夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

不完全な立憲君主制

2012年09月29日 | 国家論

 

不完全な立憲君主制


九月二十九日の「朝まで生テレビ」に出演した池田信夫氏が氏のブログで、原子力発電の再稼働をめぐる議論(「原子力ムラの論理と心理」)の文脈のなかで、丸山眞男の論文を引用しながら、日本社会に特有の「無責任構造」について論じている。

丸山眞男は旧大日本帝国軍の否定的側面にのみ囚われて、軍人にいじめられた体験もあったのか、その「意義」にまで踏み込んで評価しうる主体的な思想的観点はついに持ちえなかった。その点で池田信夫氏と異なって、丸山眞男を高くは評価しないのであるが、それはとにかく、池田氏が、様々な論考で日本がまともな「法治国家」ではないことを指摘して国民にそれを多少なりとも自覚させつつあることは評価したい。

ただ、池田氏が、それらの論考のなかで「日本教」とか「空気」といった言葉で、日本の法治国家としての「欠陥」もしくは「不完全」を指摘しているのは認めるとしても、これらの用語概念の曖昧さのために、国家としてのこの「欠陥」はどうすれば是正できるかという肝心の課題についてはまともな提言をなしえていない。この点については今は亡き丸山眞男氏も池田信夫氏も同じである。

憲法改正論議の前提としては、まず、正しい「憲法の概念」が確立されていなければならない。その一例として「自然憲法(自然法憲法)」と「実定憲法」の違いを知り、戦後のGHQの統治下に制定された日本国憲法が「実定憲法」であることをおさえておくなどの必要がある。

そして、改正憲法の核心としては、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の原則を明確に規定して、あらためて「君主無答責」の立場をはっきりと新憲法上に規定するとともに、国家の最高責任指導者である内閣総理大臣に、国防の最高統帥権をきちんと帰属させなければならない。それとともに内閣総理大臣の国民と国家と元首のそれぞれに対してもつ責任規定を明確にしておく必要がある。

いずれにしても、池田信夫氏がこの論考で「空気の構造」という曖昧な概念で捉えるだけでは国家統治における責任の所在問題の解決の糸口もつかめない。そうではなく、まず「法治国家とは何か」その「法治国家の概念」を明確にするとともに、その概念に照らしても「法治国家」としての現在の日本国の統治の欠陥が、根本的には現行日本国憲法に由来するものであることを理解する必要がある。

さらにいえば歴史上憲法の概念を最も深く掘り下げたヘーゲルの「法の哲学」は、憲法論議に不可欠の前提であるべきだと思う。この前提を欠く憲法論議は論理的不完全性を免れない。

「がんらい国民の自意識の様式であり、国民の教養によって規定されるものであるとともに」(法の哲学§274)「決して「作られる」ものではない、一国民において発展せしめられている限りの理念であり理性的なものについての意識である憲法」(法の哲学§272以下)を、新日本(帝)国憲法としてそれに客観的な形式を与えるまでは、「日本社会の空気の構造」という「無責任統治の構造問題」は解決されないにちがいない。

GHQによって「単に作られた」現行の日本国憲法の欠陥を克服するためには、かって伊藤博文や井上毅らが日本書記や古事記などの神話から、さらに皇室典範などの不文律に至るまであらゆる有識故実の歴史的な研究を通じて、大日本帝国憲法の制定を準備したように、新しい憲法制定作業には、日本国における伝統的「理性」の顕在化と自覚があらためて不可欠な前提になるのはいうまでもない。そうした意識を欠いて制定された現行日本国憲法の致命的な欠陥は放置されたままである。過去の東アジア戦争の敗北などの歴史的な反省と徹底した総括を踏まえて、明治期の大日本帝国憲法の意義と、とくにその「限界」も明らかにして克服してゆく必要もあるだろう。

今にして多くの識者、団体から新憲法草案が提案されているけれども、伝統的にしてかつ近現代にいたって確立した現在の日本国における「理性」と「理念」の発掘という作業と、立憲君主国家としての理念の深化とその定式化という根本的な仕事はまだきわめて不十分であるように思われる。

いずれにしても、困難な挑戦ではあるが、国家の再建のためには不可欠にして緊急を要する全国民的な事業となるべきだろう。



 

憲法義解


自然憲法と実定憲法

 

 

 

 

 

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朝日新聞における文章修行

2012年09月27日 | 教育・文化

 

