雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

過去現在未来のメモノート 91 『資本論 第3部より』 「逃げられるものは逃げよ」か「生き延びることができるものは、生き延びよ」か

2020年11月21日 07時47分25秒 | 過去現在のメモノート

過去現在未来のメモノート 91 『資本論 第3部より』 「逃げられるものは逃げよ」か「生き延びることができるものは、生き延びよ」か


 『資本論』学習会で「第3部」「第5篇 利子生み資本」「第25章 信用と架空資本」に、こういう叙述があった。


 ボクが使っている新日本出版社上製版で「Ⅲa」の712ページ、原書で428ページです。まだ新版では、ここまで出ていません。


 1847年恐慌について述べている箇所です。


 「崩落の頂点では、どのように全般的な“逃げられるものは逃げよ”が展開されるかについて、同じ報告書のなかで……」


 訳注では「17-18世紀のフランスの詩人、文芸評論家ニコラ・ポワローデブレオの『書簡詩』、第6の167、14世紀のフランスの詩人ウスタシ・デシャン『教訓劇散歩』、第38などの句。「逃げろ」「退却せよ」などという命令として用いられる」(p713)


 これを読んだ瞬間、ボクはどっかで読んだようなフレーズだと思った。そして、あっ、内田樹(たつる)さんだと思った。


 内田さんは娘をひとりで育てて、その娘さんの18才での旅立ちに書いた文章の記憶があった。


 家へ帰ってから探してみると、内田樹『「おじさん」的思考』(角川文庫、平成23年)の156ページ「るんちゃんの旅立ち」にあった。


 「sauve qui peut(ソーヴ・キ・プと読むのだよ)」
 これは船が沈没したり、最前線が崩壊したりしたときに、最後に指揮官が兵士たちに告げる言葉である。
 「生き延びることができるものは、生き延びよ」
 集団として生き延びることが困難な局面では、ひとりひとりが自分の才覚で、難局を生き延びる他ない。これからはそういう時代だと私は思う。」


 ボクは内田さんの訳のほうが、やはり今の時代にあっていると感じる。


 「生き延びることができるものは、生き延びよ」


 「逃げる」と「生き延びる」では人間の重みが違う。まさしく21世紀はそういう時代だと思う。



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