29.05.01 見るということ NO.1512
私は作家の和久俊三や童門冬二の講演会に参加したことがありますし、五木ひろし・
伍代夏子・細川たかし・長山洋子などの歌謡ショーにも行ったことがありますが、そ
れは、作家の顔や歌手の顔を「見に」行ったのではなく、作家の話を聞き・歌手の
ショウ-を見聞きして楽しむために行ったのであって、ただ何もしない彼らを「見
に」行ったのではありません。
何もしない彼等・彼女らがたとえ高槻に来たって「見に」は行きません。
池上彰や木村草太の話を聞きたいけれど、ただそこにいる彼等を見るだけ・もしかし
たら握手をしてくれるかもしれないというだけの場合は、わざわざ時間を割いて「見
に」はゆきません。
俳優やタレントを見ると人だかりが出来ますが、そういうことってちょっと理解でき
ません。 テレビ番組で有名人がうまいものを食っている場面がよく放映されてい
ますが、あんなのちっとも面白きもなく、馬鹿ばかしいばかりです。
テリー伊藤という人が「食べるとこじゃなくてケツからでるところをみせろ?」と
言ってましたが、それはともかく安倍昭惠さんがちょっと顔を出したり、ちょっと一
言二言つぶやくだけで周りの役人たちが昭惠さんの気持ちを「忖度」して、物事がど
んどん進み「神風が吹いた」と言わせるってちょっとお隣のお国と似てはいません
か? お隣の国の大統領はそういう取り巻きが多かったために、不正を働き逮捕・
退陣させられたではありませんか?