雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月15日(金) 惑星探査機カッシーニのお葬式

2017年09月15日 20時37分01秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 9月15日(金) 惑星探査機カッシーニのお葬式

 今日、惑星探査機カッシーニがお亡くなりになります。1997年、つまり20年前に地球を出発、2004年に土星到着以来、数々の発見と美しい土星世界の写真を送信してきました。

 さよなら、カッシーニ。彼(または彼女)は、土星大気に降下して燃え尽きます。

 土星の大気に突入する予定時刻は、午後7時31分。地球までの通信には83分かかるため、最後の信号が午後8時55分ごろに地球に到着する予定。

 現在時刻は午後8時25分。まだ生きているわけですね、僕らにとっては。

   ☆

 明日は台風が近づくので、午後は雨のようです。あさっての夜は台風かも。

 今日の午前、また北朝鮮がミサイル発射。射程3700km。ひどい世界だと思う。

 

新・本と映像の森 87 山崎豊子『沈まぬ太陽 御巣鷹山編』新潮文庫、2002年

2017年09月15日 17時52分12秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 87 山崎豊子『沈まぬ太陽 御巣鷹山編』新潮文庫、2002年


山崎豊子『沈まぬ太陽 御巣鷹山編』新潮文庫、2002年~2015年48冊、510ページ、定価本体750円、原書1999年新潮社

 日航123便のことを知るための基礎文献としては、小説で宇がいいかも。

 小説ですが、細部までリアルに描いていて、入門として最適かと思います。小説の虚構性という点をわすれなければ、この小説も有益です。

 ただし主人公恩地さんは、実際には現地もいっていなし、遺族対策にかかわってもいないです。

 「国民航空」は、もちろん「日本航空」。

 いちばん衝撃的なのは、「胎児」の遺体を記述していること。つまり、妊婦が事故にあって「521人目の遺体」になったということ。

 それと『沈まぬ太陽 御巣鷹山編』独自のはなしとしては、遺族への補償交渉が何とも苦しく、悩ましい。

 日航123便事故の文献としては、他にも紹介したい。

 以下、2年前に雨宮日記で書いたものの引用。


「雨宮日記 8月2日(日) 8.12のNHKを視ました
2015年08月02日 20時30分35秒 | 雨宮日誌

 夕方、原水協の9日核廃絶署名の準備。

 夜、NHKの日航123便の特集を見まし。「空白の16時間」というのですが、事態の混乱を細かい資料で裏付けただけで、探偵の推理はしていません。

 それに30年間にわかった大事な事実を避けています。触れるとやばいですからね。臆病なんですね。

 ボクの読んだ限りでは、一番いい本は、米田憲司さんの『御巣鷹の謎を追う』宝島社、2005年。
 
 それと、青山透子さん『天空の星たちへ』マガジンランド、2010年

 それに、もちろん山崎豊子さん『沈まぬ太陽』「御巣鷹編」、死体の腐臭のリアルさを描くのは、さすが小説家の筆力です。これは映画もあるそうですが、まだ視ていません。
 
 「空白の16時間」の謎を一番追っているのが、米田憲司さんです。文庫版が出ているので、これは皆さん、買って精細に批判的にお読み下さい。

 NHKが軽く触れたTACANの謎、地上からの目撃情報の謎ももっと深く解明しています。この日の夜、御巣鷹に近い位置で行動していた誰かがいたということも。

 NHKの番組でも「御巣鷹に落ちた」と9分後に通報した川上村の女性は番組に登場しましたが、おぐらやまで燃えていると通報した通報者は出てこないのが特徴的です。

 これは御巣鷹山から捜索隊を遠ざける「謀略情報」だと思います。通報者を探しても出てこないでしょう。

 下山事件のときの「国鉄下山総裁目撃情報」と同類です。捜査の眼を逸らすための目くらましです。

 「大事な事実」は米田さんの本で詳細に紹介されている1995年の米軍アントヌッチさんの証言です。彼は沖縄から横田基地に向かっていたC-130輸送機の航空機関士です。

 彼はC-130が横田の命令で墜落現場に行き、厚木基地の救難ヘリを誘導し、ヘリが現場でロープで現地へ下りようとしてたら、横田から「自衛隊が救出に向かっているから退去せよ」という命令で撤退したことを証言しました。

 C-130が誘導した厚木の救難ヘリが到着したのは午後9時直前。ヘリが乗員2人を
ロープで現場に降ろす準備をしていたら、横田から「自衛隊が救助に行くので、C-130とヘリは撤退せよ」という命令が来た。

 自衛隊機が到着したのを確認して米軍機は現場を離れた。

 ところが、自衛隊機は救助をせず、地上の捜索隊が現場に到着したのは朝になってからだった。

 いろんな推理が可能でしょう。ぼくも挑戦してみたいと思って、もう少し文献アサリを続けます。

  ☆

 夜、天王町の花火でした。」