夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

北岡伸一座長代理「無謀な戦争」?

2015年03月25日 | 歴史資料

北岡伸一氏は、「侵略戦争」 発言もそうだったけれど、歴史的事実に「無謀だ」とか「侵略」だとか自分の「道徳的評価」を持ち込んで断罪する。この人はどんなに偉い人なんだろう?RT : 70年談話有識者懇の議事要旨 北岡座長代理「無謀な戦争」 s.nikkei.com/1CKoodC


 
 
※追記20150406
上のツィッターでリンクした記事を記録しておきます。

70年談話有識者懇の議事要旨 北岡氏「無謀な戦争」

http://goo.gl/ZCEBxF

2015/3/23 22:54
政府は23日、安倍晋三首相が今夏に発表する戦後70年談話に向けた有識者懇談会の第2回会合の議事要旨を首相官邸のホームページに公開した。冒 頭に座長代理の北岡伸一国際大学長と外部有識者として出席した奥脇直也東大名誉教授が見解を示し、北岡氏は「世界の大勢を見失った、かつ無謀な戦争でアジ アを中心に多くの犠牲者を出してしまった」と指摘した。

 2回目の会合は13日に開き「20世紀の経験からくむべき教訓」を議題とした。北 岡氏は「1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない」と発言。奥脇氏は侵略の定義に関し「今なお国際社会が完全な一致 点を見いだしたとまでは言えない」と述べた。

 他の意見は匿名で掲載。「当時の価値観から見てもこれは侵略であった」「国際法から見ても侵 略と言わざるを得ず、侵略という言葉を用いるべきだ」との発言がある一方、「現在の価値観であの戦争は侵略であったと断定することがよいことなのか疑問に 思うことがある」との意見も出た。

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※追記20150325
 
官邸ホームページに、21世紀構想懇談会の議事要旨が公開されています。ここにも記録して起きます。
http://goo.gl/dJymLR
 
 
第一回 議事要旨
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/dai1/gijiyousi.pdf
 
第二回 議事要旨
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/dai2/gijiyousi.pdf
 
 
第 二回 議事要旨の中にも、北岡伸一氏の「侵略戦争」観や「無謀な戦争」論に対する一部有識者の反論が示されています。現在のところ北岡伸一氏らが主張するような一方的 な「大日本帝国政府悪者論」ではなく、それに対する反論の方に共感できるものです。北岡先生のような偉い学者でもない浅学無知のゆえに、私自身の歴史観を 詳細に具体的に展開できてはいません。取りあえず、その反論の根拠となるいくつかの資料を参考までに取り上げておきたいと思います。
 
過去の歴史のなかに、現在の価値観にもとづいた道徳的な評価を持ち込むことに意味があるのか、それがどのような条件において認められるか、などの問題があると思います。
 
Ⅰ 侵略の定義
a
国際連盟期における国際連盟規約11条、ジュネーブ議定書ロカルノ条約不戦条約などで戦争の違法化が合意されつつあったものの、侵略の定義化は非常に困難であった。オースティン・チェンバレンは侵略を定義すれば無実のものにとっては罠となり、侵略を企図する者にとっては抜け道を探すための基準となると述べ、その定義化に反対している。
 
b
その後たびたび侵略の定義に関する特別委員会が設置されて討議が行われたが、結論が出たのは24年後の1974年になってからであり、12月14日国際連合総会決議3314が成立した。
 
※ したがって、大東亜戦争開戦時1941年には「侵略」についての国際的な定義はまだ確定されていなかった。
     
      (以上 WIKI 「侵略の定義」より  http://goo.gl/elWGjy )
 
 Ⅱ 日本側の「開戦の詔勅太平洋戦争 開戦の詔勅 
          (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)

天 佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ 朕カ百僚有司ハ勵職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ抑々東亞ノ安定 ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニス ルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞 意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ 相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ 匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢 テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延 セシメテ此ノ間却ツテ々經濟上軍事上ノ脅威ヲ大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ 帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠 勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

  御 名 御 璽

   昭和十六年十二月八日
 

<現代語訳文>

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

私 はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささ げ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

そ もそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかり ごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところであ る。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

