銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

石井秀樹氏は最近ちょろちょろし過ぎ。赤木俊夫とは架空の存在だ。青地が1978年に突然に我が家に設定をされた事が諸悪の根源だ△

2022-01-06 22:32:08 | 政治

  今は、22-1-9の午前3時です。下の初稿の特に、&&&&罫線以下の推敲と加筆を始め、終わりました。で、恒例の△印を総タイトル横につけておきます。尚、そこまでにも、2,3誤変換が残っておりました。恐れ入ります。治しえおきました。

 この一文が、政治的論文であることを証明する文章として冒頭に、・・・・・財務局所有の青地問題・・・・・を付け加えて、語ります。それが、赤木俊夫の自殺というウソと、雅子夫人というギャーギャーわめく女性(こちらも嘘である)を生じさせました。

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副題〇、『赤木俊夫自殺問題は、真っ赤な嘘である。どうしてああいう事件が作り出されたかというと、私の北久里浜の家の西側の地境に、1978年に突然に、青地というものが出現した。それは、国有地であるそうだ。そして、財務局管轄だそうだ。「その青地について、・・・・・特に北久里浜の青地について、・・・・・お前は、文章を書くなよ」という脅かし策として、あの夫妻が、捏造をされたのだった。

 捏造事件だから、担当大臣の麻生太郎氏は、それを知っていて、いつもへらへらといい加減に扱っていた。雅子夫人というのはテレビには、絶対に顔を見せなかった。井上ひさしが、主催していた、こまつ座の女優か何かが演じているのだと、推察している。

 なぜ、最近、捏造をされたかというと、ちょうど、そのころ、北久里浜の家の方で、その青地が、問題になったという事情が、あったからだった。こういっちゃあなんだが、私が大物だから、私が、真実を書くのを抑えるために、大坂で、一芝居が打たれたのだった。・・・・・赤木俊夫は、大坂理財局の所属の係長である・・・・・と、最初期に発表をされていた。

 日本のメディアの記者はダメですねえ。理財局なんて、実際には、無いのだから、すぐ嘘だと気が付かなければならないでしょう。

 これは、紙の新聞縮刷版を見れば出てくる語彙であろう。しかし、理財局なんて言うお役所は、もとよりないのだった。赤木俊夫という人物が、大坂財務局の所属吏員ではないからこそ、最初期に、財務局の人間をだますために理財局所属と、発表をされたのだろう。最近は財務局と言って居たが、それは、財務局内部の人間に、赤木俊夫は、知りませんとは、言うなと、言う命令をしたうえで、財務局所属と言い始めたのだった』

 そして、私が最近、ひどく、深いものを書き始めたので、‥…ああ、彼女がいつも、・・・・私はすべての物事の裏側をわかっておりますよ‥‥というのは本当だったと、悟った、例の連中(私が鎌倉エージェントと呼んでいる連中)の中の誰かが、その自殺事件を収束(または、終息)させたのでした。

 安倍内閣時代、・・・・・昭江夫人が、モリトモ夫妻と仲良くしていて国有地を安く払い下げた。そのさいに、財務局内で、文書の書き換えがあって、係長だった、赤木俊夫という人物が、それを苦に病んで、自殺した・・・・・というのは、真っ赤な嘘なのです。安倍総理大臣は、谷垣禎一氏を中保者として、伊藤玄二郎と、ずぶずぶに仲良しだから、昭江夫人を・だし・に使う事さえ了承をしたのでしょう。だから、安倍総理大臣夫人は、平気の平左で、生きているのです。だって、自殺は、嘘だから、良心の呵責を感じる必要がないからです。

################という部分を冒頭に入れて、初稿に戻ります。

 私は、神様が書かせてくださることだけを書くのです。大体、構想は、あるのだけれど、その構想通り、書いていくわけでもありません。毎日、毎日、飽かず、書きたいとか、書かなくてはいけないと、言う風になるのは、無理をしないからです。2011年ごろは、時間や体力に関しては、ひどい無理をしました。だが、心とか、頭脳内において、無理はしません。いつも脳内をフリーにしておこうと思っております。そうすると脳内にわいてくるものがあります。で、本日は、それについて書き始めることから、文章を始めます。

