ドナルド・トランプさんが次期アメリカ大統領に決定しました。
マスコミは「衝撃」という報道を繰り返しています。
果たしてそうなのでしょうか?
またまた「マスコミ独自の価値観を基軸とした伝え方」によって、
僕たちの目と耳が曇らされてはいないでしょうか?
チリーン♪と自己点検せねばと。
_φ( ̄ー ̄ )ええ。ええ。
どーでしょう。
僕は株や為替で「直接的に」生計を立てているような人ではないですし、
いたってフツーの人なので、点検をしてみても、
実は、フツーに、特に衝撃はないのです。
勿論、そんな金融産業などの影響を
間接的に受けないわけはないのですが、
でも、普通の感覚で、
普通にネットを見ていて、
普通にテレビを見ていて、
「トランプさんは面白いし好きだけど、
この人だと色々混沌としちゃうんだろーな」
「でも、ヒラリーさんの信頼しきれないコノ感じは
イッタイなんなのだろうか?」
「アメリカは今、とても変わりたがってるのかな」
「現状を変えたい人が沢山いそうなのは確かっぽいな」
「なんか、閉塞感があって辛いのだろーな。
日本もそーだし。。」
と、全体的に伝わり来る
そんなアメリカ国民の雰囲気が真剣であれば、
「結果は自然とトランプになるんじゃね?」
なんて感じられていた人達もとても多かったのではないのでしょうか。
ユーも、ゆーも、Youも!?実わそーじゃね?
みたいな。
大きなメディアから流れくる情報から
恣意的で意図的な部分を抜いて見ると、
僕の手にはそんな感触がチリーン♪と残っていました。
ただ、唯一「衝撃」という言葉がとてもフィットすることは、
「それでも最終的には、
世界の既得権益層が非常手段を使ってでも潰しにいくんだろーな」
ということに対して勝利した!
という驚きだったりして。w( ̄Д ̄ w オオオォォォ!
それがマスコミの伝える「衝撃」の正体なのではないかと
思っていたりします。
この時代......ネットワーク化の時代......
メディアの情報コントロールが上手く効かなくなったということの
表れの一つなのかもしれない......
なんて受け止めてみるのもまた一興かなぁ、とも思ったりして。
そしてこの場合のマスコミとは当然、既得権益層や政界、
財界などを静かに反映している......
という意味でのマスコミであって。
例えばサッカーや野球で
「ご贔屓(ごひいき)のチームの方が勝つ!」
と言ってしまう自分がいるように。
「自分が買った馬が勝つ!」
なんてツイツイ競馬で言ってしまうように。
メジャーでマスなメディアさん達や人々は、
ここ数十年のアメリカの延長上にあるアメリカを望み、
その代弁者であるヒラリーさんを望んでいたのかもしれません。
変化を嫌っていたのでしょうか......
でもそんなことは、
冷静にメディアを眺めている人々からすると
全てわかっていたことだとも思います。
もしソレが「わからない」と言うような人がいたとしたら、
ソレはもしかしたら自分でも気づかないうちに!?
何らかの馬券を買っていた!?
のかもしれません。
そんな見方をしてみると、
ヒラリーさんを応援していたアメリカのメディアや人々に共通する香りが、
どこかセレブ系で、
既に大きな利権を手にしている筋の人達のように
感じられていたこともスッキリと理解できるように思えます。
そういう人達というのは大抵、
大義名分を打ち出すのがとても上手だったりもしますし。
「ヒスパニックを排除するなんて!
人種差別だ!
移民差別だ!」
なんていうトランプさんへの非難も、
別の側面から見た言葉で紡げば、
労働力として安くて、
大人しく利用できる人たちが減ることを恐れている。
会社や組織の営業利益が減っていく。
企業や業務マネジメントが厄介になっていくことを恐れている......
なんて、そんな恐ろしい、
「人で無し!」
な言葉になったりする可能性もあるわけで。
でも、そんな角度での報道の仕方ナドはこれっぽっちもなかったですし、
終始「トランプ悪」に偏った報道が多かった印象が僕にはあります。
本当のところはどうなのでしょうか?
