夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第十四節[能力の譲渡]

2020年07月20日 | ヘーゲル『哲学入門』

§14

Dagegen kann ich den bestimmten Gebrauch  von meinen geisti­gen und körperlichen Kräften und die Sache, die ich in Besitz habe, veräußern.

第十四節[能力の譲渡]

それに対して、私の精神的な能力や肉体的な能力の一定の 使用 や私の所有している事物は譲渡することができる。

Erläuterung.

Nur einen beschränkten  Gebrauch seiner Kräfte kann man veräußern, weil dieser Gebrauch oder die beschränkte Wirkung von der Kraft unterschieden ist. Aber der beständige  Gebrauch oder die Wirkung in ihrem  ganzen  Umfange kann nicht von der Kraft an sich unterschieden werden. Die Kraft ist das Innere oder Allgemeine gegen ihre Äußerung. Die Äußerungen sind ein in Raum und Zeit beschränktes Dasein. Die Kraft an sich ist nicht erschöpft in einem einzelnen solchen Da­sein und ist auch nicht an eine ihrer zufälligen Wirkungen ge­bunden.

説明

ただ人間は彼の能力の 限定された 使用のみを譲渡することができる。というのも、この使用もしくは限定された活用は、能力とは区別されるからである。しかし、人間の能力の 全面的絶え間のない 使用もしくはその活用は、能力そのものと区別しえない。能力はその外化されたものとは反対に内的なものであり普遍的なものである。能力の外化は一個の空間と時間内における限定された存在である。能力それ自体は一個の独自のこうした存在の中で使い果たし切れるものではなく、そしてまた、その一個の偶然的な活用に縛られるものではない。

Aber zweitens, die Kraft muss wirken und sich äußern, sonst ist sie keine Kraft. Drittens macht der ganze Umfang ihrer Wirkungen die Kraft selbst aus, denn der ganze Umfang der Äußerung ist wieder selbst das Allgemeine, was die Kraft ist und deswegen kann der Mensch nicht den ganzen Gebrauch seiner Kräfte veräußern: er würde sonst seine Persönlichkeit veräußern.(※1)

しかし、第二に、能力は働かなければならず、自らを外化しなければならない。さもなければ、それはもはや能力ではない。第三に、能力の活用の全体が能力そのものを構成する。というのも、外化の全体は、やはりまた能力であるところの普遍的なものであり、そして、それゆえにこそ人間は彼の能力の全体の使用を売り渡すことができないのである。さもなければ彼は自身の人格を売り渡すことになるだろう。

(※1)
人間の能力の一部ではなくてその全面的な譲渡は、彼の人格を売り渡すことになる。
市民社会においては、人間の労働力は彼の人格からは切り離されて、一個の商品として市場において売買される。
みずからの全能力を譲渡する「奴隷制」とその部分的な使用を売り渡す近代の雇用関係、「賃金労働」との違いについては、「法の哲学§67」においてさらにくわしく明らかにされている。


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ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第十三節[譲渡できない品質]

2020年07月13日 | ヘーゲル『哲学入門』

§13

 Unveräußerlich  sind diejenigen Güter, die nicht so sehr mein Besitz oder Eigentum sind, als sie vielmehr meine eigenste Person ausmachen oder in meinem Wesen enthalten sind, als Freiheit des Willens, Sittlichkeit, Religion u. s. f.

第13節[譲渡できない品質]

私の所有物でもなければまた財産でもなく、むしろ私の独自の人格を構成するか、あるいは私の本質のうちに含まれるような性質のものは、たとえば、意志や道徳、宗教などの自由というものは、譲渡することのできないもの  である。

Erläuterung.

説明

Nur diejenigen Güter sind veräußerlich, die schon ihrer Natur nach äußerlich sind. Die  Persönlichkeit  z. B. kann ich nicht als etwas mir Äußerliches ansehen, denn insofern einer seine Persönlichkeit aufgegeben hat, so hat er sich zur Sache gemacht. Aber eine solche Veräußerung wäre null und nichtig. — Seine  Sittlichkeit  würde einer veräußern, wenn er sich z. B. gegen einen Andern anheischig machte, auf seinen Befehl alle möglichen Handlungen, Verbrechen so gut als gleichgültige Handlungen, zu vollbringen. Eine solche Verbindlichkeit hätte keine Kraft, weil sie die Freiheit des Willens in sich schließt, worin Jeder für sich selbst stehen muss.

その本性からいって外的であるような品質の物だけが譲渡することができる。たとえば 人格性 などは私にとって外的な物と見なすことは私にはできない。ある人が自分の人格性を放棄しているかぎりにおいて、彼は自分自身を物扱いすることになるからである。しかし、このような 譲渡は無効である。⎯ もし、ある人が他の人に対して、たとえば自分に可能なあらゆる行為を、つまらない行為からさらには犯罪でさえもうまくやり遂げることを、彼の命令にもとづいて引き受けるとしたならば、彼の 道徳性 は譲渡しうるものとなるだろう。このような約束はなんら拘束力をもつことはないだろう。というのも、各人が自身のために自ら立ち上がらなければならない意志の自由がその約束にはないからである。

Sittliche oder unsittliche Taten sind die eigenen Handlungen dessen, der sie begeht und weil sie so beschaffen sind, so kann ich sie nicht veräußern. — Auch meine  Religion  kann ich nicht veräußern. Wenn eine Ge­meinde oder auch ein Einzelner es einem Dritten überlassen hätte, dasjenige zu bestimmen, was ihren Glauben ausmachen sollte, so wäre dies eine Verbindlichkeit, die Jeder einseitig auf­heben könnte. Dem Andern, gegen den ich diese Verbindlichkeit eingegangen habe, geschieht damit kein Unrecht, weil das, was ich ihm überlassen habe,  nie sein Eigentum werden konnte.  (※1 )(※2)

