副題1,『2022-1-13 16:20 ごろ、有楽町線、永田町駅のホームに向かうエスカレーターが、左右両方とも、ホームから見たら、上りという形になっていて、ホームに入りたい、私は、エスカレーターを利用できなかった。これは、私に、たぶん、尾行が付いていて、それが、駅に連絡を入れ嫌がらせをしていると、考えている。のっけから、いやな話で、申し訳ないが、それほどに、私の書くものが真実を穿っていると、言う、証拠でもある。そういう意味で、私は、それらの嫌がらせに屈するどころか、大きくて高いほこりを抱いて、首をまっすぐに上げて歩いている・・・・・というのは、象徴的な意味で言っていて、やまゆり園事件以来、激しい弾圧が続いていて、いつも、体に無理をかけながら、午前五時ごろまで、パソコンに向かっているので、猫背がひどくなっていて、首はまっすぐに前を向かない様に、今は、なっている(苦笑)残念だが、老化が急速に進んでいると、自分でも認めている。』
私がパソコンを使って、しかも、ネットを使って、文章を外部へ発表をする様になって、22年が経ちました。最初期には、実名表記などしていませんでした。どこに分類できるかというと、芸術とか、心理学という、いわゆる人文科学系の文章を書いていたのです。エッセーとしてです。
その時点から、既に弾圧は始まっていたのですが、それらのエッセーをまとめて、紙の本(ただし、工業的に印刷姿勢本をしたもの、)を自分で、作って配本をする様になると、その弾圧はすさまじいものとなって自分も命を狙われるけれど、自分の支援者となりうる人が、殺される様になりました。しかも他殺なのに、自殺だなどといわれるし、
遠くに住む、まったく無縁の人、(大阪駅そばの雑居ビルで、人気の高い心療内科を、開いていた医師と、そこの患者さんなど、無辜の人が大勢、殺される様になりました。
しかし、もし、ここで、方向転換をして、昔に戻ると、さらに、敵さんの悪業が増すでしょう。だから、差し当たっては方向転換ができません。本日、国立劇場(三宅坂)へ行きました。が、その往復に当たって、10個以上の嫌がらせを受けました。
一番明瞭な嫌がらせ行為は、永田町駅で、みやけ坂方面から、地下通路へ入り、有楽町線に、乗ろうとするときに、(25段ぐらいの階段があるのですが、その両側にある、)
エスカレーターが、両方とも上りになっていたことです。私は、外から、地下鉄に入るわけですが、永田町は、旧国会議事堂前駅(丸の内線)部分を除けば、とても深い場所を通っています。で、膝が悪い私は、階段を使いたくないのです。で、エレベーターとか、エスカレーターを使うわけですが、
私がどれほどに、いじめられているかというと、横須賀線の東京駅と、新橋駅では、鎌倉へ向かうホームでは、最後の段階で、下りエスカレーターが無いのです。
横須賀線の新橋駅の場合、急に総武線と合体する様になったので、地下深く駅がもぐりました。東京駅も同じですが、東京駅の場合は、見事に明瞭に一本も下りエスカレーターが、最後の一階分は、無いのです。東京駅で、折り返す電車があるので、四路線用、レールがあって、島が二つあるので、それが、見事に明瞭に表れて居ます。千葉方向へ向かうホームに降りる、エスカレーターは、あるのに、かまくら方向に向かうエスカレーターは、最後の段階(分)になると無いのです。
まさか、まさかですが、私が使っているとき以外は、一本ぐらい、下りになるのでしょうか?
しかし、新橋駅には、しまが一つしかなくて、レールも、千葉方向へ、一本、かまくら方向に一本しかありません。だから、私狙いを通すと、千葉方面に向かう、有名人から、文句が出る可能性がありますね。市川には、東山魁夷さんが、住んでいたでしょう。鎌倉住まいの、平山郁夫さんは、電車を利用する人でした。当然、東山魁夷さんも、その年齢から考えて、電車を利用する人でしょう。そういうご老人に、新橋駅には、一本も、(最後の段階になると)、下りエスカレーターがない、・・・・・という事になると、サービスを基本とする、JR東日本という会社は変だと、言うことになりませんか?
