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AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

第10回針灸奮起の会実技セミナー  現代針灸からみた「秘法一本針伝書」 のご案内

2025-04-20 | 講習会・勉強会・懇親会

A.本セミナー参加のお誘い
 
「秘法一本針伝書」は、柳谷素霊が行った針灸局所治療を紹介している。ただし"伝書”とは、昔から伝承された秘技という意味もあるから、必ずしも素霊自身が見出した治療とは限らないかもしれない。
本書のような局所治療法は、現代針灸派にとっても興味深いが、類書と同様、本書も治療法の根拠を示していない。ゆえに針灸初心者は、素霊がどうしてこのような治をするのか理解できないだろうが、一定の針灸臨床経験があり、すでに自分のやり方を確立している者にとっては、素霊の方法と比較することで、いろいろな点を発見できるだろう。要するに者によって本書の価値は変化するのである。そこで過去のブログで、なぜ素霊がこうした内容を記したのかを推察するとともに、現代針灸から検討を加えてみた。今回のセミナーは、その集大成といえる。とはいえ古い書なので現代針灸的観点からすれば納得できない点も多々あった。素霊の示した治療法は二十症状に対するものだが、これでは余りにも少ない。そのため最小限と思える☆印の症状を付け加え、私の見解を付け加えることにした。 
    本セミナーは、実技指導を中心としたものであり、受講生12名に対し指導3名としています。受講生は2人一組で6ペアとなり、それに指導者3名を配置しますので、非常に行き届いた実技指導となります。なお指導者は、私以外に現代針灸実力派である小野寺文人先生、岡本雅典先生にお願いしています。


B.セミナーの要項


1.会場:
国立市中1丁目集会所:東京都国立市中1丁目10-34       
   JR中央線国立駅、南口下車徒歩3分

2.開催時間 午後4時~6時30分頃 ※これまでより1時間30分、開始時刻を早めました。ご注意ください。
3.定員:各回とも12名(定員になり次第〆切) 見学は2名以内。
4.日程(基本的に第2第4日曜) 
  残席は4月18
日現在の状況です。
 第一回 3月9日(日曜)  B.腰下肢     終了しました
 
第二回 3月23日(日曜)   C.膝痛・肩関節痛・肩こり     終了しました
 第三回 4月13日(日曜)   D.体幹内臓     終了しました
 第四回 4月27日(日曜)   A.五官科(歯科、鼻科、耳科の耳疼痛)  残席:1名

五官科前半部分のテキスト(12ページ)が完成しました。当日の講習会参加者で、事前配布希望者には、随時メールに貼付して送っています。また着信していない方は、お申し出ください。取り急ぎお送りします。(4/20)

 第五回 5月18日(日曜)   A.五官科(耳科の耳鳴、眼科、咽喉科) 残席なし

5.会費:一般8000円、学生7000円、見学4000円。当日払い。領収書発行します。
6.お持ちいただくもの 
 各回オリジナルカラーテキストを配布。針灸実技用の道具類も支給。
 ②筆記用具はご持参ください。
7.懇親会
  講習会後、駅前の居酒屋にて懇親会実施。 飲食費は3000~3500円程度(当日受付)
8.参加お申し込み方法
      参加御希望の方は、①参加希望会のテーマと開催予定日、②氏名、③住所、④電話、⑤Eメールアドレスを、Eメールまたは電話でお伝えください。折り返しご連絡を差し      上げます。お申し込み〆切は各回とも開催前日午後3時頃までとします。ただし参加者12名に達した場合、その時点で受付終了します。各回ごとに見学者は2名以内です。
  連絡先:あんご針灸院 似田 敦(にただあつし) 
   電話042(576)4418 
   メールアドレス nitadakai825@jcom.zaq.ne.jp

 

C.セミナーの概要  ( )内はテキストページ数
  ☆の症状は、一本針伝書になく、私が独自に取り上げた治療法になる。

A.五官科(24ページ)

 第1章      上歯痛の針(客主人)
 第2章      下歯痛の針(頬車)
 第3章     ☆顎関節症(下関、頬車)、舌痛(上廉泉)、歯肉痛(歯肉局所)
 第4章      鼻病一切の針(印堂)
 第5章         耳中疼痛の針(完骨)
 第6章      耳鳴の針(頬車)
 第7章       眼疾一切の針(風池)
 第8章       咽の病の針(合谷)

B.腰下肢痛(11ページ)

 第9章   下肢後側痛の針(外大腸兪・坐骨神経ブロック点)<座骨神経痛>
 第10章   下肢外側の病の針(環跳)
       ☆下肢内側の病の針(陰包)
 第11章   下肢前側の病の針(居髎)
 第12章  ☆腰重と下肢不定症状の針(仙腸関節刺針)<仙腸関節機能障害>
 
C.膝関節痛・肩関節痛・肩甲上部コリ・肩甲間部コリ(12ページ)
 第13章  ☆膝痛の針(内外膝眼、鶴頂、鵞足、委中)
    第14章   五十肩外転制限の針(肩髃、肩髎、肩井斜刺)
 第15章  ☆結帯動作制限の針(天宗と肩貞) と結髪動作制限の針(膏肓水平刺と臑兪)
 第16章   肩甲間部のコリの針(モーレー点) 
 第17章   肩甲上部のコリの針(肩井) 

D.体幹内臓症状(13ページ)

 第18章   排尿痛の針(中極・関元)
 第19章  便秘の針(左四満外方5分)
 第20章  上実下虚の針(崑崙)
 第21章  五臓六腑の針(華陀夾脊)

 

※参考:今回セミナーの元ネタとなった「AN現代針灸治療」ブログ

第1 上歯痛の鍼(客主人) 
第2 下歯痛の鍼(頬車)
   ①2022/09/31:歯のくいしばりに対して顎二腹筋後腹への運動針が有効な例
   ②2023/01/17:顎関節症の針灸治療 改訂2版
   ③2023/05/23:歯周病に対する局所刺針の方法と女膝の灸 ver.1.8
   ④2024/07/13:上歯痛の針灸治療ver.2.0
   ⑤2024/08/01:下歯痛の針灸治療ver.1.2        
   ⑥2024/08/06:三叉神経第Ⅲ枝関連の顔面骨孔への刺針 
   ⑦2014/09/14:舌痛症の針灸治療 ver.1.2
第3 鼻病一切の鍼(印堂) 
   ①2017/07/19:嗅覚障害の針灸治療
   ②2002/12/06:慢性副鼻腔炎の針灸に上星の灸とマイクロライド長期投与
   ③2022/12/14:慢性副鼻腔炎と花粉症 ver.1.3    
第4 耳鳴の鍼(頬車) 
第5 耳中疼痛の鍼(完骨) 
   ①2006/03/15:耳鳴治療と舌咽神経ブロック針
   ②2010/07/16:顎関節症由来の耳鳴りに対する針灸①
   ③2013/07/24:耳鳴りの治療改訂版 その2
  ④2015/01/30:新・耳鳴の針灸治療 鼓室神経刺激と顔面神経下顎縁枝刺激 ver.1.1
   ⑤2017/10/10:耳鳴りの針灸治療まとめ2017年版
   ⑥2021/09/20:質問紙を使った耳鳴分析と鍼灸の奏功例 ver.1.1
   ⑦2023/02/11:難聴・耳鳴りに対する側頸部治療穴の理解 ver.1.2
第6 眼疾一切の鍼(風池) 
   ①2011/11/09:緊張性頭痛に対するトリガーポイント治療の整理 その3
   ②2012/10/14:緊張性頭痛治療に効果的な天柱・上天柱の刺針体位 ver.1.2
   ③2015/01/14:調節性眼精疲労に対する針灸治療の考察
   ④2021/01/08:眼窩内刺針が刺激対象とするもの ver.2.2
   ⑤2021/10/08:眼精疲労の鑑別と針灸治療
   ⑥2023/01/20:私の行っている眼窩内刺針の方法 ver.1.5
第7 喉の病の鍼(合谷)
   ①2015/03/17:大椎・治喘・定喘の効能
   ②2021/07/26:咽頭・喉頭症状に対する現代鍼灸
   ③2021/09/09:咽喉異常感症(咽頭神経症)の針灸治療・手技療法ver.2.0
   ④2023/01/13:咳嗽の針灸治療
   ⑤2023/08/18:喉頭症状に対する前頸部の針灸治療点の整理 ver.1.1
第10 下肢後側痛の鍼(外大腸兪・坐骨神経ブロック点)
   ①2006/03/10:腰下肢症状の診断
   ②2020/10/11:腰部神経根症に対する大腰筋刺針と坐骨神経刺針ver.1.3
   ③2021/03/03:「秘法一本鍼伝書」②<下肢後側痛の鍼>の現代鍼灸からの検討ver.1.1
   ④2023/12/19:居髎と環跳の位置と臨床運用
第11 下肢外側の病の鍼(環跳) (「下肢内側の病の鍼」含む)
   ①2006/07/11:殿部~下肢外側痛の病態と針灸治療(とくに小殿筋筋痛症)
   ②2017/05/05:殿部深部筋のMPSと坐骨神経痛
   ③2018/08/13:「秘法一本鍼伝書」③<下肢外側の病の鍼>の現代鍼灸からの検討
   ④2019/06/08:大腿外側痛の病態把握と針灸治療
   ⑤2021/07/11:<下肢内側痛の鍼>の現代鍼灸からの検討 ver.2.1
第12 下肢前側の病の鍼(居髎) 
   ①2010/12/28:股関節部痛に対する小殿筋深刺と、大腿直筋刺針の工夫 ver.1.2
   ②2015/08/23:変形性股関節症の針灸臨床 ver 1.5
   ③2018/06/04:大腰筋性腰痛の症状と鍼治療 ver.1.1
   ④2019/03/18:「秘法一本針伝書」①<下肢前側の病の鍼>の現代鍼灸からの検討ver.1.1
第16 四十腕五十肩の鍼(肩髃、肩髎) 
   ①2006/03/11:肩関節痛に対する巨骨斜刺+肩前斜刺
   ②2012/10/09:五十肩で上腕外側痛を生じる理由と治療法
   ③2013/05/12:肩関節痛に対する肩髃から肩髎への透刺(柳谷素霊の方法)
   ④2018/08/21:「秘法一本鍼伝書」⑤<上肢外側痛の鍼>の現代鍼灸からの検討ver.1.2
   ⑤2018/08/21:「秘法一本鍼伝書」⑥<上肢内側痛の鍼>の現代鍼灸からの検討
   ⑥2022/01/07:五十肩の鍼灸治療を苦手とする理由ver.1.1
   ⑦2024/05/11:肩中兪刺針の針響 ver.1.2
   ⑧2024/07/26:肩関節外転制限の針灸治療法ver.2.0
   ⑨2024/07/27:結髪・結帯制限の針灸治療理論
   ⑩2024/07/28:結髪・結帯制限の針灸治療技法
第17 肩甲間部のコリの鍼(缺盆) 
第18 肩甲上部のコリの鍼(肩井移動穴)
   ①2006/06/09:頸神経叢刺激点としての天窓
   ②2006/06/09:腕神経叢刺激点としての天鼎・肩中兪
   ③2024/05/11:肩中兪刺針の針響 ver.1.2
   ④2010/07/15:肩甲骨上角のコリに肩外兪運動針、肩甲骨部~肩甲上部のコリに附分斜刺
   ⑤2012/10/10:肩甲骨裏面に自覚するコリの正体と刺針法 ver.2.0
   ⑥2017/02/07:肩甲上部と側頸部のコリへの解剖学的針灸と坂井流横刺
   ⑦2022/02/15:膏肓穴についてver.1.2
   ⑧2024/11/01:柳谷素霊著、「秘法一本針伝書」肩甲間部のコリの針の考察ver.1.4
第13 急性淋病の鍼(中極・関元)p 32  
   ①2023/08/14:切迫性尿失禁が中髎の灸1回で改善した自験例(69才、男)
   ②2023/11/25 :尿路結石の疝痛は、側臥位での外志室深刺が効く理由 ver.1.1
   ③2024/11/03:「秘法一本鍼伝書」にみる急性淋病の針治療について
第14 実証便秘の鍼(左四満外方5分)p 34
          ※臍下2寸に石門をとり、外方5分に四満をとる。
第15 虚証便秘の鍼(左四満外方5分)p 36
   ①2013/09/08:痙攣性便秘と各種下痢に対する針灸治療
   ②2024/11/05:成書にみる便秘の局所治療穴
第19 上実下虚証の鍼(崑崙)
   ①2017/02/24:冷え性に対する針灸治療ver.3.3
   ②2022/12/15:足冷の針灸治療理論とテクニックver.1.1
   ③2024/11/19:柳谷素霊「秘法一本針伝書:上実下虚の針の考察
第20 五臓六腑の鍼(華陀鍼法)(脊柱棘突起外方5分
   ①2011/01/09:膻中穴圧痛の古典的意味と現代医学的意味 ver.1.2
   ②2018/05/25:腹診に関する現代医学的解釈 ver.2.0
   ③2019/12/10:心下痞硬・胸脇苦満の病態生理と針灸治療
   ④2020/12/10:柳谷素霊の「五臓六腑の針」と私の刺針技法の比較
   ⑤2023/08/30:胃倉・魂門の刺針目標
   ⑥2023/10/04:柳谷素霊著「秘法一本鍼伝書」五臓六腑の鍼の解説 ver.3.0
第8  上肢外側痛の鍼(肩髃)p22  →「四十腕五十肩の鍼」参照
第9  上肢内側痛の鍼(肩貞)p24   →「四十腕五十肩の鍼」参照


成書にみる便秘の局所治療穴 ver.2.1

2025-04-14 | 腹部症状

 成書にみる主な便秘の治療穴を整理した。以下の治療穴について意味付けを推察してみた。

1.腰部

大腸の上行結腸と下行結腸は後腹膜に固定されていて、腰部後壁と大腸間に後腹膜は存在しない。この臓器を刺激するには、腹部ではなく腰部からの刺激が適する。
一般的に上行結腸は便秘の治療点とならず、下行結腸刺激を刺激目的では、左大腸兪・左腰宜(ようぎ=別称、便通穴)などを刺激する。これらの穴から刺針すると、腰部筋→後腹膜→下行結腸に入る。
上行結腸と下行結腸の内縁には腎臓(Th12~L3の高さ)があるが、下行結腸に刺入する際には、腸骨稜上縁(L4の高さ)から実施することで、腎臓への誤刺を回避できる。 

1)便通穴=左腰宜(ようぎ)   

L4棘突起左下外方3寸。起立筋の外縁で、腸骨稜縁の直上に腰宜をとる。木下晴都は、左腰宜を便通穴と名付けた。やや内下方に向けて3㎝刺入するとある。腰方形筋→下行結腸と入っていく。ただし3cmm程度では下行結腸に達しないかもしれない。横突起方向に斜刺すれば腰仙筋深葉の広範な響きは得られるだろう。

森秀太郎著「はり入門」での刺針深度は「深さ50㎜で下腹部に響きを得る」とある。
代田文誌著「針灸治療の実際」には、「便通外穴」の記載がある。本穴は、木下晴都の便通穴の外方3cmでL4棘突起下の外方8cmとしている。

上図後腹膜器官の図で、小腸やS状結腸は図示されていない。このことは小腸やS状結腸への刺激は、仰臥位で行うべきことを示している。


2.腹部 


1)天枢


森秀太郎が便秘の治療で最も重視しているのが天枢への雀啄針だった。森の天枢刺針は、臍の外方1.5寸を取穴(教科書的には臍の外方2寸)、15~30㎜直刺する。針は腹直筋→大網→壁側腹膜→臓側腹膜→腸間膜→小腸と入ることになる。

中国の文献には、天枢から深刺した場合、下腹から下肢へ引きつれるような針響を得て初めて効果が出ると説明したものがある。大網と臓側腹膜には知覚神経がないことから、この響きは壁側腹膜(体性神経とくに肋間神経)ないし腸間膜刺激となる。なお腸間膜の知覚は迷走神経支配だとする文献を発見した。腸間膜には小腸を吊り下げ固定する機能の他に、小腸からの栄養を吸収し、小腸に酸素を送り込む役割がある。江戸時代後期の医師、三谷広器著『解体発蒙』中の小腸壁から伸びる多数の乳糜管を観察し、これが血の元となり、体温の熱発生源の機能があると推察した。この書を読んだ澤田健は、大いに感動して三焦とはこのことだと推理した。これは現代でいう腸間膜のことではないだろうか。ちなみに臍(神闕)の外方5分にある肓兪の「肓」は腸間膜のことである。

https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/159cb2af0776c4083e2998a343973b28

澤田健が絶賛した三谷広器「解体発蒙」にみる三焦の正体

 

2)柳谷便通点(左四満移動穴) 

       

学校協会教科書の四満は、臍下2寸に石門をとり、その外方5分としている。柳谷素霊著「秘法一本針伝書」では臍下2寸に石門をとり、その左外方1寸の部としている。つまり教科書四満の5分外方となるが、木戸正雄は本穴を柳谷便通点と仮称した。

素霊は「実証者の便秘には、2~3寸#3で直刺2寸以上刺入して上下に針を動かす。この時、患者の拳を握らせ、両足に力を入れしめ、息を吸って止め、下腹に力を入れさせる。肛門に響けば直ちに息を吐かせ抜針する」
「虚証者の便秘には、寸6#2で直刺深刺。針を弾振させて肛門に響かせる。この時患者の口は開かせ、両手を開き全身の力を抜き、平静ならしめる」と記している。つまりは導引と思える技法を併用している。    
四満移動穴刺針は、解剖的には天枢と同様、腹直筋→壁側腹膜→大網→臓側腹膜→腸間膜→小腸と入る。素霊も「いずれも肛門に響かないと効果もない」と記している。解剖学的には前述の天枢と似ている。

尿道に響かせるには、中極から恥骨方向に斜刺するとほぼ確実に響く。肛門に響かせるには3寸#3で柳谷便通穴から直刺深刺2.5寸程度して、肛門に響きを得る。肛門に響くのは、腸間膜刺激によると思われた。下腹部任脈で、関元・中極・曲骨から刺針すると陰茎や陰核に響くのは陰部神経の分枝である陰茎・陰核神経を刺激した結果である。下腹部から深刺して肛門に響かせるには、関元から下方の前正中を避け、石門外方が狙い目となるだろう。石門自体は白線上なので人によっては刺痛が生じやすく避けた方がよいかもしれない。

便秘の効果的な治療を調べていると、何冊かの本で<肛門へ響かせるのが治療のコツだ>とする記載をいくつか発見できたのだが、どのように肛門に響かせられるかは書かかれていない。そうした中にあって、木戸正雄著「素霊の一本針」に、次のような記述を発見した。
<患者の吸気時に刺入を進めると、約60㎜の深さ(3寸#3針で深刺して1cm残す)で急に響きを得る。響きを確認したら、すぐに呼吸に合わせて抜針する>。早速追試してみると、深さ4cmに達した頃、突然腹深部に響いたとの反応を聴取できた。予想外に深刺する刺針に驚かされる。

3寸#4で健常者にたいしてこれを追試してみると、下腹部~左鼠径部~左大腿上部に響くことが多かった。響かないようであれば押手を強くして下腹部を押圧しつ手技をすると響くようだった。ただし肛門へ響かせることはできなかった。たとえば深刺して鼠径部に響くようであれば、刺針部位をやや前正中に近づけるなどの工夫が必要かもしれない。

 

澤田健「十二原之表」の解説 - AN現代針灸治療

澤田健「十二原之表」の解説 - AN現代針灸治療

1.代田文誌の「十二原之表」との出会い上表左の一文:上表は、『鍼灸治療基礎学』中のもの。<毎朝六十六難の図に対し、原気の流行・衛栄の往来を黙座省察することで身中...

