さて、この後ちょっと出かけますので、その前にこちらの本田先生の記事を紹介します。
CBからです
済生会栗橋病院の本田宏院長補佐は、勤務医でもあり、医療の現状を積極的に情報発信していることでも知られる。なぜ本田は医師になったのか。本田を突き動かすものとは。(島村友太)
洋品店の息子として生まれ、働く両親の姿を見て育ってきた本田。幼いころからの将来の夢はパイロットで、医師になるなど、夢にも思っていなかった。そんな本田の人生を大きく変えたのは、宮崎航空大学の受験に旅立とうとしていた高校3年生の秋のことだった。
「お願いだから、パイロットにはならないでほしい」。
それまで、何も口を出してこなかった母が、はじめて泣いて頼んできた。戦時中の記憶から、息子をパイロットにするのに抵抗があったようだった。母を泣かせてまでパイロットになろうとは思えず、本田は泣く泣く夢をあきらめた。
将来が見えなくなった本田が、どうせ浪人覚悟だからと受験したのが、担任教師に「問題がシンプルだから」と勧められた、弘前大医学部だった。まさか、合格するとは思っていなかった。
「これがわたしの、今では話すのも恥ずかしい、医師になった理由です」と本田は笑う。
ただ、もともと医師を目指していたわけではなかったものの、本田には、医師の仕事に対して漠然と、ポジティブなイメージがあったという。幼いころから、自分の体調が良くない時に、治療をしてくれた優しい小児科の医師の姿から、「医師とは、やりがいのある、人のためになる仕事なのだろう」と想像していた。将来自分が医師になった時には、あんな風に患者さんに感謝される医師になろうと思った。
■現場で見たギャップ
1979年、本田は弘前大を卒業。外科を志望し、同大医学部第一外科に入局した。外科を選んだのは、在学中、世界初の肝臓移植を成功させたトーマス・スターツル氏の講演を聞いて感銘を受け、「将来は臓器移植に携わり、劇的に人を治療できる医療に携わりたい」と思ったからだ。
ただ、現場で経験する医師の労働環境は、想像していたのは違う、驚きの数々だった。
「月月火水木金金という感じで、とにかく働き続ける生活でした」。
26歳で結婚した本田の給料は、家賃などの必要経費に消え、アルバイトをしないと家族を養っていけない状況に陥ってしまった。はじめは、これが当たり前なのかと思っていたが、家族を顧みる余裕もなく、昼間は病院勤務、夜はアルバイトと、土日も働くのが当たり前の生活を10年近く送る中で、違和感を覚えるようになっていった。そうした違和感は、臓器移植の見学等で米国の医療をかいま見て、日本の貧弱な医療体制と比較するようになって、さらに膨らんでいった。
子どものころ抱いていた「やりがいのある医師の仕事」というイメージは、静かに崩れていった。また、外科医としての夢だった臓器移植も、日本では脳死の問題がなかなかクリアされなかったため、遅々として進まず、移植医療に閉塞感を感じるようになっていた。
1989年、新規開院した埼玉県済生会栗橋病院に外科部長として赴任した後も、大学病院と同じような、忙しい生活が続いた。はじめ外科医は3人で、本田は後輩医師の指導をしながら、緊急オペの対応などをこなした。医師としてのキャリアを一定程度積んだ当時も、365日、心が休まる瞬間はなかった。
「なぜ経済大国であるはずの日本の医療現場はこのような状態なのか」-。
そんな思いは、日増しに高まっていった。
そんな時、医療制度について学ぼうという現場の医師らで構成される「医療制度研究会」の立ち上げに誘われた。
「漠然と抱えていた日本の医療への疑問を、ここでなら解消できるかもしれない」。
なぜ医師はこんなにも忙しいのか。待遇を良くできないのか。医師の数は適正なのか―。こうしたことを数々のデータを基に調べ、医師の置かれた環境を把握していくようになった。
「わたし自身がさまざまなエビデンスを基に得た情報の中には、世の中で言われていることとまったく違うものもありました。例えば、医師数について、OECD(経済協力開発機構)のデータを基に判断すると、絶対数が足りていないのに、医師を増員しようと言っても、過剰になるから必要ないと言われる。医療費を抑制しようという考えを前提条件に、このように訴えている人が多いことも分かりました」。
社会の認識がおかしいと思ったら、それを是正するために、自ら発信していかなければいけないと思った。講演活動や執筆活動をはじめ、メディアにも積極的に露出するようになり、医療現場で感じることを、データと結びつけ、発信するようになった。歯に衣着せぬ物言いから、敵を作ることも多いが、その背景には、医療はこのままではいけないという、強い危機感がある。
■訴え続ける理由
あの時、母親に泣き付かれていなければ、パイロットとして大空を飛び回っていたのだろうか―。ふと、そう思うこともある。ただ、庶民出身の自分だからこそ抱くことのできる、医療を良くするためのアイデアもあると考えている。
「誰か個人に対して怒っているわけではないんです。ただ、現状の医療の在り方に甘んじている、われわれ日本人そのものの体質には怒りを感じます。
確かに医療現場は簡単には良くなりません。だからといって、政治も、選挙もあるのに、黙っているのはおかしい。でもそれで、『おかしい』とだけいっても国民に伝わりません。
正しい情報がなければ正しい判断を下すことは不可能。医療の現状に対してこまめに情報を出して、1人でも気づいてくれる人が増えてくれたらいい。そういう思いでやっています」。(敬称略)
いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
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それでは、また。