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副題1、『私は別にお金持ちではないが、デュアルホームの人ではある。私の鎌倉の家の北隣の所有者は、テレビで、特番が組まれるほど、有名な建築家だが、理科大卒である。その人の家は、あれでは、絶対に暮らしにくい家だと、私は思っている。だが、デュアルホームだから、あれで、持っていると、言う風に前報で書いた。こちらは一種のモデルルームであり、本宅は人気のある街、神楽坂にあるらしい。

 で、私達夫婦が所有している、もう一方の、北久里浜の家にも、北のお隣さんがあって、その家を一時期、理科大卒の建築家=伊能義和氏が所有していた。何か、すごい偶然だと、思い至った』

 私は、その人に、「私の鎌倉の家の方の、北側のお隣が、偶然にも理科大卒ですよ」とは、言っていない。もし言えば、当然、誰ですか? と質問を受け、結果、「石井秀樹さんですよ」と、言わざるを得ない。そうなると、石井啓一大臣からの賞を受け、テレビで特番が組まれていて、かつ、短い番組でも、何度も取り上げられる石井秀樹さんは、一種のスターだから、北久里浜の北隣の人=伊能義和氏は、少なからず、負けたという感じを持ち、面目を失うと考えたからだ。

 彼は、事がすべて終わってしまって、その土地を売り払ったのだが、その過程で、やはり、敵方の回し者だと、判明した。

 というのも、青地というものが問題だったからだ。これは、一応財務局が保有している国有地となるらしい。こちらの伊能義和氏は、それをただ同然で、財務局から払い下げてもらったらしい。というのは、その青地そのものが、1978年に、急に捏造されたものであるので、ただで、払い下げられるのは、当然だからだ。

 そして、赤木俊夫、雅子夫妻の、書き換え問題と、自殺問題が、嘘であると、言う事も、そこから、さらに傍証付けられた。

 これから先は、財務局と私との交渉次第である。もし、財務局がひどい対応===例えば、私からは、払い下げの際にお金を取るなどということを、をしてきたら、「伊能氏からは、お金を取らなかったのに、どうして私からは、とるのですか?」 という大問題に発展する。だから、今はペンディングだ。

 というのも、私(実際は、私の母)が、その土地を、1974年に買った時には、不動産屋は、その土地の中に、青地が設定しているなどとは、全く言っていなかった。それは、瑕疵(傷)を隠したと言うこととなり、不動産業者としては、違反・業務・態度である。

 この青地とは、益山重夫一派が、横須賀市所有の水道山を、ただで、手に入れる際に、用いた特殊な手法(((地籍変更届を、用いた、手段)))を有効にするために、私の西隣の1978年当時の住民、原正芳さんの、実印をもらわないで済むために、急に設定した嘘の土地だからだ。

 私は1978年の当時、財務局に行って問い合わせた。すると、江戸時代に、山林地主と、畑の持ち主の間に、日当たりの問題で、争いがおこるのを避けるために、間に、一間(1.8m)ほどの、緩衝地帯を設けた。それがあると、畑地主は、「樹木が邪魔になって、作物がうまく育たない」と、山林地主に向かって、文句を言う必要がないし、山林地主は文句を言われる恐れもない。江戸時代とは、士農工商という身分差別があったのだけれど、実際には、身分を超えた、親切心があったことがわかる。

江戸時代って、ずいぶん、心が豊かだったのですねと、思う。しかし、ここなのだけれど、青地そのものが、瀬島隆三と、益山重夫によって、創作された語彙かもしれないので、魑魅魍魎の世界ではある。ただし、私がこれについて書いている最中に、某大新聞(多分毎日だったと記憶しているが????)が、一面トップに青地に関する記事を載せた。

 ところで、ここらあたり一帯は、全くの里山風の山林(スギや、松などを、植えていなかっ) であったらしくて、炭焼きでもする人だけが入る山だったらしい。それは、崖が急峻であって、小規模開発業社には、手に負える、地域ではなかったからだ。

