雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州古代史の本9 静岡県神社庁浜松支部『浜松市神社名鑑』1982年

2010年10月20日 06時23分39秒 | 遠州古代史
遠州古代史の本9 静岡県神社庁浜松支部編集『浜松市神社名鑑』静岡県神社庁浜松支部発行、1982年5月1日、241ページ、非売品

 雨宮の遠州神社巡りの基本文献です。ネタ本ですね。
 たぶん、直接に神社庁浜松支部からではなくて、古書店で手に入れたと思います。その時はたぶん、こういう{神社巡り」をしようという意識はなくて、遠州古代史とも関係あるので、資料として読んでみようくらいの感じだったと思います。
 
 残念ながら、合併前なので、旧浜松市だけです。
 神社庁浜松支部さま、ぜひ、政令都市浜松になった改訂版を出してください。

 この本では231の神社がそれぞれ1ページづつ紹介されています。
 
 この本によれば神社は全国で8万社、静岡県内では2800社あるのだそうです。

 浜松市内の231の神社のうち、同じ神社名で多い順に、六所神社が19社、八柱神社が16社、神明神社が12社、八幡神社が12社、白山神社が9社、水神社が7社、津島神社が7社、八幡宮が7社、稲荷神社が6社、熊野神社が6社、神明宮が6社、春日神社が4社、貴船神社が4社、天神社が4社…などとなっています。

 以上を足すと108社で、14神社名で、浜松の神社の約半分(47%)を占めています。

 なお神社庁浜松支部の電話は、この本では 053-472-6601 です。

日本古代史10 古代史雑誌『季刊 邪馬台国』梓書院(福岡)、定価1300円

2010年10月20日 06時09分28秒 | 古代史の本

日本古代史10 古代史雑誌『季刊 邪馬台国』梓書院(福岡)、定価1300円

 いま、ちょうど手元にある「103号」は2009年10月です。
 
 古代史・考古学学会の主流や、マスコミの風潮とはすこし違う、読む価値のある古代史雑誌です。
 
 違うのは、とくに、
 奈良県の古墳=箸墓古墳が{卑弥呼の墓」であるという断定。
 三角縁神獣鏡が「卑弥呼がもらった鏡」であるという断定。
 炭素14年代など。

 「責任編集」者の安本美典さんは、ぼくは部分的に異論はありますが、
 古代史や邪馬台国に興味のある皆さんが、自分で読んで、自分で判断する価値のある雑誌だと思います。


雨宮日記 10月19日(火)の2 ウサギの豆子さんを踏んづけそうで危ないです

2010年10月20日 05時51分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月19日(火)の2 ウサギの豆子さんを踏んづけそうで危ないです

 深夜勤務の仕事を終えて、帰ってくるのがまだ暗い、午前5時頃です。
 カギで玄関を開けて、靴を脱いで…ほんとうは電気をつける必要はないのですが、電気をつけて、ウサギの豆子さんの位置を確認しないと、足で踏んづけそうで危ないのです。

 夏の暑いあいだは、金属のゲージ(おり)の屋根にのって、夜を過ごしていたのですが、秋になると、夜は涼しいので、玄関のマットを敷いてある上で寝ています。

 ぼくはうさぎ年です。
 同じ同類を踏みつけには出来ないので、細心の注意を払って、踏んづけないようにしています。
 でも、ときどき、むぎゅっと…。

 秋になって、夜の星座で、オリオン座の下に「うさぎ座」が登ってきます。
 やはり、狩人のオリオンさんに弓で狩られる、ウサギさんでしょうか。

 我が家の先代のウサギの{ミントさん」でしょうか。

 N子さま、もし、ぼくが先に死んだら、ぼくは「よだかの星」のように、「うさぎの星」になって、このウサギ座で光っていますからね。
 あとで、来て下さいね。

 N子さん「逆だったら、どうするの?!」「ネズミ座はないのよ」
 うーん、難問です。どこかに新たに「ネズミ座」を創りますね。


 

雨宮日記 10月19日(火) 友人に無料パソコン講師に行ってきました

2010年10月20日 05時14分12秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月19日(火) 友人に無料パソコン講師に行ってきました

 こういうブログを書いていたり、いちおうワープロ・データベース・表計算を使っているというと、何でも教えてもらえると誤解する友人もいて、まあしゃあないかと、午後ノ早い時間は、友人に無料パソコン指導に行ってきました。

 別の友人のようなパソコンオタクではなく、パソコン自体には何の興味もないのです。
 ウインドウズも、それに伴うソフトも、バージョンアップして使い方や機能は変えて欲しくないです。

 たとえば、毎年、自動車の運転の仕方が変わるようなもので、哀れな消費者はよく耐えているなあと思います。

 資本主義の競争原理による新しい技術開発で、いまやUSBメモリーも、パソコン店では2ギガくらいが最低になったようです。
 画像を使わないならそんなにメモリーはいらない、たぶん、文書だけなら一生使えますね。

 本題に入って、友人の家へ行ったら、なんと昔のソフト「小番頭」のデータを3.5インチで使っているので「データをフロッピーで扱うのはセキュリティ上、危険だからパソコン内のハードディスクで扱いな」と言って、エクセルの表をつくってあげました。

 今週から何回か、友人の家へ通って、アフターサービスをして、快適パソコン環境にしてあげないと。
 
 記憶では、1984年頃に、最初にぼくがキャノンのワープロを買ったころには、記憶装置はなくて、画面上の作成文書しか記憶できませんでした。
 その後すぐくらいに、5インチフロッピーや3.5インチフロッピーができて、80年代後半には、当時の友人の影響で、ぼくも「NEC9800」シリーズを使い始めました。
 当時の9800のOS(パソコンのオペレイテング・システム)は「MSーDOS」で、そのうえでワープロの松や、データベースの桐を使っていました。

 その後、世界的にOSは「ウインドウズ(窓たち)」になりました。窓というのは、つまり、あるソフトを実行している画面上でも、他のソフトを「窓」として出して、複数の動作を実行できるということです。
 今でも、この点は、すごくいいですね。重宝しています。
 
 つまり、たとえばワープロで文書を打ちながら、必要な資料を、今ではネット上で検索して、それを見ながら打ったり、そのデータをまるまるコピーしたりということです。
 
 まあ、こういうネット依存については、卒論をネットこぴー依存で悩む大学教授の皆さんなど、悩みは多いでしょうね。

 午後の遅い時間は、浜松市中央図書館の2階にある郷土資料室へ行って、紙のデータをノートに書き写していました。
 なんという違い!
 でも、ぼくは、どっちも必要であり、どっちもだいじであると思います。

 もっといえば、① 現場の現実のリアルデータ ② ①を書き写した紙のデータ ③ ①や②を書き写したネットデータ、その3つを全部批判的に扱うことが必要だと思います。