雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の物 20 則子さんが作ってくれた太っちょの座布団

2014年01月04日 20時26分17秒 | 雨宮家の物

雨宮家の物 20 則子さんが作ってくれた太っちょの座布団

 お正月に初生(則子さんの実家)に行った時、初生の主婦のM子さんが「足が悪いので」と、丸太のような座布団を敷いていたので、あ、これ、ぼくも欲しいな、と。

 則子さんに「ああいうの、カーマとかで売ってる?」と希望を述べたら、「そんなの、買わなくても古毛布で私が作る」というので、作ってもらいました。

 2014年1月3日、雨宮則子さん、自作。

 ありがとうございました。木の床(真ん中の部屋)や畳(南の部屋)で座ってパソコンを打つのがすごく楽になりました。

 


雨宮日記 1月4日(土) 博物館へ行って「はごいた」に感動

2014年01月04日 19時28分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月4日(土) 博物館へ行って「はごいた」に感動

 則子さんは普通の勤務。ぼくは午前9時過ぎに車で家を出て図書館で2冊、本を返し、「予約本、入ってますか?」と調べてもらったら、2冊入ってました。

 『折口信夫全集第1巻』『第2巻』を借りて帰ろうとした瞬間、司書さんの後ろの「返却本」の棚が目に入って「シクロニシティ」と書いてある!つい数日前に新聞の書評で見た本です。「それ借りれます?」とすぐ借りました。

 ぼくがいない間に長女夫妻が借りた布団を返しにきていました。

 午後は、浜松市博物館へ、2つの展示を見に行きました。1つはテーマ展「馬を語る ー馬と人の文化史-」と、静岡県埋蔵文化センター巡回展「白鳳の甍 ー浜松市篠場(しのんば)瓦窯出土品展ー」です。2つとも内容はなかなか充実していて面白かったです。

 感動したことは「羽子板」です。羽子板の展示ではありません。駐車場に車を止めて正面の坂を下りていったら、玄関の辺りで何家族も羽子板をしていました。

 「うわ、はごいただー!」と羽根を打ち合う親子の姿に、プチ感動しました。家に羽子板もないし、羽子板をする空き地もないし、博物館がこういう事業をするのは、素晴らしいですね。

  ☆

 19時47分、「羽子板」のプチ感動を語りたくて、下へ降りて台所に行って話したら「それはよかったけど、歯を磨いてね」というので、胸ポケットから取り出して「これ、マイ歯ブラシ」と言ったら、呆れたような顔で「持ってるなら磨きなさい」でした。

 「歯を磨いてね」というのは何にでもつきますね。「おかえりなさい、歯を磨いてね」「安倍首相はひどいね、歯は磨いてね」

 もっとも、ぼくはこの20年間ぐらいまったく歯医者は行ってないのです。

 


雨宮日記 1月3日(金) お正月「たこあげ・こままわし」3月日の終わり…

2014年01月03日 22時21分17秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月3日(金) お正月「たこあげ・こままわし」3月日の終わり…

 お正月は何日までですか?昨年までのボクの仕事は、元旦と2日だけはお休みなので。3日からは仕事でした。

 則子さんと話をしていたら「お正月にはたこあげて、おいばねついて遊びましょ」という歌があるけど、凧をあげる家族も、おいばねをつく空き地も、いまや無いね、という結論になりました。

 お正月、1日、2日、則子さんと市内を車で走りましたが、子どもや家族の姿は、ありませんでした。

 たぶん、パソコンゲームをしたり、テレビを室内で見ていたんだと思います。

 羽子板、も、今や死語ですか?

  

 


浜岡原発ニュース 2014年1月1日(月) 中日新聞の「スクープ」

2014年01月03日 21時29分32秒 | 浜岡原発ニュース

浜岡原発ニュース 2014年1月1日(月) 中日新聞の「スクープ」

 2014年1月1日の朝、家でとっている「中日新聞」を開いて驚きました。

 1面に大きなタイトルで「旧浜岡町に非公表寄付53億円 中電、80年代の原発増設時 分担・負担金で処理「不適当」」と書いてあります。

 公表された寄付金は36億円で、それとは別に公表されない、いわば「裏金」が53億円あったというのです。

 関連ページで、39面も特集で「住民知らぬ「浜岡マネー」 元町長「派手に見せない工作」 浜松の歴史家が指摘」とタイトルが組まれています。

 中日の記事にもあるように、原資料は昨年10月に発行された『静岡県近代史研究 第38号』(250部発行)に掲載された竹内康人さんの論文「中部電力浜岡原子力発電所と浜岡町財政」(p44~60)で、新聞記事は竹内さんの論文の内容と、これについて当時の関係者へのインタビューから成っています。

