銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

英雄ポロネーズは革命へと将来そのtitleを変更される? 即興曲Op90と Op142がCIAにより強制的に D899と D935と呼ばれる様になった様に

2022-01-20 00:10:35 | 政治

 この一文は、総タイトルが、音楽オンリーなので、最近のシリーズと、関係がない様に見えるかもしれません。だが、続きです。17日の午後、三時前後に、驚くべき深さで、おどかされたことについて、書いていることの続きです。それについては、第一報、(後注1)と、第二報(後注2)を書いていますが、これは、第三弾です。そして、22日の午前4時に推敲加筆を終わりました。22日にかひつした部分は、紫色のフォントで示します。その時で、初稿の3倍となっています。どうかよろしく。

副題1、『私はあらゆるクラシック曲の中で、シューベルトの、即興曲、Op142(D935)の第三番が、最も好きなのです。アンダンテと指定されていますが、演奏家によって、テンポが相当違っていて、レオンスカヤのテンポを、もっとも好んでいます。ただ、66年も前の、1955年13歳の時のラジオで、響いていたレコードの演奏者は、わかりません。でも、その時から、この曲を大好きだと、言うことは、始まっています

 私がその曲を発見したのはラジオでです。夏休みの宿題として、「古典派の作曲家の作品から、一つを選んで、感想を書いてきなさい」と、言うのが出たのですが、私は、その古典派(ハイドンや、ヘンデルの時代を指す)という部分を聞き漏らしてしまい、全フィールドを聴いたうえで、これが、一番好きだと、感じました。しかし、あまりにも、単純に、見える曲で、かつ、深い精神性をも感じるので、感想文を書くのが難しいと判断をして、レポート用の題材は、プロコフィエフの、ピアノ協奏曲を選びました。つまり、間違えたリポートを提出したわけですが、雲居佐和子先生は、「OKです」と言って受け取ってくださいました。

 私は今でも、目立たない静かな人間ですが、当時はさらに恥ずかしがり屋で、特に音楽の授業では、独唱しないといけないのが試験だったので、その時、いつも声が出ないのです。しかし、集団の中では、大変いい声が出るので、それには、友達も気が付いていてくれたし、むろん、先生も気が付いていてくださって、ひそかにかわいがっていただいていました。それは、高校に進学しても、主婦として、コーラスに参加しても同じでした。どうしてそんなに恥ずかしがり屋だったかというと、父が、一種の夢見る夢子さんタイプで、いっつも歌を歌っているのですが、(油絵は、新聞記事になるほど、上手なのに、歌は下手で)叔父から、「千晴(ちはる)の歌は、変タ調だね」と、いつもからかわれていたと、母から聞いていたからです。ここでいう変は、フラットの事で、叔父は、数学を専門としていて、戦前戦中から、萩中学の校長でした。が、音楽も教えられるほど、音楽が好きだったのです。しかも、父よりは、11歳も上なので、からかうのは当然の事でした。

 さて、私の音楽体験としては、ラジオが、主でした。が、後年松田聖子を売り出して、その結果、ソニーエンタテインメントの、重役になった母の従姉妹から、彼が、ビクターに勤務していた時期に、試聴版(白いレーベルのもので、だれが、歌っているかは、想像しないとわからないが、ロジャームーア楽団である数枚は、わかっていた)などをもらっていて、アメリカ系の、歌は、そのレコードの影響で、歌う様になりました。

 北隣のおじさんが、グヮルネリか、ストラディヴァリウスを持っていて、夜の11時ごろから、G線上のアリアなどの、優しい曲を弾くのです。今だと、近隣騒音とか何とかいう事となって、だめなのでしょうが、昔は、緩やかだったし、何よりも、その音がきれいなので、だれも文句を言う人がいなかったのです。これは、ご本人が持っているものですが、息子さんが、ご自分のホーム頁(むすこさんは音楽家ではなくて建築家。父親も、本業は、車のデザイナーで、昭和天皇の御料車を、設計した人)に飾っていたので、きっと、古楽器の名器です。1920年代ごろ、手に入れたものでしょう。お父さんの実家は神戸に在って、須賀敦子級のお金持ちだったと、推察していますから、きっと、そのクラスのものだったと、思います。貿易商だったら、簡単にイタリアから、取り寄せられますので。

 私は、毎夜、12時までは、勉強をしていたので、しかも、勉強部屋が、北側にあったので、常に、それを、11時過ぎに聞いていて、心を澄ませていました。

 私は、音楽の専門家ではありません。しかし、音楽に関しては、相当に深い知識と、教養を蓄積していると、ひそかに自負しています。そういう私に、17日の午後、平木夫人は、「あの子の弾いていた曲は、英雄ではなくて、革命です」と、言ったのです。

