小言コウベイN

日々感じた風刺等について書いています。

食糧

2022-08-16 13:02:10 | 日記

             R 04.08.18   食 糧 事 情2  NO.3620

    食料調達のための自助努力もしました。 というよりしなければならなか

った。 組織的にやったのは、今は見かけませんが背高粟立草に似た「鉄道

草」という雑草があって、そのはっぱを乾燥させてだんごにして食べまし

た。 あまりにもまずいので1回しか食べた経験がない。

そのほか川魚ではドジョウを食べた。  鮒や鯉は料理がむすかしく、食料

に適しませんでした。 雷魚(台湾ドジョウ)はいくらでも獲れたが寄生虫

がいるということ誰も食べなかった。 食用カエルも1回だけ食べた。

自宅近くに湿地があって、専門の釣り人がやって来て、何匹も捕っていまし

た。  汽水域にはボラの稚魚の「いな」がいましたが、これも骨とウロコ

ばかりで、どうやっても生臭く食料に適しなかった。

上杉鷹山が領民を飢饉から守るために、鯉を飼わせたというが、たぶん料理

法も完成していたのだろうと思う。

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食糧

2022-08-16 08:46:42 | 日記
        R 04.08.17 食 料 事 情  NO.3619

 戦後の食糧事情は、今では考えられないほどに不足していました。

たまに配給される「雑炊」は芋・南京・イモの蔓などのごった煮で、コメは探さなければ解らな

ほど少なかった。 また。 南京やサツマイモだって、今日とは違いでかいばかりで水っぽく美

味しくなかった。  そういう雑炊を受け取るために鍋などを持って、長い行列を並びました。

魚の配給というのもありました。 名も知れない深海魚の切り身だったり、赤エイやオヒョウ

などの切り身でした。

空腹を慰めるものでしたが、いずれも美味からほど遠いものばかりでした。

「ナンバキビ」というのもありました。トウモロコシからコーンを絞とった「カス」で、アメリ

カでは豚のエサしていたものです。 それが日本に上陸して、日本人の食料になったのです。

これも不味かった。

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回覧板

2022-08-15 08:29:04 | 日記
         R 04.08.16 回 覧 板   NO.3618

 とんとんとんからりんと 隣組 回してちょうだい回覧板 助けられたり助けたり、  戦中

こんな歌があって5~10戸単位くらいで「隣組」という組織があった。 食料の配給だって・

防火訓練だってこの隣組が一つの単位として活動していた(させれれたいた)。

防火訓練というのは、敵機によって焼夷弾を落とされて火災になった場合に備えて、バケツリ

で消火しようとするものだった。 消防車なんて来ない。

敵軍の上陸に対する訓練というのもあった。

麦わら人形をアメリカ兵に見立てて、竹やりで突き殺す訓練だった。 成年男子は戦争に駆り出

されていたから、主として女性と子供と老人がそれをやっていた。

沖縄戦では火炎放射器で、無差別大量に殺害されていたし、広島・長崎では1発の原子爆弾で数

万人もの人が、一瞬にして殺されたというのに、バケツリレーや竹やり訓練は、実に馬鹿馬鹿し

い限りです。

でも今の政権だって、安倍元総理の「国葬」とか「統一教会との癒着」とか、後世の人が考えた

ら馬鹿ばかしいことを恥も外聞もなくやっている。
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戦争2

2022-08-14 08:35:36 | 日記
       R 04.08.15 戦 争 2 NO.3617

戦後の昭和21~24年は食糧難の時代でした。 裁判官の山口良二は、法で人を裁く立場の人

が、法を犯してヤミ米に食べてはけないと、頑なにヤミ米を食べなかったために、栄養失調にな

て死亡した事件がありました。 我が家でも、栄養失調で死なないためにヤミ米を食べました

.。 その資金は禁制のヤミたばこの密売でした。

違法行為が発覚して検挙された母は、取り調べの際に叫びました。「ワテがヤミして生活せんな

らんのは、国が(戦争で)夫を奪ったからや!」「父さん返せ!」「ワテを豚箱に入れるんやっ

たら、4人の子供は餓死や!」子供も一緒に豚箱に入れなはれ!・・・と叫んだ。

いま、はそういう危機的な状況ではないけれど、ちょっと油断すると、そういう時代になってし

まう危険がある。

*この原稿は、朝日新聞「声爛」に掲載催されました。平成29年12月06日ブログ掲載の文書を

 再掲しました。

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戦争

2022-08-13 08:34:17 | 日記
        R 04.08.14 戦  争    NO.3616  戦争に負けて(終わって)70有余年経ち、すっかり風化してしまった今日、戦争のことを振り帰って みても、今更どうにもならないことは解っているが、日本にとっても自分にとっても、稀有な体験だっ たので、終戦の日ぐらいは振り返ってみたいと思う。              箱入り父さん (平成27年6月22日再掲) 大切に育てられて世間知らずのお嬢さんの事を「箱入り娘」と言います。 ところで私の父さんは「箱 入り父さん」になりました。 戦争が終わって引揚者が帰国する中、わが父はなかなか帰ってきませんでした。 それでも秋口になってやっと帰って来ましたが、その時は白い布で覆われた、小さな箱に入った「箱入 り父さんになっていました。 箱に入る前は「この無益な戦争」を起こしたお国に対して怨ざの念を訴えたかったも知れないし、妻子 が路頭に迷い貧困に陥るのを痛恨の思いで、切歯扼腕していたかもしれません。 今子育て真最中の「お父さん・お母さん、」あなた方は決して「箱入り父さん(母さん)」にならない でいただきたい。   終戦の日を前にふとそう思う。
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