さ いわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権 は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を 助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

私 は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を 遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態 がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。 ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。

皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

 太平洋戦争 開戦の詔勅  (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書) http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm

 

Ⅲ 日米開戦時における軍令部総長、永野修身における参戦意識

1939年以来、アメリカからの経済的制裁を受けるようになっていた日本は石油などの不足資源の多くを蘭印からの輸入に頼っていた。1941年6月5日海軍省で算定した結果によると日本国内には1年半~2年分しか石油備蓄がなく、このことは海軍の軍令を司る立場にあった永野にとって死活問題だった。また、一部報道では過激な開戦派によるクーデターとそれに伴う国家の暴走を警戒していたともいわれている。7月30日ABCD包囲網について昭和天皇から意見を求められた際には、海軍としては対米戦を決断するならば早期に開戦をした方が有利と奉答している(詳細は下記)。その手段として、日米交渉が決裂した場合に備え、連合艦隊司令長官だった山本五十六が進めていた真珠湾攻撃作 戦を採用した。山本のハワイ作戦ついては、その投機性の高さから軍令部内では反対する意見が根強くあった。当初、永野自身もアメリカとの戦いについては南 方資源地帯の確保と本土防衛を主軸とした漸減邀撃作戦を構想しており、太平洋まで出てアメリカと直接対決する想定しておらず、「余りにも博打すぎる」と慎 重な態度を示した。しかし、山本が本作戦が通らなければ連合艦隊司令部一同が総辞職すると強く詰め寄ったため、1941年11月5日、最終的に永野が折れる形で決着した。

帝国国策遂行要領』が陸海軍中央の折衝を重ねて起草され、1941年9月3日、大本営政府連絡会議にて決定された。最初、海軍案では「戦争ヲ決意スルコトナク」という文字があったが、これに陸軍が難色を示し、戦争決意の文字をいれるように強く迫った。海軍は苦慮し「戦争ヲ辞セザル覚悟ノモト二」 とニュアンスを若干緩める形で会議はまとまった。一方で永野は、木戸内大臣の執務室を訪れ、対英米戦の施策について説明したという。鳥居は、軍令部総長の 異例の訪問は帝国国策遂行要領から対米戦決意の文字を抹消するため、内大臣の協力を求めたのではないかと推察している。 この時期、永野はアメリカという国を知る者として、軍事的外交の専門家として、会議の場では常に決まったいくつかの助言している。まず、中途半端な態度で 臥薪嘗胆をして交渉を長引かせたとしても何の解決にもならず、軍事、外交上、日本の立場を不利にするだけであること、臥薪嘗胆で行くなら腹を据えてアメリ カに譲歩するつもりで挑んだ方が良いこと、戦うなら今以外に戦機はこないこと、但し、海軍としては戦った場合、国力の問題から2年以後は戦う自信がないこ となどである。また、首相と外相には開戦に至らない様にする覚悟と勇気が政府にあるか言明を求めていた。 その後9月6日の御前会議にて『帝国国策遂行要領』は付議され採択された。

会 議後、永野は統帥部を代表する形で「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合 は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した 日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」と 語った。

11月1日に行われた連絡会議で、最後の国策方針を決める際、東條首相が慣習に沿って、これまでに挙げられた

  • 1.戦争を極力避け、臥薪嘗胆する
  • 2.直ちに開戦を決意、政戦略の諸施策等はこの方針に集中する
  • 3.戦争決意の下に、作戦準備の完整と外交施策を続行し妥結に努める

の3案の他にないかと出席者に尋ねた。この時、永野は、第4案として「日米不戦」を提案。この際、陸海軍は矛を収めて政府に協力し、交渉だけで問題を解決する方針を提示した。これに対し、東條英機首相兼陸軍大臣は「交渉条件を低下させることはできない」とだけ述べ、第4案はボツとされた。因みに東條陸軍大臣兼首相は、日米開戦の焦点となった支那駐兵問題については撤兵には絶対反対の姿勢をとっており、同じく陸軍統制派の杉山元参謀総長や木戸幸一内大臣と連帯関係にあった。