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3.左鼠径部

 
1)秘結穴   



木下晴都は、標準の左腹結(臍の外方3.5寸に大横をとり、その下方1.3寸)では効果が期待されないと記している(「最新針灸治療学」)。木下の取穴は、仰臥位、左上前腸骨棘の前内縁中央から右方へ3㎝で脾経上を取穴すなわち標準腹結より外側になる。3~4㎝速刺速抜する。この刺針は、針先が腹膜に触れるため、約2㎝は静かに入れて、その後は急速に刺入し、目的の深さに達した途端に抜き取る、と木下は記している。
私は、この針は、腸骨筋刺針になるかもしれないと考えた。下行結腸は深部にあるので、仰臥位で刺入するのは困難である。
腸骨筋は、意外にも骨盤内で広い体積を占めている強大な筋である。この部に糞塊を触知できる弛緩性便秘の治療に使えるだろう。   

 

2)左府舎

森秀太郎は左府舎は恥骨上縁から上1寸の前正中線上に中極をとり、その左外方4寸で、鼠径溝の中央から一寸上に左府舎をとるという。寸6#6番針でやや内方に向けて10~30㎜ほど刺入すると、下腹部から肛門に響きを得る(「はり入門」医道の日本社)とある。
郡山七二は、上前長骨棘から恥骨結合までの10cmあまりの鼠径溝から2~3本。3センチ程度入れるとS状結腸に達する(「現代針灸治法録」天平出版)と記している。

下行結腸と直腸は体幹深部にあるが、S状結腸は鼠径部のすぐ下に位置する関係で、脱腸が好発する部にもなっている。左鼠径部からの刺針で、S状結腸に達することができる。右下腹部にある虫垂は炎症が拡大すると腸腰筋に炎症が波及することもある。


歯ぎしりと歯の噛みしめの針灸治療 ver.2.0

2025-04-08 | 歯科症状

1.ブラキシズム bruxism とは
 
歯ぎしりや、噛みしめはブラキシズム(口腔内悪習慣)と総称される。歯ぎしりや噛みしめは無意識で行っており、ノンレム睡眠中あるいは、日中ではストレスによる緊張、何かに長時間集中してる時に多い。
この状態が続くと、上下の歯の摩耗、閉口筋である咬筋の過緊張が生ずるので、顎関節症を併し、また頸肩背部や頭痛の原因になったりもする。歯のくいしばりと歯ぎしりは、歯の運動を伴うが否かの違いであり本質的には同じ病態である。

ブラキシズムの針灸治療は数例の患者を経験したが、いずれも初回治療で効果があった。しばらくすると再発するが、針灸施術すると再び改善に効果があったこのことから針灸適応症だという印象である。

 

2.ブラキシズムの真因

健常者であれば口を軽く閉じだ際に上下の歯は接触していない。しかし日中にストレスがあると、その解消に敵を噛みつきたいという原始的本能が蘇り、ブラキシズムが生ずる。上下の歯の強い接触運動は、歯根膜を刺激しその刺激が脳に伝わり、ストレスを解消する手段となる。
チューインガムを噛むとストレス解消によいとされた。アメリカ人が野球の試合中もガムを噛んでいるのを見た日本人は、真剣味に欠けると批判したが、確かに一理ある行為といえる。上下の歯の強い接触行為が習慣化すれば、顎関節周囲筋に負担が加わり、顎関節Ⅰ型になりもする。

 

3.ノンレム睡眠障害の針灸治療

睡眠にはノンレム睡眠とレム睡眠の周期があり、一晩の睡眠では下図のように、睡眠相は5~6繰り返す。


1)ノンレム睡眠(徐波睡眠)  non-rapid eye movement sleepとレム睡眠


睡眠は、まずノンレム睡眠(徐波睡眠)から始まる。
ノンレム睡眠は、睡眠の前半に多く現れる。大脳皮質休息の意義がある。大脳の休息では大脳身体抑制が外れるので、夢をみない一方、寝返りやいびき、歯ぎしりなど無目的に身体が動く。 

瞼の下で眼が動くので、REM(Rapid Eye Movement 急速眼球運動)睡眠とよぶ。レム睡眠の意義は身体休息で、骨格筋は弛緩して寝返りなどの動きはなが、精神は活動して夢をみる。

日中活動時は、交感神経優位状態が持続している。レム睡眠は、きつく巻かれたゼンマイを緩めるように、副交感神経優位状態にする役割がある。
レム睡眠が出現するのは入眠90分後からなので、仮に1時間睡眠を断続的に8回とって合計8時間睡眠になったとしても、レム睡眠時間は不足し、身体の疲労回復はできないので動物本能が低下(≒自律神経不安定)する。

 

2)ノンレム睡眠に誘導するための針灸治療
 
大脳の疲労回復が治療目標である。より正確には大脳疲労がもたらした筋疲労復が治療目標である。具体的には、施術中にぐっすりと眠ってしまうような針灸を行う。たとえば頭皮上の圧痛点、項部筋、胸鎖乳突筋圧痛を探り、置針する方法がよいだろう。
 

4.大後頭三叉神経症候群としての治療

大後頭三叉神経症候群とは、天柱深刺→大後頭神経刺激→C1~C3頸神経根→三叉神経脊髄路→三叉神経という神経連絡により、たとえば天柱刺針により眼精疲労が改善するという治療に解剖学的な回答を与えた。眼精疲労は三叉神経第Ⅰ枝(眼神経)興奮の結果である。ただしそれだけでなく、三叉神経第Ⅲ枝支配である咀嚼筋の緊張にもC1~C3頸神経を刺激する治療が知られている。
大後頭神経刺激により、咀嚼筋に対して影響を与えられることを示すものである。


5.顎関節症Ⅰ型の治療    

顎関節Ⅰ型は、閉口筋緊張過多で生ずる。閉口筋には、側頭筋・咬筋・内側翼突筋があるが、トラベルによると顎関節Ⅰ型の主な罹患筋は側頭筋と咬筋だという。

1)咬筋緊張の改善   
強く閉口する際には閉口筋とくに咬筋に負担が加わる。患者を強く歯をくいしばった状態にさせ、大迎~頬車あたりから咬筋へ刺入る。

2)側頭筋

側頭筋の代表穴には太陽や頭維があるが、これにこだわらず、患者を強く歯を食いしばった状態にさせ、圧痛点に刺針する。

 

 


肩甲間部のコリに、前頸部「肩甲背神経刺激点」刺針

2025-03-25 | 頸肩腕症状

これまで私は肩甲間部のコリには、局所治療以外に治療方法がないと思っていたが、柳谷素霊著「秘法一本針伝書」中の<肩甲間部のコリの一本針>を読み、そうでもないことを知った。肩甲間部筋は肩甲背神経神経が運動支配している。肩甲背神経は、腕神経叢から起こるので、腕神経叢刺激として、天鼎刺針やモーレー点刺針から刺激してみても、上肢に響きは与えられるが、肩甲間部には響かせられなかったからだ。肩甲背神経神経は運動神経なので刺針刺激しても響かないだろう。しかし肩甲背神経のトリガーポイント活性化すると肩甲間部にコリを生ずるのではないか、などと考えをめぐらす中にあって、柳谷素霊著一本針伝書「肩甲間部のコリの針」を読む機会を得た。

※モーレー点:前斜角筋症候群の診断点かつ治療点。前斜角筋症候群とは胸郭出口症候群の一つで、前斜角筋緊張により直下にある腕神経叢を絞扼し、上肢の痛みや知覚過敏を生ずる病態。

1.缺盆の位置

1)東洋療法学校協会教科書にみる缺盆の位置

現在の学校強協会教科書の缺盆はや、一本針生伝書よりやや下方で、鎖骨上縁になる。この部から刺針すると、前斜角筋部→腕神経叢と入り、上肢に電撃様針響を与えることができる。しかしながら肩甲間部に響くことはまずない。
※鎖骨の内側1/3は肺尖があるので外傷性気胸に注意すべきである。教科書缺盆はあくまでも頸部軟部組織内にあるのだから、頸部に刺針するとする意識が必要である。


2)「一本針伝書」肩甲間部のコリの一本針としての缺盆

一本針伝書には「鎖骨上窩で胸鎖乳突筋の中央の外側の小さな腱様のスジで、その筋を指頭で按圧すれば指に響くところ」とある。座位で刺針。缺盆から直刺した針を、わずかに上外方に倒しながら慎重に刺入し、 肩甲間部に針響を得たら弾振して針響を持続、しばらく響かせてから抜針する、とある。

一本針伝書の図を見返すと、鎖骨上縁ではなく、そこからやや上方の前斜角筋を治療点としているように思えた。そこで肩甲背神経の走行を改めて注意して観察すると、肩甲背神経はC4~C5神経根から出て、中斜角筋に沿って腕神経叢内で大きく外側にふくらみ、肩甲挙筋に沿って下行くし、大・小菱形筋に達するようだった。
したがって、肩甲背神経を刺激するには、腕神経叢の代表刺激点であるモーレー点よりも3cmほど上方で、甲状軟骨(C4~C6の高さ)の外方になり、中斜角筋を刺激すればよいと考えた。


 

 

2.「肩甲背神経刺激点」への刺針の試行

健常者に対して次の方法で肩甲間部に響きを与えるよう試行してみた。寸6#2使用。仰臥位でマクラを外し、顔を健側に向かせた肢位にする。甲状軟骨の高さ(C4-C5)の高さの外方の中斜角筋に2㎝程度直刺してみた。

何回か雀啄していると、安定して肩甲骨上角まで響きが至ることが多かった。肩甲間部にまで響かなかったのが残念だったが、甲間部のコリを訴える患者であれば、肩甲背神経の閾値が低くなっているので、この刺針法が臨床的にも有効だと判断し、本刺針を「肩甲背神経刺激点」と名付けてることにした。
    
 

3.肩甲骨内縁のコリとC6頸椎周囲の筋膜癒着
   
頸部神経根症や胸郭出口症候群では、上肢症状がと同時に、肩甲骨内縁にコリがある ことが知られている。この原因について神経走行では説明できないので、MPS(筋々膜性疼痛症候群)によものではないかとされるようになった。C6頸椎あたりは種々の筋が密集していて、筋膜癒着の好発部位となる。フェリックス・マンは「鍼の科学」(医歯薬出版)の中で「C6の横突起を刺激することが、従来の腕神経叢を形成している数本の神経を針で刺すよりも効果的だ」と記している。C6横突起への刺針は、既存の経穴位置の中では肩中兪(小腸経、C7棘突起下外方2寸)が最も近い位置になる。

   

 

 

 

 

 

 

 

 


坐骨神経痛以外の大腿後側痛の針灸治療

2025-03-11 | 腰下肢症状

 大腿後側部痛で最も多い疾患は、坐骨神経痛によるもので、普通は坐骨神経ブロック点(=中国式環跳そして柳谷素霊の裏環跳)から梨状筋に深刺するというのが定番だろう。しかし中には、坐骨神経痛ではないこともあり、坐骨神経ブロック点刺針で改善しない病態もある。坐骨神経痛以外で大腿後側痛症状をもたらす病態と治療法について整理してみた。


1.後大腿皮神経痛

大腿後側浅層を後大腿皮神経が下行し、皮膚を知覚支配している。その分枝は下殿皮神経となって下殿部を知覚支配している。この後大腿皮神経というのは、仙骨神経叢から発して、坐骨神経の内方1~1.5横指内方を下行している。
浅層を走るので、本神経興奮時には撮痛(+)が出現する。筋支配はないので筋コリは現れない。

後大腿皮神経が絞扼されるのは、梨状筋部と仙結節靭帯である。とくに仙結節靭帯部の圧痛は梨状筋症候群には生じないのでという特徴がある。坐骨神経痛が殿部全体~下肢症状を生ずるのに対し、後大腿皮神経痛は下殿部~大腿後側痛を生ずるという違いがある。とはいえ実際には坐骨神経痛と誤診され、本疾患を見逃している。

治療点は、承扶穴の2寸ほど上方で、仙結節靭帯上に刺針するが、大殿筋やハムストリング筋を伸張させるため仰臥位で股関節を強く屈曲させた肢位にするため、患者に大腿を抱えるようにして腹に近づけるようにするとよい。


  
2.ハムストリンク筋緊張
  
ハムストリング筋の支配神経は坐骨神経だが、本筋緊張症状は電撃様の神経痛ではなく歩行時に大腿後側がつっぱり、痛むようになる。治療目標は、ハムストリンク緊張を緩めることにある。ハムストリングを最大伸張させるには、膝関節をやや屈曲して、強く股関節屈曲させ(すなわち前術した承扶刺 針の肢位と同じ)、この肢位でハムストリン グ筋の圧痛点を発見して単刺(ときに 刺絡)するのがよい。この体位で刺針するには、患側大腿を挙上させ、この肢位を保持するため、左肱部で患者の膝窩を押圧し、術者の両手がフリーにすることが重要である。


3.多裂筋緊張
  
腰椎~仙椎の背部一行深部には多裂筋があり、TPs活性化しやすい。すると脊髄 神経後枝走行に沿って、斜外方45度方向に痛みと撮痛反応が出現する。側臥位にて背部一行から骨にぶつかるまで深刺する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


肋間神経部、帯状疱疹後神経痛の針灸治療

2025-03-06 | 胸部症状

1.帯状疱疹の病態と現代医学治療
 
1)帯状疱疹の発病と病理
 
痛みと皮疹を別々にみていくと理解しやすい。
①皮疹は出てないが、チクチク痛むような感じがする。これは脊髄神経後根神経節に潜伏していたウイルスが表皮に向かっている時、ウイルスが神経を刺激する痛みである。 
②皮膚所見出現。罹患皮膚が発赤→水疱→痂皮と移行。(=急性帯状疱疹痛)
それと前後して皮膚の痛みは増強する。この痛みは、侵害受容器性疼痛(よくある痛みのタイプ)であり、治療に反応しやすい。

③約2週間で、皮膚症状や疼痛は自然治癒することが多い。
ただし3週間経ても皮膚症状は改善しても痛みがなくならない場合、帯状疱疹後神経となる。この時の痛みは神経障害性疼痛によるもので、難治になる。帯状疱疹患者の2割とくに高齢者ほどが帯状疱疹後神経痛に移行しやすい。

 

2)帯状疱疹の治療薬と予防薬
   
帯状疱疹に罹患すれば、とりあえず医療機関を受診し、治療薬を投与されるという流れが普通である。肝心の治療薬であるが近来、抗ウィルス剤アクロシビルやアメナリーフが登場し、よい治療効果を発揮するようになった。帯状疱疹が1週間程度で自然治癒するのが普通である。
しかししばしば帯状疱疹後神経痛に移行し、いったっm帯状疱疹後神経痛に移行すると、治療に抵抗を示すようになる。したがって帯状疱疹後神経痛にならないようにするには、予防が一番で、効果的な予防薬としてビケンやシングリックスルが登場した。

患者が針灸を訪問するのは、医療機関での治療が効かなくなった帯状疱疹後神経痛に移行した後であることが多い。針灸でどうにかならないかと考えるからだろう。

 
3)肋間神経の急性帯状疱疹の針灸治療

痛み対策が中心となる。罹患部および罹患部を走行する末梢神経の脊髄神経根が痛みが発生→刺激された神経が過敏になる→血管・筋肉が緊張→結構悪化→痛みが増幅する。というのが治療機序で、深層から浅層に出てくる部(=背部一行)を施術する。8割の者は2週間程度で自然治癒するので、針灸そのものの治療効果は不明だが、針灸直後効果は良好である。急性帯状疱疹の針灸治療は、神経痛治療(=筋々膜性治療)と変わらない

2.帯状疱疹後神経痛(PHN: Post Herpetic Neuralgia) 
 
1)帯状疱疹後神経痛の概要
   
帯状疱疹発症後3ヶ月経過し、皮疹が治癒した後も痛みが残存するものを帯状疱疹後神経痛とよぶ。帯状疱疹後神経痛は、「神経障害性疼痛」に分類され、一般に難治である。帯状疱疹後神経痛に移行するのは、帯状疱疹罹患者のうち、50歳以上の者で20%発症。罹患期間は半年~数年。1/3が3ヶ月以上、1/5は1年以上続く。書籍によると治癒まで2年3年を要すると書いてあったり、一生治らないこともあると書かれているものもある。この段階になると医療機関でも手の打ちようがない。

帯状疱疹に罹患後、3日以内に抗ウィルス剤を服薬したとしても、帯状疱疹の重症化を防いだり、治るまでの期間を短縮することはできても、帯状疱疹後神経痛の移行を防ぐというエビデンスは得られていない。すなわち帯状疱疹に罹患したら、その後帯状疱疹後神経痛に移行するか否かの運命はすでに決定されている。(その要因は罹患したウィルスの数によるとする見解がある)
神経障害性疼痛とは、侵害受容器以外の部位で電気的興奮が起こって発生する痛みであるが、実態は不明な部分が多い。ウィルスによる神経線維にできた瘢痕や変性神経組織によるものだという。

帯状疱疹後神経痛の治療薬に決め手は乏しいが、対症療法として、抗テンカン薬(リリカなど)、三環系抗うつ剤(トリプタノール)、オピオイド類(トラマール、トラマドール、トラムセット)が使用される。オピオイド(=麻薬系鎮痛剤)を使っても鎮痛できるとは限らない。
 

2)帯状疱疹後神経痛の針灸治療の試行錯誤

私の針灸院では、半年前から肋間神経帯状疱疹後神経痛の患者(76歳、男)の針灸治療を行い、現在も週1回の治療を継続中である。長期間治療することができたので、いろいろな治療を試み、その効果を確認する機会に恵まれた。半年後の現在、症状がある程度抑えられており、治療効果に一定の手応えを感じている。本患者はかつて医療機関に通院していたが、麻薬系鎮痛剤を使用したところ、意識不明となった。これに懲りてそれ以降は薬物治療を中断している。

