この章は、最初の総タイトルを、【角野英子さんのいちご色の壁の家に、ご主人は住んだのであろうか? 否だろうと思う私である】としておりました。だが、17日の午前三時に上のものへと変更しました。
副題1、『鶴岡八幡宮境内には、吉田茂穂宮司様になってから、いくつもの変革が起きている。すべて、わたくしいじめのものである。ブログに書いている部分を消し去ろうとする、動きである』
2022年1月16日は夜10時には、大川小学校裁判について述べるつもりでした。しかし、新しい文章を書く前に、前報内で、お約束していた海老蔵の、源氏物語についての批判を書いている初期のブログのリンク先を探さないといけないと、考えていて、その仕事にとりかかっているのに、見つかりません。芝居を見た直後には、文章を書かなかったのだと、思います。だから、本日は、それを探し出すことが無理になりました。すみません。約束を破って。
しかし、探しているうちに思いがけない写真が見つかりました。これは、1970年代の私と子供たちで、主人が撮影したものです。場所は、今の鶴岡八幡宮・文華館・喫茶室になっているあたりで、喫茶室内に、倒壊した大イチョウの、幹の一部が、置いてあるあたりです。今から、40年前の写真です。
後ろに見える四角い建造物は、旧神奈川県立美術館の収蔵庫です。今はそれがどうなっているか、高い塀に囲まれているので、わかりません。と、2018年には書いているのですが、上で言っている通り、この場所は大変革を遂げています。ただ、それも、この場所について、何本ものブログを私が書いているので、その文章に出て来る場所をなくしていこうとする、動きの一環です。
吉田茂穂宮司様は京都の吉田家(神道の、有名なお家)のでだろうと思います。それは、前報で述べた松王丸が出てくる、菅原伝授手習鑑に出てくる神社でもあります。そして、最近、・・・・・その言質を取ったので、これで、20年間はブログを書き続けられる・・・・・と、言っている龍村さん(上級神官)は、京都、の、帯の制作で、有名な【龍村】の出だと、思います。だから、お二人は、肝胆相照らす間柄で、いずれ、龍村さんが、こちらの、宮司職を務めるのだと、思っています。間に、数人は入るでしょうが、いずれ龍村さんが、鶴岡八幡宮のトップになるでしょう。
その龍村さんは、こっち側なんだよと、伊藤玄二郎たち、CIAエージェントは、言いたかったらしくて、宮沢エマに、龍村製作らしいと、想像できる立派な帯をあつらえて、それを着て、彼女は、お正月冒頭の、知恵泉に出てきました。
鶴岡八幡宮様からは、夜七時から始まる音楽会に、ことよせて、朝の九時から、異様な音量で、マイクの試験中という放送が繰り返されること、および、一日中、不規則な時間帯に、異様な長さで、大太鼓が連打されることを含めて、合計、200回ぐらいいじめられてきています。それは、吉田茂穂宮司の裁量で行われているのだと、ずっと、判断をしていました。ところが、
2020年4月27日に、社務所に、「工務所・所長・藤間さんとお話をしたい」とお願いをしたら、突然に、龍村さんが、藤間さんと一緒に現れて、龍村さんが、主に、あれこれを、しゃべったのですが、なんと、私より安野智紗夫人を上に置いたのでした。
安野智紗夫人というのは、私が嫌っているので、敵の敵は、味方だという戦略の上から、CIAに、押しに押されている、存在です。で、日本では、CIAの実動部隊は、警察なので、警察にも押しに押されている存在です。
しかし、ものすごく深いレベルで、悪女様です。で、彼女が、行っていることを正しく書くたびに、謀略的殺人事件が起きます。そして、遠くに住んでいる無辜の人が殺されます。大坂の、西澤弘太郎先生が、院長を務めていた、雑居ビル内の、心療内科が、放火されたのも、その次の日に札幌のホテルから、神田沙也加ちゃんが突き落とされて、自殺らしいと、言われているのも、すべて、安野智紗夫人を助けるための、謀略行為です。
ただし、私が言っていることが、NHKニュースとか朝日新聞に、肯定される日は、将来にわたって、来ないでしょう。でも、それでも、いいから、主張を続けます。
龍村さんは、私が、その日、内心で、言質を取ったと、考えて何も言わずに踵を返したので、誤解をなさったでしょうね。自分たちが勝ったと。そして、そういう風に伊藤玄二郎か、または、鎌倉警察署の生活安全課の課長か、警察署所長に、ご報告をなさったのでしょう。
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副題2、『ところで、吉田宮司が、まだ、正式に宮司になっておられない段階で、実行なさったであろうことが、神奈川近代美術館への土地の貸借契約の破棄で、それで、旧本館が、2016年に消えてしまい、2018年に、文華館という施設に変化してしまったことだった。そして、神奈川県立近代美術館は、独立法人化したらしい。そして、旧・宮家(秩父の宮家?)の別荘を、買い取って、葉山の、近代美術館として、開業した。これは酒井忠康氏も絡んでいることだったと、推察している』