 これは、大きな・嘘・でした。それで、ひどい、窮地を脱したのです。しかし、ショパンは、革命などというタイトルの曲は作っていないということを、グーグル検索で、一応確かめたのは、17日の夜9時頃でした。だから、午後3時から、9時まで、6時間は、ひやひやさせられていたのです。で、ミステリーですから、最初期の時間に戻して、これからの話を進めます。

 17日の午後2時45分から50分までの、5分間についての、詳細は、あと注2をご覧頂きたく存じます。

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副題2、『22-1-17 14:50 ごろ、平木夫人は、「うちの子は、東大には、行っていません。そんなに頭がよくないです」といった。それで、私は、びっくりして、窮地に陥った。しかし、自分が書いたもの(=思考の経過)には、大きな自信があったので、戦うという形ではなくて、疑問を解くために、次から、次へと、質問を繰り出した。中には、準備されていて、芝居とも嘘とも思えない発言もあったが、ポロリと出てきた本音もあって、それも、私が窮地を脱出する、大きな武器ともなった』

 「お坊ちゃまは、理 I 理 II 理 III?」という質問は、私の方では罠ではない。ただ、ずっと、興味のある課題だった。2021年の4月11日から、ずっと研究すべきテーマだった。というのもピアノが、上手なお子さんをほかに知っているが、みんな理工系に進んでいる。

 平木さん一家は、(この日初めて、彼女から、それを聞いて、知ったのだが)、お子さんが生まれる前に、ここに引っ越してきたという話だった。つまり、20年以上前だったということとなる。しかし、私の方は、そのころ、パリへ行ったり(これは、国費)ニューヨークへ行ったり(これは、私費)、一年に三か月は、日本にいなかった。そして、そういうことを許さない家族から離れて、そういう自由を確保するために、逗子で、一人暮らしをしていたので、この転入には気が付かなかった。

 しかも、今では、奥さんが家出を仕切っていて(10年以上)、自分こそ、捨てられた男なのに、

 おっちょこチョイ極まりない男性(大原光孝氏)が、2003年か2005年の間に、「<<<川崎さんは、離婚をするよ>>>とみんながうわさをしているよ」と、わざわざ、私に面と向かって言うぐらいだから、我が家は、・・・・・失敗した気の毒な家・・・・・という風な、劣等な扱いを受けていて、平木さん一家は、転入のあいさつに来なかった可能性すらある。:::::::ところで、大原光孝さんには、非常に多数回、嫌がらせ行為を受けているので、

 私も「奥様は、どうして、家にいないのですか?」と、質問をしたことがある。すると、彼は、「マンションの方が好きなんだそうです」と答えた。私は、夫が、『専業主婦である、お前が、海外に行くなんて、贅沢だ』と、言う考えだから、家出をしていたのだけれど、(特に夫のお金を使うわけではないので、どうしても行きたかったので行ったのだった)・・・・・比較して、恵美子夫人の方は、女子美卒なのだけれど、作家活動はしていないので、創作のために、別居をする必要はない。・・・・・恵美子夫人は、白井達雄さんの転入によって、『自分の夫が、男性としては、収入の面では、エリートではなかった。自分をだまして来たのだ』と、考えるに至ったのだろう・・・・・と、推察して一文を書いているが、もう一つ理由があるだろう。それは、別の男性に、惹かれたからという・・・・・一般の例でもよくあるケースだ。相手の名前も大体わかっている。美術界の大物のあの人であるはず。その男性が、お金持ち(実家の病院で、理事待遇などを受けていて、実家からお給料が出ているはず)の恵美子夫人に、独立別居を促したと、推察している。ここには、その詳細は、併記しないが、本当にひどいことを彼からやられているので、ここまで、書く。

 ただ、平木さん一家に関しては、いろいろな情報が、泥棒によってもたらされている。私たち夫婦が、二人とも留守をしているときに、泥棒が、いろいろな資料を置いて帰るのだ。まず、お子さん方の、通っている音楽教室の領収書、それで、二人の名前がわかったが、それを使うのが罠だと思ったので、捨てていて、覚えていない。

 その次に問題の、東大へ、前年の秋から、「あなたは、来年の四月から、東大へ入学できますよ」とお知らせを受けているご長男の方の、名前がわかる、ファイル「数学」の背表紙、縦がB5サイズのものも、寝室に入れ込められていた。それは、たぶん、今でも持っていて、名前も記憶しているが、もちろん使っていない。

