是れやこの
行くも帰るも別れては
知るも知らぬも
逢坂の関
——————蝉丸
<概意>
これがあの
東国に下る人も都へ上がる人も
知り合い同士もそうでない人も
皆が行き交う逢坂の関なのだな......
誰もが知る「百人一首」の中にある一首。
百人一首(ひゃくにんいっしゅ)とは、元来、
100人の歌人の和歌を一人一首ずつ選んで作った
秀歌選集のことであって、
幾種かの書が存在していたようなのですが。
今に伝わる
「いわゆる一般的な意味での百人一首」
とは、藤原定家が京都、小倉山の山荘で選んだとされる
「小倉百人一首」
を指すようです。
僕のお家にあるその百人一首さん。
今更......ですが、
収められている歌を改めて一通り眺めてみると、
この藤原定家の選者としてのセンスや
バランス感覚というのは敬服に値するもので。
そんな部分も、
定家さんの選歌集が時間のヤスリに削られることもなく、
他の選集より一際輝きを放つものとなっている要因なのではないか......
とも感じます。
そして、冒頭の句は、
記した通り蝉丸(せみまる=蟬丸)さんという方が
詠んだ歌として定家さんに選ばれています。
この歌、他の数多ある優秀な歌の中でも特別の存在感を放っています。
明らかにこの歌だけ異質なのです。
何故か?
この歌。
音楽を志している、やっている、好きでいる......
という方であれば直ぐにわかると思うのですが、
この歌だけ全体を貫いているセンスが明らかに「音楽」なのです。
他の歌は全て、もっと文芸的で文学的なセンスで貫かれています。
勿論、どちらにしても歌に最も大切な「情感」は満ち溢れていて、
その情感は百首全てに然りげ無く、しかし、
しっかりとした統一感を持って貫かれてもいます。
そこは定家さんの選者としての
プロデューサー的センスでもあるわけですが、
そんな選集の中で特別に目立つこの蝉丸さんの歌というのは、
やはりカナリの凄さだと思います。
トテモ音楽っす。
この歌。
スゲーっす。
冒頭「こ」で作られる音韻のリズム。
そのリズムは次の「行くも」の「も」に受け継がれ、
その次の句の「知るも知らぬも」の「も」にまで繋げられていきます。
その間、言葉の影には子音のリズムも組み込まれていて、
「行く」の「ぅ」の繰り返しの登場は、
まるで現代のラップのように歌全体のリズム感の底支えをしています。
そして、仕舞い(しまい)には、
読む者をそこまでノセていたリズムをバシッ!
と裏切るように、切るように、
そんなキメの美学的な「止め方」で終わります。
ソレはとても爽やかな裏切り。
心地よい余韻が残る裏切り。
歌の終わりには他の歌とは一風違ったリズムに乗ったアウトロまでが
逢坂の情景と共に聞こえてくるのです。
スゲーっす。
大好きな漫画「陰陽師」によると!?
蝉丸さんは琵琶の名手だったそうで。
眼が見えなかった方とも伝わっています。
盲目の琵琶奏者「琵琶法師」のモデル
とも言われているような方だとも。
なるほど。
この歌が蝉丸さんのものであるとするならば、
ソレは間違いないと思います。
とても音楽なわけです。
そんな歌にあまりに感服したので、少し前に、
そんな蝉丸さんに会いに行ってみたのです。
彼が住んでいたと今に伝わる
京都府と滋賀県の境にある「逢坂の関」なる所へ。
ま、実は、年明けに記した出雲への初詣に行く前に
「渡したいものがある......」
と。
「ソレは出雲で役に立つはずだ......」
と。
そんなことを蝉丸さんがアチラの世界から言ってくるもので。
念の為、特別な能力を持つプリリンなねーさんに、
蝉丸さんに関してのことを他の神様からも降ろしてもらい、
確認をしてみても......