肋間神経帯状疱疹後神経痛の針灸治療罹患神経部は、脊髄神経後根神経節から皮膚に向かう知覚神経だが、とくに皮膚に近い部位ほど神経細胞はウィルスに感染している。皮膚患部の状況に応じて、以下の2種の治療を使い分けている。


①皮膚表層の痛み

皮膚近くの痛みに対しては、皮膚を指でこすったり撮診で皮膚過敏部を確定し、そこに刺激を加える。皮膚刺激の方法としては、カッサ治療が具合がよいようで、皮膚を発赤するまで擦る。
一定領域に圧痛点は多数出現するので、圧痛点の中から施灸点を数カ所選出することは難しく、一定範囲内に灸点を10ヶ所程度置いても治療効果が上がることもない印象である。皮膚に対する面的刺激として、ハコ灸、アイロン灸を試みても手間に見合う治療効果は得られないようである。本患者に対しては皮膚刺激として妥当だと考え、症状部に対して多数の刺絡を試みたが出血せず、刺絡部に吸角もかけてみてもやはり出血しなかったので刺絡は中止した。

※アイロン灸:患部の上にタオルを2~4枚重ねにし、家庭用のアイロンをかける。アイロン温度設定は、中~高温がちょうどよい。熱いと感じたら合図させ、アイロンを離す。これを何回か繰り返す。術後、皮膚が暖かくなる。


②皮膚下浅層1㎝内外の痛み  
     
水平刺するのは、皮膚に近い神経がウィルスに罹患しているからである。撮痛はないが、圧痛がある時の治療として、横刺+低周波50ヘルツを実施を考案した。
圧痛帯を覆うように2寸#4針の横刺を、十数カ所実施する。横針は、刺針刺激範囲を拡大するため鶏爪刺手技を併用。置針したら低周波50ヘルツを20分程度流す。治療対象は筋ではないから、筋の攣縮を求めないた、神経に対する作用としてこの周波数とした。パルス通電時間20分間は標準的なものだろう。
 
※鶏爪刺:鶏の足爪は3本であるこれに似せて刺す。水平刺針軽く雀啄。次に刺針転向法を用いて、先程の針に対して左30度方向に水平刺針して軽く雀啄、再び刺針転向法を用いて、右30度方向に水平刺して軽く雀啄。すなわち広い範囲の皮下に刺激を与える技法。


桜井戸の灸について Ver. 1.4

2025-02-28 | 灸療法

1.序

桜井戸の灸とは、家伝の灸の一つで、よう・ちょうの灸として、明治から昭和初期にかけて賑わっていた。ネット検索をすると、断片的な知識は入手できる。筆者も現代医学的針灸のブログ内で、<「麦粒腫に対する二間の灸」雑感>2011.4.22.で少々触れたことがある。ただ今となっては、その詳細な内容を知ることは、困難なことのように思えた。
 
しかしながら故・代田文彦先生宅に残された資料を調べていると、<桜井戸の灸療に就いて>と題して、当時の桜井戸灸療所所長3代目、漆畑淳司氏の文章が臨床針灸第2巻第1号(昭和28年1月)に載っていることを発見できた。そこで、私の知り得た桜井戸の灸の概要をまとめることにした。なお漆畑淳司氏は初代の静岡県鍼灸師会会長(昭和57年、80才で死去)。 

最近、医道の日本昭和57年12月号に、飯島左一氏が「百年つづいた癰疔の名灸」と題して桜井戸の灸に関する記事を書かれていたことを知った。そこでの内容も、本文各所に付け加え、内容の充実をはかった。

 


2.桜井戸と桜井戸の灸の由来  

桜の老樹があり、飲料水の源泉もあった処。現在の静岡市の近くである。このあたりは桜の名所だった。西暦1800年頃のこと霜凍る朝、この井戸の傍らに倒れて苦しむ老僧夫婦がいた。そこを佐治(右)衛門 夫妻に救われ、数十日の看病されたことに感謝感激し、自分の修得した「よう、ちょう、その他一切のはれ物に適応する灸の秘法」を伝えた。以上の話が津々浦々まで世に広がった。

桜井戸の傍らの庄屋でお灸をするということが、次第に「桜井戸の灸」とよばれるようになった。

この地は現在では、この一帯は史跡桜井戸として保存されている。毎年春には、見事な桜が咲く。その地下には防火用水貯水槽が設置されている。
現在では、創始者佐治右衛門の子孫に当たる漆畑勲先生が、その近くで井戸医院(内科・小児科)を開業されていたが現在は閉院している。


3.桜井戸の灸療者のための駅が誕生


漆畑淳司<桜井戸の灸療に就いて>には、「草薙駅は、静岡鉄道(東海道線の傍らを走った軽便鉄道)にある駅であり、当所の灸療患者のために設置された駅」との記載ある。当時「草薙駅」を新設するにあたっては、いっそのこと「桜井戸駅」という名称にしたらどうかとする意見もあったが、売名行為になるとして桜井戸の創始者佐治右衛門は固辞した。その一方で、駅新設の費用は彼が負担したという。静岡鉄道の草薙駅を利用した者は、1日の患者数は500人とも1500人ともいう。施設内には下足番もいた。治療の順番を待つため、さくら荘という宿泊施設もできた。 

なお草薙駅という駅名は、静岡鉄道と東海道本線に2つあるが、まったくの別物で、当時は東海道本線の草薙駅は存在しなかった。この駅が開業したのは大正15年になってからであった。





4.昭和28年頃の桜井戸の灸の現状 


抗生物質出現の影響のためか、これに加えて化膿菌に対する一般衛生知識の普及のためか、ちょう・よう、その他の腫れものの患者は、従前よりはずっと減少した。けれども、連日新患30名を下ることはない。

最近では蓄膿症患者が非常に増した。この種の患者には次のような方法で施灸しているが、80%の好成績を得ている。
 1)合谷(左右):1穴へ50壮(小灸で感ずる程度のもの)。1日2~3回。
 2)風門(左右):1穴へ20壮。1日2回。

 3)膏肓(左右):1穴へ20壮。1日2回。
以上を5週間、毎日連続で施灸する。成績は施灸後1ヶ月くらい後に判明する。

抗生物質がない時代のこと、面疔に対する合谷の灸はとくに有名であった。私が知っていた内容は、合谷に数十~二百壮連続で、痛みがとれるまですえる。自宅への帰路、東海道線に乗ったが、途中で再び痛くなると、列車内で灸する者もいたという内容だった。昭和28年頃には、以前よりも少ない刺激になったのだろうか。

「桜井戸の灸」で施灸する合谷の位置は、一般的な合谷とは異なるという見解がある。母指と示指を開張させ、その筋縁の中央で、白赤肌肉の境を取穴する。すなわち奇穴の<虎口>に相当する部になる。しかしこの取穴に異を唱え、学校協会の合谷位置よりもやや母指寄りとする意見もある。

 

 

面疔の治療は、化膿を待って切開するのか常で、したがって手の一穴(合谷)へ灸をすえれば必ず口が開いて排膿治療するとして、桜井戸の灸は救いの神とされた。

※面疔:黄色ブドウ球菌感染症。常在菌である黄色ブドウ球菌が顔面の毛孔から侵入し、毛嚢炎が起きた状態。抗生物質が有効。ほとんどは自然治癒する。
病巣部である眼窩や鼻腔、副鼻腔などは薄い骨を隔てて脳と接しているため、場合によっては髄膜炎や脳炎などを併発し死に致る可能性も少なくない。沢田健は面疔で死亡した。

※深谷伊三郎は「合谷へ100 壮、200 壮と多壮灸をすえるのである。50壮ぐらいで面疔のズキンズキンする痛みが止まってくる。灸を止めると痛みだすのですぐ続ける。そのうちに痛みが止まって、ひとりでに口が開いて膿が排出されてしまう。」と記している。(「家伝灸物語」、三景)


5.合谷への施灸がなぜ面疔に効果あるのかの私見

この作用機序については、合谷位置はどれが正しいのかとの検討は無意味であり、合谷は、橈骨神経浅枝(皮枝)が特異的に知覚支配する部であるといった特徴も作用機序解明に繋がらない。現在私は、合谷刺激→三叉神経脊髄路(脊髄→三叉神経)→顔面オニオンスキン刺激というルートが関与しているのではないかと漠然と考えている。眼精疲労は、天柱刺激→大後頭神経→C2脊髄→三叉神経脊髄路→三叉神経第一枝という刺激機序らしい。これと同じ機序が合谷と顔面の鼻周りに関係するのだろうか。
四総穴<肚腹は三里に止め、腰背は委中に求む。頭項は列缺に尋ね、面目は合谷に収む>でいう合谷効能は、この神経ルートのことをいうのではないだろうか。


大久保適斎著『鍼治新書』<手術篇>の要点 ver.1.2

2025-02-27 | 経穴の意味

本書は明治25年発刊。明治44年5月25日第2版発行。昭和50年9月30日医道の日本社より復刻再版。

著者の大久保適斎は明治時代の西洋外科医で、群馬県医学校の初代校長、兼病院長の重責に任じられた。自らのノイローゼが鍼灸により軽快した体験から鍼灸に興味をもった。しかし良き指導者にめぐまれなかったため、現代解剖生理学に基盤をおく「自律神経手術」という針治法を独自に開発した。本書の価値は、明治中期の頃、西洋医の第一人者として活動していた者が、針灸治療を現代医学的にどのよう理解していたかにあり、医史的価値をもつものである。

 

本著『鍼治新書』は、「解剖編」「治療編」「手術編」の3部作からなる。医道の日本社からは昭和四十~五十年代に「治療編」と「手術編」のみ復刻版が出ていたが現在では入手困難である。針灸治療法について書かれているのは「手術編」である。なお本著でいう<手術>とは外科手術のことではなく、解剖生理学的理論に基づく具体的な鍼の手法のことを指している。「解剖編」「治療編」とは異なり、知識・技術不足の者が手術編を読んだだけで安易にこの内容をマネして医療過誤を起こすことを恐れ、読み手を制限したという。

明治の頃、西洋医の権威とえるほどの本著者が、東洋医学に興味があることは意外なことだった。私はここまで書いてきて、澤瀉久敬(おもざわひさたか)著「医学概論」を思い出した。澤瀉は哲学者であり医学者ではない。本来ならば、医学概論は医師が著す筋合いのものだが、医者には執筆依頼を断られ続け、やむを得ず澤瀉に原稿をお願いしたという経緯があったという。
澤瀉久敬著「医学概論」東京創元社刊(昭和36)は、三部構成となっていて、<第一部>科学について、<第二部>生命について、<第三部>医学についてに分冊されている。「<第三部>医学について」は今から50年近く前に見(読んだとはいえない)て驚いた。理想の医学とはどういうものかを説明し、東洋医学の理念について説明していたからだった。とにかく格調の高い本であった。
 
しかし本書の内容に反旗を翻す者が出てきた。医学概論なのだから空論ではなく実用的内容にすべきだと主張し、「現代医学概論」が誕生した。著書は、高橋晄正(東大医学部講師)で、これはしっかり読了した。針灸業界において、高橋晄正は「漢方の認識」著者(NHKブックス)として有名であり、私も多くの鍼灸師に本著を紹介した。漢方診療のあいまいさを是正するには多変量解析という統計手法(この統計計算手法は昔から知られていたが計算量が膨大になるためモノにならなかった。しかし高橋の時代頃になりコンピュータが使えるようになり実用化の道が開けた)を運用すべきだということ主張し、脈診のいい加減さを科学的データから批判した。その「現代医学概論」も、すでに新大久保の東洋鍼灸専門学校に寄贈してしまって手元にない。  


私は病院研修した昔、研修2年目仲間で「手術編」の抄読会をやったことがあった。しかし知識のない者同士が集まっても、疑問点の解決につながることはなく、あまり成果はあがらなかった。今回はさすがに40年間の知識や臨床経験があるので大丈夫(ただし技量と余命は等価交換)と思い、手術編の中で中核となっている刺針点について、その概要をまとめることにした。

なお本著の示す刺激点とほぼ一致すると思われる経穴名を付加した。また必要に応じて図を挿入した。 


1.刺針点の総説


大久保適斎の「治療編」には、簡明に鍼の治効作用が示されている。①神経の運動枝に作用した場合には、筋の痙攣を鎮め、麻痺(運動麻痺)を回復させる。②感覚神経枝に作用した場合には痛みを鎮め、痺れ(知覚鈍麻)を回復させる。③交感神経に作用した場合は内臓機能を調整する、としている。③の鍼灸刺激は交感神経を介して内臓機能に影響を及ぼすとする考えは、当時として先進的なものである。

刺針点を多く定める必要はない。「本」の治療が効果あれば、いちいち末梢を治療する必要はない。重要点となるのは以下の11点である。この中で内臓交感神経手術として用いるのは左右6点とする。

 
内臓交感神経刺激点:頸部交感神経点(3カ所)と腰部内臓点(3カ所)

体性神経刺激点:上肢部(3カ所)と下肢部(2カ所)


2.頸部交感神経点

後頸部の後正中の左右外方1寸からの深刺が、上・中・下交感神経節に影響を与えることは十分理解できる。
しかし本稿で詳しく書くことは省略したが、<同部から浅刺すると副交感神経に影響を与える>とする旨も記されているので、これは誤った指摘であろう。当時は副交感神経につて、よく分かっていなかったというべだろう。





1)頸部第1位点(上頚神経節点)(天柱)

①位置

乳様突起の尖端と下顎角との中間から、頸椎に向け、頸椎中央に至る水平線を引く。その中央より左右に開くことそれぞれ約一横指。すなわち項窩の一横指下の左右、椎体の左右の筋隆起の際を取穴する。

②刺針法
浅層手術:刺入5分~8分。副交感神経の運動性後枝を刺激する。(?)
深層手術:刺入8分~1寸。椎骨動脈への刺入を避けるため、やや外方に向けて刺入する。

③意義

深層手術は、交感神経上頸神経節に刺激を与える。上頸神経節からは上心臓神経が、中頸神経節からは中心臓神経が、下頚神経節からは下心臓神経が、それぞれ心臓神経叢に入る。一方、迷走神経の枝である上頸心臓支と下頸心臓支に影響を伝播させる。

肺臓に対する深層手術は、上頸神経節の喉頭支迷走神経に影響を与える。

肺に対する浅層手術は副交感神経支配の僧帽筋枝であって、これは肺や気管に興奮または鎮圧作用を至らせる目的である。喘息および動悸の鎮静に用いる。 

2)第二位点(中頚神経節点)

①位置

第一位点と第三位点の中間。頸椎の左右で、第4第5頸椎横突起間とする。

②刺針法

浅層手術:6~7分。副交感神経の運動性後枝を刺激する。(?)
深層手術:1寸ときには2寸に達する。熟達した者以外、深層手術を慎むこと。③意義

③意義
深層手術の意義は、頸部交感神経中頸神経節に刺激を伝播させる目的。第一位点の補助。

3)第三位点(下頸神経節点または星状神経節点) (治喘穴または定喘)

①位置

頸椎第6第7あるいは、第7頸椎と第1胸椎間において、その上下横突起間とする。この探り方は、第7頸椎の棘突起の基準として、その左右に去ること横一横指の点である。ときとして第一胸椎と第二胸椎間に取穴することがある。

②刺針法

浅層手術:刺入6分ないし8分。副交感神経の運動性後枝を刺激する。(?)
深層手術:1寸ないし2寸。

③意義

深層手術は、下頸神経節に刺激を伝播する目的で、最も心臓鼓舞の作用がある。時には呼吸催進術として行うべきである。呼吸催進作の効能は、交感神経枝から反射的に、上喉頭枝下喉頭枝を興奮させて、呼吸圧制作用を行なうことができることによる。
かつこの刺点は、痰分泌を減少させる効果はあるようだが、完全にその効を奏するまでには至らない。


 

 

2.腰部内臓点
 
腹部内臓手術の3種の治療点は、腰部交感神経枝を刺激するのが目的だが、針尖は敢えてその交感神経節に直達させる必要はない。脊髄神経の前枝に達すれば、その刺激を交通枝に伝えることで、その交感神経節に伝達させることができるためである。


1)腰部第一位点(三焦兪)


①位置

第1腰椎と第2腰椎の横突起間。患者を伏臥位にしせめ、季肋を探り、その下線より水平に腰椎棘突起に至るラインよりも、一椎体あるいは二椎体上がった処を取穴する。二椎体異常は、往々にして肋間神経痛を発することがあるので、避けるのがよい。そして腰椎棘突起を中心にとり、それよりも左右1横指ないし一横指半のところに刺点を定めるとよい。

②刺針

2寸ないし2寸5分。

③意義

太陽神経叢の分枝に刺激を伝播することで、胃・肝の機能および尿の分泌を調理する。また腸が機能亢進して生じた下痢を鎮静する。糞便の厚薄は腹の蠕動に関している。その機能亢進すれば腸内容物の通過が速まり、液体吸収の時間が少なければ、水分増加して下痢する。その他にも神経切断により、あるいは他の事情により、腸神経およびリンパ管麻痺しても下痢する。この場合、強直性刺激?(こわばったような刺激のこと?)を行うべきである。

2)腰部第二位点(大腸兪)

①位置

第4第5腰椎横突起間。腸骨稜を探り、腰椎に至る水平線を引き、その棘突起の一節上の棘突起の左右それぞれ一横指ないし一横指半。

②刺針

2寸~3寸刺入、非常時は4寸刺入。この時は基準点よりも外側に開く、針先を椎体の前面に向けて刺入する。

③意義

腹大動脈神経叢に対する刺激が目的がある。その細胞から幾多の分枝を生じ、筋層に位するマイスネル粘膜下神経叢、およびアウエルバッハ腸管粘膜神経叢、迷走神経の末梢端を刺激すれば、胃を運動させるとともに腸管もまた同一の運動を起こす。この運動は下腸間膜神経叢から来て、迷走神経と同一の運動を営む腸上部の運動は、この二位点の手術を要し、それ以下に至っては針先を下に向ける必要がある。この刺激は腸の疝痛を治する。針尖を少し下方に向けて刺入すれば、下腸間膜神経叢に刺激を与え、下行結腸、S状結腸および直腸の運動を進め、便通を促す。また下痢止めの方法としては持続性刺激法を行うのがよい。
                                                   
3)腰部第三位点(関元兪)

①位置

第5腰椎と仙骨外上部との間隙。

②刺針

2寸ないし4寸(第二位の刺入の要領で)刺入。刺入要領は、腰部第二位点と同様。
腸骨櫛を探り、腰椎に至り、その横突起と仙骨翼(仙骨上外方の張り出し部分)との間に刺針点を求めることは前例と同様である。もっとも、この点においては、第4腰椎と第5腰椎の棘状突起の間に通信を定め、それよりも左右に開いて刺針点を求めれば、鍼先はちょうど第5腰椎棘突起と仙骨翼との間隙に入れることができる。

