兎にも角にも......とにもかくにも。
今回の記事に関しては2015年4月23日に記した
「三鷹徒然」という記事を見て頂けるとありがたく。
そこで記していたのは、三鷹の地にある、
忘れられた、もう朽ち果てていくだけ......
という小さな祠(ほこら)のような
「神社ともいえない神社」さんのお話しで。
それが今回、その時の話の続きが突然!
つい先日!
沸き出て来た......という回となります。
なのでその辺り、もし未読の方がいらっしゃいましたら
以下にテキストリンクも置いておきますので、
予めのご了承を。何卒......
「三鷹徒然」
コトの発端は先週の金曜日の夜遅くでした。
時刻は23時ぐらい。
このブログではお馴染みの「フシギーズ・裏リーダー」の
mikoちゃんから所用でラインを頂き。
仕事帰りに彼女の自宅近くのカフェで待ち合わせをして、
「夜お茶トーク」をしている時に出て来た話でした。
「大変なんですよ。uzmetさん。。見ました!?」
「ん!?なに?を?」
「グーグルマップです」
「マップ?......が?どしたの?」
「はたじんじゃ......三鷹の旗神社が載ってるんですよ。
グーグルマップに。。」
「は!?ハタ神社が?Σ(●゚д゚●) 嘘!?
それはありえねーよ。マジで、、って、ホント!?」
「ホントですよ。
やっぱり知らなかたんですね。
私もつい最近行こうと思った時にわかったコトですしね......」
「い、いや、、ソレ、マジありえねーって。ホント......(;゚ ロ゚ )」
「そーですよね。。そう思いますよね。。
でも、ホラ、、これ、、」
そー言ってmikoちゃんは自分のスマホでグーグルマップを表示させ、
三鷹の公園の隅っこにある、
その「神社表示」を見せてくれました。
「いや、これ、、、
俺、ケッコー衝撃なんだけど。今。かなり......絶句。。」
「ですよねー......私もそーなんですよ。
いつから載ってたのかなぁ......」
「つーかさ、これ、
ハタ神社のハタがちゃんと旗という字になってるじゃん。。
それが、また......」
「信じられないですよね......」
「ウン......
なんでアノ朽ち果てそうな祠みたいなヤシロを神社なんて表示するんだ?
マジで」
「そうなんです」
「だいたいさ、もっと大きくて、古くて、
管理者がいないから荒れてて、で、
地図に載ってないような神社なんて他に沢山あるじゃん。
百歩譲って、だよ。誰かがマップに入れたとしても......だ、
旗神社なんて名前わかるわけない。
何百年とほっとかれてたんだから。
名前の形跡すらなくなってるのに......」
「うん。。」
「さらに!だ。その名前を何かで!?知ったとしても!だ。
ハタのハタは普通の人なら八幡の幡とか、秦氏のハタとか、
そーいう字をあてて来るでしょ。普通。
フラッグの旗!なんて絶対思い浮かばないハズだよ。
そもそも旗神社なんてネットで調べようとも一つも出てこないんだから。
出たとしても俺らのブログ記事ぐらいだろ。
プリリンねーさんとかの。
現在の日本に旗神社なんて最早一つも残ってないんだから。
おかしい。
全然おかしいよ。これ。
驚くな。本当に。。
誰!?なんだろーか......」
「ナゾ......ですね。謎。。」
「謎......だなぁ......(ー`´ー)うーん......」
そもそも。
この三鷹の小さな社(やしろ)は「三鷹徒然」で書いた通り、
書物やネットはおろか、
どんな地図やグーグルマップにも載っていないモノだったわけです。
その中で、僕らはトアル貴い女神様から
「私は正確には忘れられた場所にいます。
三鷹のハタ神社です。
誰もわかっていません」
と、そういう言葉を預かり、
「探し出して訪ねて来てほしい......」
と。そんなことでチカラのある幾人かの人達と一緒に
三鷹の森へ探しに行った......という経緯があったわけで。
なので、そのヤシロが神様の言う通りに、
誰にも気にされないでヒッソリと朽ち果てそうにしてソコに在った......
