グシクを何を持ってグシクと定義するか
グシクの実態は多種、多様なため
現在まで様々なグシク説が提起されたが
現在も決着していない
多数あるグシク説の中で特に論点されて来た主な三点
城郭説・聖域説・集落説が議論されて来た
鳥羽正雄や比嘉春潮らが著書で立地や構造を見る限り、
多数あるグシクの大部分が国王・按司の居城であるとした
鳥越三郎もこの説を受け入れ著書「琉球教宗教史の研究」で
これらの見解を述べてグシクは城郭説とした
城郭説に異を唱えたのが中松弥秀である
グシクの立地、分布や構造から
城郭だとする考えに疑問を呈した
グシクは祖先の共同の葬所の場所であり
グシク内には神が降り、神が鎮座している
御願所と一つにした聖域であるとした
でも城郭説を全て否定しないとも言っている
古代史学の平野邦や民俗学の国分直一も
聖域説を提起している
嵩原政秀が聖域説、城郭説を否定し集落説を提起した
田村浩もグシクを集落と関連告げて
マキヨ(血族小集団)と呼ばれた小集団が集落を形成し
自衛のため防護のためグシクが発成してきた
また、墓地や御嶽(拝所)を中心に発生してきた
集落であるとした
聖域説を支持する国分直一や中松弥秀などからは
これらの説には、難点があるとした
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