過去現在未来のメモリーノート 78 ウイルス恐慌 ② 『資本論』第3巻第6章から 20200408
前回「過去現在未来のメモリーノート 77 社会の相(フェイズ)が変わった」で「今回の新型コロナウイルス危機は誰が見ても世界的危機です。これにたちむかうことは世界人類一人ひとりのそれぞれの通常の業務を中断できる人は中断してたちむかうべき重大事なのだと思います。」と書いた。
ボクは「社会の相(フェイズ)」について書いた。それは物理学で言う物質の「相(フェイズ)」の概念を借用した。あとでウイルス医療にはウイルスの流行で「相(フェイズ)」の概念を使っていたのを思い出した。
今回、そのウイルス流行「フェイズ」の概念がほとんど使われていないのはなぜか、わからない。誰かわかる人がいたら教えて欲しい。
それは「専門家」が教えてくれると思っているなら、「民主主義社会」の終わりだと思う
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今日の主な考察は社会的危機の考察に『資本論』とくに第3巻の恐慌の考察が役にたつかも知れないということです。
たとえば『資本論 第3巻』の「第1編 剰余価値の利潤への転化および剰余価値率の利潤率への転化、第6章 価格変動の影響」でマルクスは書いています。
「原料価格騰貴の時期には、産業資本家たちは共同して組合をつくり、生産を調整する。……競争の一般原理が、すなわち、競争の原理がふたたび絶対権をもって支配するやいなや、供給を調整することは、ふたたび「価格」にゆだねられる。
原料の生産にたいする共同の、全面的なかつ予見的な管理 ー 管理は、一般に資本主義的生産の署法則とまったく両立しえないものであり、それゆえつねにかなわぬ願いにとどまるか、または大きな直接の危険および窮地の瞬間における例外的性格の共同措置に限られる ー にかんするすべての考えは、需要と供給が互いに調整されるという信念に席を譲る。」
(新日本出版社・上製版p205、ドイツ語版原書p130)
マルクスは『資本論』で何度も「管理」「統制」とお金による「需要供給」とは両立しえないことを語っています。
「「ウイルス」ショック、2020.3.14」とここへ書き込んでいます。まだ「ウイルス恐慌」というボクの概念は生まれていませんが、この書き込みのあとかなり早く生まれたと思います。
ニュースでは原料争奪・食料争奪も始まるかも知れません。
新聞にも「恐慌」の文字が見え始めました。事態を正面から直視することは、政府やマスコミの推薦する「専門家たち」の特定の意見に盲従することではありません。
『資本論』および『資本論草稿集』まで含めた全体の恐慌概念を学習すること。久留間鮫造さんの『資本論レキシコン 恐慌Ⅰ』『資本論レキシコン 恐慌Ⅱ』(大月書店)を熟読することが求められると思う。