という姿を見つけた時には、僕らは皆、心底感動もして、
「神様の言うことを信じてよかった....」
なんてクレイジーな!?ことも思いましたし。
それでまた、そこに辿り着いてみると、
その地を何千年と守り通して来た女神様もなんだかとても喜んでくれて。
ハタ神社と言われていた
「ハタ」の部分の本来の文字や意味も改めて教えてくれて。
それでハタ神社とは「旗神社」だったのか......と。
「旗」という文字一つ取っても、
実はそういう経緯でわかったことでもあるのです。
その後は、その祠の様な神社は僕らが掃除をして、花を飾り、
ヤシロの中や上も下もソレナリに整え。
神様が降りれる様な三つ巴(みつどもえ)の銅製の紋章も、
東北の立派な宮大工さんであるmikoちゃんのパパさんが
わざわざオリジナルで作ってもくれて。
遥々東京まで持って来てくれて。それを皆で奉納もして。
さらに、この「雲完」やプリリンねーさんを筆頭とするフシギーズの皆さんのブログや、
会合等に集まる沢山の方々のサポートなども受けながら、
日に日に立派な佇まいにもなっていって。
そうなるとさらに、
今度はご近所さんを中心とした地元の方々からのお供えやお掃除、
手厚いお世話まで受けれる様にもなっていって。
初めて訪れて以降、
掃除やらなんやらで定期的に行っていた僕らとしたら、
それはもう、
「最近は完全に地元の皆様の社(やしろ)になっていってるのかなぁ......」
と。そんなふうに嬉しく、
ありがたい気持ちになっていたところでもあったのです。
これはこのブログでは初めて書くことになりますが、一度は、
mikoちゃんのパパさんがわざわざ職人仕事で仕上げてくれた
ピカピカの「三つ巴」銅板が、夜中、
何者かに盗まれてしまったということもありました。
ピカピカの純銅製の板でしたから、おそらくは、
空き缶などを中心に廃品回収業をしている方々にはとても高く売れるハズで。
そんな業者さんに売る目的で取り外して持ち去られたのだろうな......
なんて事件でした。
他にも、
良かれと巻いた「しめ縄」を公園の管理者に取られてしまったり、と。
そんなこともありました。
でもそんな中で、上に記した様にドンドンと、
地元の方々に溶け込んでいく様子もよく伝わって来てもいたので、
最近はとても安心していたのです。
様々な神々の皆様から僕らに降りる言葉にしても、近頃は—————————
「おめでとう。旗神社をありがとう。
かつての神社が復活したよ。
遂に成し遂げたのだよ。ミラクルだったな。
富士王朝の宝を譲り受けられる人が現れると言われて、
1000年が経ったが」
「復活した旗神社は、世界に繋がっているよ。
三鷹に拠点があった時と同じだな。」
「旗神社は、
我が国の初めの神社だったから、残ってないのは残念だが。
全国の山の上にあったのだよ。」
「神紋は、三つ巴の右回りだよ。ナルトの形だ。」
「私の神社に来てくれて、華は枯れてしまいましたが、
キレイにしてくれてありがとうございました。
ハタ神社と言ったのですが、忘れられてしまいました。
ハタはたなびく “旗” です。
旗神社は、全国で探せばあるかもしれないですが、
富士王朝の神社なので、隠されてしまいました。
旗にはライオンの絵が描かれていました。スサノオ様の絵ですからね。」
———————————なんていう、
とても喜ばしい感じになって来てもいたのでした。
そんな中でのグーグルマップへの記載事件!?
深夜のカフェでmikoちゃんと話していても、
とにかく驚きで衝撃的だったのは勿論のこと、
「本当に復活した!っていうことなのかな......コレって。
神様がいっていた通り......」
「ね。そうかもしれませんね」
......そんな嬉しい様な部分もありつつ、
「あまり目立つと、
市や公園管理者さんとかから壊されたりしないかな!?
荒らされたりとか......いらぬ心配かもしれないけど......」
なんていう色々と複雑な?思いも湧いて来たりするのも確かであって。
しかし、とにかく心底驚いたのは事実であり。
その時から、今日、このブログを記している時に至るまで、
僕はグーグルマップのバックヤード構造や
アップデートに関しての情報を漁ったりもしていました。
そんな中でわかったことは、どーもグーグルマップは
「ゼンリン」という日本屈指の地図データの会社さんから
定期的にデータをもらいアップデートしているということと、
世界の地域によっては、
つい最近までソーシャルで修正ができるウェアを
一部公開していたこともわかりました。
ただ、そのウェアは日本に関してはローンチしておらず。
ローンチしていた国々においても今年の3月に終了したとのことでした。
......となると、
なんとなく、
ゼンリンという会社のスタッフさんとか?
