2割の高額所得者のもとに、社会全体の富の8割が集中し、
残りの2割の富が低額所得者に分配される......
20世紀初頭。
イタリアの社会学者ヴィルフレド・パレートが明らかにした経済法則。
一般には「パレートの法則」、
「8対2の法則」
「80:20の法則」
「ハチニイの法則」
などと言われているものです。
ある会社の営業売上げを100として、
その売上げの80%を生み出しているのは社内の20%の社員。
残りの20%の売上げは残りの80%の社員で生み出している。
ある機械が故障。
その故障原因が10個あるとして、
その原因の内「重要と思われる」上位2つを直すと、
故障全体の8割が解決した事になる。
ある「物事」を勉強をしようとした時、
その「物事」について記されている本の内、重要と思われる上位10冊を選び、
その10冊の内でも最も重要な上位2冊の本を読むと、
その「物事」に対する8割を知れる。
理解する事が出来る。
......と、色々な所で引用されたり、出来たり、
使用されることもある一部では良く知られている法則です。
ネット時代に「ロングテール」なんてマーケティング?IT?
用語も出て来ましたが、
この言葉も元はこのパレートの研究から生まれて来た言葉でもあります。
この時期、
期末の決算や来期の予算などの数字周りの厳しい会議や打ち合わせも多く、
よく「無駄」「無意味」というニュアンスの言葉が会議室を飛び交ったりします。
以前、社会人として初めて就職したレコード会社が経営難に陥ったことがあり、
当然ながらこの「無駄」や、
「利益が無い」という部門からリストラを敢行して行く......
といったことを行っていったのですが、
それを数年間、眼前でジッと見ていた時期がありました。
パレート的に言えば80%の売上げを出しているセクションや人員はそのままに、
残りの20%の売上げを出している80%のセクションの人員整理から始める......
という事が行われていくのを数年間ジッ......と見ていたということになります。
この時、様々な犠牲を繰り返し払い、
試行錯誤を何度も何度も重ねながらも、
その会社は結局立ち直る事、立て直す事は出来ませんでした。
僕がこの時に強く実感した事は、
「パレートの法則」を語るにあたって、
使うにあたって、
最も大切な事というのは、
実は「100%である」「100%にする」ということなのではないかということ。
チームにおいて最善、最高の状態というのは常に100パーセントで回っている、
余すこと無く機能している、
ということなのではないかということ。
上記売上げの話しで言えば、
20%の売上げを出している80%のセクションの人員を入れて、
初めて100%という結果になる。状態になる。
そんな状態にあるということが「何よりも大切な事」なんだと。
そういうことです。
僕は経営のプロでもなければ学者でもないので、
これ以上の記述や論旨の展開はやめようと思いますが、
この時に、社会学や経営論の中で良く語られていた
「パレートの法則」に対する自分なりの理解と
アプローチの仕方を見つけられたという事は僕にとってはとても大きな事でした。
勿論、異論もあるとは思いますし、
その通り、間違った理解であるかもしれませんが......(゜ー゜;A
個人的にはこの考え方は未だ揺らいでいません。
全てが余すこと無く大切である......という考え方です。
組織やチームを動かすことになった時、
一番心血を注ぐことというのは、常に
「全体が100%で機能しているか?」
どうか。
もう一つだけ、「パレートの法則」には、
ソレを語る際にとても大切な点があると僕は思っています。それは
「何が最重要な事なのか」
という判断や、価値観そのものの正誤。
そしてその最も大事な事が
「個人の裁量、能力に大きく依存する」
ことであるということ。
このことに関して、例を用いて言えば、
「どの本が一番重要な本であるのか?」
ということは、
「いったい何の根拠や保証があってソレを決めれるのか?」
というとてもセンシティブな部分の話であって。
ソレは判断する人の能力や主観、
もっと言えば価値観やセンスといったモノにも
大きな影響を受けて決まる事ではないかということ。
それは「人」である以上、
必ず「揺れ」や「ズレ」などがあるように思えます。
結局はそこに避けれられない不完全さが入り込むことになるわけであって、
論旨は正しかったとしても、
必ずしも良い遂行結果がナカナカ出てこない......