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 しかし、京急が池田分譲地を開発することによって、京急北久里浜から、300段程度の石段を上がると、300戸以上の住宅が立ち並ぶ、大分譲地を作り上げた。車も反対側の東側から、いろは坂を作って、進入できる様にしたのだった。それが、そもそも、益山氏への協力だったと、思われる。

 :::::::ここで挿入だが、益山氏とは、戦時中は、海軍参謀だったのです。敗戦後、パージに出会って、経済的にも苦しく、奥さんが、横須賀米軍の商工倶楽部かPX(スーパーみたいなもの)で働いて、一かを支えたのだけれど、その奥様が、米軍将校と、恋に落ちて、アメリカへわたってしまった。

 これが、実は、今期の朝ドラの、上白石萌音の安子役に反映している。しかも康子とは、ニューヨークの美大、PRATT  INSTITUTEの大学院で、私に嫉妬する、女性教授の受けをよくするために、ことごとく、私の仕事を邪魔した人間と同じ名前である。それは、スカーレットが、私の妹、喜美子と幹事も同じ主役にしたのや、翼の母親が、家出をしていたと、言う設定などに、繰り返し使われる手段だった。特に翼で、母親役を務めた、高畑淳子が、かどや製油の社長と、組んで、動画のコマーシャルを作り【おぎやはぎの愛車遍歴】の中で、流したことでも、言える話だ。

 しかし、それらの屈辱的な時期も、去り、この実質的な大詐欺事件が顕在化してくる、1970年代に入ると、益山氏が、海軍参謀時代に築いた、人脈が再び機能をし始めたと、考えるとあの実質的詐欺事件の、関東法務局横須賀支所、関東財務局、横須賀支所、横須賀市役所、京急などが、こぞって協力したわけも、わからないでもない。 

 というのもこのあたりの山林とは、徳川時代までは、たいていは、お殿様の持ち物だったからだ。この京急北久里浜駅東の丘の上は、徳川幕府の直轄地だったと、推察している。それが、畑作農家だった、原家の祖先に対して親切だったと、言うわけになる。非常に文明が発達している。今より、洗練をされて居る。

 しかし、1978年に急に我が家と、原家の間に、青地が設定されたのは、全くのウソの設定であり、江戸時代からの地主である、原家には、益山重夫夫妻の悪事が、しっかりと、目に見えていたので、地籍変更届に実印を押すはずがないからだった。で、原家から、実印を押してもらうのを避けるために、原家をずらっと囲って、青地があることに急にしたのだった。

 地籍変更届とは払い下げより悪質な仕組みである。益山一派は、すでに、一坪も書類上は、残っていない自分の所有地が、実は、1200坪あるのです。という書類を法務局に提出するだけで、一帯を無償で、手に入れたのだったから。で、一切、公には、出てこないので、誰も知らないうちに、水道山がマンションと化していたのだから。

 で、こちらよりも派手に、森友学園問題が、怪しいと、言うニュースを流すことによって、私が書いていることに、読者が、無反応になる様に計らわれているのだった。森友学園も安く、手に入れたとは思う。しかし、メディアとか、ジャーナリズムが、批判を開始する形で、外に出てきている。北久里浜の水道山の私有化は、全く違うのだ。こっちの方がさらに悪質である。そして、そこに今建って居る美麗なマンション【ルネ北久里浜】は、西隣の松田平田設計所勤務の、白井達雄さんが、設計したと、推察しているが?????