③意義
下腹神経叢に対する目的で、膀胱・子宮に対する治療にある。その傍ら下腹の血行を調節する。その他に、この刺針点は下腸間膜神経叢の下部を補うところの上痔神経を刺激し、結腸下部お呼び直腸の運動に対しても奏功あるから、便秘にも効果がある。
 
子宮機能にも作用する。しかしながら、出産に臨んで、あるいは単に子宮収縮させる必要がある場合、肩井・合谷・三陰交に鍼してもよい。
子宮を運動せしめる要素は多数あるが、直接刺激と反射による刺激に大別される。直接刺激によるもの第一は下腹神経叢、第二は仙骨神経叢から発する勃起神経、第三は腰部仙骨部の脊髄である。

一方反射によるものは、坐骨神経叢と腕神経叢(腕神経叢の中心を刺激すべき)である。また乳房を刺激すれば子宮収縮を起こせるので、肩井は鍼先の方向を左右すれば、腕神経叢の中心に触れることができる。また三陰交も鍼先を左右に動かせば、坐骨神経の末端に触れることから、その収縮を起こすことができる。

 
この2点をすべての妊婦行うことを禁じた方がよいが、分娩時の胎児排出を助け、不規則の陣痛を取り除くことは、前述したように第3位点を必要とする、


すでに胎児発育中心のものは、正規の排出力に加えて排出作用を強力に増し、速やかに排出をさせ、産婦に不必要な努力、疲労を増加させることなく、かつ刺激自体のために、脱胎早産させることはないのので、信念をもって従事すべきである。

4)後仙骨孔刺針(上髎、次髎、中髎、下髎)

この部位は、体性神経としては陰部神経、副交感神経としては骨盤神経が支配している。交感神経としては下腹神経が支配しているのだが、下死腹神経は泌尿器科や婦人科の医師以外、あまり意識しないものだろう。こうした解剖学的特徴を無視して、交感神経手術部位として後仙骨孔刺針を行っている。

①位置

第1~第4後仙骨孔

②刺針

第1後仙骨孔は、やや上方に向けて刺入。第2~第3後仙骨孔は直入する。約2寸刺入。
巧みに刺針してその目的を達すれば、患者は大いに癒された感覚を感じる。

③適応

子宮その他の小骨盤の疾患

 

3.上肢の刺針

上肢では、次の3種類の刺針点がある。上肢の疾患は、頸神経叢に刺激を伝達させるので、頸部第三位点において手術を施すが、前腕および手部に症状のあるものは、上肢部三点の刺激を考えるのがよい。

1)橈骨点(手五里)
三角筋停止部と上腕骨外側上顆との中間。
 
2)尺骨点(青霊)
上腕骨内側上顆の上部4~5㎝のところで、尺骨神経溝中を探る。

3)正中点(曲沢)
上腕骨内側上顆の上部2㎝の上腕二頭筋内側頭中。刺入する時は、前腕を曲げ、肘関節を上腕に向けて去る、おおよそ1寸の処で、橈骨前面に針尖を向けて刺入すること1寸。
 
※副点として、前腕後面に針することがある。この方法は、前腕を曲て、その後面において尺骨鈎状突起と橈骨頭との中間において、肘を腕に向けて去ること1寸の処で、尺骨の橈骨側に1寸刺入する。(位置不明瞭)

 

 

4.下肢の刺針点

1)股骨点(陰廉または足五里) 
上前腸骨棘と恥骨縫合との中央やや外方に仮点をとる。そこから鼠径溝下、おおよそ2寸のところに刺点を定める。約1寸刺入で刺点内方に針体を傾ければ、刺針の際、皮膚に刺痛を感じる大腿神経を刺激する。

 

 2)坐骨点(各種ある環跳取穴の一つ)
坐骨結節と大転子の中間。およそ1寸刺入。この刺針点は、全枝に激痛を発するので、極めて頑固な神経痛または麻痺症でなければ、みだりに針しない方がよい。この点は、多くの場合、施術する必要がない。というのは股筋の疾患は腰椎第2第3位で、その刺点を通常の刺針のやや外方に行えば、その目的を達することができるからである。もし強いてこの坐骨点に刺針しようと思えば、(麻痺症においては於いて可)、中央部、大転子より膝窩にいたるところを三等分し、刺針すると、強度の疼痛を避けることができる。

 

 

3)下腿の副点

①足三里
足三里は深腓骨神経を刺激するとともに、脛骨動脈とも関係している。足三里の位置は、前脛骨筋と長指伸筋間で、長指伸筋に寄りに針するのがよい。

足背の知覚枝に刺激を与えようとすれば、同所で長指伸筋の外側(浅腓骨神経刺激 で代表穴として陽陵泉?)にその刺点を求めるべきである。

②三陰交
三陰交は後脛骨神経の下端および足底神経に刺激を与える。内果の一握上で長指屈筋お後側に刺点を定める。この点は、足底運動・知覚の疾患を主治とする。

 

5.その他の刺点

1)回気鍼 

①水溝

水溝すなわち人中の鍼。鼻中隔直下に刺針すること4~5分。鼻口蓋神経(三叉神経第Ⅱ枝の枝)を刺激できる。この刺点の刺激は、鼻口蓋神経から反射的に精神を還帰して、医薬のアンモニアを吸入させて鼻腔粘膜を刺激するのと同一原理になる。

②紫宮直側(左)・玉堂直側(左)

左第2肋間ないし第3肋間で胸骨左縁。胸骨後縁に向けて1寸5分刺針する。心臓自動性運動中枢に刺激を与える。この刺針は、最も潜心注意し、肺運動停止した後でなければ鍼してはならない。それに呼吸停止後3分以内でなければ、確実な効果を得ることはできない。(以下略)

2)膀胱鍼(曲骨)

恥骨縫合上点に、刺点を定め、鍼尖を下斜に向けて刺入すること1寸5分、時として2寸4分を要することもある。この目的は膀胱に達することを必要とするので、肥痩に従って考えるべきである。膀胱がに非常に畜尿膨張していれば、あえて下斜めに刺針する必要はない。恥骨上縁に接して刺入すれば、腹膜に触れないだけでなく、患者の疼痛を感ずることもわずかであるという利点がある。痙攣症に対しては、一鍼で奏功するので、奏功後はみだりに鍼してはならない。麻痺症に対しては、一日一回あるいは隔日に一回するのもよい。

3)横隔膜鍼

①頸部の点
横隔膜の筋に強直を起こすから、症状を確実に病態把握して施術すべきである。その位置は、胸鎖乳突筋の外縁に沿って斜線を引き、また環状軟骨下縁から水平線を引き、その二線の交わるところを縦径に該当する神経の経過するをもって、僧帽筋の外縁の同位において、この点は、頸動脈の損傷を恐れるから、その搏動を按じつつ動脈を避けるように努める。                                      

②腰部の点(胃兪)
腰椎第一位点(三焦兪)の一椎上で、その左右一横指去った部を刺点に定める。これは横隔膜脚刺激を目的とするもので、刺入2~2.5寸。この針は、時として肋間神経痛を喚起して呼吸運動を障害することがあるが、大概3~4日で治る。

③期門
季肋部で第9肋間の軟骨部。鍼すること8分。(本著では、この解剖学的部位を「章門」としているが、章門穴は、今日では第11肋骨尖端に定めている。)


4)歯痛鍼

①上歯痛(客主人)
外耳孔直下に刺点を定め、下顎枝に沿って、やや前方に鍼尖を進めること1寸ないし1寸5分。これは上歯槽神経に刺激を与える目的がある。

②下歯痛(頬車)

下顎角の尖端から斜めやや上方で、できるだけ下顎骨に沿って前進すること1寸。あるいは、下顎角から頬に一横指寄ったところから、頬骨内面に向かい、上に刺針すること5分。これは下歯槽神経に刺激を与える目的がある。


6.おわりに
 
本著は針灸医学史に載るほどの重要書籍だが、文体が明治調であること。専門的な文章で、かつ現代の医学とは異なる用語もあったりして、現代語訳は意外に時間を要した。以下、本著に対する註釈を記す。

①大久保適斎といえば、頸部交感神経節に影響を与えようとする鍼が有名である。後頸部の後正中の左右外方1寸からの深刺が、上・中・下交感神経節に影響を与えることは理解できたが、同部から浅刺すると副交感神経に影響を与えるとする意味は理解できなかった。

②上肢と下肢の刺針は、末梢神経に対するものなので、今日でも同様の方法は広く行われている。ただし、上肢3点、下肢2点とする刺針点の簡素化は大胆なものであろう。

③回気針の人中刺針は、清脳開竅法でも使用するものである。清脳開竅法では、脳血管障害による意識障害に使用する。神経走行的に考察しているのが興味深い。回気鍼の左肋骨部刺針は、心停止に対する応急処置である。医師ならではの内容だが、針灸でこうしたことも出来るのかと感心する。

④横隔膜鍼の「頸部の点」の位置は、この記載から不明瞭だったが、C3~C4前枝への刺針でパルスをかけると横隔膜がリズミカルに動くことはよくあることである。
横隔膜鍼の、腰部の点(胃兪)が横隔膜脚刺激になることは、石川太刀雄著「内臓体壁反射」においても同様の記載がみられる。

⑤歯痛鍼の内容は、柳谷素霊著「秘法一本鍼伝書」の内容と類似しているが、「秘法一本鍼伝書」には局所解剖や治効理論の記載はない。

 

 

 


腹部ツボ名の由来 ver.1.3

2025-02-27 | 経穴の意味

先回、前胸部ツボ名の由来を調べ、当ブログで報告した。この作業は知的好奇心を刺激するものだった。そういう訳ならば同じ方式で腹部ツボの名称の由来を調べてみることにした。腹部のツボについて、中脘などの「脘」は腹直筋を示すこと。ブログ「鼠径部の経穴」と「天文学と経穴」において、天枢の「枢」は扉の回転軸であることを示した。ツボの五枢の「五」とは五方のことで、ここでは全方向を指し、「五枢」が股関節がいろいろな方向に可動性があることを示している。気衝の「衝」は脈拍ではなく、胃経走行の直角に折れ曲がる様を表現している。太乙の「乙」は腹直筋のつくる腱画の凹みのこと。膏兪の「膏」は横隔膜ではなく、膏膜(現在の腸間膜)であることを指摘した。中脘の外方2寸の梁門は、腹直筋の腱画を示すとした。


1.腹部経穴の分布傾向

①上腹部は、予想通り胃に関係する経穴(赤)が多い。すぐ下層には胃と腸の境界を意味する経穴(オレンジ色)も多数あり、両者は分離されてる。
②臍の横のライン、恥骨上のラインは、鼠径溝は取穴する上で基準となるものである。
これらの穴名には、解剖学的特性の名前が優先されてつけられている(黄緑色)。
③臍下2寸ラインにある石門、四満は腸を示す名称になる(黄色)。
④腸に関係するツボの下には、腎・膀胱を示す経穴がある(紺色)。
⑤さらにその下には婦人科の妊娠関連を示す大赫や帰来がある(紫色)。

 

2.腹部経穴の由来
※印は独自の解釈

1)臍上6寸
①巨闕(任)    「闕」は宮殿入口にある大きな門のこと。肋骨弓基部の陥凹部。
②幽門(腎)    「幽」は幽閉の幽で、隠すとの意味。胃の上部が肋骨弓で隠される。解剖学の胃の下口である幽門とは無関係。
③不容(胃)   胃の噴門に相当。胃の受納能力の限界が、このあたりになる。

2)臍上5寸
①上脘(任)  
a.胃の上部

b.「脘」には平たくのばした肉の意味があり、腹直筋を意味する。腹直筋の上部のこと。
②腹通谷(腎)    内経には<谷の道は脾を通ず>とある。水穀(飲食物)を上から下へ流す所。
③承満(胃)  「承」は受納。「満」は充満。不容穴の下にあり、水穀で満タンという意味。

3)臍上4寸
①中脘(任) 
a.「脘」=平たくした干肉の意味。腹直筋を干し肉にたとえた。腹直筋の中央。

b.胃の中央、小湾部
②陰都(腎) 
a. 腎経の流注が、胃の両側にある胃経と交わる。その様子が、村から都に上がる者のような、”お上りさん”状態。

b.胃の近くにあるので、胃を整える作用がある。別名「食宮」「食府」。
③梁門(胃)   「梁」=柱のハリ。腹筋と腹筋の間にある腱画。心下痞満(心窩部がつかえた感じ)、胃のつかえ、消化不良、脹満)治療の門戸。※滑肉門穴の図を参照のこと。

4)臍上3寸
①建里(任)  「建」=建ておく、位置する。「里」=居住地で、ここでは胃をさす。胃の通り道の途中にあるツボ。
②石関(腎)    石が邪魔しているように物が通らないこと。胃や腸の通過障害。
③関門(胃)  「関」は関所、「門」の開閉を管理すること。胃と腸の境目で、閉門時には食を受けつけず、開門時には下痢が止まらない状況になる。
④腹哀(脾)   悲しげな泣き声(この場合は腹鳴)を哀鳴という。腹痛、腹鳴の愁訴を治す。

5)臍上2寸
①下脘(任) 
a.胃の下部。

※b.腹直筋の下部のこと(「上脘」の説明を参照)。
②商曲(腎)    このツボの内部は大腸の横行結腸が下に垂れ下がり弯曲しているところ。商」は五行では五音の金に属し、肺・大腸に関係する。
③太乙(胃)   
a.中国の古代思想で、天地・万物の生じる根源。天極にある星だが、北斗七星の一番星である天枢のこと。北極星を意味しない。
太陽が別格として、一番目に明るいのは月、二番目に明るいのは金星である。「乙」は甲に続く二番目であり、金星の別名を太乙という。
ちなみに「乙」には、若いという意味もある。乙女は若い女性のこと。乙姫は、若いお姫様のこと。

b.「乙」には、つかえて曲がって止まるとの意味がある。
 道なりに歩いていて途中で急に曲がる。すなわち腹筋の腱画の陥凹を示しているのではないだろうか? 太乙とは、大きく深い腱画のこと。

 

C.「太乙膏」は中国の宋(我が国でいう鎌倉時代頃)の頃につくった皮膚病外用薬。これと同種のものとして、華岡青洲が処方した「紫雲膏」がある。


6)臍上1寸

①水分(任)     臍上1寸にあって水分が分かれ出る部。飲食物のうち水液は腎臓→膀胱に入る。この下にある小腸には清を吸収し、濁(植物残渣)は 大腸  に入る
②滑肉門(胃)   腹直筋上で、上下の腱画に挟まれた隆起した部。腰ヒモが腹を滑って褲子(=ズボン)が下がりやすい処。

 

7)臍部
①神闕(任) 「神」は生命、「闕」は要塞や都市を守る城壁の大きな門また門間の通路。神闕は体内への入口という意味。臍からへその緒を伝い胎児を 滋養するので、臍は神の気の出入り口だとする。
②肓兪(腎)  腎の流注は、この部から深く潜り肓膜(=腸間膜)に向かい入っていく。腹痛、泄瀉、便秘などを主治とする。
③天枢(胃)   
a.北斗七星の一番星(北極星に最も近い星。北極星そのものではない)
 古代中国人は、北極星を認識していなかった。

b.「枢」とは回転扉の軸構造をいう。金属製のちょうつがいが発明される前は、木の棒を丸ほぞ(凸構造)と丸ほぞ受け(凹構造)の2通り加工し、 組み合せて扉を開閉する仕組みをつくった。
体を折り曲げるところを扉の開閉軸に例えた。ここを境に上半身と下半身を区分する。
④大横(脾)    神闕から大きく離れた部位。
⑤帯脈(胆)    腰に巻く帯の位置。


8)臍下1寸
①陰交(任)    「交」=交わる。任脈・衝脈・腎経の陰経の三脈が交わる穴
②中注(腎)   深部には 腎気が集まる胞宮や精巣があり、ここから胞中(子宮)へと腎気が注がれる。
③外陵(胃)  「外」は傍ら、「陵」は突起したところ。臍下の高さで腹直筋が隆起しているところ。腹筋が盛り上がる様子が陵(=豪族の墓)のように見えることから。


9)臍下1寸5分
①気海(任)    先天の気が広く集まるところ。腎の精気が集まるところ。
②腹結(脾)    腹気すなわち腸の蠕動を調整する。腹の脹満を治する。


10)臍下2寸
①石門(任)       この部が石のように詰まって固い状態。大便秘訣、尿閉、この部が固く不妊女性のことを石女とよんだ。
②四満(腎)  臍~腸の瘀血による、切られるような劇痛に対して、瘀を散らし脹を消す効能がある。
③大巨(胃)       腹直筋で最も高く、大きく隆起した場所


11)臍下3寸
①関元(任)   「関」は要の場所。田=これを産する土地。不老不死を得るための修行を練丹術とよんだ。丹とは火の燃えているような朱色のこと。
        道教では人体の要所は下丹田(関元)、中丹田(膻中)、上丹田(印堂)の3カ所あり、中でも重要視したのは下丹田だった。
       
※朱の原材料は硫化水銀で、西洋では賢者の石とよばれた。熱すると硫黄と水銀に分離できた。水銀は猛毒なのだが、当時は不老不死に
なる霊薬とされ珍重された。 非常に高価であり、服用できた のは王貴族に限られた。ただし、この霊薬を飲んだ者は水銀中毒死したのだった。

②気穴(腎)    腎気が集まるところ。腎は納気を主どる。これは深く息を吸い込んで、大気を下腹までもっていく道教での呼吸法。

③水道(胃)    「道」は道路のこと、本穴は膀胱の上部にあり治水をする役目がある。


12)臍下4寸
①中極(任)      本穴は全身のほぼ中心にあたる。一方、腹部任脈の端なので「極」と名づけた。極とは南極北極、月極駐車場の「極」である。
        深部に膀胱があるので、膀胱の募穴でもある。
②大赫(腎)    「赫」=赤々という他にはっきりと現れるとの意味がある。本穴の内部には子宮があり、妊娠すると、この部が脹らみ突出する。
③帰来(胃)   a.帰来とは、還って戻るの意味。呼吸法で、息を吐き出した後、再び息を吸って、この場所に気が戻ること。
                     b.帰来=帰ってくること   病弱で子供ができず、実家に帰された女性が、このツボ刺激で元気になり夫の元へ帰れた。 
④府舎(脾)   「府」=腑と同じ、「舎」=住居する場所。腹部には六腑が集まることを示す。