よくわかりませんが、
大義名分というものはとても恐ろしいものです。
大義が命や人権を押し殺すこともあります。
コワイっす。
そして、そんな大義と名分を背景になされた報道が多かったとしたら、
今回の結果が「衝撃」となるのも当然のことだと思えたりもします。
ヒラリーさんのそんな大義的で名分的な主張より、
実直さと分かりやすさで闘ったトランプさんの方が、
既に出来上がっているソーシャルメディアネットワークの世界においては、
その特性にとてもフィットしていたのだとも感じられます。
なので、今回のアメリカ大統領選挙の結果における「衝撃」という言葉は、
大災害の時に飛び交う「想定外」という言葉と限りなく同義のように
僕には見えてくるのです。
そもそもの話ですが、
メディアや報道が「真にフラット」であったならば、
どんな結果であっても「衝撃」という言葉は使わないようにも思いますし。
「株が乱高下しています」
「為替変動が激しくなっています」
「経済の先行きが不透明となりました」
「日米安保やTPPはどーしましょ!?」
選挙後にこの国で伝えられるそんなニュースも、
この国のフツーーに働く人々で株や為替を持っている人が
果たしてどれくらい?いるのでしょうか。
アメリカ軍の駐留を必要、歓迎している人々はどれくらい?
いるのでしょうか。
トランプさんに票を入れたアメリカの人達のイメージを
この国の人々に比して言えば、
そんな金融やら何やらの世界の影響を
遠くに感じている人達なのではないか?
とも思えます。
そして、そんな人達が
「国民に仕事を取り戻そう!」
とシンプルに言ってくれる人に投票したのではないか......
とも感じます。
現実にはそんな人々の方が多いのだ......
ということなのではないでしょうか。
それって衝撃!?なことなのでしょうか。
いたって民主的で普通の話に思えなくもありません。
「ヒラリーは私たちが嫌う政治そのものです」
あるニュース番組のVTRで一人のアメリカ国民が言っていた言葉。
僕は、この言葉が多くのことを表している選挙だったように思えました。
そして今回、
「衝撃」と表されている言葉が内包しているもう一つの意味が、
きっと「混沌」なのだと思います。
現状維持、既定路線、大義名分的なグローバル化。
これらが示すこととは実は「秩序」であって。
その線がトランプさんによって断たれたということは、
僕らの前には秩序とは反対的な、
少々の「混沌」が待ち受けているというのも自明なわけです。
これを衝撃と表す向きもありますが、
上記もした通り、
僕的にはトランプさんとは混沌を象徴するものでもあるわけです。
チョロチョロとこのブログを記し出して以来、
毎年末に記してきた
「翌年をちょー勝手に占う!」
という記事。
昨年末に記したのは、この
「SIGNAL」
という記事。
今一度、その最後部分を以下に。
なぜなら、今回のアメリカ大統領選の結果は、
この時記したことの大トリの一つでもあるからです。
============================
「混」が内包する意は、いつだって進化です。
ここ最近の人類の進化とはコンピューターの進化による
ネットワーク化やデジタル化......
