雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

青き炎 4

2015-02-14 18:07:36 | 面白い...パワスポ寺社
その石上神宮に主祭されている神は3柱。



・布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)
・布都斯魂大神 (ふつしみたまのおおかみ)
・布留御魂大神 (ふるのみたまのおおかみ)



こ、この名前わぁ......
出雲から?だれがぁ?やってきたのかぁ......?
「日本最古の神宮」にぃぃぃぃぃ!?
授業で教わった初代天皇「神武東征=じんむとうせい」って、
九州からじゃなかったっけぇぇ!?
ソレとコレとは違うのかぁぁ!?
ムムムのムゥゥゥーーーーーーーーーッと、やっとこさ!
最終回「フルとフツ」のお話につづきます。。




仏壇や神棚を祀ったり、お墓などを持つ時は、
通常、多くの家では、当たり前ですが、
身近で縁のある神仏や祖先の皆様方を置かれると思います。
それは、全て、
この世界から離れたところにおられるであろう方々のハズで。
そんな方々に命や世界を繋いで来てくれたことの感謝を捧げ、
同時に、今を生きる自分達にも何卒の
見えない加護をお願いするようなこともあるかと思います。

そんな仏壇や神棚やお墓の存在意義を考えると、
ソコに今現在生きて頑張っている人や、ましてや、
自分自身を祭ったり置いたりすることなどはマズ無いかと!?
思います。

石上神宮というのは記録に残る「日本最古の神宮」であり、
古代大和朝廷が最初に神宮の称号を与えた宮。
その場所は古代大和の中心地
「三輪山=大神神社=おおみわじんじゃ」の北。
風水思想陰陽道では根元の力を置く方角。場所。
お墓や仏壇、神棚を置くにも最善とされる場所。
そこに石上神宮はあります。



きっと大神神社に祀られる神様の祖先であるはずです。



そして、その大神神社に祀られる神は
「大物主神=おおものぬしのかみ」。
古代大和朝廷の中心に聳え、
全てを見渡す大神山そのものを神格化し、
その山に宿るとされる偉大なる神。
この「おおものぬし」を辿れば、
九州や出雲に多くの痕跡を残す
「大歳=おおとし=大年」
という神と同じであるということに辿り着き。
その諡(おくりな)であろう別名を記せば



「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」
=「あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」



更なる別名は「饒速日尊=にぎはやひのみこと」



三輪山に鎮まる古代大和王朝の最初の王。



それは、スサノオの打ち立てた
「原初出雲=九州王国」を奈良の地、大和にまで広げ。
古代大和朝廷を打ち立てた張本人。
偉大なる神。



記紀や民族史を語る際、
とかく「天津」「国津」と分けて話される神々や民の系譜。
しかし、
ニギハヤヒはその両方の名を冠している唯一の神でもあります。



その意味はとても深いと思います。



「アマテル、クニテル......」とは、



きっと統合の証。



それは天津も国津もなく。
天も地もなく。
原住民も移住民もなく。
支配も被支配もなく。 
鶴と亀で表されるものの統合。
それは陰陽統合の証。



初代国祖アマテラス」の可能性。



「大化の改新」というクーデターの正当化と、
民心掌握を狙った歴史改竄書とも言える
「記紀」の物語の綻び(ほころび)は、
全てがこの神を隠すことの「無理さ」に帰結されます。
偉大なる大王スサノオの志を継ぎ、既この時代、
東北地方も含めた一大国家統一を果たしていたこの神の足跡は、
最早、隠そうとしても、隠しきれるものではありませんでした。



それは「民の心も含めて」です。



石上神宮はその三輪山の神と国の氏神を祭った神社。
原初においては、
生きて活躍していた「ニギハヤヒ」さんが祭っていた
祖国出雲の神々以外には考えられません。
そして、それは自らの父であり祖先であったに違いありません。
そう考えるのが「普通」のことです。
前回記した出雲「宇美神社」や「石上神社」に伝わる由緒



==============================
社号 “宇美” の起因は、祭神 “布都御魂神” が出雲国にご来臨の際
海上より御上陸になったところからこの社号ありと伝えられ......
古代の神名帳には「宇美神社、塩津村、海童」と記されていて......
==============================



に書かれていることや、その他、
日本各地に残る史跡や寺社の由緒などから考えてみるに、
主祭三神のうち
「布都御魂大神 =ふつのみたまのおおかみ」というのは
「海童=スサノオ」の父。