朝日新聞における文章修行

脳科学者の茂木健一郎氏が朝日新聞の文章批判をおこなっていることを、池田信夫氏のブログで 知りました。文章を書くうえで、「他山の石」とすべきかとも思い、記録しておきます。果たして朝日新聞の論考が本当に受験小論文の練習に参考になるので しょうか。論理的な文章、科学的な文章はどうあるべきかについて、さらに考えてゆきたいと思います。こうした記事が多くの人に読まれて、日本国民の国語 能力がより高まってゆくことを期待したいものです。

>><<

2012年9月27日(木)付  朝日新聞

http://www.asahi.com/paper/column.html

天声人語

 3年前の秋、自民党は落ち武者集団を見るようだった。政権を明け渡し、「自民党という名が国民に嫌われている」と党名を変える動きもあった。「和魂党」やら「自由新党」やら、まじめに考えていたらしい▼支援団体は離れ、陳情は減り、食い慣れぬ冷や飯のせいか無気力と自嘲さえ漂った。その斜陽から、新総裁が次期首相と目される党勢の復活である。「ある者の愚行は、他の者の財産である」と古人は言ったが、民主党の重ねる愚行(拙政)で、自民は財産(支持)を積み直した▼とはいえ総裁に安倍晋三元首相が返り咲いたのは、どこか「なつメロ」を聴く思いがする。セピアがかった旋律だ。当初は劣勢と見られたが、尖閣諸島や竹島から吹くナショナリズムの風に、うまく乗ったようである▼1回目の投票で2位だった候補が決選投票で逆転したのは、1956年の石橋湛山以来になる。その決選で敗れたのが安倍氏の祖父の岸信介だったのは因縁めく。「もはや戦後ではない」と経済白書がうたった年のことだ▼以降の自民党は、国民に潜在する現状維持意識に根を張って長期政権を保ってきた。人心を逸(そ)らさぬ程度に首相交代を繰り返してきたが、3年前に賞味期限が切れた▼思えば自民は、原発を推し進め、安全神話を作り上げ、尖閣や竹島では無為を続け、国の借金を膨らませてきた。景気よく民主党を罵倒するだけで済まないのは、よくお分かりだと思う。たまさかの上げ潮に浮かれず、責任を省みてほしい。

>><<

茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート

第728回「天声人語の文体で、政治を論じるのはやめてほしい」

http://togetter.com/li/380308


連続ツイート第728回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、今朝読んだある文章について。
kenichiromogi 2012/09/27 09:12:17

kenichiromogi
てせ(1)英語のessayは、日本語の「随筆」とは似て非なるものである。前者は、例えばEconomistの文章に見られるように、evidenceに基づくcritical thinkingの結晶であり、科学論文にもつながる。後者は感性に基づく主観の文章であって、曖昧さの本質がある。
kenichiromogi 2012/09/27 09:14:31

kenichiromogi
てせ(2)もちろん、日本語の「随筆」にも美質がないわけではない。枕草子や、徒然草、漱石の「思い出す事など」は「随筆」の傑作であって、生きることの中で私たちが感じる心の揺れ、動きをとらえる。私自身も、「生きて死ぬ私」や「脳と仮想」などの随筆を書いてきた。
kenichiromogi 2012/09/27 09:16:03

kenichiromogi
てせ(3)「随筆」の文体は、日本の一つの財産であるが、すべてのテーマを論じるのに適切ではない。例えば、政治的課題については、evidenceとcritical thinkingに基づく英語のessayの文体で論じるのがふさわしい。ところが、日本では「随筆」で政治を論じてきた。
kenichiromogi 2012/09/27 09:17:41

kenichiromogi
てせ(4)「随筆」の文体で政治を論じることの愚、悪影響、不幸を、今朝の天声人語(http://t.co/unbYa9Ox)を読んで改めて思う。安倍晋三さんが自民党総裁になられたことを論じているが、全体として意味不明。主観や曖昧さの羅列で、何を主張しているのか一向に伝わってこない。
kenichiromogi 2012/09/27 09:19:18

kenichiromogi
てせ(5)思いついて朝刊紙面で添削してたら、紙面が真っ赤になった。まず、「党名を変える動き」から論じることが適切だとは思わぬ。「和魂党」や「自由新党」が検討されたというが、どれくらいsignificantな動きだったのか。ニュースバリューを検討するバランス感覚がない。
kenichiromogi 2012/09/27 09:20:40