そんなコトゴトによって押し寄せてくる人々の価値観の大きな変容。
社会構造の変容。
「グランズウェル」以降。「ジェネレーションC」の時代。
時間と空間は縮められ、意味も薄められ、
情報や金融がデジタルで国境を楽々と越える時、
物理的な国家領土は意味を失ってきています。
グローバルな企業や巨大なSNS企業はもはや国家的な領域に入ってきました。
そこには国家を超えた人々のコミュニティが多数存在してきています。
共感や価値観を共有する新しい形の国民、
国家が誕生していると言っても良いのかもしれません。
僕らは集団への帰属意識や生活の保障をそんな企業群やネットワーク社会、
コミュニティなどに求めるようになって来ているようにも思えます。
旧来的な国家が持つ最後の武器は
もはや法的権威、権力ぐらいのものとなるのかもしれません。
しかしそれすらも最早いつ新たな波の中に消え去るのかわからない
状況にも思えます。
二世、三世と、世襲のごとき形で受け継がれる政権の中枢を担う政治家群は、
最早「職業」的で、会社員的体質ともなっているようにも感じられ、
真のリーダーたる資質、本質を有している......という様な者は、むしろ、
グローバルな企業やアグレッシブな企業群、
個人などの中に見出せるようにも思えます。
僕らは国家と企業、
コミュニティの「混」にも立ち会っているのかもしれません。
そこでは、混乱や混濁、混戦などとならないことを望みますし、
願わくば混合や混成となっていくことが「星の時代」らしくて良いのでしょうか。
そして「申年=猿年」のサルは、
「去る」と響いてきたりも......するのです。
============================
J.D.ヴァンスが書いたベストセラー本
「Hillbilly Elegy=ヒルビリー・エレジー」
その本にかかれている「ヒルビリー」と呼ばれる人々。
ソレは低賃金の白人労働者の人々をさす言葉らしく、
彼らの特徴としては、
困難に直面した時に典型的にしてしまう対応が、怒る、
大声で怒鳴る、
他人のせいにする、
困難から逃避する......
ということなのだそうです。
今回の選挙でトランプを応援した人達が、もし、
このような人達であったならば、
このあとアメリカはしばしの混沌の後、
混乱となるのかもしれません。
しかし、作家ヴァンス自らがそうであったように、
ヒルビリーなどと呼ばれながらも、
ハードワークと最後までやり抜くことを真摯に学び、
それを達成することで自尊心を育める様な人達が
トランプの支持者であった時は、
アメリカの未来はより強固なものになるのかもしれません。
そんな国に対するある程度の覚悟は......
この日本という国や僕らにも必要なのでしょうか。
アメリカは変わりました。
いや、
「変わりたい」という意思を一旦示した状況のように思えます。
日本はどうなのでしょう。
ユーロもイギリスの脱退表明によって変わりました。
アジアはどーなのでしょう。
フィリピンもトランプさんのように率直で正直な物言いをする
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領によって変化しています。
韓国も、もう、
政治システムの根本が揺らぐような大統領問題に揺れています。
ロシアのプーチンさんも、どちらかと言えばトランプ系。
どーも、
大義名分的な世界は終わりを迎えているようにも思えます。
日本はどんな道が最善なのでしょうか。
政界やマスメディア、
エネルギーの供給はどうなってゆくのが良いのでしょうか。
「トランプだと、日米同盟の根幹が揺らぐ可能性がある。
日本は足元を固めなければいけない」
なーーーーーんて報道もヤタラと見ましたが、コレって、
実は当たり前のことの様にも思えます。もしかしたら、やっと、
「敗戦」「アメリカの属国」
なんていうニュアンスを払拭できるチャンス!?
がやってきたのかも?しれません。
「トランプさん。
あなたがそ~いうスタンスなら、
我々はこーいうスタンスでいきますんで。
ひとつ、よろぴく〜」
みたいな。
まぁ、いつものパターンとしては
「しばらくは様子見で」
なんていうことになるのでしょうけど。ね。。
アメリカさんはデカイっすのねぇ。。
車で走る道はいつも真っ直ぐだけど、まとまるのかしら。。
最後に一つ。
今回のアメリカ大統領選挙において、
個人的に1番の衝撃!だったのは......
新大統領夫人!
ファースト・レディ!
となる人なのですな( ̄ー ̄)ボクチン。
トランプさんのアキレス腱とわわ......?!?ポヤヤヤ〜ン...
マスコミは「衝撃」という報道を繰り返しています。
果たしてそうなのでしょうか?
またまた「マスコミ独自の価値観を基軸とした伝え方」によって、
僕たちの目と耳が曇らされてはいないでしょうか?