プログラマーさんとか?の中に?
このブログやプリリンねーさん達のブログを
良く読んでくれている方がいて!?
それでグーグルマップへ追加してくれたのか!?
......なんて。
そんなことも妄想してしまいましたが......
もっと単純に入れ込めるのかもしれませんし......
とにもかくにも、です。
旗神社の再興を願って動いた全てのメンバーにとっては、
この事はとてつもなく!驚いた!という週末ではありました。
改めてグーグルマップに現れた表示をクリックして、
載っている情報をよく見てみると。
そこには皆さんから愛されているような
花が飾られた社の写真も載っていますし、
神様が降りられる美しい桜の木も写っています。
さらには!
「情報募集!」
なんてコメントもありますし。
ちょっと......
感激する様なトコロもあります。(^^)
で、さてさて。
いよいよグーグルマップにまで載ってしまった、
縄文時代に日本列島に存在していたであろう隠された古代国家のお話を、
この後、どこまでのコトを書くべきか。
書けるのか?
書く許諾がまた降りてくるのか......!?
ちょっとドキドキしている今週末なのでございます。(^^)
そんなところに、
これまた以前「南知多徒然」という記事で記していた、
神々しい女性宮司さんが全身全霊で護っている
「荒熊神社」さんの新しい鳥居がやっと完成しました......
というメールも。
その新しい鳥居に
「夏中に道を通してやって欲しい」
......と、そんなお話が荒熊の神様や宮司さんからも
舞い込んで来ている状況でもありまして......
......ちょっとドキドキの週末なのです。
少々......
「おとぎ話」な週末だったりもするのです。
もしよければ、
google mapに旗神社を記載してくれた方がいらっしゃいましたら......
ぜひとももも!
ご一報いただきたく。
プリーズ!(^^)
——————————アメノウズメです。
私は今は幸せです。
わかってくれた人がいたということですね——————————
今回の記事に関しては2015年4月23日に記した
「三鷹徒然」という記事を見て頂けるとありがたく。
そこで記していたのは、三鷹の地にある、
忘れられた、もう朽ち果てていくだけ......
という小さな祠(ほこら)のような
「神社ともいえない神社」さんのお話しで。
それが今回、その時の話の続きが突然!
つい先日!
沸き出て来た......という回となります。
なのでその辺り、もし未読の方がいらっしゃいましたら
以下にテキストリンクも置いておきますので、
予めのご了承を。何卒......
「三鷹徒然」
コトの発端は先週の金曜日の夜遅くでした。
時刻は23時ぐらい。
このブログではお馴染みの「フシギーズ・裏リーダー」の
mikoちゃんから所用でラインを頂き。
仕事帰りに彼女の自宅近くのカフェで待ち合わせをして、
「夜お茶トーク」をしている時に出て来た話でした。
「大変なんですよ。uzmetさん。。見ました!?」
「ん!?なに?を?」
「グーグルマップです」
「マップ?......が?どしたの?」
「はたじんじゃ......三鷹の旗神社が載ってるんですよ。
グーグルマップに。。」
「は!?ハタ神社が?Σ(●゚д゚●) 嘘!?
それはありえねーよ。マジで、、って、ホント!?」
「ホントですよ。
やっぱり知らなかたんですね。
私もつい最近行こうと思った時にわかったコトですしね......」
「い、いや、、ソレ、マジありえねーって。ホント......(;゚ ロ゚ )」
「そーですよね。。そう思いますよね。。
でも、ホラ、、これ、、」
そー言ってmikoちゃんは自分のスマホでグーグルマップを表示させ、
三鷹の公園の隅っこにある、
その「神社表示」を見せてくれました。
「いや、これ、、、
俺、ケッコー衝撃なんだけど。今。かなり......絶句。。」
「ですよねー......私もそーなんですよ。
いつから載ってたのかなぁ......」
「つーかさ、これ、
ハタ神社のハタがちゃんと旗という字になってるじゃん。。
それが、また......」
「信じられないですよね......」
「ウン......
