§280
Zusatz.
Wenn man oft gegen den Monarchen behauptet, daß es durch ihn von der Zufälligkeit abhänge, wie es im Staate zugehe, da der Monarch übel gebildet sein könne, da er vielleicht nicht wert sei, an der Spitze desselben zu stehen, und daß es widersinnig sei, daß ein solcher Zustand als ein vernünftiger existieren solle, so ist eben die Voraussetzung hier nichtig, daß es auf die Besonderheit des Charakters ankomme.
§280
補註[君主と完成された国家組織体]
人はしばしば君主に反対して次のようなことを主張する。国家がどのように成り行くかは君主によって偶然に依存するようになってしまうとか、国家において悪い君主が作り上げられるかもしれないし、君主が国家の頂点に立つだけの十分な価値にふさわしくないかもしれない。また、そのような(国家の)状態を合理的なものとして現存させようとするのは愚かしいとかいった反対論である。そうだとしても、君主の性格の特殊性に帰着するような(そうした反対論の)前提はここではまさに無意味である。
Es ist bei einer vollendeten Organisation nur um die Spitze formellen Entscheidens zu tun, und man braucht zu einem Monarchen nur einen Menschen, der "Ja" sagt und den Punkt auf das I setzt; denn die Spitze soll so sein, daß die Besonderheit des Charakters nicht das Bedeutende ist. (96)
一つの完成された国家組織体のもとにあっては、ただ、形式的な決断をなす頂点のみが重要であり、そして、君主に対しては、「然り」と言うただ一人の人間を、そして一者がその上に座する場所を、人々は必要としているのである。そもそも頂点とは、性格の特殊性が重要なものではなくなるようにあるべきものだからである。
Was der Monarch noch über diese letzte Entscheidung hat, ist etwas, das der Partikularität anheimfällt, auf die es nicht ankommen darf. Es kann wohl Zustände geben, in denen diese Partikularität allein auftritt, aber als dann ist der Staat noch kein völlig ausgebildeter oder kein wohl konstruierter. In einer wohlgeordneten Monarchie kommt dem Gesetz allein die objektive Seite zu, welchem der Monarch nur das subjektive "Ich will" hinzuzusetzen hat.
君主がなおこの最終決定についてもっているものは、その特殊性が個性的なものであるような何かだが、それは認められないものである。たしかに、この君主の特殊性のみが立ち現れくる状態がありうるかもしれないが、しかし、その場合は国家がいまだなお完成されていないか、あるいは、十分によく構築されていないかである。よく秩序だてられた君主制においては、客観的側面である法律のみが意味をもっていて、君主はただそこに主体的な「私が決する」を追加しなければならないだけである。
(96)
in der 2. Aufl. lautet diese Stelle: "Es ist bei einer vollendeten Organisation des Staates nur um die Spitze formalen Entscheidens zu tun und um eine natürliche Festigkeit gegen die Leidenschaft. Man fordert daher mit Unrecht objektive Eigenschaften an dem Monarchen: er hat nur Ja zu sagen und den Punkt auf das I zu setzen. Denn die Spitze soll so sein, daß die Besonderheit des Charakters nicht das Bedeutende ist. Diese Bestimmung des Monarchen ist vernünftig, denn sie ist dem Begriffe gemäß; weil sie aber schwer zu fassen ist, geschieht es oft, daß man die Vernünftigkeit der Monarchie nicht einsieht. Die Monarchie muß fest in sich selbst sein, und was der Monarch ... "
(96)注
第二版では、この個所は次のように書かれてある。「一個の完成された国家の組織にあっては、ただ形式的に決断する頂点のみが重要であり、そして激情に対する自然の防波堤のみが重要である。人々はしたがって君主に客観的な資質を不当に要求する。君主はただ言うべき「然り」と一者が座る「場所」をもつのみである。というのも、頂点とは、性格の特殊性が重要なものではなくなる、ということでなければならないからである。君主のこの規定は理性的である。なぜなら、それが概念に適っているからである。しかし、君主は理解するのが困難であるから、人々が君主制の合理性を理解できないことがしばしば起こる。君主制はそれ自体において堅固でなければならず、君主は何を...」
※
ヘーゲルのここでの問題意識は「一個の完成された国家の組織体とはどういうものか」である。
狂信的に、悟性的に理解された「民主主義」は、しばしば大衆の津波のような本能的自然の激情の奔出という事態を招く。その限界は、秩序の崩壊した戦場などにおいて、兵士たちの婦女子に対する暴虐といった現象にもたちあらわれる。
よく完成された有機的な国家組織というのは、群衆のもつこうした粗暴な自然的な激情に対する有効な防波堤を築いて、国民一般の自由を、とくに婦女子の安全を確保しなければならない。女性が夜中に街中を安全に歩ける社会はある意味では自由な社会である。
畏れながら「病弱」であったり、「不徳」であるという「特殊な性格」をもった君主が現実に現れるという偶然性は完全にはなくならない。しかし、それは、不徳漢の政治家や、腐敗した官僚や、堕落した裁判官が、現実において権力を掌握する可能性が完全に無くならないのと同じである。
しかし、よく構築された優れた有機的な国家組織は、権力の分立と「真理としての法の支配」を確立することによって、君主や政党や政治的指導者たちの個人的な特殊な性格によって恣意的な統治を許すことなく、国民の自由と安全を最大限に実現して行く。完成された「立憲君主国家体制」のめざすところもここにある。ヘーゲルが「立憲君主国家」の完成が近代の理念であるというのもそういう意味である。