そして、その面白いことというのは、
どうも、この国の神話に書かれている
「天の逆手(あまのさかて)」
のお話しであると。
そういうのです。
続きまする(^^)

「そういえば、昼間、
スキー場で虹色の彩雲が出ていたし、
日輪もあったよなぁ......
お酒も届いたのかなぁ......」




......と、昼間の出来事を色々と思い出しつつ、
僕はお風呂に浸かりながら感覚を研ぎ澄ませていきました。


ねーさんのおかげで、
後で大山祇神(オオヤマズミノカミ)様だとわかったのですが、
この時は天空を横断するほどの大きな青い剣にも見えていた
巨大な神様がおられて。
その神様が言われる「天の逆手(あまのさかて)」とは、
記紀神話に書かれている
「言代主神(ことしろぬしのかみ、事代主神)」が行なった
「呪(しゅ、まじない)」のこと。
神話によると——————————————
天津(あまつ)神々は国津神々の国(葦原中国、あしはらなかつくに)
を譲ってもらおうと、3度目の交渉の使者として、
切り札の「建御雷神(たけみかづちのかみ)を派遣しました。
タケミカヅチは出雲の伊那佐之小浜(いなさのおばま、稲佐の浜)に降り、
長い剣を波打ち際に逆さに立てて、
その刃先にあぐらをかいて大国主神(オオクニヌシ)と談判をされました。
オオクニヌシは
「自分の一存では何とも答えられない。
御大之御前(みほのみさき、美保崎、美保関)で釣りをしている
息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)に聞いてみるとよい」
と言われ、
その判断を御子神のコトシロヌシに委ねました。
その時、美保崎で釣りをしていたコトシロヌシのもとへ、
出雲より使者が乗った早船(はやふね、諸手船)が遣わされ、
天津神々はコトシロヌシに国譲りを迫ります。
コトシロヌシは父神に対し
「恐れ多いことです。
この国は天照大御神(アマテラス、天津神)の御子に
奉献なさってください」
と即座に答えると、
天逆手(あめのさかて、あめのさかで、あまのむかえで、拍手)
を拍ち、踏み傾けた船を青柴垣(あおふしがき)に変化させ、
その中に身をお隠しになりました。
コトシロヌシの弟である建御名方神(たけみなかたのかみ)は、
国譲りに反対しタケミカヅチと力比べをしましたが敗れてしまい。
(この力比べが相撲の起源とされています)
タケミカヅチはふたたびオオクニヌシに国譲りの意思を問います。
するとオオクニヌシは
「私には何の異存もありません。
ただひとつ、国を譲る代わりに、
私の住居として大きく立派な御殿を建てていただきたい。
自分の子供たちはコトシロヌシが率先して
天津神(あまつかみ)の子孫に仕えるのであれば、
それに従わない者はいない」
と返答されました。
そこで建御雷神は望み通り出雲国に立派な御殿を建てました。
それが現在の出雲大社となります————————
この「天の逆手」のお話は、この国における、
いわゆる柏手(かしわで、はくしゅ)の起源ともされていて。
「一本締め」などに見られる
「締めの拍手」などのルーツともいわれています。
そして「逆手」なる部分に関しては、
今に至る迄多くの研究がなされてきてもいるようなのですが。
無理やり国を譲ることになった事代主の恨みや
反逆の呪(しゅ)ではないか......と。
そんな方向の考え方が主流となってもいるようです。
しかし、
高い山々を見渡せる爽快な露天風呂の上に現れた大きな神様は
「違う」
と僕に言うのです。
お話はもう少し続かせてもらいます。(^^)

こちらが美保神社に伝わる青柴垣(あおふしがき)神事に登場する
「青柴垣(あおふしがき)」の船。
いわゆる「幕屋」みたいな感じにも思えます。
不思議ですが、
僕が知る神々は「あおしばがき」というふうに言われます。
美保神社では上記した神話に端を発する神祭が今も盛大に、
連綿と行われ続けているようです。
すごいっす☆(^^)
☆関連過去記事☆
「美保徒然」
「美保徒然 2」
「美保徒然 3」
「美保徒然 4」
「桜咲く出雲」
「限りなくグレイ」
「お・ま・じ・な・い・☆」
どうも、この国の神話に書かれている
「天の逆手(あまのさかて)」
のお話しであると。
そういうのです。
続きまする(^^)