なんでアノ朽ち果てそうな祠みたいなヤシロを神社なんて表示するんだ?
マジで」
「そうなんです」
「だいたいさ、もっと大きくて、古くて、
管理者がいないから荒れてて、で、
地図に載ってないような神社なんて他に沢山あるじゃん。
百歩譲って、だよ。誰かがマップに入れたとしても......だ、
旗神社なんて名前わかるわけない。
何百年とほっとかれてたんだから。
名前の形跡すらなくなってるのに......」
「うん。。」
「さらに!だ。その名前を何かで!?知ったとしても!だ。
ハタのハタは普通の人なら八幡の幡とか、秦氏のハタとか、
そーいう字をあてて来るでしょ。普通。
フラッグの旗!なんて絶対思い浮かばないハズだよ。
そもそも旗神社なんてネットで調べようとも一つも出てこないんだから。
出たとしても俺らのブログ記事ぐらいだろ。
プリリンねーさんとかの。
現在の日本に旗神社なんて最早一つも残ってないんだから。
おかしい。
全然おかしいよ。これ。
驚くな。本当に。。
誰!?なんだろーか......」
「ナゾ......ですね。謎。。」
「謎......だなぁ......(ー`´ー)うーん......」
そもそも。
この三鷹の小さな社(やしろ)は「三鷹徒然」で書いた通り、
書物やネットはおろか、
どんな地図やグーグルマップにも載っていないモノだったわけです。
その中で、僕らはトアル貴い女神様から
「私は正確には忘れられた場所にいます。
三鷹のハタ神社です。
誰もわかっていません」
と、そういう言葉を預かり、
「探し出して訪ねて来てほしい......」
と。そんなことでチカラのある幾人かの人達と一緒に
三鷹の森へ探しに行った......という経緯があったわけで。
なので、そのヤシロが神様の言う通りに、
誰にも気にされないでヒッソリと朽ち果てそうにしてソコに在った......
という姿を見つけた時には、僕らは皆、心底感動もして、
「神様の言うことを信じてよかった....」
なんてクレイジーな!?ことも思いましたし。
それでまた、そこに辿り着いてみると、
その地を何千年と守り通して来た女神様もなんだかとても喜んでくれて。
ハタ神社と言われていた
「ハタ」の部分の本来の文字や意味も改めて教えてくれて。
それでハタ神社とは「旗神社」だったのか......と。
「旗」という文字一つ取っても、
実はそういう経緯でわかったことでもあるのです。
その後は、その祠の様な神社は僕らが掃除をして、花を飾り、
ヤシロの中や上も下もソレナリに整え。
神様が降りれる様な三つ巴(みつどもえ)の銅製の紋章も、
東北の立派な宮大工さんであるmikoちゃんのパパさんが
わざわざオリジナルで作ってもくれて。
遥々東京まで持って来てくれて。それを皆で奉納もして。
さらに、この「雲完」やプリリンねーさんを筆頭とするフシギーズの皆さんのブログや、
会合等に集まる沢山の方々のサポートなども受けながら、
日に日に立派な佇まいにもなっていって。
そうなるとさらに、
今度はご近所さんを中心とした地元の方々からのお供えやお掃除、
手厚いお世話まで受けれる様にもなっていって。
初めて訪れて以降、
掃除やらなんやらで定期的に行っていた僕らとしたら、
それはもう、
「最近は完全に地元の皆様の社(やしろ)になっていってるのかなぁ......」
と。そんなふうに嬉しく、
ありがたい気持ちになっていたところでもあったのです。
これはこのブログでは初めて書くことになりますが、一度は、
mikoちゃんのパパさんがわざわざ職人仕事で仕上げてくれた
ピカピカの「三つ巴」銅板が、夜中、
何者かに盗まれてしまったということもありました。
ピカピカの純銅製の板でしたから、おそらくは、
空き缶などを中心に廃品回収業をしている方々にはとても高く売れるハズで。
そんな業者さんに売る目的で取り外して持ち去られたのだろうな......