なりますよね。したがって、新橋駅には、先頭(南側)に、一本だけ、下りエスカレーターがあります。
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副題2、『高校の先輩、樋口恵子さん(都知事候補)さえも、私をいじめるための道具として、使われるのだった』
本日、【歴史探偵】というNHKの番組内で、鎌倉の山の中の人口が五万人だという事を、初めて、知りました。山の外も入れると、17万人ですが。
で、その五万人に占める老人の割合が全国一だそうです。都市部においてでしょう。山間の限界集落では、80%が老人だと、言うところが多いので、都市としては、老人の比率がとても高くて、全国一だそうです。樋口恵子さんとは、都知事候補にもなった方ですが、覚園寺に講演にいらしたときにそう、言っていました。彼女は、私にしてみると、高校の先輩です。だから、親切な手書き文字の入った招待状をいただいたので、勇んで、覚園寺に向かいました。ただし、手書きの、お添え書きのあった、親切な招待状は、ひっかけだったのでした。
帰りに狭い道を通って帰ったのですが、後ろから、音もなく、追いかけてくる、警察の、灰色の、機動隊用バス(ただし、超小型)に付け狙われました。たまたま、カラタチの垣根があって、カラタチのとげが、機動隊用バスに当たって、ぱちぱちと跳ねる音が、聞こえたので、なんだろうと、思って後ろを振り返ると、幅2mの、道を、エンジン音を立てない小型バスが、私の歩く速度と同じ速度で、追いかけてくるのでした。あれって、後ろから、人間が押していたのでしょうかねえ。エンジン音を出さないで、車が、200mぐらい進むことができますか?
この道は、清泉小学校の南側の塀に沿っている細い道で、グーグルの地図を開いて、拡大をなさると、出てきます。朝比奈峠に向かうバス道路の、北側にそれに沿って、昔の道が残っているのです。
このカラタチは最近無くなっています。
まあ、いいでしょう。都知事候補になる様な人が、CIAエージェントと、仲良しであるのは、自明のことです。例えば、警視総監とは、仲良しでしょう。私は、三原橋交差点際で、交通事故に出会った時以来、それから、それ以外でも、築地警察署には、いじめられ切っていますから。樋口さんが、私を警察に売り飛ばしたのも、理解ができますよ。
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副題3,『二階堂(鎌倉市内)とは怖いところどすなあ』
以下メモ、として文体を会話体ではないもので書きます。
【鎌倉殿の13人サミット】内で、井上章一さんが「鎌倉とは怖いところどすなあ」といった。それをもじって言えば、二階堂とは怖いところだとなる。
酒井忠康氏が住んでいて、中谷共二氏の次男が住んでいるところだからだ。中谷家のご長男は、東大名誉教授で、私は二階であったことがあるが、温厚な紳士だ。だが、次男は、恐ろしい。慶応卒で、三井物産勤務だ。彼は、幅が1mしかない細い道(川合邸前)を私が、歩いている時に、例のごとくタイミングを計ってだろうが、対抗方向からやってきて、私を、にらみつけた。私が、この山に引っ越してきたころ、彼は、既に家を出て、(二階堂の家を作っていたのだろうか? ともかく)、一度もあったことがない人だったが、顔がお父さんにそっくりなので、中谷家の、次男だと、言うことが分かった。長男の方は、それ以前にすでに出会っていて、顔を知っていた。長男は、お母さんに似ていて、次男は、お父さんにそっくりだ。
向こうが私の顔を知っているのは、何度も言っている通り、恵友印刷という会社のホーム頁、トップに「その会社が、優秀です」と、言う推薦文を書いている私の顔写真がでかでかと出てくるので、伊藤玄二郎から、「そこをご覧いただきたい」と、言われれば、わかるのだった。
私は、その顔写真が、そういう事に利用をされるのは、十分に推察していたのだけれど、そこで、引き続き、本を、印刷製本してもらうつもりがあったので、逆らえなかったのだ。6冊、そこで、作ってもらっていて、五冊目の【黄色いさくらんぼ】は、長い間、アマゾンで、10000円以上の値段で、取引されていた。
