英祖王統とは中山世鑑や中山世譜、球陽などの
琉球の歴史書に記された王統
英祖は浦添地域を統治していた伊祖城按司恵祖の子
英祖王統との開祖とされる
英祖王統は五大続いて90年統治したとある
英祖王の誕生は、母親が日輪を受ける夢を見て
懐妊したことから、英祖は「てだこ」太陽の子とよばれる
(現在浦添市は「てだこ」の町と愛称で呼ばれている)
知徳に優れていた英祖は瞬天王統三代目義本王の摂政となり
その後、義本王より王位を禅譲されたと史書にある
実際はクーデターだったと言う見方が近年では有力と成っている
英祖は1260年32歳の時中山王に成る
浦添グシクを改修、増築し、土地(田畑)を検知し
農民に土地を分配し、租税を公平などし
禅鑑と言う僧(国籍不明)が補陀落度海修行中に
嵐に遭い琉球に漂着した、この僧を尊び招いた
英祖王は禅鑑の教えに尊信、帰依し禅鑑を開基とし
浦添城の西側に極楽寺を建立し住寺させた
琉球由来記巻の琉球諸寺旧記序に仏教が伝来したのが
始めてとして記述されている
また蒙古軍が日本に2度侵攻1274年と1281年にあったが
1291年に琉球国にも侵攻があったが
英祖王が撃退したとされている