なんでしょうか。。
最近妙に長野県、諏訪大社の話や質問を受けます。
あの人からも、この人からも、
あーーーんな人からも。。
なんだろう。。
訪れるのにはトテモ心地良い季節だから?なのか。
それとも、
やはりこの記事に記した通り......
古代の神々が何かと動き出したりしているから!?
なのだろうか。
なんだろうか。。
諏訪大社といえば、
日本神話にもその名を刻む、
とても古くからある有名で大きな神社。
僕のような神社好きな人々にもよく知られていますし、
古来より武勇、格闘技の神様として
多くのスポーツ選手さん達から厚い信仰を受けて来ました。
特に国技である相撲関係の方々からの崇敬は強い神社さん。
きっと、その地に足を踏み入れれば、
どんな人でも、
何かと深く感じ入るものがあるであろう神社であって。
そんな地のコトを聞かれたりなんかすると、
僕の様なポンチキ人間は時々、
ソノ思いを長々と語ってしまう様なことも
ある神社だったりもするわけなのです。
勿論、一部マニアな方々に限っての.....
という話ではありますが。ええ。
ピチピチのギャルおねーさん達にわ
そんな話などトォーーテイできませんし。
ドン引きされますし。ええ。
今日の記事はもしかしたら!?
そんなドン引き話になるやもしれませんが、
以前記したこの
「お・ま・じ・な・い・☆」
や
「京都、一条、戻り橋。」
あたりの記事を読んでいただいた上で見てもらうと、
より味わいが深くなる!?話となるかもしれません。
ええ。ええ。
して、そんな諏訪大社さんは!というと......
実は諏訪湖の周りに散らばり立つ「4つの神社」の総称なのです。
上社と下社に別れ、それぞれに二宮づつあるのですね。
どちらもとても美しいのです(^^)
先ずは順番的に一番最初に訪れたい魅惑の!
上社(かみしゃ)の前宮(まえみや)。
社(やしろ)や土地の醸し出す力や雰囲気はここが一番!か!?
この水が相当ヤバヒ。
これが御手洗なのです。
綺麗。。
前宮から見下ろす諏訪の風景。
なんだかとても好きですの。ココ。。(* ̄▽ ̄)
次に参るのは一番メジャーと思われる
上社の本宮(ほんみや)。
そしてこちらが4社の中でも最も神社らしい!?
下社(しもしゃ)の秋宮。
こちらが一見一番地味で、小さくて......
でも僕さんがとても好きな宮である下社、春宮......
の参道ど真ん中!にある下馬橋。
春宮の好きなポイントはなんといっても社の裏庭!?なのです。
春宮、ましてはソノ裏まで回る人は殆どいませんが......
この一帯がとにかく素晴らしいのでーーーっす( ´ ▽ ` )ノ
水場の真ん中に佇む「浮島社」。
ほれぼれ~~(^ν^)saiko-ssu!
で、そのすぐ側にある
「万治の大仏=まんじのだいぶつ」!
かの芸術家「岡本太郎」さんがこよなく愛した仏像さんなのですな(^_^)
この大仏さんにソックリな人を一人知ってるのですよ。
わたくし。
大先輩の人で。ええ。
あえて名前は記しませんがね。ええ。
そして!
諏訪大社といえばナント言っても「御柱=おんばしら」。
こんな高くて白い、
大きな柱が全ての神社の敷地の4つ角に建てられています。
日本三大奇祭と言われる
「御柱祭=おんばしらさい」
で切り出された木が立てられるのですね。
御柱祭とは、言わずと知れた、
6年に1度(“数え年”では7年と言われています)の大きな御祭り。
しかし、この祭り。
実は僕の様な人間の目からすると立派な......いや、
途轍もなく大きな「呪=しゅ」と見えるのです。
「祭り」なんかじゃありません。ええ。きっと。
怖いのです。
とても。
そもそも敷地の4つ角に柱を立てるということなんて
「アナタわこの敷地から一歩たりとて出てはいけませんぞ!
分かりまちたか!?( ̄Д ̄)」
などと、中に住まう神様に言っている様なもので。
ソコへきて、時に人の命さえ失われることもある!
という激しすぎる祭りの中で切り出される柱が四方に立てられる......
なんていうワケですから......
その柱には人々の激しい気持ち、エネルギー、力、念......
時に「命!」迄もが入り込み、
仕掛けられているのだとしたら.......
それはマサに「人柱=ひとばしら」
こんなに強力な「柱」と「結界」はありません。
あの柱に囲まれた中に住まう神様は、
もう一歩たりとて外には出れないように思えます。
こわひ!(><)/
しかも、そんな祭りが数百年、数千年と行われ続け、
周りからも貴重なる無形民族文化財として認められてもいます。
地域に住まう多くの人々からも、
古来からの「風習」として延々と受け継がれ、
最早欠かすコトも、
無くすコトも出来ない大切な伝統とまでなっている今、
その「原初にあった意味」などは
ナカナカ伝わりきってはいないようにも思われます。
これから先も、そんな理由も何も関係なく、
ただ慣習として人々に延々と受け継がれていくのでしょうか......
しかし、それは当然で無理もないことで。
そもそも、コレ程迄の長きに渡り、
途方も無く多くの人々を動かし続けて来た祭りや仕掛け、
「呪」をかけてまで「結界封印」をしたかった神様というのは、
イッタイ!?
どれほど恐ろしい!?
神だったのか。
凄かったのか......
日本最古の書物「記紀神話」にも描かれる、
その「諏訪の神」の名前は......
