27.11.27 天 罰 NO.991
東日本大震災が起きた時に石原慎太郎が「天罰」だと言って非難轟轟を浴びました。
確かに暴走老人とはいえそんな暴言が許されるわけがありません。 暴走というよりも「発狂老人」
だと思ったものでした。 ところがそうじゃないとあと講釈を云う人がいます。
東京で働いているある人が、あの地震の直後にこんなことを言っていた。「こんなこと言うと岩手や宮
城・福島の皆さんには本当に気の毒で、不謹慎だけれども、もし、地震がくるならば東京に来るべき
だった」。 そのために自分は死ぬかもしれないけれど、それくらいのことがなければ「日本の暴走」
を止めることが出来ない・・・と。 日本を止めるということは、方向や意味を見失ってただお金を追
求し、グローバリズムという名の競争原理にどっぷり浸かって成長中毒に罹ている「日本の暴走を」と
のこと。 だから福島に天罰に遭ったというのではなく、神をも恐れぬ所業をむさぼる日本民族に、
神が天誅を下したというべきところで、慎太郎が少し舌足らずだったんだって。
「ものは言いよう」「丸い卵も切ようで四角」石原慎太郎が本当にそう思っていたかどうかは知りません
が、日本という国が野ネズミの集団自殺みたいに、わけもなく一点を目指して暴走しているということ
は間違っていないと思う。
「反・幸福論」 佐伯 啓思 著 を参考にしました。