「大島の前に!先ずは!熱海から......初島だ!って。
先に手前の初島に行ってから、それから大島だって。
その順番がとても大事なのだ......って。
神様はそー言うんだよね......」
<......つづく>
「ふーむむむ。。面白いですねぇ(^^)」
「そもそも、だよ。
小笠原諸島を含むフィリピン海プレート上にある土地というのは
日本本土にはたった一か所しかないんだよ。
伊豆半島。ココだけ。
だからあの半島ってさ、空気感違うんだよ。
雰囲気も土地のエナジーも。
ちょっと独特でしょ?」
「ええ(^^)よくわかります」
「伊豆半島こそがフィリピン海プレートの最北部で、
日本列島を乗せているユーラシア、北米の
2つの大陸プレートの合わせ目にドドーーン!
とぶつかってるわけ。
今もってユーラシア大陸にぶつかり続けてるインド半島?の日本版、
小さいバージョンだよね。
その衝突で造成された山脈がインドではヒマラヤだけどさ、
日本では丹沢山系。
モチロン富士山もそう。
フィリピン海プレートの衝突が激しくって、
それでマグマが吹き上がってできた感じ。
この富士山の下にあったマグマ・スポットがプレートの淵に沿って、
時代と共に段々と南下して行って、
その足跡が小笠原諸島とも言えるようなニュアンスもあるし。
今、マサに生まれている島の西之島とかもそう。
最近よくニュースに流れていた、あそこで起こってる風景がさ、
古代は富士山や箱根や大島の姿であったわけで。
だからさ、富士山は3つのプレートの接点にそびえる山でもあって、
列島の大鍵とも言えるよね。
コレに太平洋プレートを加えた4つの接点の大鍵となると鹿島神宮だけど、
意味あい的には一緒。
俺らからすると “そういう意味で” ......とても気になるし、
とても大事な山なんだよね。富士山て。当たり前だけど」
「そのフィリピン海プレートへの入口が順番通りにいくと熱海で、
次が初島。
そして大島、、、って、そういう感じなのでしょうか(^_^)」
「そ。そーいう感じ。
熱海っていうのは伊豆山神社(いずさんじんじゃ)と同じ意味でもあるけど、
その順番にも神様は意味を含ませてる感じ」
「面白いですねぇ(^_^)ニコニコ」
「神様ってさ、ホントに絶対答えを言わないんだよね。
答えに導くようにしてくれたりはするけど、
その導きすらも素直な心を持ってないと、
そんな心で見つめてみないと、
気づかないように置かれちゃう感じ。
時に苦しみにしか思えない置き方もするし。
そうすると出す答えを間違っちゃう時だってあるし。
だからさ、今回も同じでさ。
答えは明示してくれないわけよ。例によって。
ホントの目的は何か?
楽しみか?苦しみか?
も自分で判断するしかない。探すしかない。
知識と知恵を叡智に変えて、カンも働かせて、
思考と行動を一緒にして自分で導くしかない。
俺達が生きてるのは紛れも無くこの世界だからね。
神と同じ体で生きてるわけでもないしさ。
で、わかったんだ。
これ、アル神様の上陸ルートだって。この国への。
はるか昔。縄文の時代。
この海の道から関東の地へ渡ってきた神々がいたんだろう......て、さ。
だから、この道筋は道行く人や神々が迷わないように何本もいらない。
まっすぐに一本だけ通っていればいい。
俺らが道を開くにあたってはソレはとても大事なことなんだろうって、さ。
コレはさ、モチロンhikiさんはわかってると思うけど、
神武東征(じんむとうせい)なる
記紀(キキ=古事記+日本書紀)に書かれているような神話とは違うから。
そのまた......遥か昔......
記紀では神代(しんだい)と記されている頃の話」
「古代富士王朝を開いた神々......ですね(^^)ニコニコ」
「そ。そーいうこと」
「やはり、三鷹に繋がるわけですね(^^)ニコニコ」
「そ。」
「開く道の先には......諏訪の時のように、またどなたか?
封印された古代の神様みたいな方が?
いらっしゃるのでしょうか?(^^)」
「そう。そのとーーり。
それもわかったんだよ。この時。
ま、この後ちゃんと話すけどさ......
コノ携帯写真はさ、初島に渡ってる時のやつ。
光の柱が島とその周りに降りてる感じなんだよね。
なんとなく」