 益山夫妻は、全くの山だった時期にここに180坪程度の土地を買って引っ越してきた。そして、その後、土木技術を駆使して(智恵子夫人は、先妻が、アメリカ人将校と、恋愛に陥って、アメリカに行った後で、夫と結婚をした後妻で、年が随分と離れているが、都立大学の土木建築学科の出身だ)宅地開発を果たし、私宅や、のちに伊能義和氏が遺産相続をする北隣の、土地を、売り払い、すでに、800坪程度を、自分のものにしていた。それは、傍で見ている税関勤務の原正芳氏には、到底、受け入れられないことだったと思う。原家は、元からの地主で、しかも、兄弟三人の頭脳の出来が良くて、次兄が歯科医、長兄が横須賀市の市議会議員だったので、プライドも満々だったし。

  益山重夫夫妻は、すでに亡くなっているし、彼の親友だと言って居て、この地籍変更届(書類は整っているから、犯罪にはならないが、横須賀市の水道山1200坪を庶民の目が全く届かない場所で、私有化したので、非常にあくどい犯罪だと、私は、思っている。そして、私の考えが正しいからこそ、私は、殺されそうになっているのだ。何度も、何度も)の瀬島隆三が、戦後最大の、CIAエージェントなので、警察も家来として使うし、JRや京急、東急、小田急さえ、家来として使うので、私は、歌舞伎座の切符を持っていても、一時間半ほど、遅刻せざるを得ないこととなる。毎回そうなるわけでもないが、実際に、武蔵小杉と、西大井の間で、一時間半止まってしまったことなど、また、これは、日付がきちんと確定できるが、2010年4月3日の、午後、4時ごろ、北鎌倉と、大船の間で、一時間半ほど、遅延をした。その、7日後の、9日(金)に、井上ひさしは、自分を死んだ事にしたのだった。::::::::::👉、👉、👉

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副題2、『1978年、売買契約時には、それが書いていなかった青地が、急に我が家の西側に出現したのだったが、それは、我が家側が、0.9m原家側が、0.9mだった。しかし、その40年後に、伊能まささんから、甥として、そこを相続した、伊能義和氏が示した、図面では、青地の幅が、伊能家側だけに設定をされており、しかも、1.8mに変化していた。これは、1978年時に、私が法務局でお金(印紙)を払って、集めた書類があれば、こちらが正しいことが証明できるが、泥棒が盗んでいる。

ご近所住人の二軒が、合いかぎを渡されており、種々の嫌がらせ侵入をしていて、いろいろ、盗んでいっているが、そういう一般庶民には、わけのわからない書類であって、警察の特殊部隊が盗んだと、判断をしている。

今般、2021年の12月12日に、品川駅、新幹線ロビー内、公衆電話傍に、鍵が、4つついている(というのは、二つの家のカギ全部なのだけれど)、パスモ入れが、一種の置き引きの手法を用いて盗まれている。こうなると、合いかぎを作られても、私の自己責任だと、なるだろう。』

 さて、👉、👉、👉までは、どうして、伊能義和氏が、私の目の前に現れたかを語っている話である。彼が相続をしてみると、西側、1.8mが青地となっていた。益山一派が、地籍変更届という大犯罪を企てていた時には、それは、0.9mだったのに、我が家から、その当時の書類群が盗まれているので、私は自分が正しいことを伊能氏に、説明ができず、黙って受け入れた。しかし、その嘘の青地を、伊能氏は、ほぼただで、財務局から払い下げてもらった。

 だけど、伊能義和氏本人はとても礼儀正しいし、彼が、雇った、土地家屋調査士も礼儀正しいので、敵方の一派だと、しても、許しておく・・・・・と、言う形になる。無礼だったり、失礼だったり、いじめをする人は絶対に許さないと、思っている。

 私ができることは文章に、事実を書くだけだけれど、全く思いがけないことに、神様が介在して来てくださることを発見した。神様が彼らをやっつけてくださるのだった。そのなした悪の量如何において、彼らの不幸の量も変わってくる。いじめたり、失礼なことをした量が多大な人は死に至る。量が小さい人は、病気になったり、経済的な失墜を招いたりする。しかし、大量にいじめてきているのに、元気で、体重が減りもしない人もいる。で、違いは、何なのだろうと、推考すると、その人が、善人であるか、悪人であるかによって、苦痛や、損失が与えられたり、何も起こらなかったりするのだった。思いがけないことに善人に、苦しみがもたらされる。童話の世界とか、物語の世界とは、違って、本来善人である人が、私をいじめたり、失礼なことをすると、その人のやったことの量によって、死がもたらされる。