kenichiromogi
てせ(6)「斜陽」という言葉で下野を論じているが、ナンセンス。そもそも、健全な議会制民主主義の下では野党になるのは当たり前。必ずと言っていいほど、数年後には政権に返り咲く。実際、今の流れはそうなっている。「斜陽」という感性的、主観的表現は、政治プロセスの本質にかすってもいない。
kenichiromogi 2012/09/27 09:22:17

kenichiromogi
てせ(7)さらに、天声人語は、安倍氏の再登場を「なつメロ」と表現する。小学生でも考えつくような、陳腐な表現だ。読者に提供されるべきは、再登場の背景分析だろう。さらに、「ナショナリズムの風に、うまく乗った」という表現は失礼だ。「うまく」という言葉に、筆者の対象蔑視と低俗さが表れる。
kenichiromogi 2012/09/27 09:24:16

kenichiromogi
てせ(8)その後の文章も、感性に流され支離滅裂。「人心を逸らさぬ程度に」は、政治的プロセスを論じる表現としては不適切である。あげくの果てが、結語の「たまさかの上げ潮に浮かれず、責任を省みてほしい」。自分を何様だと思っているのか。何を安倍氏に期待しているのか、全く伝わってこない。
kenichiromogi 2012/09/27 09:26:06

kenichiromogi
てせ(9)今朝の天声人語の筆者には、以上の失礼をお詫びするが、考えてみていただきたいのは、朝日新聞の一面に載っている以上、天声人語には、公共性があるということである。この文体とスタンスが、日本の政治を語る時の精神風土を作る。その事の罪を、よくよく考えていただきたい。
kenichiromogi 2012/09/27 09:27:25

kenichiromogi
てせ(10)テレビの政治討論番組でも、使われる言語が(特に政治評論家と呼ばれる方々において)感性的、情緒的であることの責任の一端は、天声人語にあるのではないか。このようなスタイルで政治を論ずることの愚に、もうそろそろ朝日新聞、および天声人語の筆者は気づいてほしい。
kenichiromogi 2012/09/27 09:28:37

kenichiromogi
てせ(11)もちろん、天声人語にも、良い回はある。「花鳥風月」や「社会事象」を論じた回である。そのような時には、文体と対象がはまる。天声人語は、もし今のまま継続するならば、政治を論じることをやめるか、あるいは政治を論じる時には硬質な文体で議論する、第二の創業を目指してはどうか。
kenichiromogi 2012/09/27 09:30:18

kenichiromogi
てせ(12)「脳トレ」で天声人語を書き写すという動きがあるようだが、特に政治を論じた回については、今のままではますます日本人の思考が情緒的かつ非論理的になるので、私は絶対反対である。再読、未読に耐えるような文章に、特に政治について書かれた天声人語はなっていない。
kenichiromogi 2012/09/27 09:31:56

kenichiromogi
てせ(13)吉田兼好流の「随筆」ではなく、論理と証拠に基づく「essay」の伝統を、日本でも根付かせるしかない。新聞は、多くの読者が触れる公器として、日本の言論空間を前に進める社会的責務がある。新聞の顔である一面に、情緒的政治論を載せるのは、いい加減やめて欲しい。
kenichiromogi 2012/09/27 09:33:47

kenichiromogi
てせ(14)最後に。橋下徹氏のツイッターでの文章は、時に論敵への烈しい言葉などがあり十分に伝わっていないかもしれぬが、日本語で政治的事象を論ずるスタイルの一つのイノベーション。冷静に読めば、論理的に緻密な構成になっていることがわかる。政治の季節は、ふさわしい言葉で語りたい。
kenichiromogi 2012/09/27 09:35:34

kenichiromogi
以上、連続ツイート第728回「天声人語の文体で、政治を論じるのはやめてほしい」でした。

>><<終わり



茂木氏は12回目で「味読」(精読?)とすべきところを「未読」と転換ミスしているようなので、老婆心までに。

 

 

 

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自然と人間

2012年09月26日 | 日記・紀行

       

自然と人間

二〇一二年九月二十六日(晴)

山畑に行く。ようやくにして暑い夏も過ぎ去り、あぜ道のあちこちには彼岸花のつぼみも散見するようになった。すでに咲き出しているのもある。所々まだ刈り残された稲畑が残っている。