「島にはこの店によく来るねーさんさん達4人とで行ったんだよ。
神様の言う通り諏訪の時と同じメンバーで。
これが島の聖地、初木神社」

「初島を護ってる女神様の社(やしろ)。初木姫(はつきひめ)さん」

「あっ!あぁ、、、ええ。ええ。(^_^)そーですか。。」
「わかるみたいね。ヤッパリ。
女神さんはこの可愛らしい榊(さかき)に降りてるんだよ。
足元には綺麗なツツジもあるし。
行ってみたらさ、この神社、縄文遺跡の真上に建ってるんだよね。
縄文ってさ、少なくとも紀元前250〜300年以上前だし。
三千年以上前でしょ。
古いよ。ココ。ヤッパリ」
「ええ。ええ(^^)ニコニコ」
「初島や大島の先の先の海。
遥か彼方の海から、もしかしたら久々に帰ってこれるかもしれない、
その封印されている、
隠されいている神様がちゃんと本土に帰って来れるように、
この島はヤッパリ大切なところなんだ......って、そー思ったよ。
この女神さんの社の前で。強く。うん」

「社殿右手前にさり気に顔だしてる石もすごい。
祭祀とかで使っていたと思うよ。この石。
石には、だからお酒もあげて、
女神様だから本殿にはお花も......ね。

場にはちょっとした “淀み” もあったから、
人の少ない島だし、
細かい管理がナカナカ出来ないからだとは思うんだけど、
なんとなくそれも予感して持って行ってたお香を石の上で少しだけ炊いて。
綺麗にして。
きっと......ここは沢山の祈りが長い間捧げられて来た場所だと思うんだ。
みんな。昔。
まだ、日本という国がユルユルとしていて、
一国としてキッチリと整っていなかった頃から、さ」
「ですね~(^^)ニコニコ」
「すぐ傍には竜神さんの社もあってさ。竜神宮。
初木姫さんに使えている龍、、、でなくて、竜。
まだ小さくて、強い龍神さんになるために修行中!って感じの竜さん。
蛟(みずち)さんよりは全然大きい」

「この石碑作った人?宮司さん?
はやっぱりちゃんとわかってるんだろーね。
ちゃんと “竜” となってるし。面白い」

「とてもお茶目で、若々しい竜さんだったし。
俺たちが着いたら海からザザ~って、突然上がってきてさ。
社殿の上でポーズとってるんだよ。
一緒に行ったねーさん達が写真を撮ってる時。
メッチャ笑った。
海のそばだし、熱海......だし、
ちょっと色んなものも寄ってきてたけど......
皆が撮ってくれた写真にもチョイと写ってるのかな......」

「だからココの竜さんは “救い” や “祓い” とかの仕事も
とても頑張っていてさ。
でも、島の外から来て、ワザワザ此処にお酒まで持って来るような
変な人なんて殆どいないみたいで。
竜さんとても喜んでくれてた。
それで、なんだか俺も嬉しくなっちゃってさ。この時。
ヨカッタよ。とても。
......で、だよ。
初島から大島へは直接渡れる便は無いわけ。船が。
だから、神様から言われた順番を守って
大島に行くには一旦また熱海に戻らないといけない。
そこから翌日、朝一のフェリーで大島に行こうと、
そう計画してたわけ。
それで、この日は熱海に戻って、温泉宿に一泊して、
翌朝、イヨイヨ行くぜーーーーっ!って。
そんな気持ちも高まった、そん時よ————————」
「その時!?(^^)ニコニコ」
「嵐で船が全便欠航」
「アララ。。(^^)ニコニコ」
「邪魔がね、入るわけよ。あちこちから。
それからしばらくは......ゼンゼン行けないわけ。大島に。
どーしても」
<つづく。。>


