雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 4月1日(水) エイプリル・フール。父の筆記通訳で佐藤町診療所に

2015年04月01日 20時01分32秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月1日(水) エイプリル・フール。父の筆記通訳で佐藤町診療所に

 則子さんは夜勤でいません。
 
 午前9時20分に家を車で出て92才の父と、9時45分に診察予約を入れた佐藤町診療所へ向かう。着いても、いつも診察は予約時間から遅れるのが普通。「健康友の会」の部屋へ、民医連の月刊グラフ雑誌『いつでも元気』の購読料を払いに行く。この雑誌は夫オールカラーで写真もきれいで読み応えがある。月380円、読みドクですよ。

 民医連の「共同組織」「市民や患者と病院が対等平等に協力し合う」という理念、最近打ち出した「無差別・平等の医療」という概念は画期的で日本社会の発展に大きな貢献をするものだと思う。

 いつも看ていただいている水谷先生(女性です)の診察。まあ良好。

 佐藤町で水谷先生に看てもらって、何年くらいになるのかな。

 父は最近、足が弱って、まだ歩けるけど、立ち上がるのがだんだん大変になっている。いずれ、車椅子とか対策を、則子さんと考えたいと思います。こういうとき、家族に則子さんのような介護の専門科がいると、すごく安心です。

 午前11時半頃に帰ってきました。

 すぐに父の昼食を準備して、ぼくの昼食を適当に食べました。

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 則子は午前中、たぶん10時頃に帰って来て、午後4時頃まで仮眠していました。夕方、起きて、夕食を作ってくれました。ありがとうございます。ぼくは今日はお風呂を洗っただけです。

 夕食のあと、ぼくは赤旗日曜版の上島支部の分の仕分けで、事務所へ。帰って来て、やっと、1日が終わったな、という気分になります。

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 小黒けい子市議のブログの「生い立ちストーリー 第1部」を聞き書きして執筆完成、第2部もなんとか選挙中に書きたいけど、まとまるかどうか、いまいち自信がない。

 がんばって決起する、という概念がボクにはありません。

 がんばりません、勝つためでも。いや、がんばれません。いや、頑張りません。

 勝利のために、自分が壊れてしまうのはいやですから。

 頑張ると、ぼくラインから奈落に落ちちゃいます。がんばらない範囲で、細々と永く、道を歩いています。

 「決起しろ!」という絶叫マシンの人とは、遠く遠ざけて、つきあないようにしています。

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 珍しく長々、書きました。

 桜が満開です。

 「桜の下には死体が埋まっている」


 


雨宮日記 3月31日(火) 浜松市博物館へ行きました

2015年04月01日 11時45分47秒 | 雨宮日誌
3月31日(火) 浜松市博物館へ行きました

 『中日珍聞』に浜松市が狐塚古墳の報告書を出した、と記事が載っていたので、市役所へ車で行きました。ところが駐車場がいっぱいで、入るのに時間がかかりそうでした。お花見の車でしょうか。
 
 諦めて、浜松市博物館に車を走らせました。博物館でちょうど「日清・日露戦争」の特別展示をやっていたので、入館料300円を払って見ました。平和と歴史に興味のあるみなさん、ぜひ見に行ってください。

 『狐塚古墳』報告書(A4版、114ページ、1000円)を買ってかえりました。

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 たまっていた2週間分の新聞を見て必要な記事を切り抜き。20代のころ、歴史学者・羽仁五郎さんの本を読んでもう40年くらい続いている学習の方法。もっとも時々、則子さんに文句を言われるが。「私の読む前に切らないで」と。

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 午前中、則子さんと2人で車で、選挙になると張ってはだめな候補者ポスターの上に政策ポスターを貼る作業をした。則子さんは花粉症が楽になったと言う。

 スーパー丸滝に買い物に寄る。もう曳馬中学の桜が散り始めていて、花吹雪がきれいだ。

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 被爆者証言の2回目の撮影の編集を始める。最初は一通り視て、どこを取るか分秒で記録していく。聞き取りにくく、かなりテロップを入れないといけないだろう。たいへんだ。

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 則子さんは夜勤で出かけた。夕方、ぼくは共産党の西部地区委員会へ支部の機関紙代と党費を納めにいく。3月分は完了。