第1案に賛成したのは東郷茂徳外務大臣と賀屋興宣大蔵大臣だけだった。これに対し、永野は政府が武力発動を放棄して外交だけで問題を解決することを言明しない以上、責任はもてないとして第1案には反対した。この時、既に米国政府は日本本土に対する先制攻撃作戦を許可していた。海軍は、日本周辺に大量のB25をはじめとする爆撃機が配備されつつあること、来年初頭には米陸軍の戦力配備が完了し、打つ手がなくなることをつかんでいた。

       (wiki  永野修身 の項  http://goo.gl/lIQgXb)

Ⅳ  東京裁判、日本側弁護人ベン・ブルース・ブレイクニーの弁論

1946年5月14日、

「戦争は犯罪ではない。戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味である。国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」

「歴 史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側 の抱負を承知している。しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷よ り却下されねばならない」

「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。

以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった

キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下したの名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の 名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、 戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、 これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」

WIKI ベン・ブルース・ブレイクニー の項  http://goo.gl/gTbIpK

東京裁判: ブレイクニー弁護人の弁論

 

日米開戦 アメリカ最大のタブー - YouTube.flv

 

 

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3月1日(日)のTW:歴史認識問題の淵源

2015年03月02日 | 国家論

 

08:わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり(喜撰法師)

shuzo atiさんがリツイート | 1 RT

有 事に備えて、少なくとも家族1人につき米2キロ、麺類2キロ、砂糖2キロ、食用脂肪1キロ、食用油1リットル、ほかにスープ、ミルク、果物、肉、魚などの 缶詰、石鹸や洗剤、冬の燃料などを前もって備蓄しておく必要がある。政治情勢が悪くなってからでは遅すぎる。(スイス政府『民間防衛』)

shuzo atiさんがリツイート | 7 RT

とがめることは有効であるが、励ましはさらに有効である。(ゲーテ) Lehre tut viel, aber Aufmunterung tut alles.

shuzo atiさんがリツイート | 1 RT

朝日新聞にとって必要なのは「歴史から目をそむけまい」ではなく「事実から目をそむけまい」という姿勢。左翼思想の跳梁、戦前期軍国主義からの反動、戦争への贖罪意識といった情念の混淆【正論】歴史認識問題の淵源と朝日新聞 拓殖大学総長・渡辺利夫sankei.com/column/news/15…


 
 
※追記20150303
上のツィッターで引用した渡辺利夫氏の論考を一応下に記録しておきます。
 

【正論】歴史認識問題の淵源と朝日新聞 拓殖大学総長・渡辺利夫

 2015.2.27 05:03

中 韓と日本の間では、歴史認識問題が戦後70年たってもなお解決されない課題として残っていると人はよくいう。誤解である。歴史問題をもって中韓 が日本に鋭く迫るようになったのは1980年代に入ってからのことである。1980年といえば戦後はもう30年以上も経過していた時期である。その間、歴 史問題は存在しておらず、もとより外交問題ではまったくなかった。

 ≪中韓に介入根拠を与えた日本≫

 今日、歴史認識問題 と いわれる慰安婦、首相の靖国参拝、歴史教科書などはすべて80年代に入ってから提起されたものである。しかも、これらを「問題」として提起したのは、中国 でも韓国でもない。日本である。問題の提起者は、GHQ(連合国軍総司令部)の初期占領政策を増幅継承した日本の左翼リベラリスト集団であった。慰安婦問 題を捏造(ねつぞう)して韓国の対日外交を硬化させ、米国のクオリティーペーパーに「歴史修正主義」日本のイメージを植えつけた報道の発信者が朝日新聞で あったことは、今日もはや公然である。

 日本が蒔(ま)いてくれたタネである。中韓の愛国的指導者にとってこんなありがたいタネはない。 歴 史認識という道義性を含ませた問題の提起を当の日本がやってくれたのである。この問題で日本を攻めれば外交的優位のみならず道義的優位をも掌中にできる。 国益を明らかに毀損(きそん)するこのような問題提起をなぜ日本のジャーナリズムがこういう形でやってしまったのだろうか。