チリーン♪と自己点検せねばと。
_φ( ̄ー ̄ )ええ。ええ。
どーでしょう。
僕は株や為替で「直接的に」生計を立てているような人ではないですし、
いたってフツーの人なので、点検をしてみても、
実は、フツーに、特に衝撃はないのです。
勿論、そんな金融産業などの影響を
間接的に受けないわけはないのですが、
でも、普通の感覚で、
普通にネットを見ていて、
普通にテレビを見ていて、
「トランプさんは面白いし好きだけど、
この人だと色々混沌としちゃうんだろーな」
「でも、ヒラリーさんの信頼しきれないコノ感じは
イッタイなんなのだろうか?」
「アメリカは今、とても変わりたがってるのかな」
「現状を変えたい人が沢山いそうなのは確かっぽいな」
「なんか、閉塞感があって辛いのだろーな。
日本もそーだし。。」
と、全体的に伝わり来る
そんなアメリカ国民の雰囲気が真剣であれば、
「結果は自然とトランプになるんじゃね?」
なんて感じられていた人達もとても多かったのではないのでしょうか。
ユーも、ゆーも、Youも!?実わそーじゃね?
みたいな。
大きなメディアから流れくる情報から
恣意的で意図的な部分を抜いて見ると、
僕の手にはそんな感触がチリーン♪と残っていました。
ただ、唯一「衝撃」という言葉がとてもフィットすることは、
「それでも最終的には、
世界の既得権益層が非常手段を使ってでも潰しにいくんだろーな」
ということに対して勝利した!
という驚きだったりして。w( ̄Д ̄ w オオオォォォ!
それがマスコミの伝える「衝撃」の正体なのではないかと
思っていたりします。
この時代......ネットワーク化の時代......
メディアの情報コントロールが上手く効かなくなったということの
表れの一つなのかもしれない......
なんて受け止めてみるのもまた一興かなぁ、とも思ったりして。
そしてこの場合のマスコミとは当然、既得権益層や政界、
財界などを静かに反映している......
という意味でのマスコミであって。
例えばサッカーや野球で
「ご贔屓(ごひいき)のチームの方が勝つ!」
と言ってしまう自分がいるように。
「自分が買った馬が勝つ!」
なんてツイツイ競馬で言ってしまうように。
メジャーでマスなメディアさん達や人々は、
ここ数十年のアメリカの延長上にあるアメリカを望み、
その代弁者であるヒラリーさんを望んでいたのかもしれません。
変化を嫌っていたのでしょうか......
でもそんなことは、
冷静にメディアを眺めている人々からすると
全てわかっていたことだとも思います。
もしソレが「わからない」と言うような人がいたとしたら、
ソレはもしかしたら自分でも気づかないうちに!?
何らかの馬券を買っていた!?
のかもしれません。
そんな見方をしてみると、
ヒラリーさんを応援していたアメリカのメディアや人々に共通する香りが、
どこかセレブ系で、
既に大きな利権を手にしている筋の人達のように
感じられていたこともスッキリと理解できるように思えます。
そういう人達というのは大抵、
大義名分を打ち出すのがとても上手だったりもしますし。
「ヒスパニックを排除するなんて!
人種差別だ!
移民差別だ!」
なんていうトランプさんへの非難も、
別の側面から見た言葉で紡げば、
労働力として安くて、
大人しく利用できる人たちが減ることを恐れている。
会社や組織の営業利益が減っていく。
企業や業務マネジメントが厄介になっていくことを恐れている......
なんて、そんな恐ろしい、
「人で無し!」
な言葉になったりする可能性もあるわけで。
でも、そんな角度での報道の仕方ナドはこれっぽっちもなかったですし、
終始「トランプ悪」に偏った報道が多かった印象が僕にはあります。
本当のところはどうなのでしょうか?