この国の自然は地球上の北緯35度前後あたりの温帯に属し、ユーラシア大陸の東縁に位置するところから来る温暖な気候風土が特色であるといわれる。アフリカにおけるような原色に充ちた植生も、ライオンや象、キリン、ワニなどの動物に見る荒々しい生命力の露出もなく、また、ロシアやアラスカのような厳しい冬もない。

今年の反日デモで中国人たちが「小日本」といつものように揶揄したように、たしかに国土も狭く、モンゴルのような大草原もなく、どこを見回しても箱庭のような山国である。

地理としては国土は、その東岸を太平洋と黒潮に洗われ、日の出は太平洋の遙か沖合の水平線の上に眺める。子午線の関係からも世界に先駆けて日は昇る。

国土面積は世界第六二番目ぐらいだそうで大きくはない。ただ、排他的経済水域と領土、領海を含めると世界第九位になるという。中国は第七位である。

先ごろその「大中国」がようやくにして、この国にしてはじめての空母「遼寧」を大連港で就航させたそうだ。「遼寧」と名付け、母港を東シナ海に面する遼寧省の大連港とすることにも中国の戦略的な意図を予想させる。

ウクライナから買った中古空母ワリヤーグを改造して作った「遼寧」であるが、完全な自前で航空母艦をつくるだけの余裕もないほどに戦略的にも急いだということだろう。

遼寧省の大連は、戦前の日本が深く経営に関わった縁のある旧満州の都市である。政変で失脚した薄熙来氏もかって市長をつとめたこともある。日系企業も多く進出している。日露戦争では遼東半島が戦争の舞台ともなった。

「小日本」は大国ロシアには辛うじて勝った。太平洋戦争に敗れたアメリカによって今は軍艦を建造することも禁じられているが、戦前にはすでに世界最大の戦艦「大和」を造った。「大中国」に先駆けて、1944年には世界最大の航空母艦「信濃」を造っている。アメリカの原子力空母「エンタープライズ」が1961年に登場するまでは、この空母「信濃」が史上最大の排水量を持つ空母だった。

「小日本」は必ずしも「小精神」とは言えないと思う。かって戦国時代の豊臣秀吉は大陸の明に攻め入ろうとしたこともあったし、織田信長などは、さらにもっと気宇壮大な精神をもっていたのではなかったか。いずれにせよ「大中国」も「小日本」も、銀河系の彼方から見れば、蟻とコオロギほどの違いもない。

山畑で土を耕していると、くわしくは種属もわからない様々の小動物との出会いがある。ミミズ、クモ、バッタ、沢カニ、カエルなど、マムシなどの蛇や鹿、猿などとも出会う。時間に余裕さえあればデジカメにでも記録できればいいと思うけれども。

小さなカエルが土の中から出てくるのを見ると、人間の生命もカエルの命も、本質的な差異は少しもないのだと思う。

コスモスやまだつぼみの曼珠沙華などは途中に見られたが、山のなかに入っても、萩やススキ、クズくらいしかまだ目に付かない。キキョウはとにかく、ナデシコもオミナエシもフジバカマもその姿を見ない。幼い頃の記憶の片隅にあるような秋の野山の風情に反復はない。

ハジカミショウガを思い出したように今頃になって収穫する。八丁味噌で味わおうと思う。遅れをとっていたニンジン、ダイコン、ブロッコリなど冬野菜の種もようやく植え終えた。昨年に蒔いた茶は何とか成長しているが、今年の紅茶の種は失敗した。ほとんど芽が出て来ない。

いつものことながらことながら、美しい青や赤の一ミリにも足りない小さな種から、ニンジンやカブの姿を現わすのは奇蹟としか思えない。この広大無辺の宇宙の神秘は私たちの存在を含めて想像を絶している。紅茶の畝を少し整備した後、毎年遠くから眺めていたコスモスの群生するところに近づいて、カメラにとった。 

         

                      

 

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自由と人権

2012年09月22日 | 教育・文化

自由と人権

「自由」と「人権」のかねあいの問題である。個人の人権が侵害されてはならないのは言うまでもないが、そのために言論などの「自由」が冒され、また制限されてよいか、あるいは、「言論の自由はどこまで認められるか」という問題がある。