「建御名方神=たけみなかたのかみ」
つづく!のだ!((((*゜θ゜)ノ
最近妙に長野県、諏訪大社の話や質問を受けます。
あの人からも、この人からも、
あーーーんな人からも。。
なんだろう。。
訪れるのにはトテモ心地良い季節だから?なのか。
それとも、
やはりこの記事に記した通り......
古代の神々が何かと動き出したりしているから!?
なのだろうか。
なんだろうか。。
諏訪大社といえば、
日本神話にもその名を刻む、
とても古くからある有名で大きな神社。
僕のような神社好きな人々にもよく知られていますし、
古来より武勇、格闘技の神様として
多くのスポーツ選手さん達から厚い信仰を受けて来ました。
特に国技である相撲関係の方々からの崇敬は強い神社さん。
きっと、その地に足を踏み入れれば、
どんな人でも、
何かと深く感じ入るものがあるであろう神社であって。
そんな地のコトを聞かれたりなんかすると、
僕の様なポンチキ人間は時々、
ソノ思いを長々と語ってしまう様なことも
ある神社だったりもするわけなのです。
勿論、一部マニアな方々に限っての.....
という話ではありますが。ええ。
ピチピチのギャルおねーさん達にわ
そんな話などトォーーテイできませんし。
ドン引きされますし。ええ。
今日の記事はもしかしたら!?
そんなドン引き話になるやもしれませんが、
以前記したこの
「お・ま・じ・な・い・☆」
や
「京都、一条、戻り橋。」
あたりの記事を読んでいただいた上で見てもらうと、
より味わいが深くなる!?話となるかもしれません。
ええ。ええ。
して、そんな諏訪大社さんは!というと......
実は諏訪湖の周りに散らばり立つ「4つの神社」の総称なのです。
上社と下社に別れ、それぞれに二宮づつあるのですね。
どちらもとても美しいのです(^^)
先ずは順番的に一番最初に訪れたい魅惑の!
上社(かみしゃ)の前宮(まえみや)。
社(やしろ)や土地の醸し出す力や雰囲気はここが一番!か!?
この水が相当ヤバヒ。
これが御手洗なのです。
綺麗。。
前宮から見下ろす諏訪の風景。
なんだかとても好きですの。ココ。。(* ̄▽ ̄)
次に参るのは一番メジャーと思われる
上社の本宮(ほんみや)。
そしてこちらが4社の中でも最も神社らしい!?
下社(しもしゃ)の秋宮。
こちらが一見一番地味で、小さくて......
でも僕さんがとても好きな宮である下社、春宮......
の参道ど真ん中!にある下馬橋。
春宮の好きなポイントはなんといっても社の裏庭!?なのです。
春宮、ましてはソノ裏まで回る人は殆どいませんが......
この一帯がとにかく素晴らしいのでーーーっす( ´ ▽ ` )ノ
水場の真ん中に佇む「浮島社」。
ほれぼれ~~(^ν^)saiko-ssu!
で、そのすぐ側にある
「万治の大仏=まんじのだいぶつ」!
かの芸術家「岡本太郎」さんがこよなく愛した仏像さんなのですな(^_^)
この大仏さんにソックリな人を一人知ってるのですよ。
わたくし。
大先輩の人で。ええ。
あえて名前は記しませんがね。ええ。
そして!
諏訪大社といえばナント言っても「御柱=おんばしら」。
こんな高くて白い、
大きな柱が全ての神社の敷地の4つ角に建てられています。
日本三大奇祭と言われる
「御柱祭=おんばしらさい」
で切り出された木が立てられるのですね。
御柱祭とは、言わずと知れた、
6年に1度(“数え年”では7年と言われています)の大きな御祭り。
しかし、この祭り。
実は僕の様な人間の目からすると立派な......いや、
途轍もなく大きな「呪=しゅ」と見えるのです。
「祭り」なんかじゃありません。ええ。きっと。
怖いのです。
とても。
そもそも敷地の4つ角に柱を立てるということなんて
「アナタわこの敷地から一歩たりとて出てはいけませんぞ!
分かりまちたか!?( ̄Д ̄)」
などと、中に住まう神様に言っている様なもので。
ソコへきて、時に人の命さえ失われることもある!
という激しすぎる祭りの中で切り出される柱が四方に立てられる......
なんていうワケですから......
その柱には人々の激しい気持ち、エネルギー、力、念......
時に「命!」迄もが入り込み、
仕掛けられているのだとしたら.......
それはマサに「人柱=ひとばしら」
こんなに強力な「柱」と「結界」はありません。
あの柱に囲まれた中に住まう神様は、
もう一歩たりとて外には出れないように思えます。
こわひ!(><)/
しかも、そんな祭りが数百年、数千年と行われ続け、
周りからも貴重なる無形民族文化財として認められてもいます。
地域に住まう多くの人々からも、
古来からの「風習」として延々と受け継がれ、
最早欠かすコトも、
無くすコトも出来ない大切な伝統とまでなっている今、
その「原初にあった意味」などは
ナカナカ伝わりきってはいないようにも思われます。
これから先も、そんな理由も何も関係なく、
ただ慣習として人々に延々と受け継がれていくのでしょうか......
しかし、それは当然で無理もないことで。
そもそも、コレ程迄の長きに渡り、
途方も無く多くの人々を動かし続けて来た祭りや仕掛け、
「呪」をかけてまで「結界封印」をしたかった神様というのは、
イッタイ!?
どれほど恐ろしい!?
神だったのか。
凄かったのか......
日本最古の書物「記紀神話」にも描かれる、
その「諏訪の神」の名前は......
「建御名方神=たけみなかたのかみ」
つづく!のだ!((((*゜θ゜)ノ