ここで、樋口さんから、少し離れて、中谷家の、次男に、ついて、あれこれ、記載をしたい。
かどや製油に、三井物産から、ひとが乗り込んできて、息子の上司となり、ひどいいじめを行った。それと、今は、10歳を超え、親であるむすこもとてもかわいがっている彼の子供が、生まれたばかりで、ひどく泣くので育てにくくて悩んでいた。佐野雅明専務から、いじめぬかれていたちょうどそのころ、「自閉症スペクトラムの気がありますよ」と、言う診断も、受けたので、両方からのストレスで、まいっていたのだった。
その孫だけれど、大変にかわいくなった。両親、特に私の息子は、非常にかわいがっている。この前、我が家に来て、外の石段を掃除してくれた、アルバイトで。小学五年生だけど、ちゃんとそういう意味が分かる子だ。
かどやをやめないといけなくなったほどの、ひどいいじめも、中谷さんの次男の指示だと、思っている。ひどい事だ。我が家の東北の崖を無断で壊したうえに、白井達雄さんが、同じことを、この山の若い男性を動員して、行ったり(後注1)、さらに、鶴岡八幡宮が、2020年4月15日から、27日までさらに大規模に、我が家の東北の崖を崩すために、7本もの大木を伐採された。(後注2)とてもひどい事だ。だから、昔、昔の中谷共二氏がやったことを書き始めると、彼の次男が、私の息子と娘に対して、ひどいひどい妨害を行ってきている。
息子は、何も言わない。佐野雅明専務の名前さえ言わない。けれど、私はかどや製油の株を買って、株主へのレポートを読んでみた。すると三井物産からきている重役は、佐野雅明という名前だった。それが、わかって以降、私は、そちらの件には触れないが、次に息子に起きた、ひどい話を、順次書き始めた。
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副題4,『息子がかどや製油を、自主退職した後で、長慶飯店に就職が決まったと、よろこんだ気持ちの電話を我が家にかけてきた。ところが、電話が、盗聴されている。そして、私をいじめるために、長慶飯店への就職がだめになった。と、同時に、かどや製油を息子と同時期に辞めた人が、同じ業種の竹本油脂に、転職したそうだ。竹本油脂は、非上場だが、ゴマ油以外に、界面活性ザイを作っている、化学メーカーなので、その男の子は、事実上、規模が、五倍程度大きな会社へ、転職をしたと言う事となる。
ところで、竹本油脂は、非上場だが、その社長兼会長だったのが館野・兄弟の特に、私が知っている方は、ひろおちゃんと、言う弟の方です。私は彼の肉声として、「僕は竹本のCEOを、やっているのだが、すでに13時間がつらくてね」と、2005年ごろの、クラス会で、聞いています。13時間とは、アメリカに行くにしても、ヨーロッパに行くにしても、ジェット機の飛行時間を指します。
館野君は成城学園の出身で、大金持ちですから、正田家(上皇后、美智子様の実家)ととても親しいのです。軽井沢では、同じテニスクラブのメンバーでしょう。でね、国際キリスト教大学への通学手段として、車高の低い、しかもオープンカータイプの車(多分外車でしょう。ヨーロッパ系の)を使っていました。その館野君が私に関して誤解をしてしまったのです。私が彼に惚れているとね。どうして、そういう事になったかというと、私と彼、それから三輪喜久代さん(今は、ロンドンで、大CIAエージェントとして活動をしている。スタップ細胞疑惑は、彼女が大活躍をしたはずだ)の三人が、湊宏先生と、言う、当時は、化学界における輝けるスターだった先生についていて、毎日午後、三人だけで、一緒に過ごしたからです。尚、宏先生の奥様、晶子さんは、宏先生が亡くなったのち、東京女子大の学長になりました。
私が、本当に書きたかったことは、息子の苦境と、それに便乗して、かどやをやめた子を採用した竹本の裏に、石塚雅彦さんや、古村浩三君がいて、そういう風にやりなさいと、そそのかしていたと、言う事を書きたいのです。しかし、やまゆり園事件が起きる前までは、私には、そこまでの事を書く、肝っ玉がありませんでした。書くことは書けます。しかし、書くことは両刃の剣です。で、そういう本来の目的に沿った文章ではなくて、エンタメに近い文章を書くことにいたしました。