 その次に、夫婦二人の名前が併記されている何かが、入っていた。で、そのころ、奥様は、優美に挨拶をしてくれる人だという認識があり、ご主人の方が、ひどい攻撃を一手にしてくる段階だったので、ご主人の名前が、伸明さんだと、言うこと・だけ・を記憶して、その紙は捨ててしまった。

 私は美形好きなカワサキさんと、ひとからからかわれるほど、人間でも、ものでも、自然でも、作品でも、美しいものが好きなのだ。しかし、スタイルが、全般的に見て、美しく、優美で、態度もしとやかな、平木夫人が、うそつきであるということは、去年の、四月10日(土曜日)には、悟ってしまい、一文をすでに書いている。(後注3)その9か月後の今般、さらに大きな嘘を、五つぐらい重ねてついている平木夫人に接して、『おやまあ、この人は、一種の悪女だったのですね。というか、したたかさが、極まりないと、言うタイプだったのですね。驚きました』と、言う風に考えを改めた。

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副題3,『この小さな谷戸には、21の軒の家がある。ただし、人間関係が非常に難しい地域(これは、私の言葉ではなくて、1982年に家を売ろうとしていた人の言葉であるが)なので、私が知る限り、14回の引っ越しがあった。で、34家族を見てきたのだけれど、そのうち、27家族ぐらいは、子育てをしていた家族だ。ただし、6家族ぐらいは、主婦が、仕事をする家なので保育所でお子様が育った。残りの21家族は、子供が未就学児期には、母親が専業主婦として、子供を育てていた。尚、おばあちゃんが育てている場合も、それは、保育所で育てたわけではないと、私はみなしていて、それも入れると、数値として、21軒の家の主婦が、子育ての経験があることとなる。しかし、亡くなったり、転居したり、家出をしたりして、なんと、今では、たった三軒しか、残って居ないのだ。自分で子育てを経験した家の主婦がいる家の事だが。

 で、その三軒のうち、二軒は、すでに、子供が独立した80代の主婦のいる家なので、未就学児期の、子供を自分で育てましたと、言う主婦は、平木夫人だけなのだ。しかも、子供が、同居していて、まだ学生ですと、言う年齢構成の家で、きちんとした子育て経験をしているのは平木夫人だけだ。

 私は、・・・・時代に逆行している・・・・といわれるだろうが、保育所で育てると、親にも子にもマイナスが残ると、思っている。50万人を超すといわれる引きこもり男性なのだが、調査してごらんなさい。必ず、保育所に預けて、育てていますよ。保育所だと、どうしても、お子さんの行動に制限がかかる。したがって、小さいときに経験しておくべき、ことを経験しないで、育ちあがるので、社会に出たときに、対処できないケースも出てきて、ひきこもる様になるのだ。引きこもりが、大卒後始まる会社勤めによって始まったケースよりも、ずっと前の、より、小さい時期に始まるケースもあるだろう。それは、頭の良いお子さんが、いじめに出会うケースから、引きこもることもあるだろう。

 専業主婦として、子育てをするのは意外と大変なのだ。近隣との付き合い、学校や幼稚園の担任との付き合い。特に嫉妬が大問題で、お母さんが担任教師に嫉妬されると、子供がいじめられて大変だ。だから、有名大学を出ていて、専業主婦で、そして、夫が高給取りで、かつ本人が美人だったりしたら、もう大変。私は、自分もそういうタイプだったが、私よりももっと美人で、しかも離婚を経験している人が教師の嫉妬のターゲットになってしまって、お子さんが苛め抜かれているのを目の当たりにしたので、これは、真実である。こういうのは、解決不可能で、ひたすら我慢をするしかない。苦しい苦しい経験だ。そういう不条理を経験するのが子育てである。だから、人間が鍛えられる。

 よく同調圧力と言われるが、専業主婦で、母親だったりしたら、同調圧力と言われるもの以上の、へりくだりと、目立たない生き方が、求められる。そういう・・・・言葉で説明できない類の・・・・苦労をしているので、専業主婦として、子育てをした女性は、当然に、成熟する。心理的に成熟する。

