神話に「偉大なる神」「荒ぶる神」と記されている
スサノオ(素戔嗚、須佐之男)さんは本当に実在していたのか!?
いたとして、いったい、どこから来て?どこに居たのか?
「そんなの出雲じゃね!?当たり前じゃん!」
「オマエ、前、この記事で書いたじゃん!( ̄Д ̄)ノ 」
......という知見あるツッコミも含めて、
そんな一般的に話される神話の先に見え隠れする世界に
乗り出してみようかと。
せっかくですし。
そんな訳でこのお話は、次回、
その「鼻」のお話へと続いていくのでございます。(^ω^)
スサノオさんにまつわる神話は、
言わずもがな「出雲国風土記」に拠るところが多く。
しかもその逸話の多くをスサノオさんが占めているような状況。
それはもう「風土記界の主演男優賞!」という感じ。
そして、その出雲系の神話というのは、宇宙や世界、
神々や日本国の成り立ちまでもをツラツラと書き記す現日本最古の書物
「記紀=きき」において、なんと!
全体の1/3以上!を占めるものとなっています。
ということは、スサノオさんというのは、もう
「神話界におけるスーパースター!」
という感じなのでございます。
さらに記せば、
全国津々浦々に散らばる神社というのは現在3000社以上もあるのですが、
その内、出雲大社に代表される、
いわゆる「国津神系」と呼ばれる神々を主祭する社(やしろ)は、
なんと!
その70%以上!
を占めるのです。
伊勢系に代表される「天津神系」の神々を主祭とする神社は意外にも少なく、
全体の20%ぐらい。
その他の神々で残りの10%という感じ。
この事実はいったい何を示すのでしょうか。
そして、
そんな全国に散らばる多くの神社の中でも中心的に祀られる
出雲のスター「大王スサノオ」さんの生誕地は、
その逸話が最も多く残されている出雲の地ではないか?とも目され。
実際にスサノオさんの生誕や天帰にまつわる逸話なども
幾つか残っている地でもあります。
そんな中での「鼻」です。
そんな出雲の地で鼻とは?
なんでしょうか。
グーグル・マップ等で島根県、出雲地方にズーム・インしていくと......
有名な出雲大社のある出雲の地というのは、
列島から日本海に突き出た半島のようなところで。
内陸側には陸に囲まれた湖のような二つの大きな内海
「宍道湖=しんじこ」と「中海=なかうみ」があります。
その二つの内海の外側の半島が海と接している海岸線部分にドンドン......
とフォーカスし、ズームインしていくと......
アルことに気づきます。
半島が日本海に接する海岸線はリアス式海岸の様に複雑に入り組んで、
小さな入江や岬が幾つも織り連なっています。
その「岬=みさき」と呼ばれる部分は全てこう書かれています。
「◯◯◯◯鼻」
この例を地図上から記すともうキリがありません。
出雲大社の直ぐ左には「赤石鼻」なんて岬があります。
さらに海岸線を辿っていくと大きな所では「十六島鼻」
さらには「長尾鼻」「地蔵鼻」「若松鼻」「生須鼻」「犬堀鼻」......
この海に突き出た岬を「鼻」と呼ぶのは何も出雲地方だけではなく、
山陰、山陽、四国、九州、関西、中部、北陸、新潟......
いたる所で見受けられます。
そうです。
記紀神話で「イザナギの命の鼻」から生まれ、
「海を治めなさい」といわれた素戔嗚の命は、
海に突き出た岬である「鼻」、
もしくは「鼻の近く」で生まれた、
と暗に言っている可能性があるのです。
しかし、わたくしめわ学者さんじゃあーーりません。
ここわ一般ピーポーのポンポコブログですし。
ええ。
権威も責任もありません。( ̄∇ ̄)
霊感一本!のお気軽極楽で、もう言い切っちゃいますが......
スサノオさんは半島の「岬」で生まれた、もしくは、
海の向こうから渡ってきて育った、のです。
しかし......まぁ......「もし」そう考えると、
「記紀神話」とはなんとナメタ話!?なのでしょうか。
この作者さんは読む人を馬鹿にしてますのかぁぁ!?( ̄ー ̄;)ってね。
そんなふうに勘ぐりたくなるぐらいポップでチープなファンタジーです。
そしてこの沢山の「鼻」が並ぶ出雲の半島の中でも、
日本海に突き出たエリアの中に、幾つかの理由から
(それはこの先の最終回!あたりで少し記すとして......なにしろ、
ソノ話だけでこんなブログ20回はタップリコと書けそうなくらいなので......)
