R 04.08.18 食 糧 事 情2 NO.3620
食料調達のための自助努力もしました。 というよりしなければならなか
った。 組織的にやったのは、今は見かけませんが背高粟立草に似た「鉄道
草」という雑草があって、そのはっぱを乾燥させてだんごにして食べまし
た。 あまりにもまずいので1回しか食べた経験がない。
そのほか川魚ではドジョウを食べた。 鮒や鯉は料理がむすかしく、食料
に適しませんでした。 雷魚(台湾ドジョウ)はいくらでも獲れたが寄生虫
がいるということ誰も食べなかった。 食用カエルも1回だけ食べた。
自宅近くに湿地があって、専門の釣り人がやって来て、何匹も捕っていまし
た。 汽水域にはボラの稚魚の「いな」がいましたが、これも骨とウロコ
ばかりで、どうやっても生臭く食料に適しなかった。
上杉鷹山が領民を飢饉から守るために、鯉を飼わせたというが、たぶん料理
法も完成していたのだろうと思う。