 で、平木夫人は、心理的に成熟している。しかも、この山にかつては、27人もいた、同種類の主婦は、亡くなったり、転居したりして、既にいないのだから、平木夫人はとても目立つという形であり、私は、ひそかに、敬愛をしていて、好意を持って居たが、『そうか、川崎千恵子が好意を持っている人間=この場合は、平木夫人=に、彼女を攻撃させれば、効果は抜群に高く上がるぜ』と、伊藤玄二郎たち、=CIAエージェントたちは考えたのである。で、平木夫人には、平成の、八墓村事件が起きた2014年7月23日(事件後、二日目の火曜日から、始まって、私がブログで、それを書く、木曜日まで続いた大きな攻撃を受けたのにもかかわらず、実名表記をしなかったので、・・・・・そうか、平木一家を使えば、彼女=私の事=を、最も効果的に攻撃できるぞ、と、みなされていて、最近では、この山で、もっとも、華々しい、活躍をしている一家だった。

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副題4、『ここで、重要な種明かしをしてしまおう。自分としては、ミステリー小説の出来が悪くなるので、残念だけれど、重要な伏線だから、それは、読者にも知らせておいた方がいい。

 あれは、14日の夜の事だった。私は、ひらめきを受けて、西隣の白井さん宅を久しぶりに、二階の窓から、のぞいてみた。白井達雄・小野寺夫人(夫婦別姓である)宅は、開口部が、全部、東(我が家の方)を向いているので、のぞこうと思えば、ほとんどの部屋が、我が家から、見えるのだった。

 ただし、エチケットの問題があり、私は、心理的に成熟し、とても、できている人なので、ほとんど、のぞいたことはない。ところが、二年前まで、そこに寝室を置いていたので、そちらの気配は、電気の光具合で、ひたひたと、押し寄せてきてわかるのだった。で、伊藤玄二郎に呼び出されて、会議を行っている夜は、そちらから、押し寄せてくる気配が、暗い。それで、すぐわかった。

 これは、本当は、書きたくなかったことだ。これから、用心されて、会議のある日も、全館、煌々と電気をつけて外出するだろうし、もし夏で、彼女が家を出るときは、まだあたりが明るかったとしても、警察が、その家のでんきを自由に点灯できるのだった。反対に勝手に消灯もできる。我が家は、消灯の方の、被害を何度も被っている。台所の天井灯とかお風呂の天井灯が突然に消されてしまうという形で。

 私が探偵を用いないのに、彼らの考えをつぶさに理解し、分析できるのは、ひとえに、白井達雄(小野寺)夫妻が、伊藤玄二郎に呼び出される日と、自分のブログとの関連を考えるので、的確に判断ができるからだった。私が、以前には、書いていなかった、新しい真実に触れると、彼らは対抗するべき、策を練り、それに実行者として使役する、白井夫妻を、会議へ呼び出して教育するのだった。

 数年前は、前田祝一・清子夫妻も招かれていた。こちらも電灯の、点灯具合で、わかった。これらの会議が始まったのは、2007年ごろだと、推察している。最初は、安野夫妻とか、柳沢昇も、招かれていた可能性があるが、あの二つの家は、ご本人は、自分を賢いと、思っているらしいが、わたくしにいわせると、レベルが三段階ぐらい下で、おバカさんなので、この二軒を招くとかえって、失敗に向かい、いろいろなことが、彼女にばれてしまうと、伊藤玄二郎たちにはわかった模様で、今では、招かれていないと思う。しかし、はずしたことで、恨まれたりひがんだりされても、困るので、重篤な手当てをしてあげていると思う。たとえば、かまくら春秋窯を、じゃらんで、紹介してもらうとか(だから、お客さんが、ひっきりなしに来た、時期もあったが、定着していない)、安野家が、屋根をふき替えたけれど、それを、半額、鎌倉市からの援助で、まかなうという形にして、請求書を二倍の額を作らせて、半額(実際には、全額)を鎌倉市から援助するなどという慰撫の、仕組みがあるだろう。

 しかし、最近では、その伊藤玄二郎主宰の会議への出席者は、変っている可能性が高い。

 その2022-1-14の会議について、メモを書き、下書きボックスに入れておいたのだけれど、それを引っ張り出してきて、公開するために、以下に置こう。

ところが、書いたはずの文章がない。仕方がないのでもう一回書き直そう。++++罫線以下、は、14日に書いたメモである。

+++++++久しぶりに閃いて、白井さん宅を見てみた。誰もいないので、例の会議が開かれたと推察する。出席者だが、こちら、山側は、白井夫妻、山田さん、平木伸明さんは、出ている。大原光孝さんと、平木夫人がどっちかな?という程度で、わからない。