 つまり、当時締結が発表された「協定書」とは別に秘密の「確認書」「覚書」という文書があったのです。

 この秘密文書にもとづく「裏金」はなんと53億円。あの都知事が裏金疑惑で辞職した金額が「5000万円」、額(量)の問題ではなく、意味・質の問題であることはもちろんですが、いったい53億円、そんなに何に使ったのと思います。

 中部電力や旧浜岡町・現御前崎市は、竹内さんが記事で「「中電と市は事実を検証し、全てを明らかにすべきだ」と話した」と言うように、わずか20数年前の事実を検証しあきらかにすべきです。

 紙面では、当時、浜岡町議会で唯一の反対派だった共産党町議・石原顕雄さん(現在79才)は、協定書以外の寄付は「聞いていない」と証言していることです。しかも3号機建設の時は、石原町議だけが排除された「議員、町長、町幹部が出席する「議員懇談会」が開かれた、事実があります。

 「中日新聞 2014年1月1日」紙面で報道された内容は、今のところ、他のマスコミ新聞や、テレビラジオで報道されたのかどうか、不明です。

 原発反対であれ、賛成であれ、すべてのマスコミ・ミニコミは、この事実と向き合い、真摯に報道・評論していただきたいと思います。

 1月1日に「中日新聞」記事が出てから今日で2日目、明日で3日目。

 あなたの読んでいる新聞、見ているテレビ、聞いているラジオ、アクセスしているネットに、この記事が出ていなかったら、真実の隠蔽を抗議しましょう。

 「後追い記事はいや」なんてのは、コミュニケーターの恥です。自分の観点で深めればいいんですから。

 

 


古代史ニュース 1月3日 浜松市博物館「馬を語る」「白鳳の甍」展

2014年01月03日 21時06分57秒 | 古代史ニュース

古代史ニュース 1月3日 浜松市博物館「馬を語る」「白鳳の甍」展

 浜松市博物館で、興味深い展示が見られるようなので、報道しておきます。一つは今年のエトの「馬」の展示、2月2日まで馬にまつわる発掘資料や歴史資料約200点が展示されているそうです。

 古墳から出土した馬の埴輪や馬の絵馬(文字通りなら「絵の馬」ですね)や近代の写真などだそうです。

 もう一つは同じ浜松市博物館で平行で展示しているようですが、「白鳳の甍~浜松市篠場瓦窯の出土品展」です。これは、昨年、市内浜北区で展示されたものです。

 「篠場瓦窯(しのんばがよう)」とは、奈良時代、8世紀初頭の浜松では最古の瓦窯跡です。場所は浜北区根堅です。

 寺院をつくるための窯場跡ですが、瓦や須恵器や文字瓦など貴重な発掘物が展示されているそうです。

 古代や考古学が好きな方、あるいは「神社ガール」必見の展示だと思います。

 浜松市博物館は今日3日まで休館、あとは月曜日休館です。


雨宮日記 1月2日(木) 今日で則子さんのお休みも終わり、明日は仕事

2014年01月02日 20時11分15秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月2日(木) 今日で則子さんのお休みも終わり、明日は仕事

 年賀状「初春新報」を送ってない方のために、ここに主要部分を再録します。

 「秋の灯ともして
  高架電車は
  銀河鉄道になる
       則子

 昨年から絵手紙と自由律俳句を始めました。楽しいです。近くの介護施設で十月から働き始めました。新たな出会い・発見がいろいろあります。 則子
    ☆
 「雨宮智彦のブログ」(75万ヒット)書き続けてます。古代史・戦争・宇宙など、買えない本は図書館で借りて探求してます。仕事は止めて家事手伝い。浜岡原発永久停止裁判も続きます。 智彦」