13)臍下5寸
①曲骨(任)   かつては恥骨のことを横骨とよんだ。本穴は恥骨上縁で弯曲した処なので曲骨とした。

※骨度法では横骨幅6.5寸としているが、私は恥骨結節両端間の距離がなぜ6.5寸となるか疑問だった。それから数十年後、恥骨上枝の左右外端の間の長さのことではないかと理解することにした。ただし現行の学校協会教科書では、骨度法で恥骨長の長さという項目そのものがなくなった。教科書の著者も、恥骨結節両端間6.5寸とする内容が理解できなかったのだろう。

②横骨(腎)    恥骨の旧名を横骨という。
③気衝(胃)   下腹部胃経は、任脈の外方2寸を下行して鼠径部に衝突する。鼠径部では外方に90度方向転換して髀関(大腿直筋起始部で下前腸骨棘)にぶつかり、再び90度方向転換して大腿を下行する。すなわち本穴の「衝」は脈拍とは無関係で、衝突との意味である。

④衝門(脾)    「衝」は脈拍部で、突き上げる様をいう。大腿動脈拍動部。
⑤急脈(奇)  急脈は<鼠径部で曲骨の外方の2.5寸の拍動部>とある。すなわち曲骨の外方2寸にある「気衝」の、外方わずか約1㎝外方になる。「脈」の名がついてはい
る が、大腿動脈拍動は触知できない。<医心方>によれば「急脈の別名を羊矢(ようし)という。羊矢とくに陰部の腹と股が相接するところ」とある。したがって急脈は陰嚢と鼠径溝の境界で精索あたりをさす。急脈の”脈”とは勃起時の脈動を示していると推測する。急脈の拍動の出現は勃起時に限定するので、正穴ではなく奇穴として認定したのだろう。


14)その他の部位
①五枢(胆)    ※「枢」には枢要という意味の他に、扉の回転軸との意味がある。「五」は五方(東西南北と中央)のことで、全方向に動くこと。
本穴は腹部と大腿部の境にある鼠径部近くにあって股関節部にあり、広い関節可動域をもつことを示す。
②維道(胆)    「維」とはつなぎとめること。本穴は体幹側面を下行する胆経(縦糸)と臍周りを一周する帯脈(横糸)をつなぎとめる交会穴になる。



引用文献
①森和監修:王暁明ほか著「経穴マップ」医歯薬
②周春才著:土屋憲明訳「まんが経穴入門」医道の日本社
③ネット:翁鍼灸治療院 HP
④ネット:経穴デジタル辞典  ALL FOR ONE
⑤漢和辞典「漢字源」学研


メニュエ症候群と上殿皮神経痛の針灸治療の違い

2025-02-27 | 腰背痛

針灸臨床治療で常見疾患の一つにメニュエ症候群(旧称メイン症候群)がある。本疾患は上部腰椎~胸腰腰椎移行部~上部腰椎の高さから出る脊髄神経後枝が、外下方に延び、腸骨陵を越えた上殿部に痛みを訴える疾患である。治療は、後枝の出処であるTh12~L2棘突起傍(背部一行)へ深刺することで効果的な針灸治療となる。メニュエ症候群については、本ブログでもいろいろと報告してきた。

さまざまな適応がある中殿筋刺針(2022.2/3)
https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/9de6364bec37c3367dcd2e8d83463b9c 

一方、上殿部の痛みを訴えるもので、Th12~L2脊髄神経後枝が腸骨陵を乗り越え、上殿皮神経と名前を変えたあたりで、皮下筋膜の絞扼を受けることで強い痛みを生じる場合があり、これを上殿皮神経痛とよぶ。主訴のみから2疾患を判別することは困難だが、触診や撮診で鑑別することは難しくない。今回、上殿皮神経痛の針灸治療を経験して、気づいたことがいろいろ出てきた。


1.症例報告(85才女性)

主訴:左上殿部の劇痛
5日前から強い左上殿痛が生じた。近くの整形2カ所に行くも、X線をとられて腰椎の老化を指摘され、鎮痛剤の処方をうけるという同じ診療を受けたのだが、痛みは軽減しなかった。

初回治療
S)知人に当院を紹介されて来院した。本日で発症5日目。痛みが激しい時もあれば痛みのない時もあるとのことで初回来院時は痛みがない状態だった。
O)左殿部に圧痛
A)中殿筋の緊張によるTP活性状態
P)側臥位で環跳あたりに2寸#4で数本手技+置鍼10分

第2診(3日後)
S)前回治療の翌日から右殿部が激しく痛み非常につらかった。
O)中殿筋に圧痛強く広範囲に存在
A)中殿筋緊張の悪化
P)側臥位で環跳あたりに2寸#4で10本以上の局所集中置鍼10分

第3診(前回治療から3日後)
S)右殿痛は痛む時と痛まない時がある状態は、初診前と変わらない。
O)中殿筋に圧痛(-)となった。腰宜穴の圧痛(+)、胸腰痛一行の圧痛(-)
A)上殿皮神経痛かも
P)側臥位で、腸骨陵縁を撮む揺り動かす手技(筋膜リリース目的)+腸骨陵縁あたりに2寸#4で5本水平刺、置鍼10分

第4診(前回治療から7日後)
S)この一週間痛みがなかった。
O)腰宜穴の圧痛(+)
 ※腰宜穴(奇穴)の位置:L4棘突起外方3寸。腸骨陵最高点のやや内側
A)上殿皮神経痛と確信
  本当に中殿筋に異常はないか、横座り位で中殿筋を押圧すると、きつい痛みが出現したので、この肢位で3寸#8で深刺追加。

P)前回と同治療。

 

2.症例を通じて学んだこと

1)上殿皮神経痛とメニュエ症候群の鑑別
    両疾患の知識があれば鑑別は容易だが、知らなければ病態把握は難しい。
 共通点は上殿部痛、違う処はTh12~L2一行に圧痛があるか否かである。

2)上殿皮痛と中殿筋緊張の病態の相違

上殿部部痛はよくみる症状である。通常は中殿筋は上殿神経支配で、上殿神経は近く成分をもたない運動神経なので、コリは現れても痛みは出ない。痛みが出るのは、ここにTPが活性化したからだと考察した。
この上殿神経は、仙骨神経叢の枝である。しかしこの部の皮膚は上殿皮神経は上部腰椎の脊髄神経後枝の枝なので、筋と皮膚の神経支配はまったく違う。これは以前から不思議に思っていた。
今回の症例では、上殿皮神経痛(撮痛陽性となる)だったが、押圧して中殿筋に圧痛はなかったのだが、横座り位で、中殿筋を過収縮状態にして押圧すると強い圧痛が現れたのだった。本症例に関する限り、中殿筋過緊張と上殿皮神経痛は同時にみられたのだった。

 

 

 

 

 

 


「秘法一本鍼伝書」②<下肢後側痛の鍼>の現代鍼灸からの検討 ver.1.2

2025-02-27 | 腰下肢症状

1.「秘法一本鍼伝書」下肢後側痛の鍼(力鍼と裏環跳)

1)取穴法 
伏臥にさせ、腸骨稜上縁を外方から脊柱の方に指でなでると腰斤と接する処に浅い陷凹を感ずる。この部はおよそ脊柱から四寸のところで、指に左は∟の反対の形に、右は∟形に脊柱の両側にある筋状硬結物に突き当たる所がある。此の部を強く按ずれば陷凹がある。これをA穴とする(昔は力鍼穴といった)。

また小野寺氏の十二指腸胃潰圧診点に該当するところ所謂裏環跳穴をB穴(裏環跳穴)
とする。脊柱から八寸位の処である。
※小野寺氏十二指腸胃潰圧診点:上前腸骨棘と上後腸骨棘の中点から下方3㎝の処
                                          

 

2)用鍼 
3寸の3~5番の銀鍼または2~3番の鉄鍼を用いる。

3)患者の姿勢 
患者をして伏臥せしめ、座布団を鎖骨部に敷き、これに軽く胸をつけしめ、上肢は緩く上方に曲げながら伸ばす。又は両拳を重ねてこれに前額をおく。両足は正しくのばし、全身いずれのところにも力を入れさせぬようにする。口を半開きにし、呼吸は口でするようにする。

4)刺鍼の方向 
A穴の刺入方向は脊柱と四五度くらい、皮膚と三十度ないし四十度くらいの角度で刺入。鍼尖が骨に当ったならば、それは真穴に当っていないので、刺鍼転向する。真穴に当れば足先まで響く。
B穴は鍼尖を内上方に向ける。これも骨に当るようでは深すぎると知るべし。皮膚との角度はA穴とほぼ同じ。

5)技法 
刺入した鍼を静かに進退動揺させながら刺入する。A穴では骨の上側、B穴では内側に向くようにする。鍼響が大腿後側に響くのが普通。

6)深度
二寸から三寸に硬い所から軟らかいところに達する。

7)注意 
鍼響があったら、手で合図するように患者に言っておく。応用は広く、坐骨神経痛、膝関節リウマチによる膝膕部の疼痛、冷湿による大腿後側強剛感、腓腸筋痙攣、脚気等。補助法として、殷門穴、浮?穴、委中穴、下委中穴、後中?穴には散鍼する。

 
2.現代鍼灸からの解説

1)A点(力鍼)

 

力針穴=腰浅筋膜深葉刺針=大腰筋刺針である。

力鍼(りきしん)穴は、L4棘突起下外方4寸で腸骨稜上縁にとる。腰方形筋上に位置する。ただし「1本針伝書」で図示された位置は、本来の位置から非常に内側になっていて、大腸兪かと思えるくらいの位置になっている。なお腰方形筋は腸骨稜と腸腰靭帯に起始し、第12肋骨とL1~L4の椎体の肋骨突起に停止する。

力鍼穴から斜め内側に2~3寸深刺すると、腰仙筋膜浅葉に沿って入るので、これを大腰筋刺針とよぶ者もいる。なお腰仙筋膜浅葉は、膜腰方形筋と大腰筋の筋溝を構成する。この最終的に針先は、腰神経叢を刺激できる。大腰筋刺針を行うには、普通は伏臥位にてL4、L5椎体棘突起の外方3寸(腸骨稜縁)からの内方に向けて深刺して大腰筋中に刺入するので、力鍼穴刺針そのものだといえるが、大腰筋刺針をするための患者体位は、患側上の側腹位で患側大腿を胸に近づけるよう、股関節と膝関節を屈曲させると、大腰筋が触知しやすくなる。大腰筋刺針では腰神経叢を刺激できるので、腰神経叢を構成する神経枝支配領域への響きを送ることができる。

 

腸腰筋トリガー活性化すれば、腰部・鼠径部~大腿前面に放散痛が出ることが知られている。腰神経叢から起こる閉鎖神経を刺激すれば、大腿内転筋群の緊張や大腿内側皮膚の知覚に刺激を与えることができるが、確実性に乏しい。なお力鍼刺針では仙骨神経叢を刺激できないので、下腿に至る針響は得られにくい。得られるとすれば仙骨神経叢に波及するほどの、腰神経叢の強い過敏性があるある場合であろう。  

 

 2)B点(裏環跳)

裏環跳=中国式環跳=坐骨神経ブロック点≠小野寺殿点となるようである。この3者で最も知られていて間違いようのない位置になるのは坐骨神経ブロック点だろう。
坐骨神経ブロック点刺針を行うには、側腹位(シムズ肢位)で上後腸骨棘と大転子最高点を結び、その中点から直角に3cm下った処と定められている。大殿筋→梨状筋→坐骨神経幹と針は入る。梨状筋走行下の坐骨神経走行領域に広汎な針響を送ることができる。
ゆえにB点の取穴方法(仙骨孔から外方8寸)はあまり用いない。

柳谷は、裏環跳を小野寺殿部圧診点でもあると記している。小野寺殿部圧診点を診るには側臥位で腸骨稜から下方3~4cmの処を、母指腹でねじ込むように強く圧して圧痛の有無を調べるとするのが原法である。(+)とは、押圧部の痛み反応で、上殿神経活性反応。(++)は坐骨神経痛にまで過敏性拡大したことを意味する。上殿神経と坐骨神経は、ともに仙骨神経叢が出発点である。柳谷は、小野寺殿部圧診点の位置は、裏環跳の位置と同じとみなしているようだが、実際は裏環跳の数cm下方になる。ただし坐骨神経に影響を与えるという指摘はマトを得ている。

 

 

座骨神経ブロック点刺針時の体位は、次のように梨状筋の緊張を伸張させた体位(シムズ肢位)で行うと針響が得られやすい。

 

3.ハムストリング筋緊張もしくは小殿筋緊張による大腿後側痛

大腿後側に限局する運動時痛で撮痛(-)では後大腿後側、ハムストリング筋(=大腿二頭筋長頭や半膜様筋)の緊張による痛みが最も関係する。もし大腿後側だけでなく下腿症状もあれば梨状筋症候群や坐骨神経痛を考え、坐骨神経ブロック点刺針を行うのが普通である。

坐骨神経痛と鑑別を要するものに、後大腿皮神経痛がある。この神経は坐骨神経と同じく仙骨神経叢から出るものだが、知覚知覚過敏になり撮痛(+)時だが、筋機能は正常である。

ハムストリング筋緊張では、歩行困難を訴える。通常は伏臥位で大腿後側の筋緊張部に刺針し、膝関節屈伸運動を5~10回行わせるとよく効く。しかし大腿後側の圧痛点をうまく触知できない場合、仰臥位で患側股関節を強く屈曲してハムストリングを伸張させた状態にして、改めて圧痛点を探って刺針するとよい。

これで効果ない場合、小殿筋放散に由来することも考え、側臥位にて小殿筋対して3寸#8で深刺し、シコリに当てる。この時、大腿後側の症状部に響けば良い効果が得られる。

 


江の島の今昔と杉山和一の墓 ver.1.2

2025-02-26 | 人物像

1.江の島道

私の住む国立市の隣には立川市があり、そこに「江の島道」とよばれる通りがある。この道は江の島まで続くのかと前から気になっていた。調べてみると、江戸時代以前の道の名前は大きな街道は別として、付近の住民が勝手に名前をつけることがあったという。「江の島道」は数百メートルの長さしかないが、地図をみると確かにその南方には江の島があった。

江戸時代頃から江ノ島は信仰の島とされ、庶民の間では江ノ島参りが流行した。これにあやかったものだろう。

 

 

2.今と昔の江の島
 
外国人が撮影した江戸時代の江の島の写真が残っている。モノクロなので疑似カラー化してみた。江ノ島は陸とは砂州でつながっていて、干潮時は歩いて渡ることができた。その時以外は舟で渡った。

江戸時代の江の島遠景は、現代とあまり変わらない。手前にある北側(片瀬地区)は緑豊かである。現代の江の島は島の東側は埋め立てられコンクリートで広く造成され、ヨットハーバーや市民公共施設などになり、面積も江戸時代にくらべ倍増している。江の島ヨットハーバーは、1964年と2021年の東京オリンピックのヨットレース会場にもなった。ヨットハーバーの南壁に防波堤が築かれたことにより、江の島南の海流が変化し、江の島ビーチの砂も波に削がれることがなくなった。

ところで浮世絵師の葛飾北斎も、富岳三十六景のシリーズとして「相州(そうしゅう)江の島」として下記の絵を描いている。意外にも写実的描写になっている。相州とは、相模の別称。


3.信仰の山としての江の島

宗像(むなかた)大社とは沖津宮(へつぐう)、中津宮(なかつぐう)、辺津宮(おきつぐう)の総称で、それぞれ天照大神の三女神を祀っている。福岡にある宗像大社がとくに有名で、その沖津島は世界遺産に登録されいる。江の島にも宗像大社がある。辺津宮の女神が美人だったことから最も人気があって、弁財天(通称、弁天様)との別称がついている。江戸の住民にとり、江の島は弁財天にお参りできる信仰の山であると同時に、門前町特有の賑わいが人気だった。お伊勢参りが一番だとはいっても、伊勢は遠く、その点江の島は手頃な観光地だった。

上写真は、辺津宮にある弁財天。通称、はだか弁天。辺津宮の女神である。なお弁財天は音楽の神様なので、その象徴として琵琶をもつようになった。これを見たさに多くの者がここを訪れたことだろう。自分の故郷に戻り、みやげ話として、このはだか弁天のことを自慢げに語ったことだろう。



          

    江の島仲店通りと一の鳥居

 

江の島の入口には翠(みどり)の鳥居があり、なだらかな坂を過ぎると朱の鳥居がある。ここから道は3本に分かれた急坂になる。正面道は竜宮城のような建物をくぐり階段を登ると辺津宮に着く。左の道はエスカー乗り場である。エスカーとは、数十年前につくられた有料の連続する何段ものエスカレーターのことで、楽して辺津宮まで連れてってくれる。ただし下りのエスカーはないので階段で下りる他ない。和一の墓石は、右の急坂を上ってすぐ右手にある。


 

4.展望台

現在、江の島の高台には、シーキャンドルと名付けられたおしゃれな展望台があり、民間用の灯台も併設されている。ここは戦後には「江の島灯台」があった。この江の島灯台は、戦前戦中に陸軍が習志野でパラシュート練習塔として使っていたものを、戦後に二子玉川の玉川遊園に移設し、遊具として使われていたといういきさつがある。遊具といっても、エレベーターに乗って五十mの高さまで上り、パラシュートを背負って飛び降りるというアトラクションで、落下スピードは落下傘につながったロープで調整させているとはいえ、ものすごい恐怖だったろう。それでも人気のアトラクションだったという。




5.杉山和一の墓石


杉山和一は85才で没した。和一の墓は両国の杉山神社にっほど近い弥勒寺にあったが、和一にゆかりの深いということで江の島にも分祀した。この墓は江戸時代に建立された。墓石が苔に覆われて歴史の重みが伝わってくる。弥勒寺にある墓石も江の島にある墓石と同じ形状のものであったこが判明しているが、後に建て替えられて
、よくみる既製品のものに変わってしまった。江の島のものは江戸時代当時のままである。



5.江の島灯台から岩屋までの道

辺津宮からの道は割合平坦で、間もなく江の島灯台に着く。ここは展望台を兼ねている。参拝者は、辺津宮、中津宮、奥津宮の順番でお参りすることになるが、次第に歩く人は減り、道も細くなる。奥津宮を過ぎると道は急な下り坂となり、海岸に達する。この岩だらけの海岸は稚児の淵とよばれる。海岸には岩屋とよばれる2本の海蝕洞窟がある。第一岩屋は152m、第2岩屋は52mの長さであり案外短い。これが岩屋である。この洞窟こそが江島神社の発祥地になる。


江戸時代の奧津宮は、この岩屋にあった。和一は、この岩屋で21日間の断食修行し、針管法を着想した。岩屋は一年の半分くらいは洞内に水が入ってくるので、現在の奥津宮は山の上に移設されたものである。


