雨宮日記 8月3日(日)の3 則子さんは長女夫妻の町の花火へ行きました
午後7時半、東で花火の音がしました。長女夫妻の住む中田町から間近の「天王神社」の花火です。
次女も行く予定でしたが、「仕事が忙しくて帰り遅くなる」ということなので、則子さんだけで、宮崎の知人から送ってくれた「マンゴー」も届けに、長女宅へバイクで出かけました。
今、午後8時前。ときどき花火の音がします。
天王神社の花火は、去年は直接見に行きましたが「手筒花火」が披露されて、すごくおもしろいです。あぶなそうですけど。
雨宮日記 8月3日(日)の3 則子さんは長女夫妻の町の花火へ行きました
午後7時半、東で花火の音がしました。長女夫妻の住む中田町から間近の「天王神社」の花火です。
次女も行く予定でしたが、「仕事が忙しくて帰り遅くなる」ということなので、則子さんだけで、宮崎の知人から送ってくれた「マンゴー」も届けに、長女宅へバイクで出かけました。
今、午後8時前。ときどき花火の音がします。
天王神社の花火は、去年は直接見に行きましたが「手筒花火」が披露されて、すごくおもしろいです。あぶなそうですけど。
雨宮日記 8月3日(日)の2 歴史の事実と真実は書かないと雲散霧消してしまう
戦争と平和年表と平行して、①ぼくと則子さんの自伝「青い地球とオレンジの花」、②それに附属する客観的浜松の戦後史、を準備しているのですが、たとえば、ぼくたちと対立した人たち、松本澄美子さんとか、袴田忠司とか、ネットで検索してもほとんど出て来ません。
松本さんや、袴田さんの客観的役割はともかく、主観的には、浜松の労災運動史・学習運動史からみれば、正当な評価がきちんとなされていないことは明白です。
彼らが正しかったということではないですよ。詳しく、則子さんやぼくの体験も含めて書きたいと思いますが、そこに没頭した人々の主観的なy役割はきちんと評価したいと思います。
同時に、その客観的な役割、その過去性も、客観的に見つめ直したいと思います。なあなあの。仲間ぼめが多すぎます。
「Aさんを事務局長にしないなら、私は支持できない」と則子さんに玄関で宣言したBさんのリアルな言葉は今でも心に響いています。
なんなんだ、こいつは?!
雨宮日記 8月3日(日)の1 今日は平和年表づくりで雑紙ごみをたくさん出しました
いよいよ本格的な「戦争と平和の年表」づくりにかかり、奥の2部屋にある資料を持って来て、見ながら捨てる物は捨てる。残す必要のある物はデジカメで撮影してファイルにして。紙は捨てます。今日は段ボール箱で2箱も捨てたので、則子さんは、すごく嬉しそうです。
それにしても、40年前の学生自治会時代の文書なんて、自分でも思うけど、よくとってりましたね。相模原闘争の報告文書です。