 今日は、雨宮則子原水爆禁止浜松市協議会事務局長(もう18年目ですね)は、お昼前後、「被爆者支援」で浜松駅前に「被爆者募金の訴え」ででかけました。

 荷物がかさばるので遠鉄電車曳馬駅まで、ぼくが車で送りました。

  ☆

 午後、則子さんが帰って来たので、いっしょに浜北へ、昔からの旧友夫妻のところへ、届け物と集金にいきました。

 ぼくが「うちの長女が出産です」と言うと、彼は「うちは大学と高校受験のダブルです」と言って「おたがい大変ですね」と同情しあいました。

  ☆

 いま「歌劇 沖縄」を聞き始めました、なつかしいです。若かった、あのころは、沖縄・琉球の歴史的・民俗学的な位置、戦争=平和での位置も意味も知らなくて、無知でしたね。

 いまは、ザン(ジュゴン)や珊瑚礁や、にらいかないのこと、あるいは沖縄の生きものたちが気になります。

 今の沖縄の政治的=戦争的=平和的な袋小路を打開できるのは、たとえば、折口信夫さん、谷川健一さんの本の中をさぐること、あるいはザンやヤンバルクイナの声を聞くことが、どうしても必要だと思います。

 

 

 

 


日本古代史を考える お正月の「しめかざり」と太陽信仰

2014年01月02日 19時58分45秒 | 雨宮日誌

日本古代史を考える お正月の「しめかざり」と太陽信仰

 お正月で「門松(つまり松竹梅)」は、ほとんど見られなくなりました。でも、まだ玄関に「注連飾り」を飾っている家やお店は全戸数の5%くらい?あるでしょうか?

 お正月の「おかざり」という概念は、家の中の「鏡餅」や玄関の「門松」や玄関の「しめ飾り」も含めた総体的概念と規定しておきます。

 ここでいう「しめかざり」は、玄関の上に掲げてある「丸い橙(ミカン類)と、中心からワラなどで放射状に出ている線」で表現されています。

 もともと「正月」とは冬至のことで、1年にいちばん太陽が弱くなる日に、太陽の再生を願った日です。

 ですから、そこからずれたとしても、この正月のおかざり「しめかざり」が太陽と太陽から出る日の光の表現であることは、かなり確度のある推定ではないでしょうか。

 橙には「代々」栄えるという願いの意味もあると書いてあるネットもありました。それは語呂合わせなので、歴史的根拠があるかどうかは、そういう古代文献がないと無理ですね。

 


雨宮日記 2014年1月1日(水)元旦 新年の始まりです、門松たーてて…

2014年01月01日 21時45分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2014年1月1日(水)元旦 新年の始まりです、門松たーてて…

 あけましておめでとうございます。新年の始まりです。

 なぜか戦後生まれなのに、戦前の「小学唱歌」を覚えていて歌えます。

  年の始めの例(ためし)とて
  終わりなき世のめでたさを
  松竹(まつたけ)たてて門(かど)ごとに
  祝う今日こそ楽しけれ

 つまり「門松」ですが、これは「鳥居」と同じ機能を持っていて、「門松」の場合は家の玄関の両側に立てて、お正月に家に迎える「年神さま」の門になるのです。

 これがなければ年神さまは、家に入ることができません。

 「年神」さまは、別の漢字では「歳神」さまで、そのトップがわが家の近くの東区天王町にある「大歳神社」なのだと思います。

 「歳神」と書くと、訓読みでは「としがみ」ですが、音読みでは「さいかみ」となります。つまり「幸」の神です。

 「さ」は日本古来の稔りの神で、さち(幸)となると、「さ」神よりもっと旧い「ち」神と融合した由緒ある名詞です。

 「さ」+「ち」ですね。

 「ち」は、「おろち」「かぐつち」、出雲神話の「おおなもち」「てなづち」などのように旧い神の系統です。

  ☆

 今日は、中区十軒町から、則子さんの実家の北区初生町まで車で行ったので、その途中、助手席の則子さんに沿道でどれくらい「門松」が立てているか観察してもらいました。

 結果は、車で約20分ほどの行程で、住宅街も商店街もありましたが、門松を立てていたのを確認できたのは、民間住宅1軒だけでした。

 「罰当たり!」と非難しているのではないですよ。雨宮家も、いつから門松を立てなくなったのか、そもそも門松を立てたことはないのか、記憶にありません。

 ミカンとワラを玄関に飾っている家は、かなりありました。数割、それも、2割か1割でしょうか。

 ☆

 今日は、朝、ぼくと則子の年賀状「初春新報 35号」の原案を打ち出して、則子さんに赤ペンで校正してもらい、その修正で、プリンターでプリントしました。当面100枚弱。