4.江の島「岩屋」と杉山神社「岩屋」

上写真は、現代の岩屋。左下にあるのは岩屋までのびる高架通路。足が海水に浸かることなく洞窟見学ができるようになったのはよいが、「苦労して洞内に入りました」との達成感も失われてしまった。 

江戸時代の岩屋は、浮世絵の人気の題材で、多くの絵師が描いている。下は歌川国貞のもので、これを見たら一度は行きたくなるに違いない。

 

杉山和一は、江ノ島の岩屋で断食修行し、針管法を発明したので、宗像大社に厚い信仰をもってた。八十才を越え検校(盲人針医の最高位)にまで上りつめた後も、月に1度は江ノ島詣を欠かさなかった。両国から江の島まで直線距離でも60㎞はあって、当時の人は健脚だったにしても片道丸二日の行程だった。これを知った将軍綱吉はこれをねぎらい、両国の本所一つ目の地の江島神社内に江ノ島岩屋に似せた洞窟を造成し、参拝できるようにした。江戸庶民も、わざわざ江ノ島までお参りに出向く必要がなくなったといって歓迎し、江島杉山神社は大きな賑わいをみせた。
 
江島杉山神社については、以下の拙著ブログを参照のこと。本稿をもって杉山和一についてのブログ三部作が完成しました。これは杉山流三部書にあやかったネーミングになります。

江島杉山神社と弥勒寺参拝 ver.1.3

2024.4.18

三重県津市、偕楽公園内<杉山和一、生誕の碑>参拝

2022.11.1

6.べんてん丸

岩屋を参拝した後は、渡し舟「べんてん丸」に乗船すること約10分で、江の島弁天橋のたもとまで運んでくれる。ただし気象状況によって運休になることもある。昔私が行った時は、運休していた。やむなく往路と逆コースを徒歩で戻った。急坂に苦労した覚えがある。

 


坂井豊作著<鍼術秘要 下の巻>現代文訳と解説

2025-02-16 | 古典概念の現代的解釈

鍼術秘要 上の巻の現代文訳と解説 https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/3c8fcd917865f6c0e1957f83c629908b

鍼術秘要 中の巻の現代文訳と解説   https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/a2b4f8109cb944ad7ca6494031605d7b


下の巻の印象


①<下の巻>は、多種多様の症状に対する針術を記しているが、治療方法はどれもほぼ同じで、胸鎖乳突筋、上肢の陰経陽経、下肢の陰経陽経、背部二行三行の皮下組織をつまんで(絡を診ると表現している)、緊張部に対してまんべんなく多数の横刺をするという治療につきる。すなわち病名にこだわらず、全身を流れる経絡の巡行を整えることにあるらしい。

②現代の内科疾患に相当すると思える症状で、かつ針灸の場でまず診ない病も次々に出てきた。現代医学ではこのような診断になるだろうと予想できるものもあれば、まったく分からない病名もあった。いずれにせよ現代医学の観点から眺めると、当時の医療の限界が知れる。坂井が著した治療方法で治るはずもなく、効果判定も甘い。参考になる治療法はないが、江戸時代当時の医家の疾病観を知ることができ、興味深いことではある。現代用語としては使われなくなった病名でも、こうではないかと思う現代疾患に置き換えてみた。

a.鼓腸とは腸内ガス貯留ではなく腹水のだろうか。腹皮に青筋が浮かぶ状態とは、腹壁静脈怒張でメデューサの頭だろうか。
b.痛風は昔も今も同じ病態だが、歴節風とはあちらこちらに移動する痛みのこと。さらに白虎歴節風は関節リウマチを意味する。鶴膝風とは変形性膝関節症で大腿筋が萎縮したせいで膝関節が大きく見える状態。  
c.委中毒とは、委中穴あたりにできた毛囊炎あるいは皮下膿瘍。
d.現代の梅毒は痛む病と認識されていないが、江戸時代には治療薬もないことから、ゆっくりと進行する死の病だった。梅毒骨痛とは、末期の梅毒で脊髄癆状態を示すものだろう。
e.排尿困難に対して、坂井豊作は独自の外科的治療を発案し試みている。小刀(ランセット)で直腸壁を開口し、膀胱直下の尿道まで刺入して尿道を傷付けると、排尿可能となると記している。前立腺肥大症に対する治療となるらしい。
f.結核のことを、当時は労咳(または労)とよんだ。結核によるリンパ節の腫れた部位により別々の異なった病名になった。瘰癧とは側頸部に、
気腫とはオトガイ下に、馬刀癧とは側胸部の生じた結核性リンパ節炎のことらしい。

③これまで疾病の機序や分類などの記載はなかったが、下の巻の「委中毒の針」あたりからは東洋医学的な病理説明が加わった。坂井豊作以外の者(同門の徒など)が代書したと思われた。


1.咳嗽の針

咳嗽に針術を施すのは、肺結核以外では針数を少なくし、数ヶ月の間は針を刺さなくてよい。そしてこの症状もまた服薬を主としないわけにはいかない。来院する多くは肺結核の治療になってしまうのだが。


2.頸項背等の強痛と肩痛の針


頸項背など強ばり痛んだり、肩痛に針するには、両耳下の大筋(=胸鎖乳突筋)、項の左右、両上腕外側の肘に至るまで刺し、それから背部二行線などを、定めた方法のように刺すべきである。


3.上腕痛の針


臑(=上腕)の痛みや、筋が固まって痛み、手を上げることができない、頭も回旋できない等の者に針するには、まず両耳下の胸鎖乳突筋を刺し、次に両肩を刺し、つぎに上腕外側の経を肩関節の角から経に沿って手首まで刺し、次に脇の下の前で、胸の方と上腕とを刺し、後図に示すように腋窩の後の経で。背中の方と上腕とを刺す。

この前後の二つの経で、上腕から肘までつかむように診察して、凝った部分を見つけたらすべて刺すべきである。次の背の二行も、第2腰椎から上を刺すべきである。まんでみて、ゴリゴリとした凝りが甚だしければ病んでいる絡である。この経を針する方法は、上から刺し始めて下に向かい、4寸ばかりの間に大抵3~4針ほど行う。わしづかみにして、そのゴリゴリとした凝りがはなはだしければ病絡と知るべきである。

 

4.鼓脹(=鼓腸)の針

鼓腸は難症であるが、腹皮に青筋が浮かんで見えないうちは、治すのが難しいわけでない。すでに青筋が浮いて見えるといっても、指でその皮膚を押してみると、指の跡がすぐに残る者(=軽度の浮腫)は、方剤を選び針術を併用するときは、それでも治るものである。

その皮膚に水が溜まり(=浮腫)、押圧した指跡がずっと消えない者は不治とする。 
※鼓腸:ここでいう鼓腸とは、腸内ガスの異常貯留ではなく、腹水を示すらしい。
※腹壁静脈の怒張(メデューサの頭);門脈圧亢進症の所見。肝硬変を考える。

その針術は、両耳下の大筋(=胸鎖乳突筋)、両肩両手の内外経を上から手首までと、背の二行線、三行線、両足の内外経を股から脛まで刺すこと、これらを定めた方法で行う。軽症であれば1ヶ月ばかり刺し、重症であれば2~3ヶ月ばかり刺さなければ治せない。


5.留飲(=胸焼け)の針

胸焼けの針は、両肩と背中の二行を肩のあたりから腰椎あたりまで刺すことが常套方であるが、また両うなじの筋、両上腕の内外の経、背中の二行を、上から腰までをことごとく刺す病状もある。病症によって斟酌すべきである。ただ服薬を主として、軽症は半月、重要では2ヶ月ばかり針すれば、必ず高い効果がある。

 

6.痛風の針(附、白虎歴節風)

※歴節風(れきせつふう):痛みが関節から関節へと歴(めぐ)っていく病で、痛風の一タイプ。
※関節リウマチのことを、白虎歴節風と称した。

痛風に針するには、胸鎖乳突筋、両肩、両上肢の内外の経、両腋の下の前後の経、背中の二行三行、両下肢の内外の経を、すべて定められた方法で刺すべきである。数か所の絡をつまんでみて、凝っている絡のある所は針を多くして、凝っていない所は針を少なくする。また痛みは甚だしいところは、最も多く刺すべきである。そしてこの痛風症は、時々針の瞑眩がおこり、種々の症状が現れることもあるが、恐れることではない。必ず効果ある印である。

白虎歴節風(=関節リウマチ)に針するには、その甚だしく痛む所には、手を近づけることも難しい。このような者には、医師の手を触る時、針を徐々に患者が気づかない程度に刺すようにする。
随分気長く、徐々に行うのがよい。このようにして二針あるいは三針した後は、普段通りに刺しても、格別に針の痛みを感じない。この症状に刺すにも、経絡に従ってさすことは常套法であるが、格別に針の痛みを感ずることはない。しかし一定の方式にとらわれず、ただその痛む絡に対して、上下左右に刺針する場合もある。


7.鶴膝風(=変形性膝関節症)の針

※鶴膝風:変形性膝関節症の一タイプ。脚が萎えて鶴のように細くなる状態。あるいは膝関節炎で関節が鶴の膝のように大きくなった状態。

変形性膝関節症による膝が腫脹して痛む症状では、両耳下の胸鎖乳突筋、両肩、両上肢の内外の経、両腋の前後の経、背中の二行三行、両股の内外などをすべてつかみ、凝っている絡あれば、定められた方法により刺して後、痛む膝に対しては関節リウマチの針と同じようにすべきである。

この変形性膝関節症と、慢性リウマチの痛みに対する針法は、医師を悩ませるものであるが、紙と筆を使ってこの術を詳しく書くことは難しく。生身の患者ごとに、しっかりと考え巡らすようにする。その痛む膝に針する場合、たいてい20ヶ所ほど刺すべきである。
この鶴膝風は、脾の湿熱で蒸されて発病するものである。なので水や血に原因があり、血の渋滞が原因でおこる症状では、下肢や膝頭の出たところなど、ことごとく腫れて痛むようになる。水の鬱滞から発する症は、股と大腿の肉は減らないが激痛であり、ついに膝の多くに膿が生ずるにようになる(化膿性膝関節炎?。腫れが水腫とすれば重度の膝関節症)


8.委中毒の針       


※委中毒=委中癰(よう)。膝関節の裏面にできる化膿した毛嚢炎や皮下膿瘍。

※癰:毛穴からの細菌が侵入した感染症。皮膚は赤く腫れて、疼痛を伴う。黄色ブドウ球菌が原因であることが多い。治療は、抗生物質の内服が必要である。皮膚切開が必要なことも多い。癰は、癤が悪化して複数の毛穴に細菌が感染することで引き起こされる疾患。排膿すると症状が改善され、2~4週間で治る。

本書でいう委中毒は、難症であることから、化膿性関節炎(関節内に細菌が侵入し化膿。関節局所の熱感・腫脹・疼痛の他に発熱)かもしれない。
その症状は、膝裏の陥凹部にある委中穴部が石のように硬く、わずかに赤く、わずかに腫れる。そして時期がすぎると暗紫色に変化し、自壊して液が流れる。その液は臭くて汚いので、触れないこと。
つぶれた後は、かえって大きく腫れ、疼痛、往来寒熱(熱が出たり引っ込んだり)し、膝頭の肉が削られたように細くなる。身体は痩せ、日ごとに疲労が増し、ついには死に至ることになる。                  
その病因は、遺伝性で脾胃不和し、経血が固まって発病することによる。針術を併用すれば必ず治療できるが、毒が十分に体内にある時は、治療は及ばない。その針術は、鶴膝風(=変形性膝関節症)と同じで、ただ患部に違いがあるのだから、その刺すところにも違いがあるだけである。


9.打撲の針


打撲症は、新旧ともに針術を施すのがよい。身体のどこであっても、みなその損傷した経絡を追って刺すべきである。たとえば手の曲池あたりを損傷すれば、肩のあたりからその経を追って手首あたりまで決まったやり方で刺す。その他どこの損傷であっても、みなこのやり方で行うとよい。


10.梅毒骨痛の針


※今日における梅毒は早期に医療にかかるのが普通なので、痛みを伴うまでには至ることはめったにない。ただし第4期(末期。罹患後10年以上)の神経梅毒になると、脊髄癆状態になることがある。脊髄癆は、脊髄の病変が徐々に進行し、体の痛み、瞳孔異常、歩行障害や感覚障害、排尿障害などが生じ、死に至ることも多い。江戸時代には効果のある治療法がなかったから梅毒による廃人や死が多かった。
戦後からはペニシリンなどの注射や内服で治ることができるようになった。

梅毒で骨が疼き、あるいは筋絡の一二ヶ所、あるいは三、四ヶ所も隆起して、膿潰せず、痛んで歩行も自由にできない者は、服薬を主として針術を併用するのがよい。その針術を施すには、おおよそ打撲の針のように行う。軽症であれば七日、あるいは二十一日ほど施術する。重症であれば12ヶ月ばかり施術すれば、大いに効果ある。


11.小便不利(=排尿困難)または小便閉塞


排尿困難はや小便閉塞に針するには、両肩と背中の2行に刺す。もし重症ならが三行と股の左右の内外の経を刺す。とりわけ重症であれば、左右の膝から下の内外の経をさすべきである。
会陰打撲により小便が出ない者は、カテーテルを入れようとしても進まず、漢方薬をさまざま試すも、なお小便は出ない場合、特殊な方法を会得した。それは、患者の肛門に指を入れ、膀胱口あたりに相当するところを押圧すれば、必ず膀胱は反応し、便意を催し気味になる。指を肛門の中に入れるのはたいてい1寸から1寸4~5分の間である。尿道の位置を見定め、ランセット(外科用の小さなメス)で切り、尿道まで穴をあけると、たちどころに小便が出るものである。もし出難い時は、その針痕からカテーテルを入れれば、小便がよく通ずるものである。その後に小便漏らす者はいなくなる。私も初めはこれを恐れたのだが、習熟するにつれて恐れはなくなった。膀胱口あたりを切開し、カテーテルで小便を取り、その後に小便する時は、尿道中の血尿もなくなり。針痕も塞がって、少しも害はない。(訳者註:これは前立腺肥大症に対し、前立腺自体に刺入している)


12.癇疾の針


※癇疾=神経が過敏になり、痙攣を起こす病気。癇癪を起こすの「癇」。主として子どもに起こる。疳疾とは別物。


癇疾は服薬治療を主とするところだが、針術を併用するのがよいやり方である。その針術は、両耳下の筋(=胸鎖乳突筋)、両肩、両上肢、背部の二行、両下肢の経絡をことごとく刺すべきである。この症の針は、めまいや下血、あるいは吐血することもあるが、これを恐れず、7~8日間あるいは15日間針すれば効果がみられる、しかし1~2ヶ月、あるいは4~5ヶ月間も治療しなければ、全治することがない者もいる。


13.疳疾の針


※疳疾:甘い物の食べ過ぎによって起こるという胃腸の病気。 主として子どもが起こす。
曲直瀬道三がいうには、日が経過し、食事量が多く肥えた人が罹患する病気である。
※曲直瀬道三(まなせどうさん):戦国時代の新興の医師。それ以前、僧侶は文字を読めることから医を兼ねており、単に症状に対して書物に書いてある通りの処方する存在さっだ。患者を診察し病態をつかみ薬を処方するという、今日の診療方式を始めて実践した。加えて初めての民間医学校を建設した。著書に「啓迪(けいてき)集」がある。斎藤道三(戦国大名)はまったくの別人。
※疳の虫切り:かつて疳の虫の治療として、お寺で「疳の虫封じ」が行われていた。乳幼児の手掌に呪文を書き、塩水で洗う。徐々に乾いていくと指の先に小さな糸状のものが湧いて出て、それがまるで虫のように見える。これを体内から疳の虫を追い出したと表現をする。
この種明かしは単純で、洗面器に入れた塩水の中に、少量の綿を混ぜておくもの。
※疳の虫は、やがて母乳は毒に変化するとされていた。この文言は、いつまでも母乳できない乳児をいましめたものである。実際、母乳だけでは栄養不足となるので、1歳半頃には離乳が必要である。

甘い食物に起因したひきつけ。二十歳より下の者を疳とよび、二十歳より上の者を勞という。その多くは、小児が肉を食べることが多い場合である。こってりしていて甘い味、甘味を食べることが多いことにより、脾胃に熱が過剰になり、あるいは積(しゃく)。あるいは疼痛などを生じている者である。
しかしながらその熱虚であるから、みだりに涼薬を飲みすぎではならない。その虚を治療する際も、温補を用いてはならない。疳には熱疳・冷疳・五疳の種類がある。五疳とは、驚疳・風疳・食疳・氣疳・急疳である。針術は、たいてい驚風の針の方法通りに行うとよい。


14.馬刀癧(馬刀瘰癧)の針    


※馬刀(=斬馬刀
ざんばとう)は、敵の馬を斬るのではなく、騎馬上から敵騎兵や歩兵めがけての突きや切り払いをおこなうもので、通常の太刀より長く刃先の方が重い。遠心力を利用して大きく振り回すので膂力が必要だった。

※瘰癧とは結核性頸部リンパ節炎のことで、塊が耳の前後、頥頷、頚喉、胸脇にできた。胸脇にできたもの(腋窩リンパ節炎)を、とくに馬刀癧とよんだ。いずれも感染巣から結核菌が運ばれて発症する。現在では結核よりも癌の方が問題視され、乳がんがリンパ節転移しているとして乳房切除の対象となる。
 


    
馬刀癧の症状に対する針も、前述した瘰癧のようにおこなってよい。

 15.氣腫の針

※気腫:今日で気腫というと閉塞性呼吸障害である肺気腫をさすが、本書では前頸部でオトガイ下に生じた結核性頸部リンパ節炎のことをさすらしい。結核は肺にできることが最も多いが、進行するといろいろな身体部位に結核菌が波及して、罹患部位に瘰癧(結核性リンパ節の腫脹)を発する。

気腫はおとがいの下に結核が波及して、外邪の影響を受けるたびに、赤く腫れて痛みがある。その傷口は、急には開くことはないが、後にはついに膿が潰れる、なかなか良くならない。この針は、瘰癧の針の方法と同じでよい。


16.蝦蟆瘟の針              

※蝦蟆(がま)とはガマガエルのことで、別称はヒキガエル。瘟とは発熱を意味する。
蝦蟆瘟(がまおん=流行性耳下腺炎)の別称は、おたふくかぜで、頬の唾液腺が腫脹しヒキガエルのようになる。ウィルス感染症。1~2週間で治癒する。
蝦蟆瘟の針法も、瘰癧の針のように行う。


17.傷寒發頤(はつい)の針       


※発頤:おとがい(=頤)に発生する一種の化膿性の感染。發頤の原因として、傷寒・温病・麻疹の後期に続発する。汗が滞って出にくいのが原因で「汗毒」ともいう。膿腫が次第に増大し熱痛も激しくなる。

