「お元気ですか。
あれ以来、uzmetさんが言った通り、
何が何だかわからないくらい仕事が忙しくなってきました。゜(゜´Д`゜)゜。
ヒミコ頑張ります ( ̄ー ̄)b」
と、少し前。
「東尋坊徒然」というシリーズ記事でこのブログ初登場!
となったヒミコさんからラインを頂きました。
顔文字の部分は頂いたラインの絵に近いニュアンスのものを
セレクトしてますので、
若干の違いは悪しからずなのですが、しかし、
そういう彼女の様子は本当に忙しそうで。
流石に海外機関のお手伝いという感じで、
ナニやら世界のあちこちを飛び回っている様でした。
そして、このラインをもらった時の僕さんはというと、
所用ありまして、
僕の個性から最も離れている存在であろう......東京都、
文京区にある「東京大学」にお邪魔していたりしたのです。
これまでも幾度か訪れたことはある場所ですが、
実はこの東大のある場所は、
僕のようなポンチキ野郎からすると、どーも、スゴイ!?
パワーを感じられる場所だったりもするのです。
分かりやす過ぎる言葉で言えば!?
まぁ、「パワースポット」なんていうことでしょうか。
しかもその力感は、
「関東でもかなり貴重なのでは?」
とも思えるくらいのモノです。
大学にならなかったら、きっと、
神社にでもなっていたであろう場所。感覚。チカラ。
学校であるゆえに、
所々人的な霊気も色濃く漂っていたりもするのですが、
そんな諸事を差っ引いてもなかなかに素晴しい所です。
特にこのポイントは......ナンバーワン!でしょうか。
本郷キャンパスの正門から続く有名な銀杏並木。
その突き当たりにある......
言わずと知れた安田講堂......ではなく、
その前にある広場の中央......
......にある、敷石の中のココ......
僕が立っている所......辺りでしょうか(^^)
左右にある大きな楠(くすのき)さん達も
「効き」まくっています。
めっちゃ意味あっちゃいます。
あとは、
この「東京大学総合図書館」前にある噴水広場の一帯とか......
学内にある「心字池」も。
この池は「心」という字の形に作られているのだそうです。
夏目漱石の小説「三四郎」の舞台となったことから
「三四郎池」とも呼ばれている様なのですが、
これらのスポットはそれぞれカナリのモノの様に感じられます。
ええ。ええ。
流石に日本一の大学が置かれた場所。
偶然だけでは語れない必然的なナニカがあるのかも?しれません。
勿論、そんな力の源泉となっているものの一つには、
やはりその地形があるとも思えます。
東大があるこの場所は、
温暖だったかつての日本においても、
一度も海の下にならなかった小高い丘陵地であったようで。
そんな土地の持つ力というのは、
以前記した大阪の「坐摩神社(いかすりじんじゃ)」の話しや、
平将門さんの「首塚」の話しを見てくれている方であれば、
もう
「ピン!」
と来ているとは思いますが、
理由としてはそれらの記事に記したことと
ほぼ同じ様な事が考えられます。
ちなみにこちらが昔の本郷台地一帯の地図。
ネットより拝借。
やはり古代より、あまりヨゴレが集まらない貴重な高台となっていたようで。
ちなみに、皆が知っている「弥生時代」の「弥生」とは、
この東大のある地の名前のことでして。
この地で発見された土器がキッカケとなり
付いた時代名称だったりするのです。
神話や教科書などの影響もあって、
稲作が広まった時代である弥生時代の土器は奈良とか九州とか、
西の方の地域で発見されたモノだと思っている方も多いかもしれませんが、
実はこの東大のある所が最初に発見された場所なのです。
今も東大の敷地内を掘ると沢山の土器が出てくるらしいのですが......
東大横の坂道を降りた所にはこんな石碑もあります。
さて、冒頭のヒミコさんのラインの話に戻ります。
記した様に、
冒頭にある彼女からのラインを貰った時は僕は東大にいた日で。
そして、このラインには数日経っての続きがあり。
それというのがこんな感じで......
「東京に来ました!時間あったらお茶でも。
なんだか、ここ1週間くらい、胸騒ぎがしてて、
なんなんでしょう(^_^)って感じです。
今夜とか忙しいですか?
