ルエダとは
キリスト教を1604年から1620年まで
日本で布教
1624年から琉球で布教活動を行い
琉球で殉教した人物
フルネーム
フアン・デ・ロス・アンヘレス・ルエダ神父
スペインのブルゴス県ブルゴス司教区グィリヤサンディノ村で
1578年に ルエダは誕生する
1590年ルエダはドミニコ会の学校で学び
1603年ドミニコ会の司祭となり
グィリャドリドのサン・パブロ修道院にいた時
1603年東南アジア、東アジア諸国の宣教のため
ドミニコ会が極東宣教会を設立する事になり
ルエダは 宣教教師募集に応募し
メキシコのサント・ドミニコ修道院に行くことになり
ルエダは半年近く滞在した
1604年6月に極東宣教本部があるマニラ到着
同地で開催された管区会義で
日本宣教を命じられ
ルエダは28歳頃 日本に上陸したとされている
1602年からドミニコ会宣教師は
薩摩藩主島津忠恒に招かれ 長浜に滞在していた
ルエダも1604年からここに来て日本語を学ぶ
その後河内町に移り日本語を続けて学ぶ
1607年肥前国浜町の教会に神父として赴任
佐賀藩の鍋島勝茂領主の助けもあり
布教活動は順調に進み会員は増え
修道院や教会堂建設も実現する
ところが1613年
徳川幕府のキリシタン禁止令が発布され
佐賀藩もこれに従いキリシタン追放令が出され
ルエダも佐賀を出るが
潜伏しながら九州全域で
信徒を励ましながら 布教活動を続けていく
ルエダは活動中、見聞きした事を
ドミニコ会宣教会に書簡や報告書に記している
この時期のキリシタン信徒に対する弾圧
拷問や処刑の様子は貴重な 資料となっている
ルエダは日本を脱出し1620年12月頃
マニラにあるドミニコ会極東宣教会本部に帰る
日本での布教活動は16年間だった
前回の投稿にコメント頂き有難う御座います