それが館野君の、三輪喜久代さんとの、恋愛遊戯の話です。私の実験は、夜10時ごろまでかかったので、午後四時には、終わってしまう、二人が窓の外5mのところで、イチャイチャしながら、車に乗り込むのを、見続けることとなりました。遠くの駐車場においてある、車を館野君が持ってくるのです。そして、そこに三輪喜久代さんが乗り込むのです。とても派手な騒ぎをしながら。
喜久代さんって、そーぴーというあだ名でしたが、AFS経験者なので、如何にもよ慣れていて、セックスなんか、経験済みで、今でも、毎日やっているわよと、言うムードのある人でした。二人がキャッキャ言いながら、ぶわーんと発射していくと、「ああ、あの二人って、三輪さんの吉祥寺の、下宿で、あれを、やっちゃうのではないかしら?」と、想像させるところがあり、それが、実は館野君の狙いだったのです。
しかし、私は、今も、そうですが、当時から頭は抜群によかったのです。普通じゃあないほどに。で、今もそうですが、誰かが、策略を発すると、、すぐ、裏側もわかるし、目的もわかります。私は、下の写真に乗っている現在も、結婚をしている主人と、1961年にすでに知り合っていました。そして、セックスなんかしていないけれど、半年に一度ぐらい喫茶店で、彼が、自分自身の事を、語り、それを私が、聞いていて、解釈したり、助言をしたりする間柄でした。館野君が派手に、私を拒否していた時期のたった三年後に、結婚式を挙げるぐらいですから、心の中では、主人は、大きな存在であり、館野君の誤解(=私が彼と結婚を従っているなどという部分)を恥ずかしいこととして、穴があったら入りたいぐらいでした。でも、私は、館野君にも、そのほかの誰にも、主人のことは話しませんでした。だって、恋愛とか、結婚って、とても、もろいことでしょう。それに不確かなことでしょう。誰かに自慢をするなんて、そんなことはあり得ないです。
ただ、全学中で、ただ、一人、入江多喜男君という男の子だけは、三鷹駅でとまっていたバスの中で、私と主人が、一緒の姿を、1962年にすでに見つけていて、わざと目をそらしたので、知っていました。しかし、びっくりしたのでしょうね。真面目だけが取り柄で、無粋な子だと、思っていた私が、主人と一緒だと、非常に華やかになるので。入江君は、運転席傍のポールに背中を寄せて、それ以上、中には入ってきませんでした。
・・・・・上は、1968年のお正月です。五月に結婚をすることとなる主人と、主人のおばの家を訪問した時のスナップ。・・・・・
私がこのブログの中で、前田清子さんを批判するのは、彼女が藤本夫人と大きな争いをして、それが、きっかけで、我が家の東北の崖を中谷さんから、無断で、削り取られたからですが、もう一つあって、彼女が大声で、話す内容があまりにもくだらないからでした。例えば、「うちの、〇〇こがさあー、湘南高校の子と付き合っているのよー。それが、結構、イケメンなの。だから、早く決めなさいって、言っているのだけれど、あれが、どうしただの、これが、どうしただのと言って、なかなか決めないのよー」と、しゃべっているからです。私は上で言っている通り、恋愛とか結婚て、とてもフラジャイルなものだから、自分のそれも友達には一切を伏せていたし、子供たちのそれも、結婚が決まるまでは、どういう人を選んだのかを知りませんでした。
特に我が家よりももっと近い場所で、それらを聞かないといけない藤本悌子さんが、どれほどに、嫌な思いを、しているかは、十分すぎるほどに、よくわかりました。で、ここで、中谷共二さんが、登場します。中谷さんの藤本悌子さんを説明する悪口が、子供の結婚に関するものだったからです。中谷さんは、カリフォルニア大学の卒業なので、戦時中は、日本語英語の両方が判る人として、対日宣伝政策にかかわっていたのではないかなあ? だから、こうもり、みたいな人なのです。引っ越してきたばかりの私には、藤本悌子さんの悪口を言う。しかし、藤本夫人と面と向かうと、彼女の言う事には逆らわない。
私に、中谷さんが何を言ったかというと、「藤本さんは、他の人に嫉妬しているのですよ。だってあそこのお嬢さんは、結婚をしていないでしょう。ほかの家では、お嬢さん方は、みんな結婚をしてお孫さんができている。あそこは、息子さんの方にも孫がいないでしょう。だから、気が変になっちゃっているのですよ。だから、もう、コントロールできないのです。