今東大にいて8時とかに終わります」
「胸騒ぎは正しいよー
東大!
よいね!
東大行ったばかりなんだよ!
ほんとに驚く!」
と、箇所箇所をつまんで記すとこんなやりとりで。
そして、
「東大、初です!」
「凄いパワースポットなんだよ。
そんな風に知られていないけどね。
安田講堂前のサークルと、池とかが特別だよ」
「地震研究室で会議です!うろうろしてみます」
「君さ、、、
ほんと、、、
驚く、、、
この前そこに行ったんだよ。
俺、、、
証拠、、、」
と、僕はヒミコさんに下の写真を送りました。
「えええええ!今そこに向かって歩いてます。笑」
と、彼女から返って来た写真が上のもので......
よくよく考えれば、
東大の有名な「赤門」や上に記した「心字池」とは、
江戸時代、加賀藩主「前田氏」が作ったもの。
東大の土地も元は前田氏の所領だったもので。
要は、加賀前田氏の江戸での滞在地。
そして前田氏の加賀藩とは「東尋坊徒然」で記した通り、
ヒミコさんの故郷であり、今も住んでいる場所。
藩主の前田氏は彼女のご先祖様が使えていた御方。
ここで僕とヒミコさんの頭には「東尋坊徒然」で記した
色々な事が駆け巡り出しました......
不思議な流れ......
ナニカを小さく抑えるための?流れ......
そして、ラインでの会話をもう少し記せば、
僕が、近くギリシャに行くのだけど......と話すと......
「え、私もギリシャです!」
と。なんでも、
ギリシャのアル島で業務のトレーニングプログラムを受けるのだとか。
その彼女が行く前の週に、
僕はアル女神様のお話を受けて
ギリシャの島々を巡っている予定となっているのです......
彼女が東京、東大に来ていたこの日。
せっかくなので、
僕はスケジュールが空いていたグルメ王のK様とmikoちゃんも誘って、
4人で楽しくお酒で酔っぱらい祭りを開催することにしたのですが、
なんだか、
すっかりヒミコさんの「露払い役」をしてしまっている様な.....
それはスサノオさんと、
白山、菊理姫(ククリヒメ・キクリヒメ)さんから始まり、
東尋坊、東大、ギリシャへと。
そんな感じで。
不思議な流れ......
そんな流れはまた、今も何かと続いている感もあって。
また良きタイミングで記していければいいのかなぁ、とも。
なんとなく、そう思っています。
全て、徒然なるままではありますが(^^)
今夜はおやすみなさいなのです。どもども。
あれ以来、uzmetさんが言った通り、
何が何だかわからないくらい仕事が忙しくなってきました。゜(゜´Д`゜)゜。
ヒミコ頑張ります ( ̄ー ̄)b」
と、少し前。
「東尋坊徒然」というシリーズ記事でこのブログ初登場!
となったヒミコさんからラインを頂きました。
顔文字の部分は頂いたラインの絵に近いニュアンスのものを
セレクトしてますので、
若干の違いは悪しからずなのですが、しかし、
そういう彼女の様子は本当に忙しそうで。
流石に海外機関のお手伝いという感じで、
ナニやら世界のあちこちを飛び回っている様でした。
そして、このラインをもらった時の僕さんはというと、
所用ありまして、
僕の個性から最も離れている存在であろう......東京都、
文京区にある「東京大学」にお邪魔していたりしたのです。
これまでも幾度か訪れたことはある場所ですが、
実はこの東大のある場所は、
僕のようなポンチキ野郎からすると、どーも、スゴイ!?
パワーを感じられる場所だったりもするのです。
分かりやす過ぎる言葉で言えば!?
まぁ、「パワースポット」なんていうことでしょうか。
しかもその力感は、
「関東でもかなり貴重なのでは?」
とも思えるくらいのモノです。
大学にならなかったら、きっと、
神社にでもなっていたであろう場所。感覚。チカラ。
学校であるゆえに、
所々人的な霊気も色濃く漂っていたりもするのですが、
そんな諸事を差っ引いてもなかなかに素晴しい所です。
特にこのポイントは......ナンバーワン!でしょうか。
本郷キャンパスの正門から続く有名な銀杏並木。
その突き当たりにある......
言わずと知れた安田講堂......ではなく、
その前にある広場の中央......
