銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

画廊のオーナー増田きよみさんは、私の禁煙運動批判エッセーを褒めたので大出世をした

2022-01-17 14:58:33 | 政治

 この一文は、24時間ほど、総タイトルを【Mrs平木は社会福祉課所属なのに禁煙プレートを貼る単純な労働を、なぜ担う? + 醍醐イサム、増田きよみ】としておりました。しかし、2022-1-18 22:00の時点で、上のものへと変更しました。

実は、2022年1月17日の午後2時45分ごろ、私は追い詰められ切っていました。ぎょっとする出来事があったからです。テレビニュースでも、復讐され切っています。過去に書いた文章を否定するニュースにあふれています。
 
しかし、その時間に私が、鶴岡八幡宮の文華館前の道で、見たものはリアルな攻撃だったので、ぞっとしたのです。もし、その場所で、平木夫人が語ったことが、正しければ、平木家のご長男が、東大に、入学し、それは、前年の秋から、お知らせがあったと、言う事象が間違っていたこととなり、それで、過去一年分の、自分のブログを訂正しないといけないかと、思って、その重労働に、予測だけで参ってしまって、追い詰められていたのでした。非常に時間がないという切迫した気分だったので、メモの形で、書き始めました。
 
しかし、夜の10時ごろ、横須賀線、衣笠駅を最寄りとする、或る高校の行事を、記す、ホーム頁に入ったところ、令和三年度の入学式が、2021年4月6日に行われたことが記載をされていたので、すっかり落ち着いたのです。
 
で、いつもと同じ様に、根本的な、部分に戻って、政治論文として、体裁を整えながら、行間を埋めていきました。
 
禁煙運動、が、私が書いたエッセーを、つぶすために起こされたこと、および、そのエッセーを褒めてくれた増田清美さんを、敵方は、私の、石垣ではない形にするために、大出世をさせて行ったこと、彼女は、その間、裏から、私への讒言を聞き、すっかり、寝返ってしまって、
 
醍醐いさむが、無礼なことをしたときに、彼を、私より上に立てて、「だって、仕方がないじゃーアン」と、のたまわったのでした。
 
その時に、『ああ、この人は、高卒なのだわ』と、感じました。高卒を馬鹿にして言っているわけではないのですが、それでも、銀座で、画廊を経営するということは、彼女にとっては、それだけ、背伸びをしていて、生きていると、言うことを、示しているのでした。彼女は、生きる事、お金を儲けることに必死なのでした。どうして、そういうことを言えるかというと、銀座で、画廊を経営するということは、女性の仕事としては、最高ランクのものだからです。会社に勤務して事務職についている普通の女性よりは、勝ったという証拠になるのです。それだけにその地位を保持するのは、とても大変でしょう。
 
だから、私は、あきらめました。うらぎられていることをあきらめたのです。
ずっと、心理的に支援し続けてきましたが、ひどい形で、裏切られました。しかし、それが、CIAエージェントのやり口なのです。
 
私は、彼女が、後発の画廊オーナーとして、銀座の貸し画廊オーナー・グループの中で、ひそかに、かつ下手に出て、生きているころ、「色のセンスがいい」ということは、繰り返し、彼女に告げていました。
 
それで、或る意味で、仲良しだったのに、野見山暁次さんが、乗り出してきて、彼女の心を奪っていったのでした。17日ですが、夜の10時ごろには、落ち着いてきて、そういう部分にも触れることができました。ところで、画廊のオーナーの性格やら、人格の問題として、彼女と、比較して、余裕があるなあと、見ている人物は、大勢いるのですが、実名を挙げるのはやめておきます。
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という挿入を次の日に入れて、原文に戻ります。そして、後半を、別章に移します。

本日は、メモの形で書きます。

 なお、18日の、午前3時まで、総タイトルを【あたらしい禁煙plate・・・Mrs平木の嘘の数々・・・14日のCIA会議でそういう取り決めになった?】としておりました。が、その時点で、上のモノへと変更しました。それは、今まで、書けている部分を、正当に反映しているタイトルは、今、つけて、いる方だからです。

*1)

2022-1-17 14:40に、私は、家を出た。

 すると、山ノ下の、道路で、新しい禁煙プレートを貼っているのに出くわしてしまった。

(この禁煙プレートがどういう意味を持っているかについては、本日の人々の動きだけを、まずメモリ、後で、詳しく、説明をします)