よくわかりませんが、
大義名分というものはとても恐ろしいものです。
大義が命や人権を押し殺すこともあります。
コワイっす。
そして、そんな大義と名分を背景になされた報道が多かったとしたら、
今回の結果が「衝撃」となるのも当然のことだと思えたりもします。
ヒラリーさんのそんな大義的で名分的な主張より、
実直さと分かりやすさで闘ったトランプさんの方が、
既に出来上がっているソーシャルメディアネットワークの世界においては、
その特性にとてもフィットしていたのだとも感じられます。
なので、今回のアメリカ大統領選挙の結果における「衝撃」という言葉は、
大災害の時に飛び交う「想定外」という言葉と限りなく同義のように
僕には見えてくるのです。
そもそもの話ですが、
メディアや報道が「真にフラット」であったならば、
どんな結果であっても「衝撃」という言葉は使わないようにも思いますし。
「株が乱高下しています」
「為替変動が激しくなっています」
「経済の先行きが不透明となりました」
「日米安保やTPPはどーしましょ!?」
選挙後にこの国で伝えられるそんなニュースも、
この国のフツーーに働く人々で株や為替を持っている人が
果たしてどれくらい?いるのでしょうか。
アメリカ軍の駐留を必要、歓迎している人々はどれくらい?
いるのでしょうか。
トランプさんに票を入れたアメリカの人達のイメージを
この国の人々に比して言えば、
そんな金融やら何やらの世界の影響を
遠くに感じている人達なのではないか?
とも思えます。
そして、そんな人達が
「国民に仕事を取り戻そう!」
とシンプルに言ってくれる人に投票したのではないか......
とも感じます。
現実にはそんな人々の方が多いのだ......
ということなのではないでしょうか。
それって衝撃!?なことなのでしょうか。
いたって民主的で普通の話に思えなくもありません。
「ヒラリーは私たちが嫌う政治そのものです」
あるニュース番組のVTRで一人のアメリカ国民が言っていた言葉。
僕は、この言葉が多くのことを表している選挙だったように思えました。
そして今回、
「衝撃」と表されている言葉が内包しているもう一つの意味が、
きっと「混沌」なのだと思います。
現状維持、既定路線、大義名分的なグローバル化。
これらが示すこととは実は「秩序」であって。
その線がトランプさんによって断たれたということは、
僕らの前には秩序とは反対的な、
少々の「混沌」が待ち受けているというのも自明なわけです。
これを衝撃と表す向きもありますが、
上記もした通り、
僕的にはトランプさんとは混沌を象徴するものでもあるわけです。
チョロチョロとこのブログを記し出して以来、
毎年末に記してきた
「翌年をちょー勝手に占う!」
という記事。
昨年末に記したのは、この
「SIGNAL」
という記事。
今一度、その最後部分を以下に。
なぜなら、今回のアメリカ大統領選の結果は、
この時記したことの大トリの一つでもあるからです。
============================
「混」が内包する意は、いつだって進化です。
ここ最近の人類の進化とはコンピューターの進化による
ネットワーク化やデジタル化......
そんなコトゴトによって押し寄せてくる人々の価値観の大きな変容。
社会構造の変容。
「グランズウェル」以降。「ジェネレーションC」の時代。
時間と空間は縮められ、意味も薄められ、
情報や金融がデジタルで国境を楽々と越える時、
物理的な国家領土は意味を失ってきています。
グローバルな企業や巨大なSNS企業はもはや国家的な領域に入ってきました。
そこには国家を超えた人々のコミュニティが多数存在してきています。
共感や価値観を共有する新しい形の国民、
国家が誕生していると言っても良いのかもしれません。
僕らは集団への帰属意識や生活の保障をそんな企業群やネットワーク社会、
コミュニティなどに求めるようになって来ているようにも思えます。
旧来的な国家が持つ最後の武器は
もはや法的権威、権力ぐらいのものとなるのかもしれません。
しかしそれすらも最早いつ新たな波の中に消え去るのかわからない
状況にも思えます。
二世、三世と、世襲のごとき形で受け継がれる政権の中枢を担う政治家群は、
最早「職業」的で、会社員的体質ともなっているようにも感じられ、
真のリーダーたる資質、本質を有している......という様な者は、むしろ、
グローバルな企業やアグレッシブな企業群、
個人などの中に見出せるようにも思えます。
僕らは国家と企業、
コミュニティの「混」にも立ち会っているのかもしれません。
そこでは、混乱や混濁、混戦などとならないことを望みますし、
願わくば混合や混成となっていくことが「星の時代」らしくて良いのでしょうか。
そして「申年=猿年」のサルは、
「去る」と響いてきたりも......するのです。
============================
J.D.ヴァンスが書いたベストセラー本
「Hillbilly Elegy=ヒルビリー・エレジー」
その本にかかれている「ヒルビリー」と呼ばれる人々。
ソレは低賃金の白人労働者の人々をさす言葉らしく、
彼らの特徴としては、
困難に直面した時に典型的にしてしまう対応が、怒る、
大声で怒鳴る、
他人のせいにする、
困難から逃避する......