初島は静岡県唯一の有人島で首都圏から一番近い離島。
火山島である他の伊豆諸島と違い、
この島だけは海底が隆起して出来た島だそうです。
この島に人々が住んできた歴史は古く、
調査では約7,000年前の縄文時代からの遺跡が
全域に点在していることが確認されています。
島一番の大切な神社である初木神社には、記紀に記されている第5代天皇、
孝昭天皇の御代に島に漂着した初木姫の伝説が残っていて、
神社の本殿の下には
古墳時代の磐座(いわくら。神が降り立つ場所。古代の祭祀場)
の遺構があることも確認されています。
とても興味深いのは、
小笠原諸島、三宅島の神官家「壬生家=みぶけ」に伝わる
「三宅記」とか「三島大明神縁起」と呼ばれる書物。
古く、少なくとも鎌倉時代には確実に存在していたこの書には、
小笠原諸島の誕生伝と共にこの国の天地創生伝説も記されています。
この書によれば、
薬師如来の申し子として「天竺=てんじく」......インド!?
その先のオリエント!?......
に生まれた三島明神(三嶋大社の主祭神)は無実の罪に問われ、国を追放。
その後、唐(中国)、高麗(朝鮮半島)を経て日本にやってきます。
そして「富士山の神」に出会い、
その他多くの神々と龍神達と共に一緒に島を作り始め、
伊豆には10の島を創生しました。
その中で一番最初に作った島が“初島だと......そう記されています。
「第一の島をば初の島と名付け給う」
その後は......
「第二の島をば島々の中程に焼き出し、
それに神達集り給いて詮議有りし島なれば神集島(現、神津島か?)
と名付け給えり。
第三の島をば大なる故大島(伊豆大島)と名付け―――――――――――」
と記されています。
ここで、わかる人はわかるとも思いますが、この話、
三宅記が最初に書かれた当時、
中国を表す言葉として「唐」が使われていたのであれば......
いわゆる「徐福伝説(じょふくでんせつ)」ともイメージがかぶります。
司馬遷(しばせん)が記した『史記』によれば、
中国が始皇帝の治める秦(しん)と呼ばれていた時代。始皇帝に
「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」
と具申し、始皇帝の正式な命を取り付け、
3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、
五穀の種を持ち、東方に船出し、
平原広沢(広い平野と水の豊かな湿地)を得て、
王となり戻らなかったと記述されている人物、徐福。
その物語ととてもよくかぶります。
そして、何より、
この三宅記で僕が個人的に注目してしまう記述はたった一文。
「富士の神に出会い」という部分。
始皇帝が中国を治めていた御代は紀元前246年~紀元前221年頃。
この国の時代区分では弥生時代の初めから縄文時代の末期。
なんとなく......「三宅記」が記している時代の様な気も......します。
が、三島明神さんが徐福さんであろうが、なかろうが、
もし「三宅記」がその頃のことを少しでも伝えん!
と記された伝書だとしたならば、
その頃、徐福や三島明神さんが大島や初島に上陸してきたソノ頃、
既に富士山周辺から葦の生い繁っていたであろう古代関東の広大な湿原野には、
その地を広く、大きく治めていた「富士の王」がいた......
というふうにも読めてきます。
「ニコニコ(^^)BAR」のお話しは、まだ、
もう少し続いていきます。
過去のお話はこちらで。
「1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8」「9」「10」
先に手前の初島に行ってから、それから大島だって。
その順番がとても大事なのだ......って。
神様はそー言うんだよね......」
<......つづく>
「ふーむむむ。。面白いですねぇ(^^)」
「そもそも、だよ。
小笠原諸島を含むフィリピン海プレート上にある土地というのは
日本本土にはたった一か所しかないんだよ。
伊豆半島。ココだけ。
だからあの半島ってさ、空気感違うんだよ。
雰囲気も土地のエナジーも。
ちょっと独特でしょ?」
「ええ(^^)よくわかります」
「伊豆半島こそがフィリピン海プレートの最北部で、
日本列島を乗せているユーラシア、北米の
2つの大陸プレートの合わせ目にドドーーン!
とぶつかってるわけ。
今もってユーラシア大陸にぶつかり続けてるインド半島?の日本版、
小さいバージョンだよね。
その衝突で造成された山脈がインドではヒマラヤだけどさ、
日本では丹沢山系。
モチロン富士山もそう。
フィリピン海プレートの衝突が激しくって、
それでマグマが吹き上がってできた感じ。
この富士山の下にあったマグマ・スポットがプレートの淵に沿って、
時代と共に段々と南下して行って、
その足跡が小笠原諸島とも言えるようなニュアンスもあるし。
今、マサに生まれている島の西之島とかもそう。
最近よくニュースに流れていた、あそこで起こってる風景がさ、
古代は富士山や箱根や大島の姿であったわけで。
だからさ、富士山は3つのプレートの接点にそびえる山でもあって、
列島の大鍵とも言えるよね。
コレに太平洋プレートを加えた4つの接点の大鍵となると鹿島神宮だけど、
意味あい的には一緒。
俺らからすると “そういう意味で” ......とても気になるし、
とても大事な山なんだよね。富士山て。当たり前だけど」
「そのフィリピン海プレートへの入口が順番通りにいくと熱海で、
次が初島。
そして大島、、、って、そういう感じなのでしょうか(^_^)」
「そ。そーいう感じ。
熱海っていうのは伊豆山神社(いずさんじんじゃ)と同じ意味でもあるけど、
その順番にも神様は意味を含ませてる感じ」
「面白いですねぇ(^_^)ニコニコ」
「神様ってさ、ホントに絶対答えを言わないんだよね。
答えに導くようにしてくれたりはするけど、
その導きすらも素直な心を持ってないと、
そんな心で見つめてみないと、
気づかないように置かれちゃう感じ。
時に苦しみにしか思えない置き方もするし。
そうすると出す答えを間違っちゃう時だってあるし。
だからさ、今回も同じでさ。
答えは明示してくれないわけよ。例によって。
ホントの目的は何か?
楽しみか?苦しみか?
も自分で判断するしかない。探すしかない。
知識と知恵を叡智に変えて、カンも働かせて、
思考と行動を一緒にして自分で導くしかない。
俺達が生きてるのは紛れも無くこの世界だからね。
神と同じ体で生きてるわけでもないしさ。
で、わかったんだ。
これ、アル神様の上陸ルートだって。この国への。
はるか昔。縄文の時代。
この海の道から関東の地へ渡ってきた神々がいたんだろう......て、さ。
だから、この道筋は道行く人や神々が迷わないように何本もいらない。
まっすぐに一本だけ通っていればいい。
俺らが道を開くにあたってはソレはとても大事なことなんだろうって、さ。
コレはさ、モチロンhikiさんはわかってると思うけど、
神武東征(じんむとうせい)なる
記紀(キキ=古事記+日本書紀)に書かれているような神話とは違うから。
そのまた......遥か昔......
記紀では神代(しんだい)と記されている頃の話」
「古代富士王朝を開いた神々......ですね(^^)ニコニコ」
「そ。そーいうこと」
「やはり、三鷹に繋がるわけですね(^^)ニコニコ」
「そ。」
「開く道の先には......諏訪の時のように、またどなたか?
封印された古代の神様みたいな方が?
いらっしゃるのでしょうか?(^^)」
「そう。そのとーーり。
それもわかったんだよ。この時。
ま、この後ちゃんと話すけどさ......
コノ携帯写真はさ、初島に渡ってる時のやつ。
光の柱が島とその周りに降りてる感じなんだよね。
なんとなく」

