人生黄昏時

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ベッテルハイム【4】

2022年01月25日 00時00分23秒 | 日記

  ベッテルハイムは琉球海軍伝道会の

任命を受けて家族と共に

1854年9月イギリスを出航、4か月の船旅で

 

1846年1月22日に香港に到着 2か月以上香港に滞在

当時、の香港はアヘン戦争の結果 イギリス領に

 

英国はアジアにおける貿易や外交、宣教活動の

一大拠点で多くの商人や 多くの欧米人の宣教師いた

 

ベッテルハイムは来るべき 琉球伝道に必要な準備

香港は情報を収集するのに 大変便利な場所だった

 

家庭教師ジエムズ嬢と 通訳の中国人を伴って

1846年4月14日 スターリング号は 香港を出航

 

1846年4月30日 那覇港に到着した

海上から見る 琉球はまるで絵ように美しい

 

丘は樹木で覆われ素晴らしく 青々とした丘は 海まで届き

まるで 神の園のようだと描写し 日記に記している

 

ベッテルハイムは優秀な人物であり

聖職者は社会的身分を与えられ 尊敬されていた

 

ベッテルハイム自身も 西洋文明を代表しているという 自信があった 

東洋の発展途上国である 琉球に世界宗教の中で

 

最も優れた キリスト教と西洋文明を紹介する教師として

琉球の人々に尽くしたいと 熱情を持っていた

 

5月1日に上陸しようとした 

ところが王府の役人が上陸を許可しなかった

 

これは香港での不正確な情報を得たため

当時の琉球の置かれている政治の現実に関する

情報が入って いなかったからだと 言われている

 

即 退島するよう勧告を受けるが 私は医者であると強行上陸した

困った王府は一時的に那覇港に近い臨海寺に収容する

 

3日にスターリング号は ベッテルハイム家族を残したまま出航した

王府は仕方なく家族を波の上にある護国寺敷地内に

住まいとして与え 食料と日用品は無料で 提供した

 

一家の外出は自由だが案内人と称して 役人が尾行した

不法入国した宣教師として住居を 厳重に

監視体制において軟禁状態にした

 

 

護国寺の前後に 番所を設け役人が常時詰め

一家の行動を監視と共に 住民の寺への出入りを禁じた

 

家族の外出は自由だが 

案内人と称して役人が尾行した

 

難関に耐え 苦闘し 

血の滲むような 宣教をして行く

コメント (2)
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