 これから先は、あなたの選択の自由ですよと、言っておきたい。ともかく、本質的なことを何も知らずに、ただ、伊藤玄二郎の言うなりに動くなら、もし、あなたが、善人なら、いろいろな災禍が落ちてきますよと、言っておこう。ただし、悪人なら、大丈夫です。生き続けられますと、言っておこう。ここで、伊藤玄二郎というところに別の名前が入るケースもあるだろう。美術関係者なら、美術9条の会の委員からの命令だったり酒井忠康氏からの命令だったり、栗田玲子さんからの命令だったり、野見山暁次さんからの命令だったり、秋山祐徳太子からの、命令だったり、するだろう。

 それが、この山のご近所の住民だったら、前田清子さんからの命令だったり、小野寺夫人からの命令だったりして、その言う事を聞いて、私をいじめたり、損失を与えると、けっか、もし、あなたが善人だと、病や死が訪れる。

 元に戻ろう。伊能義和氏と、彼の雇った土地家屋調査士は、二人とも、お上品だった。とてもお上品だった。で、私が平静であり、悪意を持っていないと見た彼は、魚心あれば、水心ありで、自分が設計した、建物類を、スマホから、みせてくれた。6階か、7階建てのビルなどあった。それから、個人の住宅もあった。

 ごく普通の形と外観の建物だった。私は、何も言わず、そのjpeg 画像を見ていた。すると、彼は、こう続けた。「国家資格が、いろいろありますね。私は、思っているのですが、建築家が、もっとも明るい資格だと、思うのです」と。「弁護士は、ひとの心の醜さに触れないといけません。医者は、ひとの肉体の、汚さとか、それによる苦しみに触れないといけません。でも、建築家は、依頼主の希望を実現する仕事です。(依頼主は、夢を持っています。これから新しい自分だけの所有物<<一種の宝物>>を、手に入れる、希望を持っています。それに寄り添うわけなので、明るい仕事なのです。裏がない、暗いところがない仕事なのです)」と、そういうことをとても短い言葉で、しかも、わかりやすく説明をした。私は黙って聞いていた。彼を誉めもせず、けなしもせず、ただ黙って聞いていた。そして、心の中で、こう思った。こういう文言を吐くことが出来る彼は、そのお顔通りに、相当に、明晰だなあと、思った。立派な人間だった。実は苗字も立派だった。伊能忠孝の、子孫である可能性もあった。ちょうど国立博物館本館で、伊能忠敬の、特別展が開かれているときだったので、その可能性を感じている。

 彼らは、必ず、メディアを利用するのだから。

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副題3、『私に対する態度は、この山の特殊性を差し引いても、その人間の本質を示すものだと、考えている。石井秀樹さんが、どうであろうか?』

 この態度の問題だけど、石井秀樹氏は、伊能義和氏と、下品とまでは言わないが、不細工だ。はっきり言ってしまうと傲慢だ。テレビに何度も出てきたけれど、その発言にさえたところはなかった。

 そして、その時すでに、石井秀樹さんの、360度ガラスの家はできていて、如何にも暮らしにくそうだなあと、思っていたので、伊能義和さんが、スマホから、見せてくれた実現した普通の種類のものだと、考えた。

 この人物も、例の瀬島龍三(仲野通巳吉)一派と、私との確執は、知っているはずだが、大変上品だった。たぶん、石井秀樹さんと同じレベルの知識を、私に関して、もっているのにもかかわらず、土地家屋調査士を含めて、二人とも、上品だった。で、石井秀樹さんの・ぶ・さ・いっ・く・さ・が、彼の、本質的、傲慢さから、生まれてきているのではないか?と、思い至った。

 彼に、もし、一戸建てをたてたい、顧客が、面談をしたと仮定しよう。すると彼は、お客が出せる金額を聞くだろう。それから、立地も見ておくだろう。それから、建蔽率なども考慮するだろうし、家族構成も、考慮に入れるだろう。