......にある、敷石の中のココ......
僕が立っている所......辺りでしょうか(^^)
左右にある大きな楠(くすのき)さん達も
「効き」まくっています。
めっちゃ意味あっちゃいます。
あとは、
この「東京大学総合図書館」前にある噴水広場の一帯とか......
学内にある「心字池」も。
この池は「心」という字の形に作られているのだそうです。
夏目漱石の小説「三四郎」の舞台となったことから
「三四郎池」とも呼ばれている様なのですが、
これらのスポットはそれぞれカナリのモノの様に感じられます。
ええ。ええ。
流石に日本一の大学が置かれた場所。
偶然だけでは語れない必然的なナニカがあるのかも?しれません。
勿論、そんな力の源泉となっているものの一つには、
やはりその地形があるとも思えます。
東大があるこの場所は、
温暖だったかつての日本においても、
一度も海の下にならなかった小高い丘陵地であったようで。
そんな土地の持つ力というのは、
以前記した大阪の「坐摩神社(いかすりじんじゃ)」の話しや、
平将門さんの「首塚」の話しを見てくれている方であれば、
もう
「ピン!」
と来ているとは思いますが、
理由としてはそれらの記事に記したことと
ほぼ同じ様な事が考えられます。
ちなみにこちらが昔の本郷台地一帯の地図。
ネットより拝借。
やはり古代より、あまりヨゴレが集まらない貴重な高台となっていたようで。
ちなみに、皆が知っている「弥生時代」の「弥生」とは、
この東大のある地の名前のことでして。
この地で発見された土器がキッカケとなり
付いた時代名称だったりするのです。
神話や教科書などの影響もあって、
稲作が広まった時代である弥生時代の土器は奈良とか九州とか、
西の方の地域で発見されたモノだと思っている方も多いかもしれませんが、
実はこの東大のある所が最初に発見された場所なのです。
今も東大の敷地内を掘ると沢山の土器が出てくるらしいのですが......
東大横の坂道を降りた所にはこんな石碑もあります。
さて、冒頭のヒミコさんのラインの話に戻ります。
記した様に、
冒頭にある彼女からのラインを貰った時は僕は東大にいた日で。
そして、このラインには数日経っての続きがあり。
それというのがこんな感じで......
「東京に来ました!時間あったらお茶でも。
なんだか、ここ1週間くらい、胸騒ぎがしてて、
なんなんでしょう(^_^)って感じです。
今夜とか忙しいですか?
今東大にいて8時とかに終わります」
「胸騒ぎは正しいよー
東大!
よいね!
東大行ったばかりなんだよ!
ほんとに驚く!」
と、箇所箇所をつまんで記すとこんなやりとりで。
そして、
「東大、初です!」
「凄いパワースポットなんだよ。
そんな風に知られていないけどね。
安田講堂前のサークルと、池とかが特別だよ」
「地震研究室で会議です!うろうろしてみます」
「君さ、、、
ほんと、、、
驚く、、、
この前そこに行ったんだよ。
俺、、、
証拠、、、」
と、僕はヒミコさんに下の写真を送りました。
「えええええ!今そこに向かって歩いてます。笑」
と、彼女から返って来た写真が上のもので......
よくよく考えれば、
東大の有名な「赤門」や上に記した「心字池」とは、
江戸時代、加賀藩主「前田氏」が作ったもの。
東大の土地も元は前田氏の所領だったもので。
要は、加賀前田氏の江戸での滞在地。
そして前田氏の加賀藩とは「東尋坊徒然」で記した通り、
ヒミコさんの故郷であり、今も住んでいる場所。
藩主の前田氏は彼女のご先祖様が使えていた御方。
ここで僕とヒミコさんの頭には「東尋坊徒然」で記した
色々な事が駆け巡り出しました......
不思議な流れ......
ナニカを小さく抑えるための?流れ......
そして、ラインでの会話をもう少し記せば、
僕が、近くギリシャに行くのだけど......と話すと......
「え、私もギリシャです!」
と。なんでも、
ギリシャのアル島で業務のトレーニングプログラムを受けるのだとか。
その彼女が行く前の週に、
僕はアル女神様のお話を受けて
ギリシャの島々を巡っている予定となっているのです......