 伊藤玄二郎側は、彼、中谷家の次男、鶴岡八幡宮の、龍村さん、鎌倉警察署生活安全課の課長は、出ていたと、思われる。

 しかし、17日の、私が本人から、直接に聞いてしまった平木夫人の数々の嘘を、誰が考案し、だれが、平木夫人に教え込んだかを考えると、例の環境施設課の、吏員と、平木夫人が、会議があった金曜日の夜ではなくて、次の日の土曜日か、日曜日の昼間、または、月曜日の午前中に、伊藤玄二郎に呼ばれて、その禁煙ゴムプレートを貼る際に、私への対応をどうするかについて事細かに、れくちゅあーを受けていた可能性はある。

 どうして・・別の日に、分けた?か・・・の理由は、白井夫妻は、非常に深く、あれこれを知っているので、そこに、最近五年間、急に浮上している、平木夫妻を、同席させると、CIAエージェントが過去に行ってきた悪の数々が、駄々洩れに外へ出てしまい、秘密がすべて、明らかになって、外へ出てしまう可能性があるからだ。だから、ここで上げている名前のうち、

 平木夫人と、鶴岡八幡宮の龍村さんと、生活安全課の課長は、来ていなかった可能性がある。山田さんが、課長よりも、警察内・階級としては、上の人間だろうから、山田さんが、出席している限り、二重の出席はないと、思われる。ともかく、6人程度の少人数の方が、伝達が、しっかりするので・・・・・

 ここ(=2022年1月14日)で、会議が行われるタイミングについては、思い当たることがあった。彼らにしてみると、・・・・・12月20日に始まったJCOMへの乗り換えを利用してだまし討ちみたいにして、このブログを消滅させる予定だったのに、それは、すっかり狂っている。しかも、すぐさま、それを、彼女に、例のブログで、書かれている。その前は、日吉における、我々の工作(カリタス小通学バス襲撃事件の事)をすっかり明らかにされており、

 彼女が、それには、触れるはずもないと思っていた・・・・水沢勉氏(現在は、葉山の美術館・館長。日吉の、我が実家の近所に氏の実家もある)が、こちら側の人間として動いたこと、及び、小田歯科医院でのあれこれ・・・・・も書かれてしまった。ここは、戦略を新しく練り直さないといけない・・・・・と、そういう会議であろうと、推察していました。

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副題5,『平木夫人が、態度としては、かわいらしく、かつ優雅に、しゃべった中で、重要なウソを、ついていることは、立ち話の、最初から、感じ取っていて、・・・・・もし、その時の私の本心を言えば、・・・・・平木夫人は、ふてぶてしすぎる。2021年の4月10日に、圧倒的に嘘だとわかることをシャーシャーといったが、今回は、さらにひどい。嘘の数が、多すぎる。これは、彼女の性格上、自然に、できることなのだろうか? 彼女は結婚する前の、実家で育つ過程で、何か、苦労をしましたか?・・・・・

 などと考え込んだが、重要な三つ目の嘘【革命】が、出てきたときに、ああ、これは、彼女一人の発案ではないですね。後ろに、井上ひさしがいて、アイデアを練り、彼女は、教唆され、教えられたとおりに、動いていますね・・・・・と、わかってきた。なるほど、これが、14日の金曜日の夜の会議で・・・・・または、次の日に・・・・平木夫人に伝えられたことなのですねと、納得をした。しかし、リアルな世界では、喧嘩をしない主義の私は、その17日の午後でも、だいたいに、おいて、質問をするという形で終始し、途中で気が付いた彼女の、嘘へ、その場で、即座に、突っ込みを入れるという形は、取らなかった』

 彼女は、坊や自身が、私に、そのタイトルは「英雄です」と教えてくれたのに、私が、それを平木夫人に、言うと、「いいえ、違います。革命です」と言い、その後も、二度ぐらい、革命という語彙を繰り返した。

 平木夫人は、「息子は、ピアノの発表会があって、練習をしていました。別れの曲です」という。坊やは、別れの曲なんって、一切、弾いていなかった。その上、一月後、統一試験(東大の入試の第一関門)がある男の子が、ピアノの発表会に、11月か、12月に、出るだろうか? それは、あり得ない。で、「嘘も、休み休み、言いなさい」と、思った私は、ここでも内心では、激怒した。

 別れの曲って、悲しみを表現する静かな曲だ。そして、実際には、ショパンの、音楽を知りもしない、井上ひさしが、唯一、メロディを知っていた曲だと、思われる。それで、平木夫人に「別れの曲を弾いていたと、突っぱねなさい」と、教唆したと、思われる。