「ここわ!
スーパースター素戔嗚さんの生誕に関係する場所なのでわわわ!?」
と思われる神社が内海と外海との間ぐらいにある内陸に見つけられます。
場所が海のそばでは無いので怪しさも半分......なのですが、ただ、
何と言っても、その神社の名前が「海の王」を連想させるくらいの!
思わせぶりな名前だったりもするのです。
その名も......
「宇美神社=うみじんじゃ」
その由緒にはこんなことが書かれています......
================================
出雲国風土記に当地は楯縫郡沼田郷と有り、
当社は「宇美社」として記される古社であります。
社号 ”宇美” の起因は、祭神 ”布都御魂神” が出雲国にご来臨の際
海上より御上陸になったところからこの社号ありと伝えられ......
================================
主祭神は素戔嗚でなく「布都御魂=ふつのみたま」
「祭神がスサノオじゃないじゃん!コラッ!( ̄△ ̄)ノ」
という熱い叫び声も、
詳しくはマニア向けに予定している最終回で説明するとして。
この「布都御魂」というのは、
辿っていくとどうもスサノオさんのお父さんのようなのです。
本筋とは別に、この話が衝撃!?
な方もいるやもしれませんが......
教科書にも出てきませんし。
記紀やどんな書物にも全く書かれていませんし。ええ。
でも一旦この部分は最終回に譲るとして、
強行突破で話を続けると、
この宇美神社はスサノオさんのお父さんが海の向こうからやって来て、
住まわれていたかもしれない地、家......
それはスサノオさんが生まれ?過ごしていた実家......
的な匂いもプンプンとしてくるのです。
しかしながら、
数千年に渡り秘されてきた素戔嗚さんにまつわるコトゴトは
まったくもって複雑難解で。
この宇美神社に関しても更に詳しく調べてみると、どうも、
現在神社が建っている地というのは、
元々この神社があった場所というわけではなく。
出雲風土記に記される更に前の時代には神社は別の場所に建っていて、
そこから現在の場所に移されて来た......ということがわかるのです。
そして、その元々在った場所というのが、
宇美神社から程近くにある、
日本海に面するとても小さな漁港で。
立地的にはまさに沢山の「鼻」が入り組む地のど真ん中......
その名は
「石上神社=いそのかみじんじゃ」
磯の神!?神社!?
出雲市、塩津村というとても小さな漁港にある小さな神社さんで、
出雲大社の後ろの山を日本海側にグルリと抜け出た先にあります。
神社は海に面した小高い丘の上にひっそりと、
しかしとても大切に扱われ、佇んでいます。
その由緒にはこんなことが記されています。
================================
社号を石上神社と称し、祭神を布都御魂とし、
そして式内宇美神社であると伝えている。
(中略)
やがて大和国石上神宮に仮托して、
旧祭神海童(海津見神)を布都御魂命とするに至ったというのである。
「式内社調査報告」
================================
シンプルに言い換えれば、
この神社は古代の神名帳には「宇美神社、塩津村、海童」と記されていて、
古代より祀られる「海童」とは「海神」を意味している、と。
その海神とは、
もしかしたらスサノオの父「フツノミタマ」かもしれませんし、
「童=わらべ」という字を考えると、
神話に記される「海の王=スサノオ」の少年時代かも?しれない。
先に記した現在の「宇美神社」の由緒と合わせて読み込んでみると、
地理的にもココがスサノオの父
「フツヌシノカミ=フツヌシノミタマ」
が海を渡って来て辿り着いた......いや、流れ着いた!?
地なのかもしれない。
スサノオの最初の家があった地なのかもしれない......