 戦後日本の 社 会思潮の在処(ありか)を探る際の重要なポイントがここにあると私は考えるのだが、そのことを述べる紙幅が今はない。左翼思想の跳梁(ちょうりょう)、戦 前期軍国主義からの反動、戦争への贖罪(しょくざい)意識、そういった情念の混淆(こんこう)であろうと一言を添えるにとどめる。

 事実 の みを述べれば、82年6月、旧文部省の教科書検定で「侵略」が「進出」に書き換えさせられたという日本の時のジャーナリズムの誤報に端を発し、その報道に 中韓が猛烈に反発したことが出発であった。中韓の反発を受け、近現代史の記述において近隣アジア諸国への配慮を求める「近隣諸国条項」といわれる新検定基 準が同年8月に内閣官房長官・宮沢喜一氏の談話として出され、日本の歴史教科書に対する中韓の介入に有力な根拠を与えてしまった。

 ≪激しさ増したプロパガンダ≫

  つづいて起こったのが靖国参拝問題である。85年8月の中曽根康弘首相の参拝にいたるまで首相の靖国参拝は恒常的であったが、外国からの反発はなかった。 A級戦犯合祀(ごうし)問題はどうか。合祀の事実が79年4月19日付の朝日新聞によって内外に知られるようになって以降も、中曽根参拝まで20回を超え る首相参拝がなされたが、中韓の非難はなかった。非難が集中的に開始されたのは、それ以降のことであった。

 現下の焦点は、慰安婦問題に 関 する朝日新聞の昨年8月5日、6日付の一連の検証報道である。ここでは、吉田清治証言には信憑(しんぴょう)性がなくこれに関する同紙記事を取り消すこ と、女子挺身(ていしん)隊と慰安婦との混同についての検証が不十分であったことを認めた。朝日新聞の慰安婦問題報道はすでに82年から始まっていたが、 これがプロパガンダの様相を呈したのは、特に91年に始まり翌年に激しさを増した一連の報道であった。

 その後、秦郁彦氏をはじめとする 専 門家の精力的な検証により同紙記事が捏造を含む根拠不明なものであることが明らかになった。にもかかわらず、朝日新聞は記事取り消しや訂正は一切せず、逆 に慰安婦問題の本質は広義の強制性、女性の人権問題にあるといった主張に転じ、何と問題のこの「すりかえ」は昨年8月の検証報道でも継承されている。

 朝日新聞の最大の問題は、根拠に乏しい報道によって日本の名誉、威信、総じて国益がいかに貶(おとし)められたかにある。問題検証のために第三者委員会が設置されたが、この点に関する記述は不鮮明であった。

 ≪「事実から目をそむけまい」≫

  中西輝政氏を委員長とし、西岡力氏らの専門家を糾合した「独立検証委員会」の報告書がこの2月19日に公表された。本報告書は朝日新聞の慰安婦報道の原型 が完成したのが92年1月12日付の社説「歴史から目をそむけまい」であるとし、前後する報道を「92年1月強制連行プロパガンダ」と名づけた。

  注目すべきは、荒木信子氏が韓国の主要7紙、島田洋一氏が米国の主要3紙の徹底的な資料解析を通じて、韓国と米国のジャーナリズムが慰安婦問題を言い募る ようになったのは「92年1月強制連行プロパガンダ」以降に集中しているという事実を、ほとんど反駁(はんばく)できない完璧さで論証したことにある。日 本の国益の毀損をどう償うのか、重大な責任を朝日新聞は背負ってしまった。

 朝日新聞にとって必要なのは、「歴史から目をそむけまい」ではなく「事実から目をそむけまい」という姿勢に他ならない。(わたなべ としお)

©2015 The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL All rights reserved.

http://goo.gl/Sw1LiG

>><<

※20150303追記

上記の「歴史認識問題の淵源と朝日新聞」と題する論考のなかで、渡辺利夫氏は、朝日新聞に代表される戦後日本の社会思潮の特質として、①左翼思想の跳梁、②戦前期軍国主義からの反動、③戦争への贖罪意識、などを取り上げられておられます。的確な指摘だと思う。

ただ、朝日新聞に代表される戦後日本の社会思潮がなぜこれほどまでに国益を毀損するほど自虐的なものとなったのか。渡辺氏は「そのことを述べる紙幅が今はない」と述べておられるように、その根拠、論理はこの論考では十分に明らかにされてはいません。

