雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森90 浜松文芸館さん『風紋のアンソロジー』

2010年10月04日 05時30分19秒 | 本と映像の森
本と映像の森90 浜松文芸館さん『風紋のアンソロジー』平成21年3月29日発行、文庫版、定価500円

 つい最近に、建物が老朽化して、廃止するか、存続するかが話題になった「浜松文芸館」編集の文庫です。

 たぶん、毎年、浜松市民から原稿を募集して発行される「浜松市民文芸」にぼくの父親が毎年、評論などで原稿を書いてそれが掲載されていた関係で、興味を持って、買ったんだと思います。

 こういう形で、ひとつの都市と文学の成果が、公表されるのは、なかなか無いかもと思います。

 浜松文芸館の存続について、浜松市議会でも取り上げられ、たしか社民党の小沢明美さんが追求してくれたように思います。

 こういうことは大事なことだと、思いますが。

 蛇足ですが「風紋」とは、中田島砂丘の砂の上に風の作用でできる、すてきな、きれいな文様のことです。

 浜松は「文化不毛の地」(p18)なのかどうか?

 この文庫本のなかに、なぜ、ぼくの大好きな、音楽や楽器のことが出てこないんでしょうか?

 小説や詩や短歌はこっちで、音楽はあっちという、ジャンル別の大枠に縛られていて、人間と文化を統一的に見れていないのではないかとも、思います。





 

 

本と映像の森89 室伏志畔『白村江の戦いと大東亜戦争』

2010年10月04日 05時11分43秒 | 本と映像の森
本と映像の森89 室伏志畔さん『白村江の戦いと大東亜戦争 ー比較・敗戦後論ー』同時代社、2001年7月25日発行、61ページ、定価600円+消費税

 「大東亜戦争」という用語が出てきますが「大東亜」主義者の方ではありません。きわめてまっとうな実証主義的古代史家の室伏さんです。

 なぜ「大東亜戦争」かというと、古代の白村江の戦いという朝鮮の支配権をめぐって戦われた戦争と、日本近代の朝鮮や中国の支配権をめぐって戦われた「大東亜戦争」とを「比較」しているからです。

 室伏さんは、その中間に、もう1つの日本の敗戦、豊臣政権の朝鮮戦争を視野に入れています。
 
 つまり、日本古代の倭国は、朝鮮の支配権を中国や新羅と争って敗れて崩壊し、新しい日本国に交代した。

 近世の豊臣秀吉政権は、朝鮮から中国を支配しようとして敗れて崩壊して、新しい徳川政権に交代した。

 近代の「絶対主義的天皇制」、つまり「大日本帝国」は、朝鮮や中国の支配権を独占しようとして失敗し、崩壊して「敗戦」となり、新しい「日本国」、アメリカに従属する政権に交代した。

 そういう3つの敗戦と、3つの政府交代をどう統一的に見るか、それが大事だと、室伏さんのこの著書を読んで思いました。

 それと、室伏さんは、この著書で「『日本書紀』は大和朝廷一元史観でできていますが、『日本書紀』を幻想表出から読みこなすなら、それは出雲王朝、倭国王朝、大和朝廷の変遷史を大和朝廷一元史観で潤色したのが透けて見えるモザイク史観でしかありません。」と明記しています。

 これ、凄いんですけど、今日だけでは紹介しきれません。
 また、いろいろ考えて、紹介もしていきたいと思います。



 
 

お知らせ カテゴリー「人間と心と集団」を「哲学・思想」に統合

2010年10月04日 05時04分08秒 | 雨宮日誌
お知らせ 10月4日(月) カテゴリー「人間と心と集団」を「哲学・思想」に統合

 これまで別カテゴリーにしてきた「人間と心と集団」を「哲学・思想」に統合しました。つまり、別問題ではなく、同じ問題の別角度からの追跡であると確認しての措置です。

 「哲学・思想」内で「人間と心と集団」は継続します。
 より深めていきたいと思います。