中城グシク(城)と言えば護佐丸の
居城としてよく知られている
伝承によると英相王の三男に中城の地を与え
中城按司と名乗り、その一族が七代続いて
中城の地にグシクを築き
居城としたと伝えられている
七代続いた城主の名前や生い立ち
築城の年代などを示す歴史的な資料が少ない
中城城は十四世紀頃から代々の中城按司らによって
南の郭・西の郭・一の郭・二の郭と
主要な部分を築いたとされている
1440年に座喜味城主だった護佐丸に
王府の命により移り居城とし
三の郭・北の郭など増築された
増築した城壁は相方積み(別名亀甲積み)と
呼ばれる高度な技法で積まれ
現在ある型に成ったと考えられている
1458年阿麻和利の乱で護佐丸は自害に追い込まれる
その後、中城の地は王府の直轄地となり
グシクは王府が管理し、1469年まで続いた
1470年には、グシクと中城の領地は中城王子の採地となる
1853年に、ペリー提督一行が中城城を訪れ
調査測量などを行い詳細な報告書と
ハイネが四枚の絵図を描いている
166年前の、沖縄を知る貴重な資料となっている