アァ。。。
あああぁぁぁ。。。。
ロマーーーーーン!+。:.゜ヽ(●´∀`)ノ゜.:。+゜
みやざきはやおぉぉぉぉ。。(○´▽`)♪
こんなジブリちっくなお話の部分部分がたとえ「妄想」だとしても、
確実に言えることは、この島根県、出雲半島の外海側のどこかに、
スサノオの家族が日本海の荒波を越えて辿り着いた「岬=鼻」
があるということは確かの様で。そして
「あんた変わってるね」
という冷たい視線を浴びまくりながら、
全国の神社をスサノオさんの足跡を追いながら徹底的に回ってみれば、
スサノオさんの父の名は「フツヌシ」であるということにも辿り着きます。
さらには、この出雲の「石上神社」と同じ名前で、
同じ主祭神を持つ奈良県、天理市、布留(ふる)の地にある、
「石上神宮=いそのかみじんぐう」
の由緒をつぶさに調べてみれば、記録に残る限り日本最古で最初の
「神宮=じんぐう」号を持つこの神社の創建物語や、
祭神達の名前や、
神宮のある土地の名前からも、
若き日のスサノオさんの名前が「フル」であったということまで
想像できるのです。
恐らくは「若き日のスサノオ=フル」さんは、
「父=フツ=布都御魂」と共にこの出雲の地を支配し、治め。
良き国として育てていくのです。
それは誰でも想像することが出来るお話なのです。
その名がどこか大陸風の響きを持っていることも、
海の向こうからやってきた神という記述との符合も、
誰もが想像できることなのです。
なんといっても、
現日本国の創建にまつわる貴重な歴史資料の一つであり、
教科書にも出てくる「記紀」の編纂(へんさん)に関しては、
その作業当時、
時の朝廷は日本中から集められるだけの歴史書や風土記、
多くの神社の由緒や、
名家や有力氏族の系図までもを徹底的に取り寄せ、編纂した......
ということが史実として記録されています。
その目的は何か?
後世のためにその時点での歴史を纏める......
という目的だけだったのか?
時の権力者の皆々に都合良き物語となって、
民心も掌握できる物語となるような編集目的などは無かったのか?
全国から集めた貴重なる歴史資料は、
その後何処へ行ったのか?
全てはクーデター的に立ち上がった新政府を正当化し、
永続させるための方策ではなかったのか?
そのクーデターとは、
ココでは世に言う「大化の改新」のこととして記してはいます、が......
そんなふうにして「虚実入り乱れ」ての編纂が成され、
どうしてもつじつまを合わせられないところに至っては
「ええぇーーい!
もうこうなったらミステリアスなファンタジーにしてしまえーい!」
というような感じで仕立てあげられ!?
ロマン溢れる神話として書かれた部分もかなりあるのではないか?
というのが「記紀」という書物の正体なのだと思います。
そしてそれは、全国の寺社をくまなく回った者であれば、
誰しもが直ぐに感じられるであろう事実であって。
決して「真実」を全て覆い隠すことが出来ない「嘘の力」の限界と現実。
更には、
そんなふうにして編纂された時の権力者直轄!の業務の中でも、
特に!徹底的に!
由緒や宝物の没収、隔離、調整をさせられた神社というのが
「2社だけ」あったのです。
そのウチの一つが、実は今日記した
「日本最古の神宮=石上神宮」でもあるのです。
因みにあの伊勢神宮も古名は「磯宮=いそみや」と言います。
その石上神宮に主祭されている神は3柱。
・布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)
・布都斯魂大神 (ふつしみたまのおおかみ)
・布留御魂大神 (ふるのみたまのおおかみ)
こ、この名前わぁ......
出雲から?だれがぁ?やってきたのかぁ......?
日本最古の神宮にぃぃぃぃぃ!?
授業で教わった初代天皇「神武東征=じんむとうせい」って、
九州からじゃなかったっけぇぇ!?
ソレとコレとは違うのかぁぁ!?
ムムムのムゥゥゥーーーーーーーーーッと、やっとこさ!
最終回「フルとフツ」のお話につづきます。
なんだか疲れまちたな......今回。。
流石スサノオさん(*・○・)=3 ポンポン
ここが出雲の奥地、
海を眺めながら佇む「石上神社」
この神社の前の海を小高い丘上からこんなふうに眺めていた時に......
僕はワケもなく涙が溢れ出てきました。
それは、どんな涙なのか......しばらくは止まりませんでした。
僕は戸惑いながらも、温かな郷愁と、切なさと、しかし、
とても強い勇気みたいなものを感じていました。
それは、今になって振り返り、例えてみれば、
深い海の底で静かに揺れる「青き炎」のような勇気だったと思います。
スサノオ(素戔嗚、須佐之男)さんは本当に実在していたのか!?