「そういえば、昼間、
スキー場で虹色の彩雲が出ていたし、
日輪もあったよなぁ......
お酒も届いたのかなぁ......」




......と、昼間の出来事を色々と思い出しつつ、
僕はお風呂に浸かりながら感覚を研ぎ澄ませていきました。


ねーさんのおかげで、
後で大山祇神(オオヤマズミノカミ)様だとわかったのですが、
この時は天空を横断するほどの大きな青い剣にも見えていた
巨大な神様がおられて。
その神様が言われる「天の逆手(あまのさかて)」とは、
記紀神話に書かれている
「言代主神(ことしろぬしのかみ、事代主神)」が行なった
「呪(しゅ、まじない)」のこと。
神話によると——————————————
天津(あまつ)神々は国津神々の国(葦原中国、あしはらなかつくに)
を譲ってもらおうと、3度目の交渉の使者として、
切り札の「建御雷神(たけみかづちのかみ)を派遣しました。
タケミカヅチは出雲の伊那佐之小浜(いなさのおばま、稲佐の浜)に降り、
長い剣を波打ち際に逆さに立てて、
その刃先にあぐらをかいて大国主神(オオクニヌシ)と談判をされました。
オオクニヌシは
「自分の一存では何とも答えられない。
御大之御前(みほのみさき、美保崎、美保関)で釣りをしている
息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)に聞いてみるとよい」
と言われ、
その判断を御子神のコトシロヌシに委ねました。
その時、美保崎で釣りをしていたコトシロヌシのもとへ、
出雲より使者が乗った早船(はやふね、諸手船)が遣わされ、
天津神々はコトシロヌシに国譲りを迫ります。
コトシロヌシは父神に対し
「恐れ多いことです。
この国は天照大御神(アマテラス、天津神)の御子に
奉献なさってください」
と即座に答えると、
天逆手(あめのさかて、あめのさかで、あまのむかえで、拍手)
を拍ち、踏み傾けた船を青柴垣(あおふしがき)に変化させ、
その中に身をお隠しになりました。
コトシロヌシの弟である建御名方神(たけみなかたのかみ)は、
国譲りに反対しタケミカヅチと力比べをしましたが敗れてしまい。
(この力比べが相撲の起源とされています)
タケミカヅチはふたたびオオクニヌシに国譲りの意思を問います。
するとオオクニヌシは
「私には何の異存もありません。
ただひとつ、国を譲る代わりに、
私の住居として大きく立派な御殿を建てていただきたい。
自分の子供たちはコトシロヌシが率先して
天津神(あまつかみ)の子孫に仕えるのであれば、
それに従わない者はいない」
と返答されました。
そこで建御雷神は望み通り出雲国に立派な御殿を建てました。
それが現在の出雲大社となります————————
この「天の逆手」のお話は、この国における、
いわゆる柏手(かしわで、はくしゅ)の起源ともされていて。
「一本締め」などに見られる
「締めの拍手」などのルーツともいわれています。
そして「逆手」なる部分に関しては、
今に至る迄多くの研究がなされてきてもいるようなのですが。
無理やり国を譲ることになった事代主の恨みや
反逆の呪(しゅ)ではないか......と。
そんな方向の考え方が主流となってもいるようです。
しかし、
高い山々を見渡せる爽快な露天風呂の上に現れた大きな神様は
「違う」
と僕に言うのです。
お話はもう少し続かせてもらいます。(^^)

こちらが美保神社に伝わる青柴垣(あおふしがき)神事に登場する
「青柴垣(あおふしがき)」の船。
いわゆる「幕屋」みたいな感じにも思えます。
不思議ですが、
僕が知る神々は「あおしばがき」というふうに言われます。
美保神社では上記した神話に端を発する神祭が今も盛大に、
連綿と行われ続けているようです。
すごいっす☆(^^)
☆関連過去記事☆
「美保徒然」
「美保徒然 2」
「美保徒然 3」
「美保徒然 4」
「桜咲く出雲」
「限りなくグレイ」
「お・ま・じ・な・い・☆」