傷寒とは、流行病のこと。針術は瘰癧ノ方法と同じようにする。

 

18.癖疾(かたかい)の針

癖疾は、一般にはカタカイ(語源不詳)とよぶ。胃腸に食物がたまり、腹がふくれる小児の病。この多くは乳母の六淫七情から起こる。飲食停滞し、邪氣との戦いで起こる。針法は、驚風(小児ひきつけ)の針と同じように行う。

        

19.小児驚風(小児のひきつけ)の針

小児のひきつけには陰陽の二型がある。身熱し、顔赤く、ちく搦(=筋痙攣)を起こし、目が上を見て、口を固くしめる者は、陽の急性の驚風である。

嘔吐して後、また嘔吐して下痢しない。日に日に虚弱となり、あるいは顔色は白く脾虚となる。あるいは冷えが原因でひきつけを発し、またひきつけは強いものではなく、目が上に向くのもわずかで、手足が微動するものは、陰の驚風とする。

針は両耳下の胸鎖乳突筋、両肩、上肢の内外の経を、肩関節のところから手足のまでを刺し、また両腋の下の前後経も凝りがあれば、すべて刺すのがよい。それより背の二行三行、両下肢の内外の経も、凝りあればことごとく刺すべきである。

それより背の両二行三行、両下肢の内外の経を、大腿ともに刺す。いずれの経であっても
つかんで凝った絡を発見したら針を多く刺す。凝った絡なければ針を少なく刺す。あるは刺さなくてもよい。これは陰陽の両症ともに同じ。


20.氣絶の針


肋骨、コメカミ、眉骨などの禁穴を打撲し、あるいは陰嚢を圧迫し、そのほか一切の気絶に対して針するには、風池、風府の2穴、カスミ目の部(?)に2穴。背中の二行を上から腰まで刺すべきである。

しかしながらこの症は、上唇をつまんで引き、人中穴のあたりが固くなる者と、小腹(=下腹部)が非常に柔らかい者は、蘇生できない。
また、神闕と湧泉とに針する。神闕は臍の中にあり、その穴を刺すには、臍より7~8分上で任脈の3分ばかり脇から臍の中心に向かって左右から刺す。湧泉は足心である。  この穴を刺すには、足の踵の内側の方から、足心へ向かって刺すようにし、両足それそれ2針ばかり行う。
また、一方、十四経中に「門」の名のある穴は、ことごとくこの方法で刺すがよい。その穴の取穴は以下の通り。以下経穴のみ記し、取穴法は省略。

雲門(肺)、梁門(胃)、關門(胃)、滑肉門(胃)、箕門(脾)、衝門(脾)、神門(心)
風門(膀)、殷門(膀)、魂門(膀)、肓門(膀)、金門(膀)、幽門(腎)、郄門(包)
液門(三)、耳門(三)、京門(胆)、章門(肝)、期門(肝)。瘂門(督)、石門(任)

以上の22穴への針で、気を内に閉じ込めておく理由は、その気を発達させようとするからである。これをもって閉じた門を開く正しい道だから、穴ごとに「門」の字がある。これゆえに長患いの病で虚の状態の者、あるいは陰陽の気を体内ですべて費やす者に対しては、効果がない。とはいえ、ただ禁穴を打撲し、あるいは異形の者に驚き、あるいは実症あるいは急病の者など、内に陰陽の気、いまだまた出しつくせず、気絶する症に施すべきである。
経穴の名といえど、古人のむやみな文字を用いないことで知るべきである。

気絶を救う処置  (略)

                      

 

14.馬刀癧(馬刀瘰癧)の針    
※馬刀は、騎馬上から敵騎兵や歩兵めがけての突きや切り払いをおこなうもので、通常の太刀より長く刃先の方が重い。遠心力を利用して大きく振り回す。
※瘰癧とは結核性頸部リンパ節炎のことで、塊が耳の前後、頥頷、頚喉、胸脇にできた。胸脇にできたものを、とくに馬刀癧とよんだ。
いずれも感染巣から結核菌が運ばれて発症する。 
    
馬刀癧の症状に対する針も、前述した瘰癧のようにおこなってよい。


15.氣腫の針

気腫はおとがいの下に結核が波及して、外邪の影響を受けるたびに、赤く腫れて痛みがある。その傷口は、急には開くことはないが、後にはついに膿が潰れる、なかなか良くならない。この針は、瘰癧の針の方法と同じでよい。
※気腫:今日で気腫というと閉塞性呼吸障害である肺気腫をさすが、本書では前頸部でオトガイ下に生じた結核性頸部リンパ節炎のことをさすらしい。

16.蝦蟆瘟の針              
※蝦蟆:ヒキガエルのこと。ガマガエルは別称。
蝦蟆瘟(がまおん=流行性耳下腺炎)の別称は、おたふくかぜで、頬の唾液腺が腫脹しヒキガエルのようになる。瘟は発熱を意味する。ウィルス感染症。1~2週間で治癒する。
蝦蟆瘟の針法も、瘰癧の針のように行う。

17.傷寒發頤(はつい)の針       
※発頤:おとがい(=頤)に発生する一種の化膿性の感染。發頤の原因として、傷寒・温病・麻疹の後期に続発する。汗が滞って出にくいのが原因で「汗毒」ともいう。膿腫が次第に増大し熱痛も激しくなる。
針術は瘰癧ノ方法と同じようにする。

 

 

19.癖疾(かたかい)の針
癖疾は、一般にはカタカイ(語源不詳)とよぶ。胃腸に食物がたまり、腹がふくれる小児の病。この多くは乳母の六淫七情から起こる。飲食停滞し、邪氣との戦いで起こる。針法は、驚風(小児ひきつけ)の針と同じように行う。
        

20.小児驚風(小児のひきつけ)の針
小児のひきつけには陰陽の二型がある。身熱し、顔赤く、ちく搦(=筋痙攣)を起こし、目が上を見て、口を固くしめる者は、陽の急性の驚風である。
嘔吐して後、また嘔吐して下痢しない。日に日に虚弱となり、あるいは顔色は白く脾虚となる。あるいは冷えが原因でひきつけを発し、またひきつけは強いものではなく、目が上に向くのもわずかで、手足が微動するものは、陰の驚風とする。

針は両耳下の胸鎖乳突筋、両肩、上肢の内外の経を、肩関節のところから手足のまでを刺し、また両腋の下の前後経も凝りがあれば、すべて刺すのがよい。それより背の二行三行、両下肢の内外の経も、凝りあればことごとく刺すべきである。

それより背の両二行三行、両下肢の内外の経を、大腿ともに刺す。いずれの経であっても
つかんで凝った絡を発見したら針を多く刺す。凝った絡なければ針を少なく刺す。あるは刺さなくてもよい。これは陰陽の両症ともに同じ。

21.疳疾の針
※疳疾:神経が過敏になって、けいれんなどを起こす病気。 疳の虫。また甘い物の食べ過ぎによって起こるという胃腸の病気。 主として子どもが起こす。
曲直瀬道三がいうには、日が経過し、食事量が多く肥えた人が罹患する病気である。
 甘い食物に起因したひきつけ(疳)を乾とよぶ。憔悴してちが少ない。二十歳より下の者を疳とよび、二十歳より上の者を勞という。その多くは、小児が肉を食べることが多い場合である。
こってりしていて甘い味、甘味を食べることが多いことにより、脾胃に熱が過剰になり、あるいは積(しゃく)。あるいは疼痛などを生じている者である。
しかしながらその熱虚であるゆえに、みだりに涼薬を飲みすぎではならない。その虚を
治療するも、きびすく温補を用いてはならない。そして熱疳・冷疳・五疳の種類がある。五疳とは、驚疳・風疳・食疳・氣疳・急疳である。
針術は、たいてい驚風の針の方法通りに行うとよい。
※曲直瀬道三(まなせどうさん):戦国時代の新興の医師。それ以前、僧侶は文字を読めることから医を兼ねており、単に症状に対して書物に書いてある通りの処方する存在さっだ。患者を診察し、病態をつかみ、薬を処方するという、今日の診療方式を始めて実践した。その上、初めての民間医学校を建設した。


22.氣絶の針
肋骨、コメカミ、眉骨などの禁穴を打撲し、あるいは陰嚢を圧迫し、そのほか一切の気絶に対して針するには、風池、風府の2穴、カスミ目の部(?)に2穴。背中の二行を上から腰まで刺すべき。
しかしながらこの症は、上唇をつまんで引き、人中穴のあたりが固くなる者と、小腹が非常に柔らかい者とは、蘇生できない。
また、神闕と湧泉とに針する。神闕は臍の中にあり、その穴を刺すには、臍より7~8分上で任脈の3分ばかり脇から臍の中心に向かって左右から刺す。湧泉は足心である。  この穴を刺すには、足の踵の内側の方から、足心へ向かって刺すようにし、両足それそれ2針ばかり行う。
また、一方、十四経中に「門」の名のある穴は、ことごとくこの方法で刺すがよい。その穴の取穴は以下の通り。以下経穴のみ記し、取穴法は省略。

雲門(肺)、梁門(胃)、關門(胃)、滑肉門(胃)、箕門(脾)、衝門(脾)、神門(心)
風門(膀)、殷門(膀)、魂門(膀)、肓門(膀)、金門(膀)、幽門(腎)、郄門(包)
液門(三)、耳門(三)、京門(胆)、章門(肝)、期門(肝)。瘂門(督)、石門(任)

以上の22穴への針で、気を内に閉じ込めておく理由は、その気を発達させようとするからである。これをもって閉じた門を開く正しい道だから、穴ごとに「門」の字がある。これゆえに長患いの病で虚の状態の者、あるいは陰陽の気を体内ですべて費やす者に対しては、効果がない。とはいえ、ただ禁穴を打撲し、あるいは異形の者に驚き、あるいは実症あるいは急病の者など、内に陰陽の気、いまだまた出しつくせず、気絶する症に施すべきである。
経穴の名といえど、古人のむやみな文字を用いないことで知るべきである。

気絶を救う処置  (略)
                        

 

 

 


坂井豊作著<鍼術秘要 上の巻>現代文訳と解説 ver.1.1

2025-02-15 | やや特殊な針灸技術

坂井豊作(1815〜1878年)は、江戸時代徳川末期の針医。坂井が48歳の時、小森頼愛(よりなる)典薬頭の門に入る。小森家に伝わる横刺術を研究し、1865年「鍼術秘要」を著わした。同世代の者で最も有名な者に石坂宗哲(『鍼灸説約』1812年)がいる。
 ※典薬頭:「典薬」は宮中や江戸幕府に仕えた医師のことで、「頭」は、その長官。 

坂井の鍼術の特徴は、経穴に刺すというより経絡に従って横刺するもので、経穴位置にこだわらず、丹念に指先で反応を捉えるのを特徴としていた。代田文誌は「針灸臨床ノート(下)」で、本書を、筋の反応点を指頭の触覚によってとらえ、これを克明に刺していったようで、それで著効をあげることができたのであろうと記した。代田文彦は、坂井豊作の横刺のことを「縫うように刺す」と表現していた。いわゆる鍼灸古典文献とは異なり、自分の考え方をしっかりと表明している点や、型にはまっていない記述スタイルが好印象である。

現代では、坂井流横刺は筋膜刺激として説明できそうだが、各症状に対する実際のテクニックはどのようなものだろうか。<鍼術秘要>は漢文で書かれているが、幸いなことに自然堂HPに、読み下し文が公開(漢方薬の説明部分は省略)されている。自然堂に感謝するとともに、これを底本として現代文への翻訳を試みた。本書は三部構成になっている。とりあえず「上」の部から着手してみた。ただし興味のわかない部分は省略した。
<鍼術秘要>には挿絵が多数載っている。なるべく鮮明な図をネットで発見して載せることにした。
本来、翻訳は私の得意な方ではなく、少なからず間違えもあると思う。間違えを発見された方は、
ご指摘をお願います。


1.はじめに

大昔からの治療の一つに針法があり、種々の病に施術した。しかし後世においてはついにその術を失った。その上、国中のヤブ医者が針術をするようになると、その方法がかえって道理のある術ということになってしまい、古人のやり方の針術を論じる者がいなくなった。
現在の針医と称する者は、口先では十四経の経穴を唱えてはいるが、その針治療する姿を見るに、腹痛む者には、その痛む処の筋を刺し、シコリのある者には、そのシコリ辺りを刺し、痙攣する者には、その痙攣部の筋を刺す、このような状態では、病んでいる経に針が命中することはない。もしも病経に命中した場合であっても、刺し方が正しくないが故に、針先がかすかに経絡にふれるに過ぎず、病を治すことは非常に稀である。私は古人の針の妙術を会得したわけではないが、現在の針の医術がつたないのを苦痛に感じ、ここに数十年間に経験してきたことを収録し、同志の者に示す。広く病人を救う手助けとなることを願うのみである。


2.針を腹部に刺す際の経絡の関係を論ずる

①針術が効果ある種々の疾患は、すべて肝の臓に関係することを知らねばならない。肝は筋を主どるからである。経絡は肉にあり、肉絡の集まるところは筋である。もし肝の臓が鬱滞し、あるいは心腎肝脾の四臓と調和しないときは、これらが主どる筋絡もまた鬱滞するから、肝はますます鬱滞して諸病を発症する。

②肝を池に例えると、筋絡は水路に例えられる。
雨が降って水があふれるような時、その池の水門が塞がっていたり、水路がつまっていたならば、池の土手は崩れ、また水路は壊れ、田園にまで被害がおよぶ。池の水はあふれ、水田が損害をうけるような頃に、池底をさらったり水門を開いたりしても事態は解決できない。

③肝の臓が鬱滞して、諸病が発症する時に際しては、腹部に針を刺すことに何の利点があろうか。ゆえに私の針術は、肝をはじめ他臓の部位に刺針せず、もっぱら経絡を刺すことにしている。水門を開き、水路に水を通せるようにしておけば、たとえ大雨が降って池が満水になっても、被害が及ぶことはないのである。
心腎肺脾の不和であれば肝が鬱滞し、種々の病が発症するといえども、その経絡に針を刺すならば、よく病苦を除く。これが私が数十年前から心がけていることである。

 初学の針(略):刺針の練習台として、ぬか枕を用意するという内容。本書では刺針に際して管針を使わず、捻挫針で刺入練習をしている。
 

3.針術の要点 

①私の針術は、直刺を好まず横刺をしている。なぜなら直刺は、針の根本まで肉中に入る場合でも、病経を通過するのは一~二分に過ぎない。これをもって効を得ることは少ない。横刺する時は、針先から針の根本まで、ことごとく病経に当たる。ゆえに直刺と比べれば、その効果は十倍となるからである。

※柳谷素霊は、その刺針のやり方は、押手の母指頭・示指頭で皮膚を撮み圧して、 針尖を指頭間に置き刺入する方法であり、この刺法は「霊枢官鍼篇」にあると記している。

②針を刺す時、深く肉中に入れたり、骨にあたる手応えを手に感じる時は、素早く抜き、改めて刺針し直すとよい。骨にあたれば針先は曲がり、あるいは折れることもある。
深く刺入する時は、禁針穴を貫いたり、心・肺・大動静脈に刺さることがあるからである。
首・肩・背中の第2~第5胸椎あたりでは、特に用心して直刺してはならない。誤って直刺したりすれば、その害は計り知れない。
また喉の下、胸骨の上際の陥凹しているところは、左右二寸ばかり間隙があり、慎重に針先が骨に触れないようにすべきである。この図も後に示す。

③下腹の丹田(=気海)を押按する際、はなはだ柔かく、押按すると溝のようになったり凹んだりする者には、針を施術してはならない。たとえ針しても治効を得ることはできない。
下腹を押按する際、皮膚表面が緊張してつっぱっていて、少し力を入れて按圧する時、腹底に力のない患者の多くは、心窩部や背部二行線がことごとくつっぱり、あるいは下痢している者である。このような者に針しても、治効は得難い。

④書物に掲げられた病のみ針術を行い、それ以外の病症には針してはならない、ということではない。この中のいくつかの病気に対しては針術は効果を得やすく、初学の者であっても患者を導きやすいからである。
針を刺して後、発熱・頭痛・上衝・目眩・嘔吐・食欲不振などの症状が出て、その病が一段と重く見えるみえることがある。これは針術の効果がある予兆であるから決して驚いてはならない。

⑤針術を施すには、まず布団を敷き、患者を側臥させ、足腰あたりに布団をかけ、風邪をひかせぬように注意すること。針術を終えた後といっても、たいてい半時(現在の約一時間)ばかりは静かに横臥させておくこと。

⑥すべて諸病の初発は軽症であるから、一日~二日または七~八日針して治す、とはいえ重症だったり半年や一二年の長い病期を経過した者は、たいてい五~六十日あるいは半年ばかりは治療すべきである。
慢性病や重病の者は、数十日あるいは数ヶ月間針すべき病状の場合、初回治療ではたいてい二十~三十ヶ所に刺針し、次の日から次第に多く刺し、百刺あるいは百四~五十ヶ所刺すこともある。

⑦すべての針術を施す際には、軽症重症に拘らず、遠くに出かけることや力仕事を禁ずる。
もしも遠くへ出歩いたり力仕事をしたりすれば、その病は元の状態に戻ってしまう。また足腰など下部の病では、下駄を履くのを禁ずること。

⑧針術を施すにおいて、患者は針の痛みに耐えかねることがある。これは呼吸閉塞の者または表熱のためにそうなっている者である。表熱のある者に針を刺す際、ところどころ刺痛を感ずる穴がある、これはその部に肺気が巡行していないので、皮膚が閉塞しているのが理由である、このような者は、指でこの辺りを揉んだりつかんだりして、運動させた後に刺すとよい。あるいはその痛む穴より5分ばかり傍に刺すとよい。

⑨表熱に対しては麻黄加柴胡あるいは小柴胡加麻黄葛根あるいは桂枝加葛根湯のような方剤を一~二日服用させて後に針をする。また常に呼吸閉塞の者は、この頃かかる症状や脉状を診察し、虚実を判定し、害がないようであれば麻黄湯・大青竜湯・葛根湯などを使って、後に針術を施すのがよい。

⑩十四経には数百数千の穴名があるり、それらの穴ごとに針の浅深・禁針などを説明している。それは直刺する場合の注意である。私の方法は横刺であるから、その見方とは別である。ただ十四経絡に従って針するのみである。