いたとして、いったい、どこから来て?どこに居たのか?
「そんなの出雲じゃね!?当たり前じゃん!」
「オマエ、前、この記事で書いたじゃん!( ̄Д ̄)ノ 」
......という知見あるツッコミも含めて、
そんな一般的に話される神話の先に見え隠れする世界に
乗り出してみようかと。
せっかくですし。
そんな訳でこのお話は、次回、
その「鼻」のお話へと続いていくのでございます。(^ω^)
スサノオさんにまつわる神話は、
言わずもがな「出雲国風土記」に拠るところが多く。
しかもその逸話の多くをスサノオさんが占めているような状況。
それはもう「風土記界の主演男優賞!」という感じ。
そして、その出雲系の神話というのは、宇宙や世界、
神々や日本国の成り立ちまでもをツラツラと書き記す現日本最古の書物
「記紀=きき」において、なんと!
全体の1/3以上!を占めるものとなっています。
ということは、スサノオさんというのは、もう
「神話界におけるスーパースター!」
という感じなのでございます。
さらに記せば、
全国津々浦々に散らばる神社というのは現在3000社以上もあるのですが、
その内、出雲大社に代表される、
いわゆる「国津神系」と呼ばれる神々を主祭する社(やしろ)は、
なんと!
その70%以上!
を占めるのです。
伊勢系に代表される「天津神系」の神々を主祭とする神社は意外にも少なく、
全体の20%ぐらい。
その他の神々で残りの10%という感じ。
この事実はいったい何を示すのでしょうか。
そして、
そんな全国に散らばる多くの神社の中でも中心的に祀られる
出雲のスター「大王スサノオ」さんの生誕地は、
その逸話が最も多く残されている出雲の地ではないか?とも目され。
実際にスサノオさんの生誕や天帰にまつわる逸話なども
幾つか残っている地でもあります。
そんな中での「鼻」です。
そんな出雲の地で鼻とは?
なんでしょうか。
グーグル・マップ等で島根県、出雲地方にズーム・インしていくと......
有名な出雲大社のある出雲の地というのは、
列島から日本海に突き出た半島のようなところで。
内陸側には陸に囲まれた湖のような二つの大きな内海
「宍道湖=しんじこ」と「中海=なかうみ」があります。
その二つの内海の外側の半島が海と接している海岸線部分にドンドン......
とフォーカスし、ズームインしていくと......
アルことに気づきます。
半島が日本海に接する海岸線はリアス式海岸の様に複雑に入り組んで、
小さな入江や岬が幾つも織り連なっています。
その「岬=みさき」と呼ばれる部分は全てこう書かれています。
「◯◯◯◯鼻」
この例を地図上から記すともうキリがありません。
出雲大社の直ぐ左には「赤石鼻」なんて岬があります。
さらに海岸線を辿っていくと大きな所では「十六島鼻」
さらには「長尾鼻」「地蔵鼻」「若松鼻」「生須鼻」「犬堀鼻」......
この海に突き出た岬を「鼻」と呼ぶのは何も出雲地方だけではなく、
山陰、山陽、四国、九州、関西、中部、北陸、新潟......
いたる所で見受けられます。
そうです。
記紀神話で「イザナギの命の鼻」から生まれ、
「海を治めなさい」といわれた素戔嗚の命は、
海に突き出た岬である「鼻」、
もしくは「鼻の近く」で生まれた、
と暗に言っている可能性があるのです。
しかし、わたくしめわ学者さんじゃあーーりません。
ここわ一般ピーポーのポンポコブログですし。
ええ。
権威も責任もありません。( ̄∇ ̄)
霊感一本!のお気軽極楽で、もう言い切っちゃいますが......
スサノオさんは半島の「岬」で生まれた、もしくは、
海の向こうから渡ってきて育った、のです。
しかし......まぁ......「もし」そう考えると、
「記紀神話」とはなんとナメタ話!?なのでしょうか。
この作者さんは読む人を馬鹿にしてますのかぁぁ!?( ̄ー ̄;)ってね。
そんなふうに勘ぐりたくなるぐらいポップでチープなファンタジーです。
そしてこの沢山の「鼻」が並ぶ出雲の半島の中でも、
日本海に突き出たエリアの中に、幾つかの理由から
(それはこの先の最終回!あたりで少し記すとして......なにしろ、
ソノ話だけでこんなブログ20回はタップリコと書けそうなくらいなので......)