「島にはこの店によく来るねーさんさん達4人とで行ったんだよ。
神様の言う通り諏訪の時と同じメンバーで。
これが島の聖地、初木神社」

「初島を護ってる女神様の社(やしろ)。初木姫(はつきひめ)さん」

「あっ!あぁ、、、ええ。ええ。(^_^)そーですか。。」
「わかるみたいね。ヤッパリ。
女神さんはこの可愛らしい榊(さかき)に降りてるんだよ。
足元には綺麗なツツジもあるし。
行ってみたらさ、この神社、縄文遺跡の真上に建ってるんだよね。
縄文ってさ、少なくとも紀元前250〜300年以上前だし。
三千年以上前でしょ。
古いよ。ココ。ヤッパリ」
「ええ。ええ(^^)ニコニコ」
「初島や大島の先の先の海。
遥か彼方の海から、もしかしたら久々に帰ってこれるかもしれない、
その封印されている、
隠されいている神様がちゃんと本土に帰って来れるように、
この島はヤッパリ大切なところなんだ......って、そー思ったよ。
この女神さんの社の前で。強く。うん」

「社殿右手前にさり気に顔だしてる石もすごい。
祭祀とかで使っていたと思うよ。この石。
石には、だからお酒もあげて、
女神様だから本殿にはお花も......ね。

場にはちょっとした “淀み” もあったから、
人の少ない島だし、
細かい管理がナカナカ出来ないからだとは思うんだけど、
なんとなくそれも予感して持って行ってたお香を石の上で少しだけ炊いて。
綺麗にして。
きっと......ここは沢山の祈りが長い間捧げられて来た場所だと思うんだ。
みんな。昔。
まだ、日本という国がユルユルとしていて、
一国としてキッチリと整っていなかった頃から、さ」
「ですね~(^^)ニコニコ」
「すぐ傍には竜神さんの社もあってさ。竜神宮。
初木姫さんに使えている龍、、、でなくて、竜。
まだ小さくて、強い龍神さんになるために修行中!って感じの竜さん。
蛟(みずち)さんよりは全然大きい」

「この石碑作った人?宮司さん?
はやっぱりちゃんとわかってるんだろーね。
ちゃんと “竜” となってるし。面白い」

「とてもお茶目で、若々しい竜さんだったし。
俺たちが着いたら海からザザ~って、突然上がってきてさ。
社殿の上でポーズとってるんだよ。
一緒に行ったねーさん達が写真を撮ってる時。
メッチャ笑った。
海のそばだし、熱海......だし、
ちょっと色んなものも寄ってきてたけど......
皆が撮ってくれた写真にもチョイと写ってるのかな......」