 これは、平木家のご長男が、前年の秋に、一種の推薦入学という形で、東大へ、入学できることを知らされていたと、言う、私が書いていることが、真実であることを余計、確実に証明している。それ以前は、消音とヘッドフォンの方式で、弾いていた平木家で、その時だけ勝ち誇った様に、英雄ポロネーズを、坊やは大音響で弾いていたのだった。それがキーセンテンスである。だから、そこを否定すれば、こちらが勝つと、鎌倉エージェントが考えて、平木夫人に「革命を弾いていたと、言いなさい」と、命令をしたと、思われる。

 ただ、2020年の秋に戻れば、そのジャンじゃか、ジャンじゃか、派手に英雄ポロネーズが、響いていたその時点では、私は、東大とその勝ち誇った演奏が、関係があるとは、知らなかった。

 しかし、2021年の、四月11日の午後、平木さん一家が、最上級のおしゃれをして、しかも、全員が別々に、ひそかに山を下りて行ったので、『ああ、入学式に出るんですね』と、感じたのだった。

 『午後出て、東京のシティホテル=例えば、パレスホテルに泊まって、早朝、ヘアメイクと、着付けをホテルでしてもらって、午前10時に始まる、入学式にでるのでしょう。ところで、4月12日に、入学式を行う大学って、どこだろう?』と、ググってみたら、東大だけだったのだ。2021年4月11日の午後、平木夫人の、ゴールド色(令和天皇が即位の礼でお召しになった・コウロホウのゴゼンとそっくりな、色だったが)のおべべを、見た途端、明朝の着付けを行うホテルとして、直感で、パレスホテルをイメージしたのだが、東大の入学式とは、武道館で、行われるそうで、もっとも、近いホテルとは、パレスホテルだった。なんと、勘がいい私であろうか? しかし、平木さん一家が、パレスホテルを使ったかどうかは知らない。帝国ホテルだったかもしれないし、皇居周辺に、ばたばた設立された新しいタイプの、シティホテルだったかもしれない。ともかく、すべてを合わせて、20万円を平木さん一家は、ご長男の入学式だけで、支払うことになったと、推察される。

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副題6、『わたくしの父方の実家は、毛利家の重臣で、一時期は萩の御三家の一つと言われていた。父の兄のお嫁さんは、長州藩ではない別の藩の出身だが、ご家老様の娘である。自身は、お殿様の家来だが、自分の家にも家来がいる身分だった。

 で、上流階級特有の・・・威張らない・・・という、マナーを持っている。人の上に立とうとしない。へりくだっている。私の日吉の北隣の、増田忠さん(昭和天皇の御料車のデザイナー)が、子供時代から、グヮルネリか、ストラディヴァリウスを持っていて、彼が亡くなった後で、息子の増田奏(すすむと読む)=書物を数冊出版している独立系建築家=さんが、15年ぐらい前まで、ご自分のホーム頁に、そのヴァイオリンを、自分のかたわらに下げていた。というアマチュアながら、音楽通だったが、

 私の実家(父方)も、アマチュアながら、クラシック音楽通だったのだ。それが、1920年代の事だから、2022年の今、ショパンが【革命】という曲を作曲し、「息子が、2020年の秋、弾いていたのは、英雄ではなくて、そちらの方です」などと、平木夫人が言えば、内心で、激怒するのは当たり前の話だ。

 例えば、副題1で、父が、11歳年上の叔父から、「変タ調だね」と、からかわれていたと、書いている。これは、1925年ごろの話だけれど、これが、ジョークとなるためには、クラシック音楽の楽典、特に、調号についての知識がきちんとある人々の間でないと、ジョークにもならない。

 今、念のために、♭の付いた調号がいくつあるかを、グーグルで、きちんとチェックしてみた。するとシャープの付いた調号は、日本語では、嬰という冠言葉で表され、♭の付いた調号は、日本語では、変という冠言葉で表され、両方とも、7つまで、ついた調号があり、それぞれ、長調と短調があるので、全28の調号があるのだが、変タ調は、長調も短調もないのだ。

ヘ長調・ニ短調 F dur / d moll ・・・変ロ長調・ト短調 B dur / g moll 

変ホ長調・ハ短調 Es dur / c moll・・・変イ長調・ヘ短調 As dur / f moll

変ニ長調・変ロ短調 Des dur / b moll・・・変ト長調・変ホ短調 Ges dur / es moll

変ハ長調・変イ短調 Ces dur / as moll・・・

何度チェックしても、変タ長調も、変タ短調もない。でも、あたかもありそうだなあと、思わせるところに、このジョークのすごさがある。母は、女学校時代は、お琴をやっていて生田流の楽譜を読む人だったが、NHKが、ギター教室を始めた時に、自分もギターを始めたので、五線譜を読める女性だった。したがって、「千寿(ちひろ)さんが、千晴(ちはる)は、変タ調だねと、いつも言っていたのよ」と楽しそうに、このジョークを繰り返していた。しかし、その母の言葉こそが、私が、人前で、歌うことができないという原因だったのだけれど。