私は、北久里浜に、住んでいました。結構いい家を建てて、60坪の日当たりのいい庭もあり、駐車場もある家でした。しかし、自宅から、50mの位置に、横須賀市の水道山があり、それが、知恵の仕組みを利用して、ある個人の私有物へと、手わたってしまったのです。それは、籠池氏に、払い下げになった有名な事件よりはるかに悪辣です。だって誰も、知らないうちに、360度眺望が聞く、丘の上の一等地(駅へもエレベーターができているので公称五分だと、宣伝をされてるだろう土地)を、益山重夫・智恵子夫妻、智恵子さんの実弟、仲野通巳吉、益山重夫の、親友、瀬島隆三、当時の、横須賀市土木課長、杉本俊一氏、京急側の誰か、などが、関与して私有化してしまった、実質的には大詐欺事件です。
しかも、それを、準備中に、連中は、神戸の水道山で、土師淳君の、首から下の遺体を捨てました。人々が怖がって、水道山に近づかない仕組みを作り上げるためでした。それは、横須賀市の水道山を、勝手に開墾して、「自分の果樹園です。その面積が間違っていますので、変更してください」と益山夫妻が、名乗り出る、ことを遂行させるためだったのです。その時に犯人と擬せられたのが、酒鬼薔薇聖斗という名前で、声明文を発表した中学生でした。この男の子は、のちに少年Aと名前を変えて、【絶歌】という書物を出版します。その絶歌は、たぶんですが、ゴーストライターとしての井上ひさしが、原文を書いた?か、少年Aに、書き方を指導したと、私は、推察しています。
少年A=酒鬼薔薇聖斗が、こういう謀略的殺人事件の犯人を納得して引き受けた最初の人間ですが、latestの谷本守雄に至るまで、
どういう風にリクルートをされていくかについては、ご近所の画家、大原光孝さんを見ていると、しみじみと理解ができるのでした。
彼と、私は、1995年までは、仲良しだったのです。普通のご近所づきあい、プラス美術への関心の高さと理解力の高さという意味で、道路上で、そういう上品話題で、立ち話をしていたものです。しかし、私が紙でできた本を工業的に印刷し、製本をも、ちゃんとしてもらう様になると、突然に激変します。その陰に、柄沢斉、中島千波、酒井忠康などの有名人のサポートと持ち上げがある模様なので、態度も性格も激変してしまいました。そして、我が家の合いかぎも持っていると、推察しています。我が家内に、侵入して、『これは!』と思う絵を盗んでいく人物です。そこまでできるのは陰で、名誉とお金と洗脳があるからです。(後注1)へ
というわけで、保美死刑囚、カラーギャング、山田浩二、小林遼、51歳の引きこもりの人間、植松聖、新幹線焼身自殺男、青葉真司、谷本守雄などは、犯人像を引き受ける様に、洗脳をされていった人間たちなのです。
彼ら、CIAエージェントたちは、心理学も駆使します。
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副題3、『建物が、21軒しかなくて、夜は、ここで、寝て、昼間、道を歩いている、家は、現在では、15軒しかない、この雪の下二丁目の山に導入することを瀬島隆三は、思い付き、実行をした。それで、たこつぼ状態の中で、中谷共二氏にいじめ役を命じ、女性陣の弾圧役としては、ボス的気質の安野夫人を、使役したのだった』
上の二重ガッコ内に書いた通りです。私はありとあらゆる意味で、自分がまきこまれたがゆえに、北久里浜の水道山の、地籍変更届という、実質的には、詐欺寺家電であるものを、調べて、書類等を法務局で、印紙を払って手に入れています。しかし、旅行中ほかで、盗まれています。これは、瀬島隆三が雇ったプロ化、警察が盗んでいるでしょう。しかし、彼らの悪事とは、本物中の本物なので、それが、世に出てくるのを阻止するためには、殺すしかないと、1980年代から、彼らは、計画を持っていたのでした。
上野地図は、鎌倉市が、公開していたもので、しかも嘘が含まれています。阪中英雄(または、夫)という吏員が、嘘を書き込んだと、見ています。もちろん、その嘘は、伊藤玄二郎か、井上ひさし発で、松尾崇市長が肯定して、市長が、部下の、阪中に命令したものです。
右下に、7という赤い小さな字があるのが我が家です。その地境から右側(=東側)、まるに3と書いてある地所は、八幡宮様の持ち物で、個人用自動車向けの、駐車場の西側の山となります。
ここに引っ越してきて以来、さっそく、中谷さんに、赤い小さな7という文字が見える部分の山を、崩壊させられてしまいました。その続きを担ったのが、龍村さんなのです。すごいです。7本もの大木を、志一稲荷の、南側で、伐採されたのですよ。ものすごい攻撃です。恐ろしいことをなさる、八幡宮様です。何を考えておられるのだろうと、思いますが、CIAエージェントの言うなりに動いておられて、しかも自分たちは悪くないと、思っておられるのでしょう。