なんて事件でした。
他にも、
良かれと巻いた「しめ縄」を公園の管理者に取られてしまったり、と。
そんなこともありました。
でもそんな中で、上に記した様にドンドンと、
地元の方々に溶け込んでいく様子もよく伝わって来てもいたので、
最近はとても安心していたのです。
様々な神々の皆様から僕らに降りる言葉にしても、近頃は—————————
「おめでとう。旗神社をありがとう。
かつての神社が復活したよ。
遂に成し遂げたのだよ。ミラクルだったな。
富士王朝の宝を譲り受けられる人が現れると言われて、
1000年が経ったが」
「復活した旗神社は、世界に繋がっているよ。
三鷹に拠点があった時と同じだな。」
「旗神社は、
我が国の初めの神社だったから、残ってないのは残念だが。
全国の山の上にあったのだよ。」
「神紋は、三つ巴の右回りだよ。ナルトの形だ。」
「私の神社に来てくれて、華は枯れてしまいましたが、
キレイにしてくれてありがとうございました。
ハタ神社と言ったのですが、忘れられてしまいました。
ハタはたなびく “旗” です。
旗神社は、全国で探せばあるかもしれないですが、
富士王朝の神社なので、隠されてしまいました。
旗にはライオンの絵が描かれていました。スサノオ様の絵ですからね。」
———————————なんていう、
とても喜ばしい感じになって来てもいたのでした。
そんな中でのグーグルマップへの記載事件!?
深夜のカフェでmikoちゃんと話していても、
とにかく驚きで衝撃的だったのは勿論のこと、
「本当に復活した!っていうことなのかな......コレって。
神様がいっていた通り......」
「ね。そうかもしれませんね」
......そんな嬉しい様な部分もありつつ、
「あまり目立つと、
市や公園管理者さんとかから壊されたりしないかな!?
荒らされたりとか......いらぬ心配かもしれないけど......」
なんていう色々と複雑な?思いも湧いて来たりするのも確かであって。
しかし、とにかく心底驚いたのは事実であり。
その時から、今日、このブログを記している時に至るまで、
僕はグーグルマップのバックヤード構造や
アップデートに関しての情報を漁ったりもしていました。
そんな中でわかったことは、どーもグーグルマップは
「ゼンリン」という日本屈指の地図データの会社さんから
定期的にデータをもらいアップデートしているということと、
世界の地域によっては、
つい最近までソーシャルで修正ができるウェアを
一部公開していたこともわかりました。
ただ、そのウェアは日本に関してはローンチしておらず。
ローンチしていた国々においても今年の3月に終了したとのことでした。
......となると、
なんとなく、
ゼンリンという会社のスタッフさんとか?
プログラマーさんとか?の中に?
このブログやプリリンねーさん達のブログを
良く読んでくれている方がいて!?
それでグーグルマップへ追加してくれたのか!?
......なんて。
そんなことも妄想してしまいましたが......
もっと単純に入れ込めるのかもしれませんし......
とにもかくにも、です。
旗神社の再興を願って動いた全てのメンバーにとっては、
この事はとてつもなく!驚いた!という週末ではありました。
改めてグーグルマップに現れた表示をクリックして、
載っている情報をよく見てみると。
そこには皆さんから愛されているような
花が飾られた社の写真も載っていますし、
神様が降りられる美しい桜の木も写っています。
さらには!
「情報募集!」
なんてコメントもありますし。
ちょっと......
感激する様なトコロもあります。(^^)
で、さてさて。
いよいよグーグルマップにまで載ってしまった、
縄文時代に日本列島に存在していたであろう隠された古代国家のお話を、
この後、どこまでのコトを書くべきか。
書けるのか?
書く許諾がまた降りてくるのか......!?
ちょっとドキドキしている今週末なのでございます。(^^)
そんなところに、
これまた以前「南知多徒然」という記事で記していた、
神々しい女性宮司さんが全身全霊で護っている
「荒熊神社」さんの新しい鳥居がやっと完成しました......
というメールも。
その新しい鳥居に
「夏中に道を通してやって欲しい」
......と、そんなお話が荒熊の神様や宮司さんからも
舞い込んで来ている状況でもありまして......
......ちょっとドキドキの週末なのです。
少々......
「おとぎ話」な週末だったりもするのです。
もしよければ、
google mapに旗神社を記載してくれた方がいらっしゃいましたら......
ぜひとももも!
ご一報いただきたく。
プリーズ!(^^)
——————————アメノウズメです。
私は今は幸せです。
わかってくれた人がいたということですね——————————