彼女が東京、東大に来ていたこの日。
せっかくなので、
僕はスケジュールが空いていたグルメ王のK様とmikoちゃんも誘って、
4人で楽しくお酒で酔っぱらい祭りを開催することにしたのですが、
なんだか、
すっかりヒミコさんの「露払い役」をしてしまっている様な.....
それはスサノオさんと、
白山、菊理姫(ククリヒメ・キクリヒメ)さんから始まり、
東尋坊、東大、ギリシャへと。
そんな感じで。
不思議な流れ......
そんな流れはまた、今も何かと続いている感もあって。
また良きタイミングで記していければいいのかなぁ、とも。
なんとなく、そう思っています。
全て、徒然なるままではありますが(^^)
今夜はおやすみなさいなのです。どもども。
お酒を飲み終わった後のコーヒーをしながら書いてまする( ̄¬ ̄*)
なんか東京大学とか、そういう観点では考えたこともないですが、とても意味のある場所なんですね。びっくりです。
今、いろいろあり、いろいろ考え動くべきことあるのでしょうが、私個人、正直なところ身の回りであくせくする毎日。どこかの歌にありますが、''あと一歩前に進む”のが、精一杯の毎日です。
それでも、少しでも前に進みたく、もがく毎日。これが、自分、身内、周り、などなど、少しでも良くなるように、祈りつつのたうちまわる毎日です。
なかなか、広く、大きく良くできるようにはいきませぬが、少しでも前に進みつつ、良きバトンを渡せるように、日々思います。
難しき中、大変な皆様のおわす中、恥ずかしながら、酒を飲みつつ書かせて頂きます。
長文、大変申し訳ありません。いつもありがとうございます。
同じような暮らしをしたら
早晩人類は滅んでしまうのかもしれません
知らず知らずのうちに歪んでいき
歪んでいる間は気付かず
歪みがとれると気付く
そんな感じがします
幾つかの過去記事も出て来ると思いますが、僕は阪神大震災の被災者でした。
とにかく、大阪はとても愛着がある大好きな地です。
千里の辺からは確かに、昔は海原が見渡せていたでしょうね。
千里丘陵が弱かったのか。
それとも、軽く済んだのか。
古代はアサヒビール吹田工場前の神社の岬から、上町台地とクジラやイルカのいる美しい海を見下ろしていたのでしょうね。今は全く違いますが…。
現在はスーパーもゴミ収集も通常通りでありがたいです。
私の身上、えらいことに
なってました。
病院に行って早くに
お薬をいただいたのと
娘と母の感知により
おまじない?!などなどにより
おさまり
今日は仕事をしていますが
壊れていた機械が修理され
戻る日と地震と
私が受けたことと
忘れずにまた、進みたいとおもいます。
無力だけど祈りと
正直に生きることは続けたいとおもいます
誰でも、ただ祈ることしか出来ないものだと、そう思います。
また大難を小難へと動いてくださり
ありがとうございますm(_ _)m
小さい頃から地震が大の苦手で、東京に住んでいますが、東北地震の記憶もなかなか忘れられず、大きな地震が起こる度に胸を痛めています。今回の地震で被害にあわれた方もいるのでこんなことを口にするのは語弊があるとは思いますが、私たちはこの大地をお借りしてその上で生活していること、地震を食い止めようとしてくださっている神様や皆さんの活動にも感謝しながら、1人ひとりが感謝をもって意識を変えていかなければならないのだと改めて思いました。 地震の規模を少なくするために動いて下さったこと心より感謝致します。
また亡くなった小学生のことを思うと胸が苦しいですが、そこからまた新たに改善できることを今後のために生かしてもらいたいです。原発のこともです。
私も微力ながら自分にできることを日々やっていきたいと思います。
記事中、分かる人に...と、大阪の震源地に関連する部分もリンクさせていたのですが...僕も無力さを感じます。
それしかできなくて、、、。
でも、一人一人が・・・、ですね。
皆で支えあえたらと。
皆様の活動に心より感謝しております。
大きな地震でしたが、私の周りは大きな被害がなく、有難い事だと思いました。
もしかしたら関係がないのかも分かりませんが、なんだかお礼を言いたくなりました。
今後どうか大きな被害が出ませんように...
神様と動いてくださり、ありがとうございます。