渡辺利夫氏がそれで具体的にどのような内容を考えておられるのかわかりませんが、「戦前期軍国主義からの反動」と「戦争への贖罪意識」はわかりやすい。

二・二六事件などのクーデターを引き起こした陸軍の若手将校たちにつながる戦前戦中の国家主義者たちの独善的で狂信的な国体論があります。彼らによる言論弾圧が、多くの国民に不快と嫌悪感、国体論への忌避感情のトラウマを残したことは想像できます。

ま た、敗戦直後に日本を占領統治したGHQは、戦争の罪悪感を一方的に日本人の心に植えつけるために、WGIPとしてよく知られている戦争犯罪洗脳計画を強 力に実行したこともあります。いわゆる進歩的文化人といわれる人たちもそれに同調し協力しました。それが戦後の日本国民に贖罪意識を植え付けることに大き な作用を及ぼしたことも疑いないと思います。

そして、渡辺利夫氏の指摘に見るように、今なお朝日新聞の記者たちや政治家、多くの大学教授たちが、日本の国益に反する言動を国民の先頭に立って広めていることについて、さまざまの指摘があります。

「左 翼思想の跳梁」がなぜ国益を明らかに毀損することになるのか。この点については渡辺氏がどのような理由を考えておられるのかこの論考だけではよく分かりま せん。しかしいずれにせよ、その根源的理由がマルクスの共産主義にあることは間違いないと思います。その点で日本共産党も朝日新聞などのいわゆる進歩的で 「クオリティ・ペーパー」とも称される新聞社も問題を本質的に共有します。

マルクスの共産主義はその階級闘争史観で知られています。この思想の信奉者にとって「ブルジョア階級国家」は憎悪と打倒の対象です。また彼らの「プロレタリア国際主義」は「祖国」をもたないことでも知られています。

抽象的な概念としての「階級闘争史観」を、この歴史観の信奉者たちはそれを社会的進歩の原動力として善意に信じています。それゆえにカルト宗教の狂信的な信条と同じくいっそう救いようがないのかもしれません。彼らは国家一般を悪として抽象的に断罪します。

し かし、実際に「プロレタリア国際主義」で成立したはずの共産主義国家も決してナショナリズムや民族主義から自由であるわけではありません。スターリンや毛 沢東によって指導されたソ連邦や中華人民共和国などの歴史的な事例に見ても明らかです。むしろ独裁国家は必然的に最悪の民族主義に転化するものです。

かっ て国際共産主義運動に献身したはずの尾崎秀実たちのスパイ活動も、ソビエト連邦の対日政策に影響を与えて日本の国益を大きく阻害しました。尾崎はその罪責 を問われて国防保安法違反、軍機保護法違反などで処刑されます。共産主義への奉仕は必然的に彼の祖国日本への反逆行為に与することになりました。一国内の 共産主義者たちの反国家闘争が他国の民族主義に奉仕することになる論理はこのようなものです。

尾崎秀実自身も朝日新聞記者でした。現在の 朝日新聞やNHKなどのマスメディアに尾崎のような共産主義のシンパは少なくないと思います。そうした現状であるかぎり、彼らの思想信条にもとづく言動が彼 らの祖国日本の国益を損なって、一方で民族主義に化した支那や北朝鮮などの他国の国益に奉仕することになります。「左翼思想の跳梁」が国益を毀損すること になる論理はおよそこうしたものであると思います。科学主義を標榜はしているけれどもカルト宗教の信仰にも等しい「階級闘争史観」の論理的な帰結を見抜か なければなりません。

※ご参考までに

2月18日(水)のTW:民族と国家

12月10日(水)のTW:日本共産党の「天皇制」

12月4日(木)のTW:「天皇制」の合理的な根拠?

11月23日(日)のTW:天皇を「自然人」としてしか見れない奥平康弘氏

10月21日(火)のTW:階級と国家

朝日新聞「従軍慰安婦」誤報問題の本質など2

 鳩山元首相と民主党の「世界市民主義」

 

 

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