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副題7、『平木夫人が、息子が弾いていたのは、英雄ではなくて、革命ですと、言う嘘の楽曲名を出したときに、私の怒りは、最高潮に達していた。顔には出さないが、内心では、激怒状態だった』

 その変タ調というジョークは、1950年代から、繰り返し聞かされた話だった。そう、それから、70年間、クラシック音楽に対して、知識や、教養を深めてきた私に向かって、下の写真の青の矢印のところで、

 「2020年の秋に、息子が引いていたのは、英雄ではなくて、革命です」と、平木夫人は言明したのだ。ここで挿入となるが、娘が、中学生の時に、「お母さんが切れたら怖い」と、私に向かって言っていたのか、お兄ちゃんに向かって言っていたか、だれに向かって言っていたのかは、忘れたが、確かにそういっていた。私は、自分の二人の子どもをぶったこともないし、つねったこともない。怒鳴ったこともないが、心理学的なレベルで、ものすごいレベルの怖さを、子供に、感じさせるところがあるのだと思う。

 そうだった。この2022年1月17日の午後、最上級の激怒状態に、陥っていたのだ。つまり、怖い人状態に陥っていたのだ。

 その上、この禁煙ゴムプレートを貼りに来たこと自体が、最高ランクの、攻撃に当たるのだから、天の視座から見れば、今度は、私の方が攻撃をしていい。ただ、私は、上に言っている様に都会育ちで、かつ上流階級風に育っているので、急に怒りの顔へ、変化するわけではない。ただ、いろいろ、質問をしていい権利を得たと、思った。

 特にゴムプレートの、次に、自分から、平木ですと名乗ったこと(マスクで、顔が、三分の二は、隠れていたので、名乗らなければ、気が付かなかった。わざと名乗る様に伊藤玄二郎達から命令を受けていたと、今では考えている)が、次の段階の攻撃だった。その上、名乗った彼女は、男性吏員に向かって、話しかけている私の会話を横取りして、「川崎さんが、ブログをやっているのですか? それは、全然知りませんでした」といった。(ここから、蛇足1というところへ飛びます)

 ここで、JCOMへのインターネットオプション乗り換えで、自動的に、このブログが、消滅の危機に瀕したことを、しっかりと思い出す私だった。彼女が、読んでいないことはあり得る。特に夫婦ともに、全文は、読んではいない。したがって、的外れな行動をしてくることが多い。

 ただし、前田夫人とか、前田夫人より上に立っている山田さんは、読んでいるわけで、そこから、三段階経由にしても、私がブログで、何を書いているかは、知っている筈なのだ。それを、もう一人の人間=鎌倉市の環境施設課の、吏員が、いる前で、堂々と、「川崎さんが、ブログを書いているなんて、知らなかった」と明言するのは、近々、また、だまし討ちに出会って、このブログが消える可能性を、さらに強く、示唆した。

 次に、いったんは二人から離れた私が、戻ってきて、最初の質問を発したときに、彼女は、きょトンとしていた。で、私は、1960年代は、東大に勤めていたので、入試が,理科系、三、文科系、4に分かれていて、通称として、理 I II  IIIと、呼ぶことを知っていたが、

 彼女があまりにもきょとんとしているので、ふと、東大の、入試の仕組みが変わったのかと、思い直して、こう付け足した。「あのね、今の東大の、入試の仕組みは知りませんけれどね」と。すると、彼女は間髪を入れず、「うちの子は、東大へは行ってません。そんなに頭がよくありません」といった。その上、「うちの子は今高3です」とも言った。だが、いくつもの質問を続けるうちに湘南高校に、通学していたと、言うことはわかり、とても頭がいい方だった。

 そして、上で、何度も言っている、革命というタイトルが出てきた。これが勿論、嘘なのだけれど、後半に行って、もう一つすさまじいウソが出て来て、『ああ、こうなると、今まで、答えてもらった項目のうち、重要なポイントでは、すべて、嘘をついていますね』と、言う結論に到達した。

