人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

城 【2】

2019年09月25日 00時00分32秒 | 日記

  人類は誕生以来、戦闘は絶える事はなかった

狩猟時代(縄文時代)から

農耕時代(弥生時代)になると

 

定住生活へ始まり集落が形成され集落単位に

柵や環濠が設けられた侵入する外敵を防ぐためである

 

これが「城」の始めであるとされている

城は時代とともに進化し堀や土塁の作事

 

さらに石垣による城郭、城壁、外郭を築いていき

天守や櫓も建築された城は戦国時代

全国で最も多く建築されたと言われている

 

日本には二万から八万以上の城が

あったと言われているが

 

城として初めて記録されている文献は

664年に天智天皇が建造した

「水城」だと言われている

 

遺跡や言い伝えなどの記録や遺構

地方の文献、資料などの数字は

二万以上の城と言われている

 

歴史的資料では七千以上の城と

城跡があると言われる

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城 【1】

2019年09月20日 00時00分26秒 | 日記

  日本には「城」と呼ばれる城は

二万から八万以上の城が言われている

 

この数字には、かなりの幅がある

何を指して城と呼ぶか人によってかなり違ってくる

城の定義が曖昧だからである

 

日本の城は狩猟時代(縄文)から、農耕時代(弥生)になり

定住生活が始まり、集落が形成され

 

そうして集落単位で移住地を柵や環濠が設けられた

これが城の成り立ちといわれる

 

城は時代とともに堀や土塁の作事

石垣による城壁、城郭、外壁を築いていった

 

戦国時代初期までは、山城が多かった

外敵から身を守るための、要塞堅固な山城であった

 

戦国時代中期からは

平山城や平地に築かれた平城が築かれ

平城が主流になって行く

 

山城は防衛には優れているが

政治をするには不向きであった

 

戦国末期までに日本の歴史の中で最も多くの

城が建築された時代であったと言われている

 

その時に石垣による城壁、城郭、外壁や堀など

そうして天守が多く建設された

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沖縄人のルーツ【2】

2019年09月15日 00時00分47秒 | 日記

  両大学研究チームの研究では

沖縄本島・宮古・八重山地方から

 

計350人のDNAを採収、一人当たり

50万ヶ所以上の塩基配列の違いを分析した結果

 

遺伝的に、沖縄列島の人々は大陸や台湾の人々との繋がりを否定、

 

アジア全体を通してみても、

日本本土にもっとも近いと研究成果を結論付けた

 

この結果宮古・八重山諸島の人々は

沖縄諸島から南下して移住したとみている

 

またDNA情報から遺伝的距離を導く調査によって

移動は古くても、1万年よりも後の時代と推定している

 

約2万6千年前に宮古島に存在したとみられる

ピンザアブ洞窟人の人骨や

 

約2万年前の白保竿根田原洞窟人(石垣)の人骨は

現在の宮古・八重山諸島の人々の主要な

祖先ではないと結論付けている

 

また沖縄本島の港川人、約1万8千年前の人骨は

沖縄列島の人々の祖先ではないかと関心を呼んだが

 

沖縄列島の人々の主要な祖先ではない

可能性が高いことを示していると推測しているものも

 

さらなる精査が必要と述べている

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沖縄人のルーツ【1】

2019年09月10日 00時00分25秒 | 日記

  沖縄列島(沖縄本島・宮古・八重山諸島)人のルーツは

大陸や台湾・東南アジア系統であると

 

いわゆる南方系であると言う説が多勢であった

 

琉球大学・大学院医学研究科佐藤丈寛博士研究員

木村亮介准教授、北里大学、統計数理研究所の

共同研究チームが

 

現在の沖縄列島に住む人々の核ゲノムDNAを

解析した結果、隣国台湾や大陸の人々とは直接の

遺伝的に沖縄列島の人々は繫がなく

 

日本本島に最も近いと言う研究成果を

2014年9月16日琉球大学が発表した

 

これまで骨や一部、DNAの分析から沖縄列島の人々は

中国や地理的に近い台湾より日本本土の人々に近いとする

研究成果を発表されてきたが

 

今回初めて全ゲノムを網羅した解析によって

同様の成果が得られた

 

宮古・八重山地方も含め大規模に精査した結果である

 

木村准教授は沖縄の人々については

東南アジアや台湾系統に属すると言う

南方系との説もあったが今回の研究はこれを否定している

 

沖縄の人々の成立を明らかにする上で

貴重なデータになると述べている

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日本人のルーツ【4】

2019年09月05日 00時02分45秒 | 日記

  日本列島は、最北端択捉島から

最南西端の与那国島は直線距離、3294㎞ある

 

北海道・本州・四国・九州は橋で繋がっている

 

日本列島のほかに、千島列島・琉球列島に

約1億2623万人(令和元年6月1日)の人が住んでいる

 

約4万年以上前から人々が住んでいたことが

考古学的・人類的証拠が証明されていると言われている

 

現在アイヌ人・本州人・沖縄人の三人類の人々が住んでいる

 

日本列島に最初に移住した縄文人は東アジアに住んでいた

古いアジア人の子孫である弥生時代に北東アジアから

 

日本列島に渡来して来た寒冷地に住んでいたために

顔などは縄文人とは異なっていた

 

この新しい人類(弥生渡来人)は北九州から日本海岸

近畿地方に移住し縄文人と混血を繰り返して来た

 

ところが北海道の縄文人と渡来人との

混血はほとんどなかったため縄文人の

DNAを多く残す事に成った

 

沖縄列島の人々も本州から多く移住したが

本州人よりも縄文人のDNAを多くのこしていると言う

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日本人のルーツ【3】

2019年09月01日 00時00分28秒 | 日記

  東京大学、大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授と

遺伝学研究所集団遺伝研究部門の斉藤成也教授

東京大学・大学医院理学系研究科・理学部の尾本恵市名誉教授を

中心とする研究グループは

 

日本列島人(アイヌ・沖縄・本島人)のゲノム解析により

現在の日本人は縄文人の系統と弥生系渡来人の系統の

混血であるとしている

 

これまでの遺伝学的研究では

アイヌ人と沖縄人は近いことが幾つか得られたが

決定的ではなかった

 

研究グループは、人ゲノム中の単一塩基多形を示す

100万塩基サイトを一挙に調べることが出来る

システムを用いて、日本列島人のDNA分析を行った、

 

その結果アイヌ人に沖縄人は遺伝的に最も近く

日本列島の中間に位置する本土人は沖縄人に次いで

アイヌに近いことが示されたと言う

 

現在日本には、旧石器時代から住む縄文人の系統と

弥生系渡来人の系統が共存すると言う

 

二重構造説を強く支持するとしている

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