 しかし、部屋の配置とか、部屋の数等は、彼が決めるのだろうと、私は推察する。お客が十分な予算を払うことができるのだったら、今、私の北隣に立って居る、360度ガラス張りの家を建てる様に説得をすると、思う。もし、お客が、「二階に台所があるのは嫌です」と、言ったと仮定しても、「建築の特殊な技法上、こうした方がいいのです」という説明をするのではないかなあ? そうするとお客は彼の名声の前で、縮こまってしまって、自分の意思を示せなくなってしまう。

 それで、彼が得意とする、柱のない、一部屋(=とても大きい部屋だ)を、持つ家を、また、改めて、自分の作品として世に送り出す。それはもしかすると、最後には、BCS賞をもらうかもしれない。名声が高まって、隈研吾氏みたいになると、個人事務所でも、BCS賞をもらっているし。しかし、後ろに累々と、本宅だけしか持っていない顧客なのに、それが、使いにくいうえに、売るに売れない家を作り出していく・・・・・と、そういう事になるのではないかなあ?

 あのね、私は、自分が、偏差値的に高いと、言う事は証明できません。だけど、レオナルドダビンチみたいに、ありと、あらゆることを自学自習して、理解している人間です。でね、建築の専門家ではないけれど、石井秀樹さんの家の特徴がどこにあるかを解説させてください。素人が、解説する方が、他の分野の人に、わかりやすいというケースも多々あるのですよ。

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副題4、『石井秀樹さんの家の特徴は、普通は家の中にある柱を、壁の外へ、持ち出しているところにある。これは、誰かが先に発明をしているのだと、したら、ほめられないが、もし、石井秀樹さんが、世界で初めて、開発した方式だったら、彼が、天才的な頭の良さを持っていると、言わないといけない』

 皆さんは、もしかしたら、マンションにお住まいですか? もしマンションにお住まいだと、柱というものは、買う際の、間取り図に、ベランダとの間に、50cmぐらいの出っ張りがあるという、感覚であって、それを柱と、見ることもないと、思います。しかし、どうか、旅館に泊まった時のことを思い出してみてください。押し入れとか床の間の間に柱というものがあるはずです。和室は特に柱を見せる形で、作り上げられています。一方、日本の普通の一戸建てだと、洋間も同じ形式で、柱を使っているのですが、その柱を隠す形で、べニア板、もしくは、石膏ボードなどが貼ってあって、その上をビニール壁紙が覆っています。

 皆様は、小学校時代、画用紙で、箱を作った経験はありませんか?画用紙で、作ると、へなへなして、蓋を作っても、上に物は、のせられません。しかし、一辺が、15cmで、高さが、10㎝の箱を作ると仮定して、その四隅に、10cm高さの割りばしを、ボンドか、糊で、張り付けると、箱が、がぜんしっかりしてきます。これが、おうちを建てる原理です。最近、地震が多いので、柱と柱の間に、斜めに棒を渡します。これを筋交いと言います。日本の家屋は、昔は、90㎝が一単位でした。だから、180mの間隔で、柱を置くか、270cmの間隔で、柱を置くか、360㎝の間隔で、柱を置くかしたものです。こういう間隔で柱をおき、上に、梁(はり)というものを渡すと、6畳から、24畳までの、広さの部屋が取れます。大体長方形でですけれどね。二条城などは、特別に太い柱と、特別に太い梁を使って、大きな広間を作り出していると、考えます。

 これが日本のほとんどの家の基本的、モチーフで、後は、それをどう組み合わせるかだけが違いです。そして、マンションの室内も、もし子供でもいるのなら、大体、3DKとか、2LDKという形で、69平米から、119平米までの、空間を昔風に分割してあります。壁は、パネルを用いたり、していて、柱がないつくりも多いでしょうが、壁自体とか間仕切りは、しっかりとある形式です。 