「寝ているのだ。安倍晴明が封じたよ。
晴明は、陰陽道を作ったので、邪魔になったのだな。
魔界の助けがあったのだよ。
出してほしいのだよ。
蝉丸だよ。蝉丸という法師がいただろう。
百人一首の歌に書かれているよ......」
なーーーんてことを言い降ろしてくれるものでして。
なので、取り敢えずは!
騙された!?
と思って!?
多くの神々に導かれるまま、
二人して琵琶湖のほとりまで足を伸ばしてみたのです。
賑やかな京の都から薄暗い山道に入り、
盗賊や獣達がちょっと怖い様な薄暗い峠道を超えて、
その峠のピークから少し下ったところ。
道の向こうには大きな内海.....大津の琵琶湖が見えてきます。
湖の左方には比叡山から比良山地が聳え、連なります。
そんなトコロが逢坂の関(おうさかのせき)。
古来より関西と中部、関東を結ぶ要所。
日夜、都からの往来が絶えなかった関所。
蝉丸さんが住んでいた家は、
現在は「関蝉丸神社」の「下社」となって坂の下の方にありました。
鳥居のど真ん中でカラスさんのお出迎え(^^)
お酒と......
琵琶を持って行きましたの!(^_^)
弾きたいだろーかと思いまちて。
ええ。ええ。
ミニチュアですけど。
ケースもついていて良い感じっす。
芸能関係の寄進もチラホラと......
続いて訪れたのは下社から少し峠を登った峠の中腹。
本宮とも言われる「上社」。
突然の雪。
とても激しく降ってきました......
最後の仕上げ!は峠の頂上にある蝉丸神社さん。
本殿前でお酒と、この日最後の祝詞と、
ひふみ祝詞を捧げると......
突然雪がやみ、
背中から太陽が燦々と降り注いで来てくれました。
たぶん......蝉丸さんは世界に戻れた!?なんて?
思ったりもして(^^)
蝉丸さんの不思議なところは
様々に語り継がれているその素性でしょうか。
稀代の偉大なる琵琶法師だったとも。
仏僧だったとも。
本来、醍醐天皇(だいごてんのう)の子供で、
世継ぎのはずだったとも。
真偽の分からない色々な逸話が伝えられています。
そんな逸話は能の定番的演目の「蝉丸」としても有名です。
僕とプリリンねーさんが逢坂の関で蝉丸さんから預かったお話としては、
語られている通り琵琶の名手だったと。
琵琶の師範ではあったが、世捨て人でもあった、と。
源博正(みなもとのひろまさ)は、
京の町からワザワザ逢坂まで琵琶を習いに来ていたと。
その頃、安倍晴明はまだ子供だった、と。
自分を題材にした能の演目に出てくる
「逆髪の姉」は本当にいたのだ、と。
元々は大阪の帝塚山に住んでいた、と。
そこから逢坂に移ったのだ、と。
そして、本当のことは、
後世に封印された、と。
何故か?
自分は「最後の蝉使い」だったから
朝廷や陰陽師から疎まれたのだ......と。
「蝉使い」とは、
蝉の抜け殻でもって吉凶を占える占い師のことで、
亀の骨や鹿の骨での占術は今もわずかに伝わり残ってはいるが、
イルカの骨と蝉の抜け殻での占術は
今では誰も知らないことになってしまった......と。
蝉の殻は、
すり潰して粉にすると様々な病気に効く良薬にもなったと。
蝉丸さんはその調合の知識も持っていたとも。
「蝉使い」とは医師でもあったのだ、とも。
琵琶の名プレーヤーにして良薬の調合師。
さらには政治や個人の行く末の占いも出来る。
そんな超人的な人間であった故に疎まれたのだ、と。
だから自分は隠匿の生活を選んだのだ......と。
目は見えなかった......と伝わっているようだが、
本当は見えていた、と。
見えないふりをするほうが何かと都合が良かったのだ。
歴史から消されたからな......と。
===========================
劣悪な時代だったよ。
民達も大変だったよ。
貴族は常に搾取していたからな。
沢山の民達は、犠牲になっていたよ。
だから、セミで薬を作っていたのだよ。
「蝉丸」という薬だよ。
民達は、琵琶を聞きに来て、薬を持って行ったよ。
繋いでいたのは、琵琶の音だな。
失格だったからだよ。
私はフジワラとは、関係なかったからな。姉もそうだよ。
父は、どうすることも出来なかったからな。
罪なことだな。
政治は罪なことだ。
===========================
ねーさんが正確に降ろしくれた蝉丸さんの言葉。
ねーさんはその後、
1万枚以上の蝉の羽を継ぎ合わせた美しいベールを貰い、
晴れて「蝉使い」の称号も貰ったそうです。
そのうちの一枚は、
我が家の「つかへい」さんが持っていったようで......