 「英雄ではなくて、革命です」と彼女が主張した楽曲名は、無論、彼女が考案した語彙ではなくて、井上ひさしが考案したものだと思う。

 したがって、井上ひさしが、どれほどに、音楽に関する教養やら、知識がないのかを、さらしている、好個の例だと言える。

 しかし、白井達雄(+小野寺夫人)夫妻が、東大卒なのに、その嘘が通用すると考えたと仮定すると二人の、教養のレベルも相当に怪しくなる。伊藤玄二郎の、それも怪しくなる。で、ここは、こういう風に考えよう。14日の夜の会議には、平木夫妻(特に細君の方)は、招かれておらず、15日か、16日に、ふたりだけが、招かれて、伊藤玄二郎から、詳細に、17日の行動予定について、れくちゅあーを受けた・・・・と。

 英雄ではなくて、革命ですって、井上ひさしは、私がショパンは好きではなくて、ショパンについては、詳しくないと、書いているので、それに悪乗りをして【革命】などと、言う英雄と似ているタイトルを持ち出して来て、私を煙に巻き、私が一年にわたって書いてきた、文章を全部、自分で、削除する様に仕向けてきたのだった。

 驚いた。いろいろな意味で。息子が東大に入ったほどの、栄誉に服しているのに、そのお母さんが、見え透いた嘘を連発する。それも驚きの極致だったが、彼女の演技のうまさにも脱帽だ。

 私は、2022年1月17日の、夜九時までは、不安に満たされていた。これは、大量の時間をかけないと修正できないと、思って。しかし、夜九時にショパンの、曲名全部をさらって、革命などないことを確かめて、すっかり落ち着いた。

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副題8,『シューベルトが作曲した曲には、整理番号として、Opが長らく使われてきた。しかし、私が、NHKBSPで、クンウーパイクが演奏する、シューベルトのピアノ即興曲の、クラシック倶楽部を聴いて、感想文を、書いた時以来、Op ではなくてD[=どいちゅ番号】を使う様に、強制的に、変更されてきた。その私に対するいじめが、始まって以来、10年以上が過ぎているので、すっかり、どいちゅ番号が、正式なものとして使われている。アンドラーシュシフが、ザルツブルグ音楽祭でのアンコール曲として、

後注1,

画廊のオーナー増田きよみさんは、私の禁煙運動批判エッセーを褒めたので大出世をした

2022-01-17 14:58:33 | 政治

後注2,

私はぞっとした。一年分の文章を訂正せねばならないかと一瞬は思って。しかし大丈夫だったので一安心

2022-01-18 21:57:10 | 政治

 

(蛇足1) 平木さん一家が、伸明さん、奥さん、(そして、子供たちは無論の事ですが、一家の構成員の誰)も、私のブログを読んでいないと、言うのは、彼女の言い分を待たないでも、わかっていました。ちょっと、ピント外れだなあと、思う攻撃を数多く、やられてきていますのでね。

 だけど、それは、伊藤玄二郎、もしくは、安野夫人、もしくは、前田夫人、(もしくは、奥さんが、私の想像通り、市長秘書をしていると仮定して)、松尾崇市長からの命令で、読まないと、決めているのか?、

 それとも、敵さんが、平木家のパソコンに、工作を施して、このブログが、自然に迷惑メールとか、 危険なサイトという事になってしまっていて、読めないのか?

 は、私は、知りませんが、読まないで、いることが、結果として、見事に、伊藤玄二郎一派を裏切ることになっているのです。誠実とか、忠実を尽くしているつもりになっていても、結果としては、まったく反対の行動をとっているのです。それが、奇怪だというか、滑稽だというか、天理のあかしだというか・・・・・・ひそかに笑ってしまっているほどです。非常に悪辣なことをやられていても、笑っていて、看過してきました。しかし、時々、天が裂ける様にして、こちらにも、光が当たるのでした。それで、平木家のおかげで、こちらにも、いいことがあるのです。

 この章でも、如何に、いまだ生きている井上ひさしが悪辣であり、かつ、無教養であるかを、証明するに、あの一家、特に17日の奥様が、役立っているわけです。したがって、こっちは、それなりに助かるというわけです。ほっとして、一息つける、というわけです。

 平木夫人に、ここで言っておこう。読まないと思いますが、天に向かって、語る言葉としてです。「あなたは、賢いつもりになって、お芝居していらっしゃるみたいですが、後ろに、井上ひさしと、書いてある、しっぽがひらひらしていますよ。それが見えるから、本当にうれしくなっちゃいます。あんがと」と。

 「あなたの家から、100mも、離れていない川合良一さんの門をたたいて、ショパンが革命という曲を作ったかどうか、問い合わせてごらんなさい。彼は、芸大出身ですよ。そして、理科大オーケストラの指揮者です」とも。

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