だから、たった幅一メートルしかない、道路の真ん中にフェンスを作ると言って、電動のこぎりで、切り始めているでしょう。どうか、川崎さん助けてください。それからね。角も、普通は落としているのに、彼女はわざととんがらせていますね。あれも彼女が自分で、工事をしたのですよ。だから、フェンスもきっと自分で作ります。それから、この山の道路は、全部、4mの幅はないのです。だけど、彼女は、自分宅のフェンスから、2mのところに勝手に地境石を入れていますね。どうか、助けてください。お宅のアジサイ畑をつぶして、そこにコンクリートを打ち、手すりを入れます。そうすれば、藤本夫人の提案をつぶせます」と。
で、藤本夫人に向かっては、「あなたが主張する、地境石は生かします。この山の、特に藤本家の前は、建築基準法の、決めている道路幅4mがないです。だから、今回の工事で、あなたが、いれた、地境石が正当に見える様に、川崎家の、東北の崖を削ります」と、約束をしたのでした。そして、私を見くびって、かつ、私を苦しめることは、同じ仲間である瀬島龍三から、秘密裏に頼まれている事でもあるから、自然な崖を崩したのです。そして、実は前だけが、最も激しく、建築基準法に違反した造成を特に家を建てる前に勝ってに、行っているのです。だから、他にも狭い道はあるのです。だが、前田夫人の迷惑行為があまりにも顕著だし、ふるまいも、まるで、中学生の、番長スタイルで、上下関係を構築し、弱いものをいじめぬくスタイルなので、藤本夫人の気に入らない人の典型でした。で、彼女の、復讐用ターゲットになったのでした。
前田清子さんがもっと穏やかな性格で、かつ、ブランド住宅街に、住むための暗黙のルールを熟知している人だったら、今、起きている様な問題は、より小さい段階で、収まっていたと思いますよ。うーん、午前三時になりました。これから、不二子さんに戻り、館野君が施設に入っている話へ入り、
不二子さんのスタイル全般から、似ている、角野栄子さんを思い出し、
角野さんのご主人って、きっと、2018年に亡くなっているはずだと、言う話をしたり、その前は、ご主人は、きっと、七里ガ浜の、老人ホームに入っていらして、そのお見舞いに便利だから、角野さんは、今の家を鎌倉に、作ったのだけれど、私をいじめぬく、伊藤玄二郎に協力したせいで、ご主人は、無くなったのでしょう。と、書くつもりでした。しかし、午前三時半になったので、今から、家事をすると、午前五時です。ここで、途中ですが、寝ます。
@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。
三国屋善五郎での、ひどい罠について書き始めた。どうしてそういう事をしたかというと、娘の結婚相手が、三井物産勤務なのだ。それで、足かせをはめられている。ると、かどやの株主レポートから、佐野雅明重役の名前が消えた。用心して、三井物産に引き上げたのだと、思う。大変な人生を送ることになった私であり、すべては、瀬島隆三が、CIA-じぇんとのトップであることから、起きている。不条理極まりなくて、普通なら、悩みぬいてしまうところだろうが、
二階堂の、覚園寺で、樋口恵子さんの講演があった日には、もう一つ嫌なことがあった。が、それは、煩雑になるので、語らないが、私が、その道を歩いたのは、講演が終わって、喫茶店で、パソコンの仕事をした後だったので、二時間ぐらい後だった。その二時間を、その小さな灰色のバスは、待機していたのだから、これは、相当にしつこいいじめではある。ただし、その頃、私が取り上げていたのは、この雪の下で、起きる異常であって、主に安野夫人の、悪女っぷりを書いているところだった。したがって、樋口恵子さんは、都知事候補であるのにもかかわらず、
神様が、ご支援くださっていることを知ってから、相当に落ち着いた。
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副題4、『さて、新橋駅の、エスカレーターと、エレベーターが15両の長いホームの南橋に、降りる方向で設置されていることに気が付いたのは、012ン二校だと思う。長い間、気が付かなかった。で、樋口恵子さんも、言う通り、