道徳的または不道徳な行動は、それらを犯す人自身の行為であり、そのような性質のものであるから、私はそれらを譲渡することはできない。⎯ また、私の 宗教 も私は譲渡することはできない。もし、教会または個人が彼らの信仰を構成するものが何であるかの決定を第三者に委任していたとしても、それは一つの合意であって、各人はそれを一方的に放棄することができる。そのことで私がこの合意を引き受けた他者に対してもなんら不正は生じない。というのも、私が第三者に任せたことは、彼の財産には決してなり得ない  からである。


(※1)
前節では所有を放棄すること、譲渡すること、すなわち私の所有物を他人の占有する意志に任せることのできるものは「外的な物」であることが明らかにせられた。それに対し、本節において「内的な物」は、すなわち普遍的な自由意志や道徳性、宗教といった「私」に固有な人格を構成する精神的な財については、譲渡したり売り渡したりすることのできないものとされる。

ただ人格の放棄や売買は奴隷制のもとでは可能であったし、また道徳的な意志、良心や宗教の選択において、自己決定の意志や責任を放棄して、それを第三者に委ねる場合もあるが、その合意は、もっとも内面的な人格的な存在を外面的な財として取り扱うものである。それらは本来的に他人の占有することのできないものである。ただ、その合意は放棄できるものであり、それらは外的な財産にはなりえないから不正も生じない。

(※2)
譲渡されることのない人間に固有の権利と人格の放棄の詳細については「法の哲学§66」参照。



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ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第十二節[所有と譲渡]

2020年07月06日 | ヘーゲル『哲学入門』

§12

Ich kann mich meines Eigentums  entäußern und dasselbe kann durch meinen freien Willen an Andere übergehen.

第12節[所有と譲渡]

私は自分の財産を 譲渡 することができる。そして、私の自由な意志によって私の所有を他人に移動することができる。

Erläuterung.

説明

Meine Kräfte und Geschicklichkeiten (※1)sind zwar mein eigenstes Eigentum, aber sie haben auch eine Äußerlichkeit. Nach der abstrakten Bestimmung sind sie schon insofern äußerlich, als ich sie von mir, dem einfachen Ich, unterscheiden kann. Aber auch an sich sind die Kräfte und Geschicklichkeiten einzelne und beschränkte, die nicht mein Wesen selbst ausmachen. Mein Wesen, das an sich allgemeine, ist von diesen besonderen Bestimmungen unterschieden. Endlich sind sie in ihrem Gebrauch  äußerlich. Eben indem ich sie gebrauche, mache ich sie zu einer äußerlichen Form und das durch sie Hervorge­brachte ist irgend ein äußerliches Dasein.

私の能力と熟練はたしかに私自身に固有の資産であるが、しかしまた、それらは外的な側面ももっている。抽象的な規定からすれば、私はそれらを自分から、単純な自我から区別することができるという点ですでに外的なものである。しかし、能力と熟練はそれ自体において個別的でありかつ限定的なものであって、それらは私の本質そのものを構成するものではない。それ自体において普遍的なものである私の本質は、これらの特殊な規定からは区別される。最後に、それらはその使用に際しても外的である。まさに私がそれらを用いることによって、私はそれらに一つの外的な形式を与え、そして、それらを通して作り出されたものは一個の外に存在する或る物である。

Im Gebrauch liegt nicht die Kraft als solche, sondern sie erhält sich, ungeachtet sie sich geäußert und diese ihre Äußerung zu einem von ihr ver­schiedenen Dasein gemacht hat. Diese Äußerung der Kraft ist auch insofern etwas Äußerliches, als sie etwas Beschränktes und Endliches ist. — Insofern etwas mein Eigentum ist, habe ich es zwar mit meinem Willen verbunden, aber diese Verbin­dung ist keine absolute. Denn wäre sie eine solche, so müsste mein Wille seinem Wesen nach in dieser Sache liegen. Sondern ich habe meinen Willen hier nur zu etwas Besonderem gemacht und kann, weil er frei ist, diese Besonderheit wieder aufheben.(※2)

能力それ自体はその使用のうちに存在しているのではない。むしろ能力は自己を外化し、そして、むしろこれらの外化したものを自らとは区別される定在へと作り上げるにもかかわらず、能力は自己を保存している。能力のこの外化は、また、外的な或る物であるという点においては、限界のあるものであり有限のものである。⎯  或る物が私の資産であるかぎりは、たしかに私はそれを私の意志と結びつけてはいるが、しかし、この結合は絶対的なものではない。それがもし絶対的なものであるなら、私の意志はその本質からもこの事物のうちに存在していなければならないことになる。ところがそうではなくて、ここでは私は私の意志をたんに特殊な或る物へと作り上げるにすぎず、そして、私は自由であるから、この特殊性をふたたび止揚することができるのである。


(※1)
Meine Kräfte und Geschicklichkeiten「私の能力と熟練」
人間の能力や熟練は、人間の本質から、すなわち、その人格から切り離されて、外部に特殊な生産物としてそのうちに保存され、また、それは彼の人格とは無関係に他者に譲渡することも可能である。これらは経済学的な概念として、労働と労働力として捉えなおすこともできる。労働は能力や熟練の使用という外的な形式の側面であり、労働力は外的な生産物のうちに保存されている人間の能力や熟練である。

(※2)
この節における人間の能力や熟練についてのヘーゲルの考察は、マルクスの『資本論』などにおいて受け継がれて、さらに具体的に詳細に分析されている。マルクスは人間の労働と労働力の相違を詳細に分析して、商品交換における「使用価値」と「交換価値」の違いとして定式化した。



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