⑪刺した針が抜けにくい時は、その針の傍に別の針を一本刺せば、ただちに抜けやすくなるいものである。世にこれを迎え針という。

⑫針が筋中に折れ残った場合には、酸棗仁を一回煎服すれば抜け出ることもある。また筋肉中に消えてなくなることもある。またこの薬を服用しないで放置していたとしても、害となる者はいない。数日の後には小便となって出る者がいる。
医者になって間もなく、銀パイプの管を使って、尿閉を治療したことがある。誤って膀胱の出口あたりでカテーテルの先を切断してしまった。どうにもならず、クジラの長いペニスを膀胱内に送り進めると、その後に小便の出が良くなり、少しも害は起こらなかった。数年後であっても、患者はカテーテルの先端部は膀胱内に残留していることを気づかないと言った。その膀胱で消えてなくなるものだろうか? こうした経験から、銀パイプが膀胱内にあっても、害にはならないことを知るべきである。

⑬針術に補瀉の二つの方法がある。瀉針というのは針痕から病の気を漏らすようにする針のことをいう。補法というのは、血脈に穴を開けて、金気をつけて(?)体内に送り込むことである。ゆえに瀉針は、針を抜いた後に、その針痕を柔らかく揉み、あるいはさするのがよい。補の針は、針を抜いて直ちに指頭でその針痕に当て、気を漏らさないように、揉みつつ少し力を入れて押し込む。
ただし実際には補針の症状は非常に少なく、瀉針の症状ははるかに多い。補針を必要とする症状は、さまざまな病気のうち、温補剤を投与してから施術するのもよい。

⑭針を研ぐには、柔らかい砥石で針先を研ぎ、その後に厚い炭で針先を研ぐやり方がよい。

 五臓六腑を略図し、肝経を示す:横刺の治療対象は主に筋であり、五行で筋は肝に属するから、肝の治療が重要だと記した。
 古方、今方の漢方薬を説明し、対処法を示す(略)

 

4.腹痛の針
訳者註:示された診療法は、「肩こり」治療として記したものでないことに注意。横隔神経を介しての反射を利用したものだろう。座位で肩甲上部の僧帽筋をつまむよう引っ張り上げると、必ずゲップが出る患者がいたことを思い出した。

①触診法

  心下臍上が痛む者では、布団に側臥させ、腰から下にも布団をかぶせ、医師はその後ろに坐る。右手または左手の母指・示指・中指・環指の四指で首の根もとから肩先まで指でつまむと、下図のように肩の前後で、筋(肩甲上部僧帽筋)の境目を感ずる。それを指頭でつまんで、ゴリゴリとする。この時、患者も痛みを覚える。
凝った筋は大きく太く痛みが強い。肩の経絡の触診だけそうするのではなく、十四経絡みな同じく、この要領にする。

②刺針法
この肩甲上部にある経は、手の太陽小腸経である。首の付け根近くで後の処から、グリグリと凝った筋にかけて、肩の前方へ突き通すくらいに針を刺す。僧帽筋の前縁に向けて、後方から4~5分ずつ間を隔てて横刺する。およそ四~五本ほど針するとよい。
さらに肩井穴あたりの外方から、耳前の方に向け、斜めに一本刺すようにする。この刺針効果は、前記の針の二~三針と同様の効果をもつ妙術である。

その後、患者を腹臥位に寝かせ、片方の肩の小腸経と背中の膀胱経の二経にも刺すようにするほか、他部位にも同じように刺す。背部膀胱経の2行線(督脈の外方3寸)上では、第3胸椎の高さに並ぶように取穴する。上から下に斜刺し、椎骨に向かって少し斜めに刺す。(訳者註:皮下組織と筋をつまみ上げた状態で、横刺するのであれば、捻針で刺入したのだろう。杉山和一創案の管針法は、この150年前に誕生しているのだが)
第九胸椎の高さまで、少なくとも六~七本の針を刺すのが普通である。さらにその経絡上で殿部筋上際まで三~四針ほど刺すとよい。次に腹臥位のまま、もう片方の肩および背中の二行の走行に刺す。この背中の二行は足の太陽膀胱経になる。


5.足の太陽膀胱経の反応と刺針


①背部二行三行の反応の診かた

足の太陽膀胱経で背部二行と三行に針をするには、まず患者を側臥位にせしめ、医師はその後に座る。下図のように五指で脊椎の両傍にある溝をつくる筋を、両肩の下から臀部の上際まで、つまみ上げて診察する。ゴリゴリとして指に感ずる大絡(経脈から出た支流)は、健常者でも同様の所見をみるも、病者の肉絡は太く大きく、痛みを感ずることは健常者よりも甚だしい。この所見があるものを病んでいる絡とし、病絡でないものとの違いを分別する。

※訳者註:四指でつまみあげた組織は、最長筋とみなすのではなく、皮下組織だろう。それが太く大きく感ずるのは、浅層ファッシアが癒着していることを示すものだろう

①背部二行のへの横刺
背部の二行線に針する際、臍から上が痛む病症には、第二第三胸椎の両傍から、それぞれ1寸五~六分ばかりのところから、下図のように上から下に向け、少し椎体の方に斜めに向け、そのゴリゴリとする肉絡に刺すのだが、あまり深刺しないようにして、第九胸椎の両傍あたりまで二行の線に沿って、通常は左右それぞれ五~六針する。
ただし病の軽重によって、左右それぞれ二三針から七八針まですることもある。
第二腰椎より下は、針の数を少なくし、病症によっては針をしなくてもよい。

背中の左右の二行線三行線上で第二腰椎あたりの針は、側臥位で針を少し斜めに深く刺す。
ゴリゴリとする凝った絡と病症の状態によっては、脊椎の際(=背部一行線)から下方へ向け、少しくぼんだ方へ斜めに刺すこともある。ただし、このような針をする病症はかなり稀である。
 
※訳者註:胸椎から第一腰椎にかけて、背部二行線(棘突起外方1.5寸)から多数針を横刺するのに対し、第二腰椎以下の背部二行線にあまり針をしないのは、反応が出にくいからだろう。すなわち脊髄神経後枝の撮痛反応点が現れにくい領域だからだろう。

 

6.上腹の痛み

(中略)、臍上・心下・あるいは胸中が痛む者に針を施す場合、任脈に沿う痛みだけを問題にせず、両肩や背中の背部二行線上の、第二第三胸椎あたりから、第九胸椎あたりまで刺す。また前述したように首の両傍、両耳の後ろの筋、あるいは頸項、あるいは上腕あるいは腋窩の前後の経絡などに凝絡ある時は、すべてこれを刺すべきである。

針は第十胸椎より下に刺し、臀部の上部まで刺すこともある。

○ 心の痛みと胃部痛に対する針と方剤
心痛、胃部痛の針術とは、腹痛の針のやり方に従い、第2腰椎の上を刺すべきである。
◯咽喉が腫れて痛む時の針と方剤
 咽喉が痛む歳の針もまた心痛の針術と同様である。


7.下腹の痛み


臍下の下腹部が痛む者は、これも任脈だけを問題にせず、背中の背部二行、第二第三胸椎あたりから殿部上際まで刺すのがよい。

通常、腹痛の針は臍から上が痛む症状ならば、第二腰椎より上を多く刺し、臍から下が痛む症状なら、第二腰椎より下に繰り返し刺すのが普通である。それより三行線の章門から腰椎の上際まで刺すとよい。


8.腹の症状や腹のシコリに対する針


腹部の痙攣や硬結に対する針は、腹痛の針と同様である。

しかし臍のあたりで、石のように硬く可動性のないシコリでは、その腹の皮膚や表面の皮下脂肪はむしろ柔らかい。石のように固く塊の中には拍動があって(=腹部大動脈瘤?)、患者も非常に苦しむ。このような状況に対しては、背部の第二腰椎あたりで、その椎骨の際から、左右ともに脇腹の方に向け、針を少し斜めに向けて深く刺す。または左右の二行線においても、やはり針を深く刺すべきである。
そうとはいえ、この針は塊の状況により、斜刺あるいは直刺と適宜行う。また病症によっては三行から刺すこともある。私が針を深く刺すことは、この症にのみ限定して行っている。そしてこの針数は、病症に従い、適宜斟酌すべきである。その他の経絡に針することは、上記の通りである。
 回虫による痛みと食中毒による痛みは、服薬で効果あるもので、針術の主治ではない。

針術秘要 中の巻 現代文訳
https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/3c8fcd917865f6c0e1957f83c629908b

 


間中喜雄著「PWドクター沖縄捕虜記」と平和碑  ver.2.2

2025-02-15 | 人物像

1.「PWドクター 沖縄捕虜記」とは

間中喜雄は医師となって間もなく招集を受け、5年余を軍隊で過ごしている。この間の最後の1年、すなわち終戦直前から沖縄本島での捕虜生活の様子が、自著「PWドクター 沖縄捕虜記」(1962年金剛社刊)に記録されている。なおPWとは、prisoner of war (戦争捕虜)のことである。私は35年ほど前に古本で800円で入手したが、すでに絶版で入手困難である。
間中が世間に広く知られる存在になるのは1950年の日本東洋医学会設立時頃からであり、以後は中国、アメリカ、フランス等世界中で講演活動することになる。
本書は、いわゆる"世に出る"前の下地形成の資料として格好な読み物となっている。

2.間中喜雄の前半生の年譜

明治44年 小田原生まれ
昭和10年(24歳)京都帝国大学医学部卒業。その後、東京で2年間の外科研修
昭和12年(26歳)父親の代から続く小田原の「間中外科病院」を継承
昭和15年7月(29歳)招集 東部12部隊野戦化学実験部に配属。その後復員。
昭和16年(30歳)宮古島、豊部隊山砲兵第28連隊に陸軍軍医中尉として再度配属。
昭和19年10月 アメリカ軍の宮古島空爆開始、以後連日のように空爆を受ける。
昭和20年9月(34歳)無条件降伏 
昭和20年11月 アメリカ占領軍が宮古島初上陸。捕虜となり、沖縄本島へ輸送。
         屋嘉戦争捕虜収容所で10日間過ごす
昭和20年末 嘉手納第7労働キャンプに移動。医師として10ヶ月間労働
昭和21年12月(35歳) 那覇港→名古屋、復員。10ヶ月間の労働賃金は90ドル。
           (以後省略)

3.PWドクター時代の間中先生の日常

間中喜雄(本書の主人公名は新納仁とした)は沖縄の一孤島である宮古島(本書でM島としている)に陸軍軍医中尉として配属された。宮古島は沖縄の遙か南200㎞下った孤島である。新納仁と名付けた理由は、神農神を思ったのだろう。間中は神農に特別の思い入れがあったようで、絵も描いている。神農は古代中国の神で、身近な草木の薬効を調べるために自ら舐めたという。中国最古の薬物書『神農本草経』の著者である。

宮古島に間中が配属されて数年後からアメリカ軍の空爆が連日のように始まり、軍事基地だけでなく市街地も廃墟同然となった。深刻な食糧難、非衛生状態の蔓延から、風土病であるマラリアが大流行していた。当時宮古島には、終戦当時2万人の日本兵がいた。

だが本書は、そうした凄惨な状況には触れていない。ユーモラスな自伝であり、終戦宣言後の混乱状態から書き起こしている。宮古島では激しい爆撃はあったが、アメリカ軍の上陸による戦闘はなかったためか、戦後に上陸したアメリカ占領軍に対しても、敵愾心がおきないらしく、元日本兵は従順にアメリカの指示通りに動いた。
(沖縄地上戦の後に捕虜となったものは、宮古島出身兵と異なり極限的な体験をした。捕虜生活というのは魂の抜け殻のようだったという。)

嘉手納労働キャンプで、初めてナマでアメリカ人の社会の一端を知ることとなり、カルチャーショックに襲われた。豊富な物資、機械化、スピーディーな事務処理、あけっぴろげな人間性について、驚きは大きかった。一方、厳しい軍紀下にあった日本軍内での将校や兵も、同じ捕虜として対等な立場になった。いままでの価値観や規律は一気に崩壊した。

本キャンプには、二千名ほどの捕虜が集められたが、英語の達者な者は2名のみ(うち1名は二世)。間中も少々英語を操れるというので、重宝された。
元々秀才だった間中にしても、ナマの英語を身近で見聞きするという生活は、初めての訳で、実践英語の良い英語訓練の場となった。手元に辞書がないので、相手の言っていることを推理する他なかった。アクセントを間違えたら、ありふれた言葉も通じないこと。自分はアメリカ日常用語を知らないことを痛感した。間中は近い将来、国際的に活躍することになるが、その下地が形成されたらしい。

一般兵(将校以外)は、強制労働で、木工、土工、給仕、コック、ペンキ吹きつけ、倉庫番、荷役、掃除など。午前8時出発、作業中止が午後4時、午後5時到着。土曜は半休で午後はスポーツ。祝祭日は休み。食い物は米軍と質・量ともに同じ。きびしく鍛え上げられた日本兵からすれば、非常に楽な生活だった。日本人は働き者が多く、しばらく作業所に通っているうちに信任を得てアメリカ軍の監督なしで作業する者も多くなった。
終いには、爆弾庫の管理、武器の管理まで捕虜に任せた。
敵と戦う必要がなく、食べ物も豊富にあるとなると、暇つぶしの方法が問題になってくる。

捕虜の一人が踊りのお師匠さんがいて、踊りの稽古が始まった。これが高じて、カテナ納涼大会が発足。盛大に踊りの輪ができた。やがて風呂設備や床屋、スポーツ施設(野球、ピンポン、バドミントン、バレーボール、バスケットボール)も完備。収容所同士のリーグ線や米軍と試合するのもできた。相撲では土俵もつくり、番付までできた。最も豪華だったのは演芸分隊で、田舎の芝居小屋ぐらいにはできた。この演芸が収容所生活最大の慰安だった。手元には脚本や参考書もないはずなのに、毎週出し物を工夫した。

4.面白かった文章の一部

1)宮古島の対空射撃について:我が軍の対空砲砲火は、まったく敵飛行機に当たらなかった。後期になると、砲弾を節約するため豊式爆弾を使用。豊式爆弾というのは要するに打ち上げ花火のことである。これで飛行機が落ちますか?と問うと「落ちはしまいが、敵は驚くだろう」(大きな音がするので)と答えた。
2)終戦後、宮古島にも飛行機がDDT(新型殺虫剤)を散布。人畜無害なのに、目立って蚊や蠅が減り、その効果に驚いた。
3)宮古島から沖縄本島への輸送船内では、あちらこちらで車座になってサイコロ、トランプなどの賭博横行。湯飲み大の缶詰を2缶配給された。1つはビスケット・レモンジュース・ジャム、もう1缶には、肉や豆が入っている。久しぶりの美味に、こんなうまいもんが世の中にあったのかと思う。
4)かつての大隊長も同じ捕虜キャンプに集められた。間中先生の姿をみて大隊長曰く「やあ貴公もここへ来たかや」と言ったといって、ご機嫌だった。同じ不幸は仲間が多いほど慰められるし、同じ幸福なら仲間が少ないほど得意なものである。
5)カデナ労働キャンプ内には、他に医師もいた。大柄なその医師に身長を問うと、「目の下170です」と奇妙な挨拶をした。
6)毎日、ジャムの5ガロン缶が十人に1つの割合で配給がある(1ガロン≒3.8リットル)。始めは珍しくてペロペロなめていたが、だんだんと飽きて見向きもしなくなる。そのジャムとイーストを混ぜて五ガロン缶に入れておいた。次の日衛生兵が大声を挙げて「できました。こりゃいけます‥‥」とジャム酒をもってきた。甘口のどぶろくと化した。酒の醸造法も、たちまちカデナ全体の流行になった。
7)ラジオで日本の君が代を放送した。日本を敵として戦ってきたはずの米兵たちが起立して敬意を表している。日本の捕虜たちは戦争が負ければ、国家もくそもあるものかいといった様子で知らん顔している。

 

5.間中喜雄の「平和碑」について

私は「PWドクター沖縄捕虜記」を読み、間中喜雄が太平洋戦争が苦しみの体験だったという印象は受けなかった。ところが最近、間中の地元である小田原市郊外の東泉院という禅寺に、間中作の「平和碑」のあることを知った。間中が死去したのは1989年なので、少なくとも30年以上前に作られたのだった。平和碑が完成した直後、同じ年の11月20日、肝臓癌のため間中病院にて死去した。結局、平和碑が間中喜雄最後の仕事となった。この碑が完成するまでは死ねないと思ったのだろうか。享年78才。間中は書画の才能もあったので、石版に文字を刻み石像も自作した。石碑の文章をみると、間中の戦争体験が悲痛であったことが改めて知れる。


碑文は、わが国に落とされた原爆の悲劇の記憶として平成元年11月(1989年)に造立したと書いてあった文章を見たのだが、造立の引き金になったのは、ベトナム戦争でのソンミ村虐殺事件に心痛めたことだという。

※ソンミ村虐殺事件:1968年3月16日、ベトナム戦争中、米兵部隊がソンミ村で民間人504人にも及ぶ大量虐殺をした事件。早朝5時30分、9機のヘリコプターから降り立った米兵は、民家と避難壕を捜索。逃げようとしたものは出るそばから射殺され、避難壕には手榴弾を投げ込み、無抵抗の村民を次々と殺害していった。映画、地獄の黙示録(1979年アメリカ映画。フランシス・コッポラ監督)が思い起こされる。

Youtube 映画、地獄の黙示録(ワーグナー、ワルキューレの騎行) https://www.youtube.com/watch?v=jp21T6Yx1qQ

東泉院入口

 

 

以前は自然のままだったが、石碑の文字の周りが白くなっている。誰かが文字を鮮明にさせるためにブラシで擦ったとみえる。

偶然だろうか。日差しの当たり具合が、劇的な効果を生んでいる。

「何のために死んだのか判らない人たちに捧ぐる碑」
平成元年十一月、間中喜雄によって小田原市久野の東泉院に造立された慰霊碑)

間中喜雄 平和碑

戦争の狂気が国々を侵すとき無数の
無辜の人々がいたましくもその犠牲になって殺されてゆく

辜(むこ):罪のない者

この碑文は、民間人が戦争で殺された不条理に対する無念を表しているものだ。脇にある詩碑の写しには次のように示されている。

九泉の地底より 千仞の天まで
一と数え 拾百千と読み 万億兆と叫び 
血を吐きて、なお反響も無き寂滅 
頭を打ちつけ 地団駄を踏み 転輾反側すれど こたえも無き無明 
迷蒙より諦観へ 暗黒より光明へ身をもんで求むれと無
真理は虚妄 善は仮象 愛染も空し
右顧左眄して 眼睛何を見んとするや 
須是を永遠とし 屈折し 展しまさぐり 喝仰し 何をか得たる
神神は死し 大地は枯渇し 七つの海に魚も住まず 
魂魄も息づかざるに いづかたに理想あるや
うめけ泣け苦しめ是れ 形骸を烈火に点し 無に帰れ 
すべてのもの失せて消滅せん

原爆の日にうたえる

間中喜雄(印)
平成元年十一月