 貼りに来たのは、鎌倉市環境整備課の男性吏員と、社会福祉課(に勤務していると、彼女自身が言う)、平木夫人だった。だが、私は、その女性が平木夫人だとは、彼女が自分から名乗るまでは、気が付かなかった。マスクをしていたから。その上、彼女は、市長秘書をしていると、ずっと前から、推察していたので、こんな仕事(道路にしゃがみ込む労働)をするとは思わなかったからだ。

 一時期、禁煙区域は、梶田さんよりも南だと、言うことで、しっかりした看板が、鉄の井(くろがねの井戸と読む、説明の、石碑がっている場所)の、右側、駅に向かう方向で、よく見える様に、たっていた。

 たまたま、、ここのプレートは、古すぎて、自然にはがれたままになっていたが、そのままで、新しいのを張らないで、放っておかれたのだった。

 しかし、最近書いているものが、あまりにも真実をついているので、ともかく、そういうものを書かせないがために、と、私が行っていることが、無になる様にするために、私への脅かし行為、兼、復讐行為として、この張り直し行為が、本日の、二時40分ごろから、始まっていたと、考えられる。

 私が銀行の金庫室を使う予定だという事で、その時間帯を狙ったのだと思われる。あまりにも頻繁に泥棒が入り、多くのものが盗まれているので、銀行の、金庫(特に浜銀のそれは、警察によって、色位r、悪さをされているのだが、それは、浜銀の瑕疵だとかけるので浜銀に二つ、みずほ銀行に、一つ、合計三つ借りている。

 そこに行くだろうと、見透かされて、損時間帯を選び、府アリは、そこに、待機していて、安野夫人などが、「今、川崎さんが、我が家のそばを、降りていったわよ」と、合図を送ったら、ピッタリの時間帯に作業をすることという仕組みになっていたのだと、瞬時に分かった。

 安野夫人の合図が来る前に、テープで、貼る予定の場所の、目印をつけて、場所を決めておいたが、接着剤を塗り始めたのは、安野夫人から、「今、川崎さんは、我が家の下を通ったわよ」と、言う電話か、メールの合図で、始めた事だろう。私が通りかかった時、接着剤はまだ濡れていた。濡れに濡れていて、光っていた。

*2)

 私は、女性の方が平木夫人であるとは、夢にも思わなかったので、はっきりと、抗議の意味を込めて、こういった。「このプレートは、梶田さんより南側だけ、有効だと、看板が出ていましたよ」

 このプレートの、裏側を少し(というのは、10%だけ)説明をすると、このプレートは全国いち早くこの場所に貼られていた。むろん、鎌倉市内でも、一番早く張られたものだった。が、あまりに古くなって、ゴムが、傷み、接着剤もはがれて、道路上をあっちこっち、さまよっていた。

 そして、誰かが、捨てたらしくて、小さな接着跡が残るのみだったのだ。そして、そのままで、2年間、放っておかれたのだった。

*3)

 実は、禁煙運動、及び、受動喫煙運動というのは、私のメルマガエッセー【一本の煙草が落ちていて】の出来が良かったので、急に始まったことだった。

 それの出来が良いというのは、自分でもわかっていたが、増田きよみさん(銀座の画廊、K’sgallery のオーナー)が褒めてくれたので、井上ひさしが『これは、大変だ。禁煙運動をもっと大大的に、起こすべきだ』と、CIAエージェントたちが、集う会議で、提案したのだと思う。

 私が、その文章を書いたときは、まだ、受動喫煙運動は起きていなかった。

 そして、増田きよみさんは、それ以降、私との仲を、引っ剥がすために、大出世していく。

https://hattenba.tokyo/2021/08/22/intvw-3-masuda/ を参照していただきたい。彼女の顔写真、他が見られます。

彼女は、色のセンスは、高い人で、私は、その点で高く評価をしていた。それで、2005年ごろまでは、魚心あれば、水心ありの典型で、二人は、仲が良かったのだった。

 しかし、2012年の、12月、醍醐イサムが、K’s galleryの、ロビーで、大変失礼な態度を取ったので、きよみさんを、鉄のどっしりした扉の外の、エレベーターホールに呼び出して、「醍醐イサムの今の態度は、ひどいわ」と私が、言った。