基 本的な考え方の前提としては、人間には「悪」をも犯す「権利」も保障されなければならないということである。なぜなら、ここにこそ「自由」の核心があり、 人間の尊厳も本質もここにあるからである。人間の自由は「善悪」を知ること、意識できることと、その二者のいずれを選択するか、その自由にあるからであ る。人間は動物とは異なり、環境や必然性に完全に制約されるのではなく、少なくとも意識においては、完全に自由な存在であるということである。

ここで問題にすべきは、一般にいわゆる「人権」論者や「社会主義者」「共産主義者」たちが、彼らの妄想する「理想主義」を実現するためと称して、人間から「悪」をも犯すことさえ、強圧的に禁じようとする傾向があることである。

「無菌状態」の社会、「聖人君子」ばかり「善人」ばかりの社会をどう考えるか。

先 に述べたような人間の本質から言って、実際には完全な「理想社会」はあり得ないのであるが、往々にして、「理想」を実現しようとして、かえって最悪の「現 実」を招くことも多い。社会構成の構成原理として、人間性悪説か人間性善説のいずれの立場に立つか、ということである。いずれの人間観に立つかによって、 構成原理は根本的に異なる。

とくにこの傾向は、プロレタリア独裁として、敵対するブルジョア階級の「搾取」の暴力的禁圧という現象に象徴的に現れている。かってのソ連邦などのいわゆる共産主義国家の実験によっても、その歴史的な帰結は、体験され証明されている。その浅薄な人間観と思想の現実がある。

「人 権」と「自由」という二律背反することがらをどのように克服するか。「人権」と「自由」の価値を比較考量する時、どちらに根本的価値を認めるかによって、 いわゆる人権法案などの制定問題にどのような立場を選択するか、が決まる。というよりも、自由こそが人間にとっての至高の人権であるから、「自由」は「人 権」に優先する。「自由」を制限する法案は、必要最小限にとどめておかなければならない。

このたび民主党や自民党の一部の議員たちによって提出制定されようとしている、いわゆる「人権救済法案」については、このような理由から賛成できない。

我 が国の人権状況については、現行法で「人権」は十分に守られうると考える。あらためて、「人権救済法案」などを法制化して、新たに行政組織をつくることは 政府機構の簡素化に逆行するし、官僚公務員や人権団体関係者らの「利権化」にもつながりかねない。行政の肥大化と硬直化を招くことになる。国民の人権は、 すでに現行法規によって十分に守ることができる。

民主党内閣は、人権救済法案に慎重な松原仁国家公安委員長の外遊中を狙って閣議決定したそうである。民主党の情報隠蔽体質、陰謀体質は、自民党時代に輪をかけて悪質である。

 

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【主張】人権救済法案 強引な閣議決定おかしい

2012.9.20  産経新聞社説 http://goo.gl/RPsjm

 野田佳彦政権は、新たな人権侵害や言論統制を招きかねないとの批判が出ていた人権侵害救済機関「人権委員会」を法務省外局として設置する法案を閣議決定した。

 今回の閣議決定は不可解な部分が少なくない。藤村修官房長官は「政府として人権擁護の問題に積極的に取り組む姿勢を示す必要がある。次期国会提出を前提に、法案内容を確認する閣議決定だ」と強調した。

 だが、国会提出時には再度、閣議決定を経る必要がある。人権救済法成立に前のめりな党内グループに過度に配慮しただけではないのか。同法案に慎重な松原仁国家公安委員長の外遊中を狙った節もあり、疑念がつきまとう。

 人権委員会は政府から独立した「三条委員会」で、公正取引委員会と同様の強大な権限を持つ。調査の結果、人権侵害と認められると告発や調停、仲裁などの措置が取られる。

 最大の問題は、人権侵害の定義が相変わらず曖昧なことだ。「特定の者」の「人権」を「侵害する行為」で憲法違反や違法行為を対象とするというが、 これでは何も定義していないに等しい。恣意(しい)的な解釈を許し、言論統制や萎縮、密告による新たな人権侵害を招きかねない。

 こうした法案への疑念や危惧、抵抗感は国民は無論、与党や閣内にも根強い。にもかかわらず、いま行われている民主党代表選、自民党総裁選で、この問題が問われていないのは重大な欠落だ。

 閣議決定に対し、自民党の林芳正政調会長代理は「なぜ、この時期なのか」と政府の意図に疑問を投げた。安倍晋三元首相も法案に対し「大切な言論の自由の弾圧につながる」と指摘した。石破茂前政調会長は以前、法案に反対としながらも、救済組織の必要性は認めていた。