「布都斯魂大神=ふつしみたまのおおかみ」は
「斬る」という文字が入っている以上、
この神宮に伝わる国宝でありご神体でもある
「十拳の剣=とつかのつるぎ」
を指すであろうことは自然で明白。

その剣は、
その名前よりスサノオの父「フツ」の持っていた剣でもあり。
若かりし頃のスサノオが
「ヤマタノオロチ」
を切り刻んだ時に使ったとされる伝説とも照らし合わせれば、
それはスサノオが父「フツ」から受け継いだ?
または借りた!?
強力無比なる名刀であったことも想像できます。

そして、
残る「布留御魂大神=ふるのみたまのおおかみ」は、勿論、
ニギハヤヒの父で、フツノミタマの子
「素戔嗚=スサノオ」ということになります。
石上神宮に残る伝えでは「フルのみたま」に関して



==============================
天璽十種瑞宝(あまつしるし とくさのみづの たから)
に宿られる御霊威を称えて布留御魂大神と申し上げます。
天璽十種瑞宝とは、饒速日命(にぎはやひのみこと)が
天津神(あまつかみ)から授けられた
十種の神宝で、それらには
”亡くなられた人をも蘇らす”
というお力が秘められておりました......
==============================



と書かれていますが、
ニギハヤヒが大和に入る時、
父スサノオからその「大王家の証」として授けられたものが
「十種神宝」であり、
彼が父や祖国の象徴として大切にしていた宝......
と考えるのが自然と思われます。
なにより、前回記した通り、この神社は本来、
伊勢神宮が出来る以前の天皇家の氏神の宮であり、
記紀神話編纂の際に徹底した宝物、
書物資料の没収と「由緒の改ざん」を受けた
2つの神社の内の一つです。
現在の公的由緒を僕は「そのまま」受け取ることはできません。

ニギハヤヒは尊敬していた
偉大なる建国の御祖(みおや)である父と祖父とを、
自らが執政を振るっていた地の北方に祭り。
そして、自らが天帰した後には、
その三輪山の地に子孫や民の手によってそのまま鎮まり。
今に至るまで数千年にわたりこの国の歩みを見守ってきた......
三輪山とは元々は
「三室山=みむろやま=御諸山=みもろやま」
であり。
父、スサノオの居住地であった出雲の「須我神社」の主山
「三室山=みむろやま=現在は八雲山と改名された!?」
と同名なのです。
それはヤマトの王「ニギハヤヒ」が奈良の地に入った後、
父スサノオゆかりの地を想ってつけた名前でもあったはずです。

さらに記せば、
記紀の編纂時に徹底した改ざんと宝物の没収を受けた2社のもう一つが、
何を隠そう、
この「大神神社=おおみわじんじゃ」さんなのです。
主祭神の「おおものぬし」とは、おそらく、
その時に朝廷から変えさせられた名前であり、
元はアマテル、クニテル、ニギハヤヒであったはずです。
この辺り、一つ一つをこんなブログで
「どこの神社の何にコレがあって......」
「ドコドコにはこういう記述があるけど実はこうで......」
などと記しているとあまりに長文かつ、
話が複雑にもなってしまうのでここわ!ひとつ!

「ドドドーーーーーン!とハショリまちた!(=゜ω゜)ノ」

のですが、これが全国の寺社をくまなく周り、
それなりの勉強をして、
それなりのカンを働かせて、
それなりに「普通」に考えてみた時に見えてくる
この国の真の歴史であり、
権力者によって隠された真実なのです。
コレが神々の真実であるように僕には!思えるのです。



いつの時代も、
政治家のコメントやマスメディアから流れくる言葉より、
人々の生活の中に真実はあるのだと思います。



フツ、フル、トシ=オオトシ。
それぞれの物語やハショッタ部分は、これまで通り、
この先もパズルが埋まっていく様なイメージで記していきたく思いますが、
この名前の響きには多分に大陸の匂いを感じとることが出来ます。
それは出雲の地から隠岐島や日本海を辿り、わたり、
辿り着いたあたり......
北朝鮮の端から中国国境の辺り......満州......
そのさらに奥地、
シルクロードを辿ってモンゴルの平原から古代オリエント世界に至るまで。
少なくとも「シルクロード」は
記紀成立の数千年前からシッカリとありました。