「ここわ!
スーパースター素戔嗚さんの生誕に関係する場所なのでわわわ!?」
と思われる神社が内海と外海との間ぐらいにある内陸に見つけられます。
場所が海のそばでは無いので怪しさも半分......なのですが、ただ、
何と言っても、その神社の名前が「海の王」を連想させるくらいの!
思わせぶりな名前だったりもするのです。
その名も......
「宇美神社=うみじんじゃ」
その由緒にはこんなことが書かれています......
================================
出雲国風土記に当地は楯縫郡沼田郷と有り、
当社は「宇美社」として記される古社であります。
社号 ”宇美” の起因は、祭神 ”布都御魂神” が出雲国にご来臨の際
海上より御上陸になったところからこの社号ありと伝えられ......
================================
主祭神は素戔嗚でなく「布都御魂=ふつのみたま」
「祭神がスサノオじゃないじゃん!コラッ!( ̄△ ̄)ノ」
という熱い叫び声も、
詳しくはマニア向けに予定している最終回で説明するとして。
この「布都御魂」というのは、
辿っていくとどうもスサノオさんのお父さんのようなのです。
本筋とは別に、この話が衝撃!?
な方もいるやもしれませんが......
教科書にも出てきませんし。
記紀やどんな書物にも全く書かれていませんし。ええ。
でも一旦この部分は最終回に譲るとして、
強行突破で話を続けると、
この宇美神社はスサノオさんのお父さんが海の向こうからやって来て、
住まわれていたかもしれない地、家......
それはスサノオさんが生まれ?過ごしていた実家......
的な匂いもプンプンとしてくるのです。
しかしながら、
数千年に渡り秘されてきた素戔嗚さんにまつわるコトゴトは
まったくもって複雑難解で。
この宇美神社に関しても更に詳しく調べてみると、どうも、
現在神社が建っている地というのは、
元々この神社があった場所というわけではなく。
出雲風土記に記される更に前の時代には神社は別の場所に建っていて、
そこから現在の場所に移されて来た......ということがわかるのです。
そして、その元々在った場所というのが、
宇美神社から程近くにある、
日本海に面するとても小さな漁港で。
立地的にはまさに沢山の「鼻」が入り組む地のど真ん中......
その名は
「石上神社=いそのかみじんじゃ」
磯の神!?神社!?
出雲市、塩津村というとても小さな漁港にある小さな神社さんで、
出雲大社の後ろの山を日本海側にグルリと抜け出た先にあります。
神社は海に面した小高い丘の上にひっそりと、
しかしとても大切に扱われ、佇んでいます。
その由緒にはこんなことが記されています。
================================
社号を石上神社と称し、祭神を布都御魂とし、
そして式内宇美神社であると伝えている。
(中略)
やがて大和国石上神宮に仮托して、
旧祭神海童(海津見神)を布都御魂命とするに至ったというのである。
「式内社調査報告」
================================
シンプルに言い換えれば、
この神社は古代の神名帳には「宇美神社、塩津村、海童」と記されていて、
古代より祀られる「海童」とは「海神」を意味している、と。
その海神とは、
もしかしたらスサノオの父「フツノミタマ」かもしれませんし、
「童=わらべ」という字を考えると、
神話に記される「海の王=スサノオ」の少年時代かも?しれない。
先に記した現在の「宇美神社」の由緒と合わせて読み込んでみると、
地理的にもココがスサノオの父
「フツヌシノカミ=フツヌシノミタマ」
が海を渡って来て辿り着いた......いや、流れ着いた!?
地なのかもしれない。
スサノオの最初の家があった地なのかもしれない......