僕は、後に「衝立」なるものを頂いたのですが......なんでも、
人様の妬み的感情を跳ね除ける力があるとのことで......( ̄ー ̄)ううーーむ......
平安一の和歌プロデューサーであった藤原定家さんは、
自身の美学として、
こんなスーパーな蝉丸さんの歌は
何があっても外せなかったのだろーなー......と。
僕はそう思うのです。
「イマジン」抜きの「ジョン・レノン ベスト ヒット コンピレーション!」
はありえないだろ.....みたいな。
そんな感覚でしょうか。
先週末。
ワケあって岩手県の方にプラリと行っていたのですが、
残雪の残る美しい栗駒山を見ていたら、
この逢坂に佇んでいる時に降っていた雪を思い出したのです。
神々にもらった衝立の感触を確かめていたのです。
ハネのけてる!?いま?みたいな。( ̄  ̄)
雪とは不思議なものです。
どこか記憶と直結する香りに近いモノも持っているような感じもします。
降り積もる雪は様々な記憶の様にも思えて。
溶けて行く春の雪は、ほどけていく記憶や心の様にも見えて。
溶けて流れ出す水は、生まれ変わった瑞々しい心の様にも思えて。
これやこの
行くも帰るも別れては
知るも知らぬも
雪解けの春
————————amenouzmet
行くも帰るも別れては
知るも知らぬも
逢坂の関
——————蝉丸
<概意>
これがあの
東国に下る人も都へ上がる人も
知り合い同士もそうでない人も
皆が行き交う逢坂の関なのだな......
誰もが知る「百人一首」の中にある一首。
百人一首(ひゃくにんいっしゅ)とは、元来、
100人の歌人の和歌を一人一首ずつ選んで作った
秀歌選集のことであって、
幾種かの書が存在していたようなのですが。
今に伝わる
「いわゆる一般的な意味での百人一首」
とは、藤原定家が京都、小倉山の山荘で選んだとされる
「小倉百人一首」
を指すようです。
僕のお家にあるその百人一首さん。
今更......ですが、
収められている歌を改めて一通り眺めてみると、
この藤原定家の選者としてのセンスや
バランス感覚というのは敬服に値するもので。
そんな部分も、
定家さんの選歌集が時間のヤスリに削られることもなく、
他の選集より一際輝きを放つものとなっている要因なのではないか......
とも感じます。
そして、冒頭の句は、
記した通り蝉丸(せみまる=蟬丸)さんという方が
詠んだ歌として定家さんに選ばれています。
この歌、他の数多ある優秀な歌の中でも特別の存在感を放っています。
明らかにこの歌だけ異質なのです。
何故か?
この歌。
音楽を志している、やっている、好きでいる......
という方であれば直ぐにわかると思うのですが、
この歌だけ全体を貫いているセンスが明らかに「音楽」なのです。
他の歌は全て、もっと文芸的で文学的なセンスで貫かれています。
勿論、どちらにしても歌に最も大切な「情感」は満ち溢れていて、
その情感は百首全てに然りげ無く、しかし、
しっかりとした統一感を持って貫かれてもいます。
そこは定家さんの選者としての
プロデューサー的センスでもあるわけですが、
そんな選集の中で特別に目立つこの蝉丸さんの歌というのは、
やはりカナリの凄さだと思います。
トテモ音楽っす。
この歌。
スゲーっす。
冒頭「こ」で作られる音韻のリズム。
そのリズムは次の「行くも」の「も」に受け継がれ、
その次の句の「知るも知らぬも」の「も」にまで繋げられていきます。
その間、言葉の影には子音のリズムも組み込まれていて、
「行く」の「ぅ」の繰り返しの登場は、
まるで現代のラップのように歌全体のリズム感の底支えをしています。
そして、仕舞い(しまい)には、
読む者をそこまでノセていたリズムをバシッ!