 政府・与党は先の通常国会終盤にも法案提出に意欲を示したが、批判を受けて見送ったばかりだ。国論が二分している法案を閣議決定して既成事実化するやり方は、到底適切な手続きといえない。

 自民党内にも人権法案に前向きな意見もあるが、言論統制とは無縁の自由な社会を維持するために果たしてこの種の法案が必要なのか。民主、自民両党首選の立候補者は少なくともこの問題への立場を鮮明にし、国民的な議論を積み重ねてもらいたい。

© 2012 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

 

 

 

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橋下 徹氏の「日本維新の会」について

2012年09月22日 | 政治・経済

橋下 徹氏の「日本維新の会」について

素人集団で、まだ海の物とも山の物ともつかない人たちの「政治団体」、「日本維新の会」である。現在のトップ、橋下 徹氏が、さらに一回りもふた回りも脱 皮して、大きく成長することなくして、この政治運動は中途で挫折する可能性は大きい。が、それにもかかわらず、橋下氏の「日本維新の会」に政治改革の夢を 託さなければならないというのは、それだけ日本国民の既成政党やその利権政治に対する絶望が深い、ということなのだろう。

それであっても、既成政党が、企業・団体の献金を受け取らないと言って口先だけでは唱えながら、国民を欺くばかりで、実行する力もない自民党や民主党に比べれば、日本維新の会が、企業、団体からの献金禁止を規約に定めたことの意義は大きい。

民主党の政権交代についても、この政党が自民党よりも統治能力、政権担当能力が高いからと信じて国民は政権交代を選んだのでは決してない。お粗末な二世政治家の集団に堕した自民党への懲罰のために、国民はやむを得ずこの選択をしたのである。

しかし、いずれにしても国民の教育が改革され、真に能力の高い政治家が雨後の竹の子のように輩出してくるのでなければ、真に政治改革は実現されない。能力、能力、能力、能力がすべてである。

橋下徹氏の政治改革への意欲は買うし、その綱領にかいま見る理想は尊重するけれども、その実現のための具体的な現実的行程との摺り合わせがあまりにも不十 分なままの出航である。このままではいずれにしても、官僚たちの復権とアンシャンレジュームの三度の復活になり終わる可能性が高い。

そうならないためには、この新しい政治集団「日本維新の会」に卓越したエリートたちをどれだけ結集できるかに掛かっており、そこにはそれこそ、国家国民の 資質、力量が問われている。だがその現状を見る限り、悲観的にならざるをえない。この集団もまたもや選挙利権の談合集団になり終わる可能性は高い。

そうならないためには、指導者、トップである橋下 徹氏の理念と手腕にすべて掛かっているわけだが、戦後民主主義教育の申し子である橋下 徹氏にそれを期 待するのは、当てはずれではないか、という思いも強い。そうでないことが心からの願いではあるけれども。さもなければ、日本の復活はさらに遠のく。

>><<
企業・団体献金受け取らず=日本維新、規約に明記―橋下氏(時事通信) - goo ニュース

企業・団体献金受け取らず=日本維新、規約に明記―橋下氏

時事通信2012年9月19日(水)21:40

 大阪市の橋下徹市長は19日、近く結成する国政新党「日本維新の会」について、「個人献金型の政党を目指す」と述べ、企業・団体献金の受け取り禁止を党の規約で明記する方針を明らかにした。市役所内で記者団の質問に答えた。

 橋下氏は、政党への献金を個人に限ることについて「こうするだけで政治は劇的に変わる」と指摘。その上で、「絶対に自民党や民主党ではできないことだ。 新しい政治のスタイルを目指していく」と強調し、既存政党との違いをアピールした。ただ、政治資金パーティー券の企業・団体への販売は容認するという。

 これに関連し、橋下氏は「個人献金だけでは(党運営に必要な)お金が集まらないから、そこは特定の団体から色の付いたお金をもらうのではなく、政党交付金という形で(国が)政党を支援する。この仕組みは絶対に必要だ」と語った。

 日本維新の綱領となる基本政策集「維新八策」では、政党への企業・団体献金の禁止を掲げている。 

 

 

 

