歴代宝案 <3>
察度按司(1350年~1396年)によって
1372年に琉球国にとって初めて
中国明王朝との朝貢関係を開く
1404年に明王永楽帝より察度の子武寧が冊封を受け
正式に琉球王に即位する、以後500年続く
冊封朝貢体制によって、中国明王朝を宗主国とし藩国になる
流球が朝貢している場合は
中国の年号を用い外交文書も漢字を使うことになる
明王朝の朝貢政策と海禁政策によって民間人の
海上貿易を禁止し、正式な朝貢使節のみ貿易を行う
海禁政策が行われた
流球は、その政策によって存在が増していく
流球の中継貿易の成功は、明王朝を中心とした
朝貢冊封体制によって成り立ち
明も琉球を重要視していた
中国が最も必要としていた
東南アジア産物
日本製品の入手に大きな役割を果たしていく
その琉球に海船を下賜し、船の修理もし
航海術・通訳・乗組員・朝貢貿易に関わる
専門家も派遣された
来流してきた「閩(びん)人」と呼ばれ
流球の久米村を与えられ、そこに居住し帰化した
そこを朱明府と呼ばれるようになる
流球は、朝貢による海外交易によって繁栄し
1550年代最盛期を迎える
1567年に中国の海禁政策が廃止され
中国の、海商人が続々と東南アジアに進出した
インドを発見した
ポルトガル・スペイン・オランダなどが
直接東南アジア貿易の拠点を構えた
日本も秀吉・後に家康も朱印船を出す
流球の中継貿易は失われ経済的に
衰退の一途をたどっていく
そして、1609年に薩摩藩が侵入して政治的独立をも失う