と裏切るように、切るように、
そんなキメの美学的な「止め方」で終わります。
ソレはとても爽やかな裏切り。
心地よい余韻が残る裏切り。
歌の終わりには他の歌とは一風違ったリズムに乗ったアウトロまでが
逢坂の情景と共に聞こえてくるのです。
スゲーっす。
大好きな漫画「陰陽師」によると!?
蝉丸さんは琵琶の名手だったそうで。
眼が見えなかった方とも伝わっています。
盲目の琵琶奏者「琵琶法師」のモデル
とも言われているような方だとも。
なるほど。
この歌が蝉丸さんのものであるとするならば、
ソレは間違いないと思います。
とても音楽なわけです。
そんな歌にあまりに感服したので、少し前に、
そんな蝉丸さんに会いに行ってみたのです。
彼が住んでいたと今に伝わる
京都府と滋賀県の境にある「逢坂の関」なる所へ。
ま、実は、年明けに記した出雲への初詣に行く前に
「渡したいものがある......」
と。
「ソレは出雲で役に立つはずだ......」
と。
そんなことを蝉丸さんがアチラの世界から言ってくるもので。
念の為、特別な能力を持つプリリンなねーさんに、
蝉丸さんに関してのことを他の神様からも降ろしてもらい、
確認をしてみても......
「寝ているのだ。安倍晴明が封じたよ。
晴明は、陰陽道を作ったので、邪魔になったのだな。
魔界の助けがあったのだよ。
出してほしいのだよ。
蝉丸だよ。蝉丸という法師がいただろう。
百人一首の歌に書かれているよ......」
なーーーんてことを言い降ろしてくれるものでして。
なので、取り敢えずは!
騙された!?
と思って!?
多くの神々に導かれるまま、
二人して琵琶湖のほとりまで足を伸ばしてみたのです。
賑やかな京の都から薄暗い山道に入り、
盗賊や獣達がちょっと怖い様な薄暗い峠道を超えて、
その峠のピークから少し下ったところ。
道の向こうには大きな内海.....大津の琵琶湖が見えてきます。
湖の左方には比叡山から比良山地が聳え、連なります。
そんなトコロが逢坂の関(おうさかのせき)。
古来より関西と中部、関東を結ぶ要所。
日夜、都からの往来が絶えなかった関所。
蝉丸さんが住んでいた家は、
現在は「関蝉丸神社」の「下社」となって坂の下の方にありました。
鳥居のど真ん中でカラスさんのお出迎え(^^)
お酒と......
琵琶を持って行きましたの!(^_^)
弾きたいだろーかと思いまちて。
ええ。ええ。
ミニチュアですけど。
ケースもついていて良い感じっす。
芸能関係の寄進もチラホラと......
続いて訪れたのは下社から少し峠を登った峠の中腹。
本宮とも言われる「上社」。
突然の雪。
とても激しく降ってきました......
最後の仕上げ!は峠の頂上にある蝉丸神社さん。
本殿前でお酒と、この日最後の祝詞と、
ひふみ祝詞を捧げると......
突然雪がやみ、
背中から太陽が燦々と降り注いで来てくれました。
たぶん......蝉丸さんは世界に戻れた!?なんて?