アァ。。。
あああぁぁぁ。。。。
ロマーーーーーン!+。:.゜ヽ(●´∀`)ノ゜.:。+゜
みやざきはやおぉぉぉぉ。。(○´▽`)♪
こんなジブリちっくなお話の部分部分がたとえ「妄想」だとしても、
確実に言えることは、この島根県、出雲半島の外海側のどこかに、
スサノオの家族が日本海の荒波を越えて辿り着いた「岬=鼻」
があるということは確かの様で。そして
「あんた変わってるね」
という冷たい視線を浴びまくりながら、
全国の神社をスサノオさんの足跡を追いながら徹底的に回ってみれば、
スサノオさんの父の名は「フツヌシ」であるということにも辿り着きます。
さらには、この出雲の「石上神社」と同じ名前で、
同じ主祭神を持つ奈良県、天理市、布留(ふる)の地にある、
「石上神宮=いそのかみじんぐう」
の由緒をつぶさに調べてみれば、記録に残る限り日本最古で最初の
「神宮=じんぐう」号を持つこの神社の創建物語や、
祭神達の名前や、
神宮のある土地の名前からも、
若き日のスサノオさんの名前が「フル」であったということまで
想像できるのです。
恐らくは「若き日のスサノオ=フル」さんは、
「父=フツ=布都御魂」と共にこの出雲の地を支配し、治め。
良き国として育てていくのです。
それは誰でも想像することが出来るお話なのです。
その名がどこか大陸風の響きを持っていることも、
海の向こうからやってきた神という記述との符合も、
誰もが想像できることなのです。
なんといっても、
現日本国の創建にまつわる貴重な歴史資料の一つであり、
教科書にも出てくる「記紀」の編纂(へんさん)に関しては、
その作業当時、
時の朝廷は日本中から集められるだけの歴史書や風土記、
多くの神社の由緒や、
名家や有力氏族の系図までもを徹底的に取り寄せ、編纂した......
ということが史実として記録されています。
その目的は何か?
後世のためにその時点での歴史を纏める......
という目的だけだったのか?
時の権力者の皆々に都合良き物語となって、
民心も掌握できる物語となるような編集目的などは無かったのか?
全国から集めた貴重なる歴史資料は、
その後何処へ行ったのか?
全てはクーデター的に立ち上がった新政府を正当化し、
永続させるための方策ではなかったのか?
そのクーデターとは、
ココでは世に言う「大化の改新」のこととして記してはいます、が......
そんなふうにして「虚実入り乱れ」ての編纂が成され、
どうしてもつじつまを合わせられないところに至っては
「ええぇーーい!
もうこうなったらミステリアスなファンタジーにしてしまえーい!」
というような感じで仕立てあげられ!?
ロマン溢れる神話として書かれた部分もかなりあるのではないか?
というのが「記紀」という書物の正体なのだと思います。
そしてそれは、全国の寺社をくまなく回った者であれば、
誰しもが直ぐに感じられるであろう事実であって。
決して「真実」を全て覆い隠すことが出来ない「嘘の力」の限界と現実。
更には、
そんなふうにして編纂された時の権力者直轄!の業務の中でも、
特に!徹底的に!
由緒や宝物の没収、隔離、調整をさせられた神社というのが
「2社だけ」あったのです。
そのウチの一つが、実は今日記した
「日本最古の神宮=石上神宮」でもあるのです。
因みにあの伊勢神宮も古名は「磯宮=いそみや」と言います。
その石上神宮に主祭されている神は3柱。
・布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)
・布都斯魂大神 (ふつしみたまのおおかみ)
・布留御魂大神 (ふるのみたまのおおかみ)
こ、この名前わぁ......
出雲から?だれがぁ?やってきたのかぁ......?
日本最古の神宮にぃぃぃぃぃ!?
授業で教わった初代天皇「神武東征=じんむとうせい」って、
九州からじゃなかったっけぇぇ!?
ソレとコレとは違うのかぁぁ!?
ムムムのムゥゥゥーーーーーーーーーッと、やっとこさ!
最終回「フルとフツ」のお話につづきます。
なんだか疲れまちたな......今回。。
流石スサノオさん(*・○・)=3 ポンポン
ここが出雲の奥地、
海を眺めながら佇む「石上神社」
この神社の前の海を小高い丘上からこんなふうに眺めていた時に......
僕はワケもなく涙が溢れ出てきました。
それは、どんな涙なのか......しばらくは止まりませんでした。
僕は戸惑いながらも、温かな郷愁と、切なさと、しかし、
とても強い勇気みたいなものを感じていました。
それは、今になって振り返り、例えてみれば、
深い海の底で静かに揺れる「青き炎」のような勇気だったと思います。