「だからココの竜さんは “救い” や “祓い” とかの仕事も
とても頑張っていてさ。
でも、島の外から来て、ワザワザ此処にお酒まで持って来るような
変な人なんて殆どいないみたいで。
竜さんとても喜んでくれてた。
それで、なんだか俺も嬉しくなっちゃってさ。この時。
ヨカッタよ。とても。
......で、だよ。
初島から大島へは直接渡れる便は無いわけ。船が。
だから、神様から言われた順番を守って
大島に行くには一旦また熱海に戻らないといけない。
そこから翌日、朝一のフェリーで大島に行こうと、
そう計画してたわけ。
それで、この日は熱海に戻って、温泉宿に一泊して、
翌朝、イヨイヨ行くぜーーーーっ!って。
そんな気持ちも高まった、そん時よ————————」
「その時!?(^^)ニコニコ」
「嵐で船が全便欠航」
「アララ。。(^^)ニコニコ」
「邪魔がね、入るわけよ。あちこちから。
それからしばらくは......ゼンゼン行けないわけ。大島に。
どーしても」
<つづく。。>


初島は静岡県唯一の有人島で首都圏から一番近い離島。
火山島である他の伊豆諸島と違い、
この島だけは海底が隆起して出来た島だそうです。
この島に人々が住んできた歴史は古く、
調査では約7,000年前の縄文時代からの遺跡が
全域に点在していることが確認されています。
島一番の大切な神社である初木神社には、記紀に記されている第5代天皇、
孝昭天皇の御代に島に漂着した初木姫の伝説が残っていて、
神社の本殿の下には
古墳時代の磐座(いわくら。神が降り立つ場所。古代の祭祀場)
の遺構があることも確認されています。
とても興味深いのは、
小笠原諸島、三宅島の神官家「壬生家=みぶけ」に伝わる
「三宅記」とか「三島大明神縁起」と呼ばれる書物。
古く、少なくとも鎌倉時代には確実に存在していたこの書には、
小笠原諸島の誕生伝と共にこの国の天地創生伝説も記されています。
この書によれば、
薬師如来の申し子として「天竺=てんじく」......インド!?
その先のオリエント!?......
に生まれた三島明神(三嶋大社の主祭神)は無実の罪に問われ、国を追放。
その後、唐(中国)、高麗(朝鮮半島)を経て日本にやってきます。
そして「富士山の神」に出会い、
その他多くの神々と龍神達と共に一緒に島を作り始め、
伊豆には10の島を創生しました。
その中で一番最初に作った島が“初島だと......そう記されています。
「第一の島をば初の島と名付け給う」
その後は......
「第二の島をば島々の中程に焼き出し、
それに神達集り給いて詮議有りし島なれば神集島(現、神津島か?)
と名付け給えり。
第三の島をば大なる故大島(伊豆大島)と名付け―――――――――――」
と記されています。
ここで、わかる人はわかるとも思いますが、この話、
三宅記が最初に書かれた当時、
中国を表す言葉として「唐」が使われていたのであれば......
いわゆる「徐福伝説(じょふくでんせつ)」ともイメージがかぶります。
司馬遷(しばせん)が記した『史記』によれば、
中国が始皇帝の治める秦(しん)と呼ばれていた時代。始皇帝に
「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」
と具申し、始皇帝の正式な命を取り付け、
3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、
五穀の種を持ち、東方に船出し、
平原広沢(広い平野と水の豊かな湿地)を得て、
王となり戻らなかったと記述されている人物、徐福。
その物語ととてもよくかぶります。
そして、何より、
この三宅記で僕が個人的に注目してしまう記述はたった一文。
「富士の神に出会い」という部分。
始皇帝が中国を治めていた御代は紀元前246年~紀元前221年頃。
この国の時代区分では弥生時代の初めから縄文時代の末期。
なんとなく......「三宅記」が記している時代の様な気も......します。
が、三島明神さんが徐福さんであろうが、なかろうが、
もし「三宅記」がその頃のことを少しでも伝えん!
と記された伝書だとしたならば、
その頃、徐福や三島明神さんが大島や初島に上陸してきたソノ頃、
既に富士山周辺から葦の生い繁っていたであろう古代関東の広大な湿原野には、
その地を広く、大きく治めていた「富士の王」がいた......
というふうにも読めてきます。
「ニコニコ(^^)BAR」のお話しは、まだ、
もう少し続いていきます。
過去のお話はこちらで。
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