そんな道を辿り日本海の荒波を越えてきた人々はいない、
などとは言い切れません。
太平洋を対馬海流や黒潮に乗ってやってきた人々はいない、
とは言い切れません。



4回にわたりグダグダと記してきた「青き炎」という小話は、
最初は横綱「白鵬」さんの話から始めました。
もう一度、
そこにも少しの意味を見出してもらえたりすると......
興味深くなるかもしれません。

相撲という唯一無二の競技を創り、
磨き上げたのは紛れもなくこの日本国に生きた人々です。
それは疑いようも無い事実です。
ただ競技として確立される前のルーツなどはあるのか?となったら、
その「一部は」もしかしたら海の向こうにもあったかもしれません。
僕らが生まれた時には、
お尻に「蒙古斑」と呼ばれる青いアザが付いていたりもします。
それはDNAが語る何かのメッセージかもしれません。



縄文時代。
人々がまだ石器や脆い鉱物を使い、
狩猟中心の小さな集落単位で暮らしていた時代。
その時に、
強い鉄の剣や武器を持った人々が何処からか乗り込んできたら......
迎え撃つこの国にも、
同様の知恵と技術を持った一部先進的な民がいたとしても、
しかし、その相手が大陸をも制した武器を持ち、
馬に乗って戦う
「騎馬戦法=きばせんぽう」
を用いるような手練の戦士達が集うような部族だったとしたら......
「一騎当千=いっきとうせん」
とは、馬上で戦う戦士一人は千人の歩兵に匹敵する力だということ。
そんな騎馬部隊を率いれる偉大なる武将が
もし出雲の地にいたとしたら......

様々な神社に馬が祀られている意味は?

狛犬がライオンであることの意味は?

神社仏閣を巡る旅というのは、

僕にとってはそんな古代日本の姿を思い、知る旅でもあります。

それをタダの好奇心というのか、浪漫とするのか......

それぞれですが。

そして、そんなコトを知ったところで、
毎日の生活に大きな影響をもたらす様なコトは無い......
というのもマタ確かでございまふ(´・ω・`)

「古事記」が出来て、
そのリイシュー版である「日本書記」が完成した時より
13年後。
心奥に「青き炎」を宿していた「大王スサノオ」の偉大なる軌跡を、
時の権力者によって
「荒ぶる神」
「天照に会いたくて泣き、叫び、高天ヶ原を追放された神」
などと無理やり捻じ曲げられてしまったその末裔達が、
さりげなく、
しかし力強くシッカリと記した「出雲国風土記」には、
「素戔鳴」さんのことがこう書かれています。



「須佐之男は仁慈の名君であった」



「青き炎」
一旦、仕舞わせていただきます(^^)





スサノオさんが正妻「櫛名田比売=くしなだひめ」や、
妻姫達との間で授かった8人の子供達は、
それぞれの夢と出雲の誇りを持って全国に巣立っていきました。
古代ヤマトの王となった饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の活躍は勿論のこと、
皆それぞれ連携しあって日本各地で伝説的な偉業を成していきます。

上の写真は、その昔、
スサノオさんがそんな子供達の成長に満足もしつつ、
最晩年に隠居的に暮らしていた所ではないかと想像も出来る
島根県、出雲、須佐(スサ)の地。
出雲の中でも一際美しく、豊かな山間の里。
そこに今もひっそりと佇む「須佐神社=すさじんじゃ」
主祭神はもちろん「須佐之男=スサノヲ」さん。
横には奥さんのクシナダさんも(^^)必ず。



海の王らしく「亀」さんも祀られています。
伊勢や天津系の「鶴」に対する象徴の意味もあるでしょうか......
御神木の大杉と裏庭一帯は......パワーハンパ無し!(@_@;)グルグル。。。





境内にわ!(敷地は区別されていますが)
絶品蕎麦屋も温泉も!ありますぅ~♪(´▽`)



出雲須佐温泉「ゆかり館」と、
「味処すさのお」さん。



大王「スサノオ」とは、
晩年の「須佐の地の王=須佐の王」に由来するのだと思います。
そしてイワユル「八王子=はちおうじ」とは、
スサノオさんの8人の子供達のことなのでございますの、ね。(^^)


☆「青き炎」シリーズ過去記事☆
青き炎」「2」「3」「4
大和編
海賊編」 「2
番外編
氷川編
素粒子編
首塚編」「2」「3」「4


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