 すると、きよみさんが「だって、仕方がないじゃアーん」いった。

 ここで、鎌倉雪ノ下二丁目から、急に銀座、及び、美術界に入っていく。これが、美術9条の会とか、鈴木紗彩ちゃんが殺されたリヴェンジ・ポルノ問題(=三鷹ストーカー事件)にまで、つながっているので、そうさせていただきたい。

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*4)

 醍醐イサムは美術9条の会に入っていたか、または、片岡昌(その背後に、ひょっこりひょうたんじまで、協力をしあった井上ひさしがいる)から、私の讒言を聞き、私を、その2012年の12月から、急に、非人間扱いをしたのだった。これは、無論、政治的なもので、CIAエージェントが絡んでいる。

 ただ、上のアンダーラインを敷いた、セリフを聞いたときに、「あれ、増田きよみさんって、大学を出ていませんね。そして、実家も、富裕ではない」と、思った。K’s 電気という大型家電店がある。そこと関係があるので、親戚からの援助を利用して、画廊を経営しているのかと、最初は、思っていたが、kiyomi's gallery と、言う意味で、K’s 電気とは関係がないのだった。・・・・・鎌倉の画廊、ジアースは、パチンコ店、ジアースと、関係があると思う。多分、5億円ぐらいの金銭的援助をもらっているので、画廊ジアースが、運営できるのだと、私は見ている。

 増田きよみさんには、そういう親戚パトロンはない。しかし、野見山暁次さんが、サポートを受けあってくれたので、個展をする作家の格が上がって、急速に、出世していった。後発なのに、そこにお客さんが集う様子は、一流画廊の、風格が出てきた。しかし、私が、引き続き、彼女を高く評価していると見抜いている、CIAえ-じぇんとたちは、私が、銀座に出向くたびに、そこにわなを仕掛けるので、

 やがて、私の好意も、泉が枯れきって来ており、これからは、増田きよみさんについても、あれこれの真実を書いて行くこととなるだろう。

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*5)

 私は、醍醐イサムとは、2012年をさかのぼること、8年ぐらい前に、上野の都美館の、自由美術展の時、展示室内の、ソファと、テーブルをはさんで、真剣な美術談義を繰り広げていた。で、お互いに、知的レベルが高いと、尊敬しあっていたのに、その7,8年後に、態度が激変していることが納得ができなかった。

 今では、そこからまた、10年は過ぎているので、井上ひさしと、伊藤玄二郎が、つてを、使って、私を、殺そうとしている、作業の一環として、醍醐イサムを使って、失礼な態度を取らせ始めたというのが、わかっているのだけれど、2012年は、まだ、そこまでの、悟りには、至っておらず、

 この謎を解くためには、醍醐イサムを、研究しないといけないと感じ始めた。で、ともかく、彼の作品を記録して置いて、そののち、ゆっくり考察しようと思った。というのも、彼は、抽象絵画系の作家だが、明らかに手抜きをした作品群で、お客を小ばかにした小品を作り、それを、10万円前後で、売るのだった。紙に描いたなぐりがきに近いものを、高い値段で、売っているので、人格的に言うと、そうとうに怪しい人間であることが確かだった。ウィキペディア等でも、自分の学生時代とか、育ちは、一切公開しておらず、生まれた場所も、年代も、公開していない。醍醐イサムという名前そのものもペンネームだと、思う。今の画像を見ると、相当に、おじいちゃんっぽくなってしまっているが、

 2012年ごろまでは、まだ若くていわゆるショパン系の美形として、自分を公開し、女性たちを煙に巻いてカモにしている作家だった。

 と、私が文章を書いているので、今、ググった結果出てくる作品は、いろいろな色を使った、相当手の込んだ作品だ。それらが、画面に、浮かぶ様に、工夫をしている。が、2012年までは、無彩色の作品で、手抜き作品をも、数多く展示し、30代から、60代の富裕な女性たちに、生活を支えてもらっていたのだった。

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*6)

 私は、2012年には、すでに、スマホ、i-phone 4か、6を使って、自分の猫の写真を撮っていたが、スマホを持ち歩くと、そのGPS機能を利用されて、非常に嫌な目に出会うので、

