書作成、通訳、造船航海技術などを担う
専門職能集団のクニンダ人によって成し得たものである