ということも起こってきてしまう因子となっていることでもあるでしょう。
こんな感じで「パレートの法則」というものには、僕は
「的確な理論、計算と共にある不完全さ」
を見てしまうわけです。
法則とまで言われるものにも、時に
「諸行無常」を感じたりなんかもするわけなのです。
「和魂漢才=わこんかんさい」
中国や朝鮮半島との文化交流が中心だった時代。
学問の神様「菅原道真=すがわらのみちざね=天神様」が話した言葉。
先日、訪れた近所の神社さんに張られていました。( ̄o ̄)オォ!!
明治時代には「和魂洋才」とモジられて使われてもいたようです。
今は......和魂和才?洋魂和才?洋才?
今の会社に入って2年たったくらいの頃だったでしょうか、、
組織の構造改革を押し進める為に、
とある経営コンサルタントのチームが迎えられ、
そこでそのチームを率いるAさんに出会いました。
Aさんのチームが来て最初にやった事は、
当時の会社組織に対して思う事を忌憚なく聞き取る......
という社員インタビューを30人ぐらいに対して行ったことです。
その30人という数は、当時のその会社の全社員の20パーセントにあたる数。
「Aさんやるなぁー、、、」
と、僕はソレをヒッソリと尊敬の念を持ちながら見ていました。
上に記したような前の会社での個人的な経験や考えもあって、
僕的には
「法則を生かせるか?生かせないか?」
の一番重要なポイントと思えるインタビュー人選も、
役職等関係なく幅広く選んでもいて。結果を見れば
「お見事!」
という眼力、センスにも思えました。
一年後には組織問題の80%を解決していたようにも思います。
当時それを一緒に体験させてもらって以来、
僕はAさんとそのチームの方々を今でもとても敬愛しているのです(^.^)ハイ。
残りの2割の富が低額所得者に分配される......
20世紀初頭。
イタリアの社会学者ヴィルフレド・パレートが明らかにした経済法則。
一般には「パレートの法則」、
「8対2の法則」
「80:20の法則」
「ハチニイの法則」
などと言われているものです。
ある会社の営業売上げを100として、
その売上げの80%を生み出しているのは社内の20%の社員。
残りの20%の売上げは残りの80%の社員で生み出している。
ある機械が故障。
その故障原因が10個あるとして、
その原因の内「重要と思われる」上位2つを直すと、
故障全体の8割が解決した事になる。
ある「物事」を勉強をしようとした時、
その「物事」について記されている本の内、重要と思われる上位10冊を選び、
その10冊の内でも最も重要な上位2冊の本を読むと、
その「物事」に対する8割を知れる。
理解する事が出来る。
......と、色々な所で引用されたり、出来たり、
使用されることもある一部では良く知られている法則です。
ネット時代に「ロングテール」なんてマーケティング?IT?
用語も出て来ましたが、
この言葉も元はこのパレートの研究から生まれて来た言葉でもあります。
この時期、
期末の決算や来期の予算などの数字周りの厳しい会議や打ち合わせも多く、
よく「無駄」「無意味」というニュアンスの言葉が会議室を飛び交ったりします。
以前、社会人として初めて就職したレコード会社が経営難に陥ったことがあり、
当然ながらこの「無駄」や、
「利益が無い」という部門からリストラを敢行して行く......
といったことを行っていったのですが、
それを数年間、眼前でジッと見ていた時期がありました。
パレート的に言えば80%の売上げを出しているセクションや人員はそのままに、
残りの20%の売上げを出している80%のセクションの人員整理から始める......