思ったりもして(^^)
蝉丸さんの不思議なところは
様々に語り継がれているその素性でしょうか。
稀代の偉大なる琵琶法師だったとも。
仏僧だったとも。
本来、醍醐天皇(だいごてんのう)の子供で、
世継ぎのはずだったとも。
真偽の分からない色々な逸話が伝えられています。
そんな逸話は能の定番的演目の「蝉丸」としても有名です。
僕とプリリンねーさんが逢坂の関で蝉丸さんから預かったお話としては、
語られている通り琵琶の名手だったと。
琵琶の師範ではあったが、世捨て人でもあった、と。
源博正(みなもとのひろまさ)は、
京の町からワザワザ逢坂まで琵琶を習いに来ていたと。
その頃、安倍晴明はまだ子供だった、と。
自分を題材にした能の演目に出てくる
「逆髪の姉」は本当にいたのだ、と。
元々は大阪の帝塚山に住んでいた、と。
そこから逢坂に移ったのだ、と。
そして、本当のことは、
後世に封印された、と。
何故か?
自分は「最後の蝉使い」だったから
朝廷や陰陽師から疎まれたのだ......と。
「蝉使い」とは、
蝉の抜け殻でもって吉凶を占える占い師のことで、
亀の骨や鹿の骨での占術は今もわずかに伝わり残ってはいるが、
イルカの骨と蝉の抜け殻での占術は
今では誰も知らないことになってしまった......と。
蝉の殻は、
すり潰して粉にすると様々な病気に効く良薬にもなったと。
蝉丸さんはその調合の知識も持っていたとも。
「蝉使い」とは医師でもあったのだ、とも。
琵琶の名プレーヤーにして良薬の調合師。
さらには政治や個人の行く末の占いも出来る。
そんな超人的な人間であった故に疎まれたのだ、と。
だから自分は隠匿の生活を選んだのだ......と。
目は見えなかった......と伝わっているようだが、
本当は見えていた、と。
見えないふりをするほうが何かと都合が良かったのだ。
歴史から消されたからな......と。
===========================
劣悪な時代だったよ。
民達も大変だったよ。
貴族は常に搾取していたからな。
沢山の民達は、犠牲になっていたよ。
だから、セミで薬を作っていたのだよ。
「蝉丸」という薬だよ。
民達は、琵琶を聞きに来て、薬を持って行ったよ。
繋いでいたのは、琵琶の音だな。
失格だったからだよ。
私はフジワラとは、関係なかったからな。姉もそうだよ。
父は、どうすることも出来なかったからな。
罪なことだな。
政治は罪なことだ。
===========================
ねーさんが正確に降ろしくれた蝉丸さんの言葉。
ねーさんはその後、
1万枚以上の蝉の羽を継ぎ合わせた美しいベールを貰い、
晴れて「蝉使い」の称号も貰ったそうです。
そのうちの一枚は、
我が家の「つかへい」さんが持っていったようで......
僕は、後に「衝立」なるものを頂いたのですが......なんでも、
人様の妬み的感情を跳ね除ける力があるとのことで......( ̄ー ̄)ううーーむ......
平安一の和歌プロデューサーであった藤原定家さんは、
自身の美学として、
こんなスーパーな蝉丸さんの歌は
何があっても外せなかったのだろーなー......と。
僕はそう思うのです。
「イマジン」抜きの「ジョン・レノン ベスト ヒット コンピレーション!」
はありえないだろ.....みたいな。
そんな感覚でしょうか。
先週末。
ワケあって岩手県の方にプラリと行っていたのですが、
残雪の残る美しい栗駒山を見ていたら、
この逢坂に佇んでいる時に降っていた雪を思い出したのです。
神々にもらった衝立の感触を確かめていたのです。
ハネのけてる!?いま?みたいな。( ̄  ̄)
雪とは不思議なものです。
どこか記憶と直結する香りに近いモノも持っているような感じもします。
降り積もる雪は様々な記憶の様にも思えて。
溶けて行く春の雪は、ほどけていく記憶や心の様にも見えて。
溶けて流れ出す水は、生まれ変わった瑞々しい心の様にも思えて。
これやこの
行くも帰るも別れては
知るも知らぬも
雪解けの春
————————amenouzmet