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雨宮日記 5月29日(木) ぼくも平和行進へ行くことに・・・・
後続車の運転手さんに電話したら、「午後は私じゃなくて別の人なんです」というので、その別の人(旧知のAさん)と直接話をすることにしました。
父のお昼の支度をして、家を車で慌てて出ました。ちょうど、浜松市役所に12時5分ごろにと着したら、どこかのコースがちょうど浜松市役所に入るところでした。
昼休み集会は、わずか25分で、1人3分くらいで発言してもらわないといけないので、時間コントロールを事前と当日、責任を負う雨宮則子事務局長はたいへんです。進行しながら、「お弁当あります?」とか市役所の方との対応とか、忙しく、ネズミ歳なので(迷信です)、コマネズミのように動き回ってます。
ちなみに、則子さんは、ネズミ歳で、サソリ座の女です。ぼくは、可愛い兎歳で、か弱い乙女座です。(迷信です)。
今年は「国際青年平和リレー行進」で、静岡県内は5月19日から31日まで、グアムの大学生、アーサー・タイマングロ・ジュニアさんが行進、集会でも感動する発言でした。
中区長の島野さんの発言も、浜松空襲や世界平和について触れて、とても良かったです。
集会参加者は100人を越えたでしょうか。集会室は一杯で、座れなくて、廊下でも聞いている人がいました。
運転手のAさんと話をしたら「ぼく、今年が初めての運転です」というので、即決で「じゃあ、助手席に座りますから」ということに決めて、則子事務局長に報告しました。
ただし市役所にずっと車を止めておくと、「駐車券」の扱いがめんどくさいので、迷う可能性の少ない県居(あがたい)協働センターまでは、1人で運転してもらうことにして、県居から可美市民サービスセンターまでぼくが助手席に乗ることにしました。
県居協働センターの北の道路脇で写真を撮ろうと道路で待っていたら、県居交番の婦警さんが何かの仕事から帰ってきて、職業柄でしょうか「何ですか」と聞くので、若い婦警さんだったので返事してあげました。「へいわこうしんです」と言ったら、わからなかったようで「え?」と言うので、発音をはっきりさせて「原水爆禁止の平和行進です」というと理解できたようです。
「5月の東京から8月の広島まで毎日歩くんです」というと、びっくりした顔をするので「2人だけ東京から広島まで毎日歩きます。あとは自治体ごとにリレーです」と警官に、平和運動の説教をしました。
さすがに婦警さんは「がんばってください」とは言いませんでしたけど。
メイン宣伝カーの運転手のSさんが、わざわざかな?、県居交番の真ん前にメインカーを止めて、隊列を待って、アナウンスをしているのは、すごく面白かったです。交番の中で、警官の皆さんは、そのアナウンスががんがん聞こえたと思います。
県居協働センターでの休憩を終えて出発する頃に、センターで何かつどいをおえたおばちゃんが「何でしょうかね。労働組合の行進かしら」と言っているので、さっき、婦警さんに説明したのと同じ事を、おばさん2人にしました。
「へえ、暑いのにごくろうさまです」と言ってくれたので、「いや、まだぼくたちはいいです。西日本の7月や8月は凄い暑いですよ」と言うと「まあ、がんばってくださいね」といわれ「はい、ありがとうございます」と、おばさんたちと別れました。
交通整理で出ていてくれた警察の皆さんが、ドンキホーテの辺りでいなくなったので、慌てて、後続カーから降りて、後ろの「サブリーダー」の役割をしました。赤旗白旗もなしで。
ただ歩くより、交通整理は何倍も疲れます。交通整理、こうして欲しいとのお願いを、妻の則子事務局長に、極力お願いして、父の夕食もあるので、可美で遠鉄タクシーを呼んで、車を置いた県居協働センターに戻って、車で家へ戻りました。