 醍醐イサムの作品群は、ヴィデオカメラで、撮ることにした。だが、敵もさるものひっかくもので、K’sgalleryに、醍醐イサムを、待機させていたのだった。普通、醍醐イサムくらいのレベルの作家は、月曜日しか来ない。その日は、水曜日だったので、それを知らない私が、展示室(これは、一回前の画廊。きよみさんは、今まで、二回転居している)で、醍醐イサムの作品を撮影し始めると、突然、彼が、壁で、隠されているロビーから現れて、私の作業を中止させようとした。それで作品だけを撮るつもりだったのに、醍醐イサムという人間も撮ることになってしまった。おびえていて、卑怯さを丸出しにした、一人の、・まやかし・もの・の真実の姿を。

 しかし、忙しかったのと、動画編集技術を知らなかったので、放っておいた間に、2013年6月がやってきて、金沢と、大阪、倉敷の三都市を巡る旅に出た。その間に、大阪城北詰口駅の、切符売り場に、一瞬置き忘れたのだが、尾行者に、ビデオカメラが盗まれてしまった。

 それで、醍醐イサムという人間が、どれほどに、小心者であるか、そして、卑怯な二面性を持っているという事を世間に、公開できないのだが、それも、また、いい事なのだろう。自分の身を結果として、守ることとなるのだろうと、考えている。フィフティ、フィフティの原則を考えると、私が、自分の目で、彼の真実の姿を見たことが重要だ。そして、それを神様への捧げものとして、ここに文章として、記録しておく。それ以上は、いわゆる過剰に当たるのだと、考えている。

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*7)

 なお、一ノ瀬智恵子さん、(鈴木紗綾ちゃん)、渡辺豊重さんの、三者の間に、見られるものも、上と、相似形なのだが、ここでは、その詳細は、語らない。昔語っているから。

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*8)

 その様に、銀座で、辱めを受けている私が、文章力があって、ありと、あらゆることを正しく、表現する力があるので、悪人たちは困り切っている。それで、私の文章【一本の煙草が落ちていて】から、受動喫煙防止条例を、当時の県知事、松沢茂文氏に作らせ、日本で一番最初の、『ここは禁煙場所です』というゴムプレートを、私が、鎌倉街道から、自宅へと、入る道に貼らせた。ところが、それが、あまりにも昔の事だったので、二年前ぐらいには、擦り切れて、接着剤も、効果を失い、道路上をふらふらと、さ迷い歩いていたのだが、とうとう、誰かが、それを捨てた。

 そして、鉄の井(くろがねの井戸と読む)を最北端として、小町通りを、駅から、北端までを、禁煙区域と新たに定めた。だから、我が家(実動15軒の、小さな町内会)への進入路、入り口にあった、禁煙を示すゴムプレートは、二年強、そこからきえていたのだった。

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*9)

 しかし、私が最近、書くものがあまりにも、真実なので、これ以上書き続けられると、自分たちの社会的名誉が壊滅してしまうと、考えている伊藤玄二郎達、CIAエージェントたちは、やまゆり園事件を起こして、措置入院という語彙を、日本全国に広め、その手法で、私を精神病院に入れて、廃人にしようとしたり、

 NTTドコモとの、インターネット(Wi-Fi)契約を<JCOM>に、乗り換える様に、勧めて、その結果、ブログが、自然消滅する様に、計らったり、いろいろ、わなを、準備したのだが、すべてから、するっと、上手に逃げだして、自分を防衛しぬく、私に、業を煮やして、一大復讐作戦に出てきたのが、2021-1-13日からだった。その日は、10個以上の復讐行為があったのだが、もっとも、すさまじいのは、谷本守雄が、放火犯だと、言うアイテムだった。

 17日に入ると、南アルプス激突バス旅行の裁判が、行われた。私が、過去に皆様に伝えたいと、思っていたコンセプトとは、反対の方向で、審理が進んでいるらしい。それから、かわいそうな、4歳の虐待死女児、こころちゃんの両親の裁判が始まったそうで、これも、私が嫌がるニュースなので、復讐の、一つだと考える。

 で、遠くで、起きていることをNHKニュースとして、伝えてくると、言う脅かしの上に、新しい禁煙プレートを貼るというのは、これも、一つの重要な復讐だった。だから、目くじらを立てないといけない。

これ以降は、次の章へ回します。

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