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若い世代と明治国家の回復

2012年09月19日 | 国家論

若い世代と明治国家の回復

中国の次期指導者として習近平氏が予想されている。太子党の一人とも言われ、江沢民、李鵬らのもっとも強硬で憎悪と復讐心に満ちた対日歴史観を受け継いでいることも考えられる。氏がどのような対日観をもっているかが問題である。習近平が、尖閣諸島の日本の国有化を「茶番」と評していることからもわかるように、現在の胡錦濤主席以上に対日強硬策に出てくることは予想される。

いずれにしても、今日の人類の平和が「軍事力の均衡」によってかろうじて維持、確保されている現状においては、民主党政権によって揺らぎはじめた日米安保条約の再構築と日本の自主防衛能力のいっそうの向上によって、領土領海の確保と保全を図るしかない。

左翼の偽善的な防衛能力の放棄や、現在の野田内閣の尖閣列島国有化による現状固定化策は、時間の経過にともなう中国の国力、軍事力の増大にともなう軍事的均衡の崩壊によって、戦争の誘発を招くことになるだけである。とくに、いずれ来るべき中国経済の崩壊による国家体制の危機に際して、中国国内矛盾の対外転化として、尖閣列島の「領土問題」が中国共産党によって利用される可能性はきわめて大きい。

次期政権は自民党が担うことになる可能性は大きいが、いずれにせよ、野田内閣とその後継内閣は、日本の防衛能力の強化充実をはからなければならない。困難な財政状況と、信念のない大衆迎合主義によって、中国との間の軍事的均衡を破るような政策をくれぐれも採らないことである。現実を直視し、戦争を誘発するような状況を自ら招くようなことがあってはならない。

懸念されることは、原子力発電政策にも見られるように、現在の民主党の野田内閣のような、大衆迎合の子供内閣では、いつ何時ふたたび大衆の声に推されて、軍事的均衡の破壊政策にまで踏み出さないとも限らないことである。

それでは何のための議会制民主主義か、何のための選良としての国会議員であるか、彼らの存在理由が問われることになるだろう。民主党の政治家はとくに大衆の衆愚的政策におもねる危険につねに晒されている。今回の中国の反日暴動に見るように、大衆のもつ破壊的で狂信的な悟性的本質を見落としてはならない。中国共産党すら、マッチポンプ式に大衆に「理性的」行動を呼びかけているではないか。

選挙目当ての大衆迎合主義にとらわれず、国会議員としての使命と自覚を持って、専門的な知識と経験に基づいて、国家の永久的な繁栄のために尽くす覚悟をもった政治家は、とくに子供政党である民主党にはほとんど皆無だ。その外交政策、政権運営は傍目にも危うくて見ていられない。彼らは日本国を潰しかねない。

むしろ、民主党内の隠れ共産主義者、隠れ社会主義者たちは、「日本」を意図的に潰して、中国や北朝鮮、韓国に合流させようという意図すら持っている。自覚ある日本国民は、こうした隠れ左翼が実質的に牛耳っている民主党を警戒すべきであろう。とくに、現在民主党の代表選に立候補している旧社会党出身の赤松義隆などは、本質的な社会主義者であり、在日中国朝鮮人の迎合論者であり、反日解体論者である。

最近になって竹島や尖閣列島などの領土問題、さらには、いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺事件」などを反日政策に利用する中国朝鮮の共産主義者たちや国内の反日左翼日本人らの実体に触れて、若い世代、青年たちがようやくにしてまともな日本国民としての自覚を回復しつつある。そうした傾向を保守化とか右傾化とか呼んで白眼視する者もいるが、そうではなくて、敗戦後に背負わされ植え付けられた不当なハンディキャップやコンプレックスを克服しはじめたに過ぎない。国際的にも普通の国家国民として新しい世代が自覚し成長し始めているだけである。

その生い立ちからして戦後のGHQ政策の真っ只中に教育され、マッカーサーの反日の日本劣化解体政策を植え込まれた団塊の世代が消えてゆき、その痕跡を矯正する健全な国民的自覚が新しい世代の間に生まれはじめた。日清日露の戦争を戦った明治期の当たり前の日本国家を回復しようという使命に若い世代も気づきはじめ、その困難な道程をようやくにして歩み始めたばかりである。



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【尖閣国有化】中国の反撃加速へ 領海侵犯、経済制裁、日米分断

2012.9.20 00:13 産経新聞  http://goo.gl/L0VzE

 【北京=山本勲、矢板明夫】中国の習近平国家副主席が19日、 パネッタ米国防長官に対し、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題への不介入を要求した。柳条湖事件を記念する18日を過ぎ、日本政府による同諸島国有 化に抗議する反日デモは1つのヤマを越したかに見えるが、習氏の強硬姿勢が示すように、日米分断を軸とした日本の孤立化促進など、共産党政権の反撃が始 まっている。

