人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

ウヤガン祭 【1】

2018年10月25日 00時00分40秒 | 日記

  ウヤガン(祖神)祭とは、宮古島の狩俣ムラ・島尻ムラ・大神島で

毎年行われる豊年祈願祭

 

地域によっては旧暦六月か十二月にかけて行われる祭祀

狩俣ムラのウヤガン祭は十月から十二月にかけて

 

ムラの北東にあるフンムイ(森)の中にある

ニスノウタキ(西の御嶽)に、神家を設け

旧暦十月に四日間十一月には四日間と三日間、三日間と

十二月には五日間の山籠もりを、合計五回行う

 

五十歳以上の女性が、全身を浄め黒の装束を身に着けて

御嶽に籠り飲まず、食わずの厳しい儀式を行い

フサ(神謠)を謡い舞う

これは狩俣ムラの起源をなぞるものであり

 

また、祖先の人々の事跡を称賛する

フサ、タービ、ニーラーグ神謠である

 

女性はその身に、ニライ カナイからやって来る

ウヤガン(祖神)が降臨するまで御嶽でフサ(神謠)詠い

舞い続けて神々を賛美し、神々と交信するのである

 

そうしてウヤガン(祖神)が女性の身体に憑依して

ウヤバー(祖神女)に成るのである

 

このウヤガン祭で謡われる、フサ(神謠)は

文書にするのは禁じられ、ウヤパーの間で代々口頭伝承されて

儀式も秘密に伝承された

 

ほかの神約の女性やムラ人も見てはならないと言うタブーで

ウヤガン祭は秘儀とされている

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天地開闢 

2018年10月20日 00時00分40秒 | 日記

  宮古、島々の創造と人類創世

宮古諸島には、ハ百以上の御嶽が存在し

 

その中で由緒があり最高の聖地として

現在でも厚い信仰を集めているピヤルミジ(漲水)御嶽がある

通称ツカサヤーと呼ばれるこの御嶽(拝所)は

 

天帝(最高神)に命じられた、男神古意角(こいかく)と

女神姑依玉(こいたま)は、盛加神(もりかの)を始め

ハ神百神(やそかむももかな)を従え

地上に降りた場所だとされている

 

宮古島御嶽由来記(宮古島の神話・伝説・昔物語をまとめた書)によれば

古意角が地上の守護神になることを天帝に願い出ると

 

天帝はこれを祝福し、天の岩戸の先端を折って

下界の大海原に投げ入れ、宮古の島々を創られた

 

天帝は次に赤土を下し、後に黒土を下した

宮古の島々は五穀が豊かに実るようになった

 

天帝は古意角に下界に降りて人の世建をして守護神と成れと命じた

古意角は天帝に「我に足りない片方の身体を賜え」と

天帝は五体備わって何の不足かと問うと

 

古意角は「すべて陽あれば陰あり陰あれば必ず陽あり」と問答を経て

天帝は古意角の願いを聞き入れ女神姑依玉の共を認めた

 

古意角は姑依玉を伴い現在の漲水御嶽のある所に降臨し

二神は多くの神々を産み、その子孫が繁栄し

宮古島々の住民となったと言う

 

島々の創造・人類創世の神話を祀った漲水御嶽は

宮古島々に数多い御嶽の中でも漲水御嶽は最高の聖地として

崇め強い信仰を有し大切に守られている

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宮古島の祭&祀【2】

2018年10月15日 00時00分49秒 | 日記

  宮古には、御嶽信仰、祖先信仰が現在も根強く残り

宮古諸島には、800以上の御嶽(拝所)が存在している

 

御嶽には、島の創造神、祖神、歴史上の偉人神など祀られ

そして神が降臨する聖地であると信じられている

 

領域内には神聖な場所とし

御嶽内に生えている木や植物など切ったり

取ったりしてはならないと言うタブーが存在しているため

自然がそのまま残っている

 

御嶽近くに、ツカサ(司)達が、祭祀の時

数日間夜籠りをして儀式を行う小屋がある

 

各御嶽には所属する、ツカサ(神女)おり

その上にウブアム(大阿母)がいる

この、ウブアムが宮古島のツカサを統括する

 

シマ(集落)には、ムトゥ(元)と呼ばれる

シマの始祖とされる、ムトゥヤ(元家)があり

 

各家は必ず、関係のあるムトゥに所属しており

所属員を、ファーマーと呼ばれて

マキヨ(血縁集団)とも呼ばれている

 

各元家の御嶽が存在し、共同体の祖神を神聖として

祭祀は年中、間断なく全員参加で行う

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宮古島の祭&祀【1】

2018年10月10日 00時00分40秒 | 日記

  宮古諸島は沖縄本島から南西に約290㎞に位置し

池間島・来間島・伊良部島・下地島・大神島

宮古島と六島からなる宮古市

水納島と多良間島で宮古郡多良間村

 