ということなのだそうです。
今回の選挙でトランプを応援した人達が、もし、
このような人達であったならば、
このあとアメリカはしばしの混沌の後、
混乱となるのかもしれません。
しかし、作家ヴァンス自らがそうであったように、
ヒルビリーなどと呼ばれながらも、
ハードワークと最後までやり抜くことを真摯に学び、
それを達成することで自尊心を育める様な人達が
トランプの支持者であった時は、
アメリカの未来はより強固なものになるのかもしれません。
そんな国に対するある程度の覚悟は......
この日本という国や僕らにも必要なのでしょうか。
アメリカは変わりました。
いや、
「変わりたい」という意思を一旦示した状況のように思えます。
日本はどうなのでしょう。
ユーロもイギリスの脱退表明によって変わりました。
アジアはどーなのでしょう。
フィリピンもトランプさんのように率直で正直な物言いをする
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領によって変化しています。
韓国も、もう、
政治システムの根本が揺らぐような大統領問題に揺れています。
ロシアのプーチンさんも、どちらかと言えばトランプ系。
どーも、
大義名分的な世界は終わりを迎えているようにも思えます。
日本はどんな道が最善なのでしょうか。
政界やマスメディア、
エネルギーの供給はどうなってゆくのが良いのでしょうか。
「トランプだと、日米同盟の根幹が揺らぐ可能性がある。
日本は足元を固めなければいけない」
なーーーーーんて報道もヤタラと見ましたが、コレって、
実は当たり前のことの様にも思えます。もしかしたら、やっと、
「敗戦」「アメリカの属国」
なんていうニュアンスを払拭できるチャンス!?
がやってきたのかも?しれません。
「トランプさん。
あなたがそ~いうスタンスなら、
我々はこーいうスタンスでいきますんで。
ひとつ、よろぴく〜」
みたいな。
まぁ、いつものパターンとしては
「しばらくは様子見で」
なんていうことになるのでしょうけど。ね。。
アメリカさんはデカイっすのねぇ。。
車で走る道はいつも真っ直ぐだけど、まとまるのかしら。。
最後に一つ。
今回のアメリカ大統領選挙において、
個人的に1番の衝撃!だったのは......
新大統領夫人!
ファースト・レディ!
となる人なのですな( ̄ー ̄)ボクチン。
トランプさんのアキレス腱とわわ......?!?ポヤヤヤ〜ン...
いま、意識的に長浜名物「のっぺいうどん」食べてるでやんす!うめー♪
いま琵琶湖のほとりで返事書いてまーす♪綺麗っすぅ(^_^)
uzmetさん達が解放したのも意識
だと思います。
こんなにも社会も生活も状況も変わってきているのだから、システムも変わりたいのでしょう。
変わることは大変で、なんでも変わる過程では混乱もありますが、変わっていけばそれが普通になるんですよね。
ほんの20年前に比べても、人々の意識はずいぶん変わりました。
「秩序は守られるために絶え間なく壊されなくてはならない。」です。動的平衡?
願わくば、核のボタンを押してしまうような、取り返しのつかないことがおきませんように。