 中国の各都市に拡大した反日デモに日本側が振り回されている間に、中国は尖閣奪取に向けた動きを着々と強めている。

 13日には中国外務省が尖閣周辺海域を「領海」と主張する海図を国連に提出、16日には、東シナ海での中国の領海基線から200カイリを超えて広がる大陸棚の延伸を求める案を、国連大陸棚限界委員会に提出すると発表した。

 監視船による領海侵犯の規模と頻度を急拡大して「自国の領海」との既成事実を積み上げており、北京の西側外交筋は「国有化を機にかねて準備していた対日作戦を一気に繰り出してきた」と指摘する。

 党大会を控える当局は予定通り、“ガス抜き”に利用した反日デモを19日に収束させた。しかし、日本政府が「これで一息ついた」と受け止めるのは大間違いだ。中国国内は内部事情で沈静化させても、対日攻勢や米国など国際社会への外交・宣伝攻勢は、今後一段と活発化する。

  中国商務省の姜増偉次官は13日、「中国の消費者が理性的な形で自らの立場を表明しても理解すべきだ」と日本製品ボイコットを容認する発言をした。共産党 機関紙、人民日報(海外版)は17日付のコラムで「日本に大きな殺傷力を及ぼすため標的の中心を狙い攻撃すべし。製造業、金融業、戦略物資の輸入などが対 象だ」と経済制裁を支持。一昨年9月、レアアースの対日輸出を一時停止したような措置を想定しているとみられる。

 一方、習氏と歩調を合わせるように、保守派の周永康中央政法委員会書記が19日、ネパールのシュレスタ副首相兼外相との会談で担当分野外の尖閣問題に言及し、「今日の日中関係の困難はすべて日本側が作り出したものだ」と語り、ネパールの懐柔を図った。

 最重要課題は日米同盟の分断だ。人民日報傘下の国際情報紙、環球時報は19日付の社説で「米国を中日両国の中間に寄らせるべきだ」と主張。「釣魚島は中国領」との国際宣伝を一段と強化する構えを示している。

(c) 2012 The Sankei Shimbun & Sankei Digital






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柳条湖事件

2012年09月18日 | 歴史

今 から81年前に、柳条湖事件 があったそうです。ここから満州事変へと発展してゆく端緒になったとされる事件です。中国では本日この日に反日デモが行われ、暴徒化しています。この事件 の歴史的な背景をあらためて概略的にも知っておくために、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から、〔柳条湖事件〕の項を参考にさせ ていただきました。GOOブログでは字数制限の関係で、全文は引用できませんでしたので、項目全文は、次のブログに引用掲載してあります。

夕暮れのフクロウ:柳条湖事件

http://anowls.blogspot.jp/2012/09/blog-post.html

この事件を契機にして、満州事変から1945年8月15日のポツダム宣言の受諾による日本の敗戦に至るまでの、東アジア大陸において中国と日本の間で戦われた日中戦争と太平洋を挟んで日本と主にアメリカを中心とする連合軍との間に戦われた戦争については、このブログではさしあたっては『東アジア戦争』と呼んで、その歴史研究を進めてゆきたいと思います。従来この戦争の呼称については、「太平洋戦争」とか「大東亜戦争」が一般に用いられていますが、このブログでは、原則としては『東アジア戦争』という用語を用いることにします。

柳条湖事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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事件直後の柳条湖の爆破現場

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん、英語: Liutiaohu Incident)は、関東軍謀略によって起こった、満州事変の発端となる鉄道爆破事件[1]1931年昭和6年、民国20年)9月18日午後10時20分ころ、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である[2]。事件名は発生地の「柳条湖」に由来するが、長いあいだ「柳条溝事件」(りゅうじょうこうじけん、Liutiaogou Incident)とも称されてきた(詳細は「事件名称について」節を参照)。

なお、発生段階の事件名称としては「柳条湖(溝)事件」のほか「奉天事件」「9・18事件」があるが、その後の展開も含めた戦争全体の名称としては「満州事変」が広く用いられている[3][注釈 1]

目次

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※出典

ウィキペディア:フリー百科事典

柳条湖事件

http://goo.gl/TAFsf

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