という事が行われていくのを数年間ジッ......と見ていたということになります。
この時、様々な犠牲を繰り返し払い、
試行錯誤を何度も何度も重ねながらも、
その会社は結局立ち直る事、立て直す事は出来ませんでした。
僕がこの時に強く実感した事は、
「パレートの法則」を語るにあたって、
使うにあたって、
最も大切な事というのは、
実は「100%である」「100%にする」ということなのではないかということ。
チームにおいて最善、最高の状態というのは常に100パーセントで回っている、
余すこと無く機能している、
ということなのではないかということ。
上記売上げの話しで言えば、
20%の売上げを出している80%のセクションの人員を入れて、
初めて100%という結果になる。状態になる。
そんな状態にあるということが「何よりも大切な事」なんだと。
そういうことです。
僕は経営のプロでもなければ学者でもないので、
これ以上の記述や論旨の展開はやめようと思いますが、
この時に、社会学や経営論の中で良く語られていた
「パレートの法則」に対する自分なりの理解と
アプローチの仕方を見つけられたという事は僕にとってはとても大きな事でした。
勿論、異論もあるとは思いますし、
その通り、間違った理解であるかもしれませんが......(゜ー゜;A
個人的にはこの考え方は未だ揺らいでいません。
全てが余すこと無く大切である......という考え方です。
組織やチームを動かすことになった時、
一番心血を注ぐことというのは、常に
「全体が100%で機能しているか?」
どうか。
もう一つだけ、「パレートの法則」には、
ソレを語る際にとても大切な点があると僕は思っています。それは
「何が最重要な事なのか」
という判断や、価値観そのものの正誤。
そしてその最も大事な事が
「個人の裁量、能力に大きく依存する」
ことであるということ。
このことに関して、例を用いて言えば、
「どの本が一番重要な本であるのか?」
ということは、
「いったい何の根拠や保証があってソレを決めれるのか?」
というとてもセンシティブな部分の話であって。
ソレは判断する人の能力や主観、
もっと言えば価値観やセンスといったモノにも
大きな影響を受けて決まる事ではないかということ。
それは「人」である以上、
必ず「揺れ」や「ズレ」などがあるように思えます。
結局はそこに避けれられない不完全さが入り込むことになるわけであって、
論旨は正しかったとしても、
必ずしも良い遂行結果がナカナカ出てこない......
ということも起こってきてしまう因子となっていることでもあるでしょう。
こんな感じで「パレートの法則」というものには、僕は
「的確な理論、計算と共にある不完全さ」
を見てしまうわけです。
法則とまで言われるものにも、時に
「諸行無常」を感じたりなんかもするわけなのです。
「和魂漢才=わこんかんさい」
中国や朝鮮半島との文化交流が中心だった時代。
学問の神様「菅原道真=すがわらのみちざね=天神様」が話した言葉。
先日、訪れた近所の神社さんに張られていました。( ̄o ̄)オォ!!
明治時代には「和魂洋才」とモジられて使われてもいたようです。
今は......和魂和才?洋魂和才?洋才?
今の会社に入って2年たったくらいの頃だったでしょうか、、
組織の構造改革を押し進める為に、
とある経営コンサルタントのチームが迎えられ、
そこでそのチームを率いるAさんに出会いました。
Aさんのチームが来て最初にやった事は、
当時の会社組織に対して思う事を忌憚なく聞き取る......
という社員インタビューを30人ぐらいに対して行ったことです。
その30人という数は、当時のその会社の全社員の20パーセントにあたる数。
「Aさんやるなぁー、、、」
と、僕はソレをヒッソリと尊敬の念を持ちながら見ていました。
上に記したような前の会社での個人的な経験や考えもあって、
僕的には
「法則を生かせるか?生かせないか?」
の一番重要なポイントと思えるインタビュー人選も、
役職等関係なく幅広く選んでもいて。結果を見れば
「お見事!」
という眼力、センスにも思えました。
一年後には組織問題の80%を解決していたようにも思います。
当時それを一緒に体験させてもらって以来、
僕はAさんとそのチームの方々を今でもとても敬愛しているのです(^.^)ハイ。