しかし、私の方は、2017年の7月10日に妹が他殺(それは、山口みつ子さん、オリックスの若手投手、神田沙也加ちゃんと、全く同じ手法で、殺されたらしいのですが、自殺と喧伝をされています。他殺なのに、自殺と喧伝をされていることが,この4つの事件の相似性です。彼らは、バカみたいなところがあって、私が何を書いても、同じことを繰り返します。一般の人が、私の方が間違っていると、考えるだろうと、安寧に考えているのでしょう。
ところで、文華館の壁は旧近代美術館時代は、大谷石で、できていました。実家の崖も、それで、できていました。それをブログで書いたら、「それだと、改築とか、新築ができない」と、言う横浜市条例が、急にできて、それを嫌がった弟が、実家を売ってしまいました。それはむろんの事、私には痛い事でした。

しかし、弟が売ったとたんに、買った業者は、自由に三軒の家を建てています。一戸、7800万円で売ったらしいです。ふどうさん会社への謝礼や税金を込めると、一戸が、8000万円のおうちです。横浜市の条例なんて、ご都合主義で、どうにでもなるらしいです。国の法律もそうです。焚火をしてはいけないなどという法律なんて、私を、いじめるためだけにできた法律です。
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副題3、『角野英子さんの、おしゃれとは、お金がある人で、他人を支配できる人のおしゃれであり、私のおしゃれとは、サラリーマンの妻としての、倹約を実行をしたものだった。私は、自分で、お洋服を縫うのだった』
私は、時間があったら、スーツ程度は縫えます。上の写真ですが、コートはフランス製のスエードです。しかし、中に着ているスーツは、私が、縫っています。ところが最近、ミシンがだめにされました。ラジカセも壊され、ミシンも壊されています。IT的要素が含まれているものは、すべて外部操作で、壊されます。
でね、相当に悲惨な運命の人なのだけれど、神様のご援助を発見したといっていますね。
角野英子さんが、最近、したたかといってよいほどに、敵さんの意向をテレビ番組の中で、示しているのですが、角野英子さんにも災禍が下っていると、私は考えているのです。ここでいう災禍とは、2018年度内に、ご主人が無くなっているだろうと、言うことですl。もし彼女が善人なら、そんなことは、やってはいけないのですよと、言うことを数多くやっている人だからです。
角野さんが、テレビで、何度も紹介をした、いちご色の壁の家ですが、塗料は、ご主人がデザインされた、生地の染料と同じで、塗料の配合比率は、ご主人が、考え出したものでしょう。
普通のひとだったら、・・・・・・あの、有名人ぶりに比較すると、小さな家だけれど、ご主人は、二階に個室があるのでしょうね・・・・・・と、考えるでしょう。でもね、美術関係の人が、あの家に住んだら、気が狂うと思います。でね、前々報(後注2)でも、ちらっと言っていますが、あの家には、ご主人は住んだことがないだろうと。
ご主人は、岩波書店勤務のデザイナーだということは、公開をされています。だから、あの家には住めません。
角野英子さんは、1935年生まれなので、たとえ恋愛結婚だとしても、夫の方が年上である可能性が高いです。時代の風潮として、そうなのです。すると、ご主人が今健在なら、90歳近いと成ります。85歳を過ぎると、病気がない人でも、介護が必要になり、老人ホームに入るケースも出てきます。でも、もし、ガンとか、パーキンソン氏病とか、認知症を患うと、もっと、早期に老人ホームに入る必要が出てきます。
で、鎌倉高校前駅最寄りの老人ホームにご主人が入っていて、そこへのお見舞いに便利だから、あの家を、二番目の家として、建てたのでしょう。で、鎌倉の温暖さは気に入って、東京(文京区あたりでは、ないかかなあ。昔は、都電か、都バス、今は南北線で、岩波書店に通勤できますから)の家には帰らないという結論になったのではないですか?
うーん、三時になってしまった。未完だけど、ここで、中断をします。
後注1,
カラフルな魔女 21-10-11版と、ご近所人間二人が合い鍵を持ち我が家へ侵入している事の連動性、現在推敲加筆中
後注2,
@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。以下はメモです。
鶴岡八幡宮境内では、もう一つ大変革があります。それは、露天商組合の、水道の蛇口です。今から、70年ぐらいに設置されたもので、素朴なコンクリートでできているものだったのですが、
ここから先、鶴岡八幡宮様が、実際に行った、攻撃事項を上げていきたいのですが、時間がかかりすぎるので、それは、飛ばします。
また、旧近代美術館本館は、大谷石で、壁面ができていました。それを、ブログで書いたら、日吉の実家が、大谷石の崖を作っているので、