29.04.26 礫 師 NO.1507
「鴨がねぎを背負って」とか、「他人の不幸は鴨の味」などという場合の鴨は美味の
象徴ですが、庶民には鉄砲などの武器の使用が禁じられていましたから、めったに鴨
を捕らえて食べるようなことはできませんでした。
ではどうやって鴨を獲ったのかといいますと、石ころを鴨に投げつけて撃ち取る「礫
師」という職人がいたのです。 武器を禁じられた沖縄で「空手」が発達したよ
うに、庶民の生活の知恵がそうさせたのでしょう。
また、戦の時には武器を与えなくても敵将をめがけて礫を投げつける重要な役目を負
いました。
今の藤波とか能美ならば、その時代に生まれていたならば、きっと優れた礫師になれ
たことでしょうし、もしかしたら彼らは優れた礫師の末裔なのかもしれません。
また、望遠鏡もなかった時代には通信手段として烽火(のろし)が使用され、遠くの
烽火を見ることができる「遠見師」が珍重されました。
でも、私たちはそういう原始的な方法ではなくて、見えない未来を見通す眼力が求め
られます。
そういえば、どこかのゴルフ場に遠見台の跡が残っているところがありました。