 しかし石井秀樹さんの家は、柱が室内には、一本もないという形なのです。と、同時に壁もありません。私は建築中だって、あの家の敷地内に入ったことが無いので、二階の広さを、布基礎の段階で、図ったり、することもやっていないのですが、10mくらいの遠くから見た感じでは、三間半=6.3m正方の部屋ではないかと思うのです。昔風の数え方でいうと、24.25畳、今の言い方でいうと、39.69平米です。高級なプレハブ住宅のリビングが、大体24畳ですが、違いは、長方形か、正方形かにあります。西側が、階段とかキッチン(大変、見事なもので、すべてが、収納できるので、外には、何も出ていない形式で、500万円以上だと、制作者がわ、ただし、平社員が、言っていました)に使われていて、東半分の南側は、6人が腰かけることのできる食卓、北側は、ソファー(もしかするとカウチ)と、テレビが置いてあります。

 これが正方形である、というところが、みそなのです。正方形なので、動線が大きく自由に取れます。部屋の中での、動きが自由自在です。非常に開放的であり、気持ちが、広がります。その解放感をさらに、強めるために、360度、全面ガラスにしてあるのだと思います。もし窓にすると、その窓を支えるサッシ枠が必要になり、そのサッシ枠を支える壁が必要になります。そうすると、開放感を、120%味わえるのだという特徴が出ないです。

 この家が、もし、現在富沢家が建っている、高い山の上の広い敷地に建ったとしたら、それこそ、天上に住む家の典型となります。

 もしかして、あの特番やら、涼河はるひの番組を見たことのない人は、屋根もガラスでできている温室みたいな家を、想像なさるかしら? 違うのですよ。大変重くてしっかりした、屋根が、総二階を覆っているのです。では何で支えているかというと、部屋の外に設置されている、鉄パイプで、できた12本の柱で、支えているのです。たぶんφ(直径)が、16cmで、長さが、6m以上の鉄パイプです。これが、上は屋根で、とめられていて、下は、布基礎に、とめられていると思います。

 これほど、新規な工夫を発明したら、普通の家を作りたくないと、思うのは、必然でしょうね。それに彼は私に対して勝つという使命を持っているので、CIAエージェントたちが画策をするので、何回もテレビに登場しています。

 ただし、彼は、藤本邸を消滅させるという使命をもって、転居してきた人なので、その跡地しか、家を建てることを許されていなかったのです。で、この21件の家だけが、立って居るギリシャの円形劇場のような地形で、周囲から、見下ろされる窪地にその家が建っているのです。周辺の家の方が高いのです。で、無理にのぞき込もうとすれば、七軒の家から、のぞき込まれてしまいます。

 かわいそうに、ほかの家の方が気を使っています。石井秀樹邸が、見える家の方が、気を使っています。いつもカーテンを閉めています。そうですね。上品な人も、この山には、いるわけですし。

 ただね、石井秀樹氏は、テレビに出ていても、その発言が、冴えないだけではなくて、ちょろちょろ、ちょろちょろ、こちらをいじめる様に動くのです。2019年の12月以降何回も、発見をしています。そうなると、建築中にそこの職人たちが、無礼極まりなかったことも嫌気をもって思い出します。

 そういうすべてを相乗すると「あの家って、住むには適していませんよ」とはっきり言うこととなります。特に屋根を支える外に出ている柱ですが、12本以上は、使えないと思います。屋根が重くなりすぎて倒壊の危険性が出てくるからです。そうなると広さが80平米と限定されてしまいます。

 二階が総ガラス張りで、個室が取れないので、40平米(12坪)の、一階に、風呂、トイレ、玄関、親の寝室、廊下を含む、すべてを投げ込むことになります。もし子供が二人いて、男女だったら、収納場所が犠牲になって、取れないでしょう。一階の方が、その種の個室用スペースだから、屋根裏収納もとれないし。ともかく、石井秀樹さんの功名心を満たしてはいるが、普通の人の本宅として建てるのには、全く向いていない、方式なのです。

 批評というのは、本当のことを言わないといけないのです。日本では、宣伝に、役立つ方向での、ほめあげ、批評ばかりです。辛口の批評もぶつけないといけません。

 実は、実際に注文をして建ててもらって住んでいる人・・・・・の知人からreal  voiceとして、住みにくいのだ、と、本人が言っていたと、私が、伝え聞いています。

 2022年1月6~9日にかけて、これを書く。雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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