人口は宮古島平良地区に多く集中している

総面積2264k㎡・総人口54863人

所帯数26397(2018、4月)

 

宮古島は低い山岳地で地面は平坦のため河川がない

そのため地下にダムを造り

農水・生活用水として利用している

 

この命の水、地下水を守るため環境作りのため

「エコアイランド宮古島」を宣言している

 

宮古諸島は沖縄本島・八重山諸島とは異なる

伝統行事、文化、特徴のある方言や芸能・民謡など多数ある

 

十六日祭・ハーリ(海人祭)・スッウプナカ(節祭)

サティパロウ(里払い)・ウヤガン(祖神祭)

ユークィ(豊年祭)・パーントゥ・ママトリヤーなど

年中行事として現在も大切に行われている

 

宮古諸島は御嶽信仰、先祖崇拝が根強く残り

そのため御嶽(拝所)多数ある

 

また宮古島に人類創世・天地創造物語も継承されている

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アカマタ・クロマタ【2】

2018年10月05日 00時00分52秒 | 日記

  石垣島宮良(みやら)ムラの

アカマタ(男神)・クロマタ(女神)は、小浜島から伝わった

 

1771年4月24日(明和8年3月10日)の地震による津波

明和大津波によって八重山では、9400人余りの死者

 

14のムラが全て流され、住民の3分の1が死亡した

宮良ムラでは、津波が85mに達した記録がある

 

最も被害が大きかった、宮良ムラに

琉球王府は他の島から入植させる政策を取った

 

小浜島から320人の島民を移住させた

宮良ムラは、現在でも他のムラとは違う方言、風習になっている

 

また自分たちの御願所を新たに設け

ムラ内には複数のオン(御嶽)存在する

 

小浜島から伝わった、アカマタ・クロマタ祭祀の時は

ナビンドゥ(洞穴)根の国から現れる

 

宮良ではニーロー神とも呼ぶ、ニーローとは

底が分らないほど深い穴の意味で

地の底にあると信じられる、ニライカナイの事を指すとされる

 

プーリィ(豊年祭)のトゥピイ(2日)に、トゥニムトゥ(本家)に現れ

さらに決められた家々を訪問し神詞を、豊作と繁栄を授ける

 

その後アカマタとシンカ(仲間―集団)とクロマタのシンカは

それぞれ分かれ、歌い手と共に一晩中、朝までかけて

各家々を巡り祝福を与えていく

 

アカマタ・クロマタはシンカによって

厳重に警護されながら移動するのである

 

畏敬と歓喜の中迎えた、アカマタ神・クロマタ神は夜明け前に

人々は別れを惜しみ、涙を流し、悲しみの声に送られて

ナビンドゥに行き、異界へと去って行く

 

アカマタ・クロマタ祭祀は、一部は公開されているが

写真、ビデオ撮影録音、スマートホンなどあらゆる記録は絶対禁止

 

住民も祭を他言と厳しく禁じ厳格に秘密にしている

そのため秘儀と言われている

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アカマタ・クロマタ【1】

2018年10月01日 00時03分12秒 | 日記

  八重山諸島に、アカマタ・クロマタと言う祭祀がある

西表島古見を発祥とされ、小浜島・新城島の上地ムラ

石垣島宮良ムラで現在でも行われている

 

古見ムラでは、アカマタ・クロマタ・シロマタの三神が存在し

他のムラではアカマタ・クロマタの二神である

 

アカマタ(男神)・クロマタ(女神)の名は

アカムティ(赤面)・クルウムティ(黒面)に由来すると言われている

 

仮面を着け、全身に蔓草で編んだ物を着

身長は二m以上腹回りも二m以上あり体型はずんぐりしている

 

アカマタは赤い棒・クロマタは黒棒を持ち

かなり異形な姿である

 

この祭祀は、プーリィ(豊年祭)のトゥピィ(2日目)に

太陽が没してから、神が住むウムトゥと呼ばれる森から出現する

来訪神をムラ人から歓喜と畏敬に迎えられ決して直視しない

 

アカマタはトゥニムトゥ(宗家)を訪れ

クロマタもクロマタのトゥニムトゥ(宗家)を訪問し

神謡・五穀豊穣と繁栄を授ける

 

また、ムラの各家を一晩中かけて回り

祝福を与え夜明け前にウムトゥに帰る

 

プーリィ(豊年祭)のトゥピィに来訪神として登場するが

島出身者のみが、アカマタ・クロマタ神に選ばれ

その他の者は、この行事の一部しか知らされず、秘祭とされている

 

写真・ビデオ撮影や録音などや口外も禁じられ

研究者、観光客も拒む

 

1968年に祭を観に来た島外者に集団暴行を行い

大きな事件として新聞やテレビなどでも取り上げられた

 

1984年石原慎太郎が「秘祭」として小説を発表し

1998年に川島なお美主演で映画化され

秘儀として、全国に知られるようになる

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